43.長旅の疲れ
馬車が王都の壁門を潜り抜けたとたんに外の風景が一新した。
煉瓦造りの美しい街並み。整えられた広い道路。行きかう人の往来。南西にある穏やかで緑豊かなブーゲンビリアとは大きく違って活気がある。海風が気持ちよくて、商人で活気のあるライラックの街とも違う。ここは、本当に都会だった。
門を通った後は、先ほどと違って窓をきっちりと閉めている。先ほどの少しだけしんみりとした空気が嘘のように、アーレン伯父様は明日以降の面会が終わったらあそこのお店に行こう、だとか、あれは今王都で流行っているもので、とか、饒舌に説明をしてくれていた。その横顔は本当にいきいきとしていて、実の娘のように対応してくれている。
私はというと、先ほどの話が引き摺っているのか、気が滅入っているのか、人込みというのが苦手なのかわからないが、伯父様の言葉にうんうんと頷くがどこか気分が上がらない。ブーゲンビリアの緑の香と、爽やかな日差しを一身に浴びた中で、のんびりと水出ししてくれたハーブティーを口にしたり、1か月に1回、楽器店の前で歌う路上ライブで盛り上がった方が、断然に価値のあるものだと思っているからなのだろうか。外に目を向けても特別魅力を感じずに、リドクリフ様の胸元に体重を預けた。
貴族のタウンハウスは王城の近くにある。壁門をくぐって更に奥地に進んだところから、出歩く人が少なくなり、馬車が殆ど行きかう。ここからが貴族街なのだろう。歩道を歩くことはほとんどなく、広く整備された道路とすれ違う馬車たちばかり。身分があるので、下手に外に出歩かないのだろう。
そして、更に奥に進み、城に近づいてきたところで一度馬車が停まる。どうやら、アルテンリヒト家のタウンハウスに着いたようだ。
「長々と話を聞いてくれてありがとうね。君は勉強熱心だからついつい語ってしまったよ。こんなに馬車の旅が楽しいのは久しぶりだった。それと1日でこんなにスぺニア語を話したのもエスぺニアに仕事で行った以来だったよ」
にこやかに帽子をかぶって、私の頭を撫でてくれる。その掌はとても優しくて、私も自然と笑みを浮かべていた。
「こちらこそ、自分が住んでいる領地のことを更に深く理解できました。この馬車の旅の中で一番有意義に過ごせたと思いますわ。また、お願いいたします、伯父様」
私の返事に満足したのか、優しい笑みのアーレン伯父様は次にリドクリフ様を見た。
「くれぐれも…………くれっぐれも、間違いがないように。結婚までは、口づけひとつも禁止だ」
「唇以外は許してくださいよ」
――いや、するんかい。ああ、でも、確かにパーティーの時に指先にしてくれていたな。挨拶のやつ。そして、私もしたわ
リドクリフ様がそう言ってしまえば、アーレン伯父様がリドクリフ様に何かを叫んで言おうとしたところで、強引に扉を閉めた。殆どの馬車がアルテンリヒト家のタウンハウスに入っていく中、数台だけが再び道に着いて走り出す。伯父様は、私たちの馬車が小さくなるまで見送ってくれていた。
意外と思ったのは、次に止まったタウンハウスだった。そこは、北東を領地としているハルシュタイン侯爵家のもので、そこで一度、スティルス・ハルシュタイン氏を下ろした。下す際に、アーレン伯父様と同じことをリドクリフ様に投げると、私と当分離れる悲しみの言葉を綴ってはタウンハウスに入っていった。
『あの人たちは、私を何だと思っているんだ』
『5歳児を婚約者にもつ特殊性癖保持者とかですかね』
私は、やっと一息付けると思ったのか、ぐったりとリドクリフ様に寄り掛かる。伯父様との馬車での旅はとても有意義だったし、聞く話がとても新鮮で楽しかったのは事実だが、やはりまだ他人に近い彼の存在は精神的に疲れる。心なしか、息が苦しい気がする。
『君までもそれを言うのかい?……リアラ?』
何かリドクリフ様がすねたような声で言われたが、名前を呼ばれたくらいは何を言っていたか分からない。言語をスぺニア語にしているから尚更言葉が滑って聞こえるのだ。
「ごめんなさい、今、なんて……」
リドクリフ様の大きな掌が、私の頭に触れ、頬に触れ、首に触れる。くすぐったくて身を悶えるが、彼が今何を言っているかよくわからない。私も、言語を切り替えることが出来なくて、普通に話していた。そして、思考の片隅で「熱があるのかぁ、どうりで気分が憂鬱になったわけだ」なんて自己完結している。
目の前では、どこか焦った表情のリドクリフ様がいるというのに、呑気に私は自己分析をしていたのだった。
そのあとからの記憶がない。
ぷつっと途切れたのだから、どうやら熱でそのまま意識が飛んだのだろう。気が付いたら、広い部屋の天蓋付きベッドの真ん中で、しっかりと寝巻に着替えた私が寝ていたということ。そして、時刻が分からないが、窓から見える空は暗い。
リドクリフ様は、ベッドサイドに椅子を用意して、そこで腕を組んだ状態で器用に寝息を立てているという状況。サイドテーブルに置かれている、小さい盥の中にタオルが浸されている。私は、暑くて気怠い体を起こすと、膝の上にぽとっと何かが落ちた。どうやら、すっかり私の熱を吸収してぬるくなっている濡れタオルのようだ。
リドクリフ様が看病してくれたのだろうか。
きっと、返ってきた主人の仕事は想像できないくらいにあるのだろうが、その合間を縫って。
部屋に置いてある丸テーブルの上には、束になっている資料と、大事な判子。腕を組んでいるが、その手にはしっかりと仕事の資料を持っている。
私の面倒を見ながら、仕事をしていたのか、この人は。忙しいというのに無茶をする。
私は起きて喉が渇いたため、準備されている水差しからカップに水を注いでは、熱のせいで上がった体温を鎮めるように水を飲んだ。決して、リドクリフ様の優しさと愛情に嬉しくなって照れたわけではない。
一口メモ:
リドクリフにとって、今のリアラは娘以上恋人未満だしどちらかというと、娘寄りである。




