103.鼻に残る花の香り
ランクインありがとうございます。
のんびり更新とはなりますがこれからも精鋭話を進めてまいります。
音を立てないように扉を開けて、そっと執務室を覗くと、かりかりと紙に万年筆が走る音が響いた。窓が少し開いてるからか、扉を開けたことにより風通りが良くなりカーテンが揺れる。執務机に積み重なってる資料が、風に撫でられて宙を舞う。そこで集中していたリドクリフ様が顔をあげた。
「どうしたの、リアラ」
結局リドクリフ様にすぐに見つかった私は、優しい声で呼ばれると素直に執務室へと入る。床に寝かされた資料たちを丁寧に拾い上げて、元あった場所にそっと重ねた。再び風に攫われないように、ガラスで出来たペーパーウェイトを乗せて抑えるのも忘れない。
そして、机を回らずにまっすぐにリドクリフ様の前に立つも、何から声をかけていいのか分からずに視線を外してしまう。体の前で、落ち着きなく指を絡めながら、自然と唇が前に出てるのが自分でもわかる。何を言ったらいいのだろうか。まずは、寂しくないと即答したのは本当は本音ではないと伝えるところからなのだろうが、なんだか気恥ずかしくて口が重たくなるのだ。
声を出しても、「うー、」とか「あー、」とか言葉にならないものばかり。精神年齢が上でも気まずい話はやはり言葉にしづらいものなのだろうか。それとも、精神年齢が上だと言えやはり肉体年齢に引っ張られるのだろうか。最近の自分の行動を垣間見えても後者に近い気もする。いい事ではあるのだろうが、そろそろしっかりと話さなくてはじっと見つめられる優しい新緑の瞳にいたたまれなくなるのだ。
先程あんなことを言ったし彼は酷く落ち込んでたと思うのに、彼はすっかりいつも通りなのだ。それを見てしまうと先程までうだうだと悩んでいた自分が阿呆らしくなる。優しいのか切り替えが早いのかは分からないが、これぞ大人の余裕と言われてしまうと悔しく感じた。私だって伊達に前世で20年生きていないのに。なんだったら精神年齢だけ見れば同じ歳か5歳差程度だろう。それだというのに、彼の方が倍に大人なのだ。悔しい以外ない。
「先程の……話なんですが」
悔しいのなら、同じくらいの精神年齢というならきちんと話せばなるまい。言いづらくとも大切なことは報連相だ。言葉にしないと伝わらないのはどの世界も共通。念話が出来るなら話は別だがそんな高等テクニックな魔法は今のところ存在してない。電話があろうがなかろうが、結論は言葉でやり取りしなくては、考えも感情も伝わらない。最近まで身近で、そういうやきもきさせられたカップルが近くにいるのだからそれを反面教師にしなくては。
「あの、私、あの時……強がって……リドクリフ様が居なくても寂しくないと言いましたが、……本当はすごく寂しいです。正直に、……時折リドクリフ様が留守にされる時も、声を聞きたくなる時があるくらいには少し離れただけで寂しくて仕方ないです。なので、冬の間から春にかけて居ないとなるとやはり寂しくて仕方ないと思います。けど、これ以上リドクリフ様をここに縛り付け続ける理由は私にもありませんし、何よりあと5年経てば正式に私たちは結婚しなくてはならない現状で、何もしないのは良くない気がするんです。だから――」
そう顔を上げた時、ふんわりと温もりに包まれた。そして鼻腔を擽るのはいつも嗅ぎなれた優しいリドクリフ様の香り。最近は、サシェをよく持ち歩くからかそこに付随して花の香りが混ざったそれが私を包み込んでくれた。
「ああ、良かった……私がリアラに鬱陶しがられているのだとばかり思っていたよ」
そう言って、苦しいぐらいに私を抱きしめながら深く深く安心の息を吐くものだから、私も苦笑いを浮かべてしまう。広い背中に手を回しても、彼を包むことはできない。それでも、その背中に掌を押し付けるとそこに存在があるのを実感する。
温かい。
とても、温かい。
優しくて、温かくて、5年前からずっと落ち着く。匂いも温もりも、その広い背中も、とても落ち着くいて、心から大好きが溢れてくる。
「鬱陶しいと思ったことないですよ。むしろ、沢山我儘を言ってしまって、私の方がリドクリフ様にご迷惑おかけしてますし」
彼の温かさに意固地が次第に溶けていく。ゆっくりゆっくりと溶けて体に沁みると、次第に素直さが吐露する。
彼にとっていい娘であろうと思ってる。生みの親の肖像画を頑なに見たがらない私は、親の顔を知らない。知りたいとも思ってない。むしろ、5歳まで育ててくれた家族と、この歳まで面倒を見てくれて、これからも見てもらう彼の方がよっぽど私の親なのだ。毛嫌いもせず、厭わず、伸び伸びと育ててくれた。勉強も惜しみなく受けさてくれ、言ったことを実現させようというも領地内を西へ東へ北へ南へ駆け回ってくれた。
王都へ行くには馬車では時間がかかるから、基本そういうときはハルシュタイン氏を送り込んでるのをよく見る。むしろ、ここのリゾート地計画が本格化した途端、彼の王都へ行く頻度は多かった。なんだったら1年ほど向こうで駆け回ってくれてたらしく、ハルシュタイン氏を見なかった時期もあった。
本当はそれくらい領地関連だが、領地だけで留まらない仕事も多いはずなのに、リドクリフ様はそれを最小限に抑えてくれていた。
自惚れるなと言いたいが、自惚れたっていいだろう。一言に私の為であると確信していいだろう。そう思えるくらいには、彼にはとても大切にしてもらっているのだ。
「迷惑だなんて思ってないよ。私がしたくてしているのだし、気にしなくたっていい。ただ、そうだね。リアラがそれを気にしてしまうのなら懸念は排除しとかないとだし。君のお願い通り、今年の冬から春は1度王都へと戻ることにするよ」
寂しいけどね、と付け足されながら私の頭を撫でる大きな手。胸いっぱいにリドクリフ様の香りを嗅いで、私は小さく頷いた。




