仮面舞踏会 3
ラティーシャはぶるっと体が震えた。
「なんてこと……」
すぐ隣にいた令嬢たちも震えて涙を浮かべている。
「恐ろしいわ……」
令嬢たちの呟きに、ラティーシャも
「ええ……」
そう囁き返す。が。
ラティーシャは恐ろしいわけではなかった。
いよいよ、このときがきた、その思いで体が震える。
大公閣下と近しい貴族たちが皇宮を圧するだろう。
あんな馬鹿げたお伽噺を引き合いにして、ネイハムを遠ざけようとする陛下にはうんざりだった。
あんなおもちゃのような扉などに誰が騙されるものか。
いよいよ大公は皇帝代理を経て皇帝へ。
そしてネイハムは、皇太子からいずれ皇帝へ。
私は……。
大公が叫んだ。
「ランドル皇子だと?
おのれ、今までこの機をうかがっていたのか!」
ネイハムがやはりマスクを取って大公の側へ行く。
ラティーシャはその後ろに着いた。
ネイハムが声を荒げた。
「皇宫を閉ざせ!
皇子を逃がすな!」
わらわらと待機していた騎士たちが立ち上がる。彼らは皆薄紅色のマントをつけていた。
誰かがネイハムへ向かってマントを差し出す。ラティーシャはそれを受け取りネイハムの肩に取り付けた。
青いマント、深緑のマントも駆けてくる。しかし、圧倒的に数が少ない。
ラティーシャは笑みを浮かべた。
と、そこに鋭く声がかかった。
「待て」
兄、リンジーだった。
つかつかとネイハムの前へ出る。
マスクを取ったその顔を見て、ラティーシャは唇を噛んだ。
特に兄として慕っているわけではない。むしろ堅物で邪魔な存在だ。
だが、昨日のあの娘に向けた笑顔は許せなかった。妹なのにラティーシャは一度でもあんな顔を向けられた記憶はない。
兄はネイハムを見ながら、自分の後ろに集まった青いマントの騎士たちに一喝した。
「まず陛下の救命だ、医師を!」
それから
「陛下を斬った者を見たのは誰だ!」
と尋ねる。
ネイハムが
「それより直ぐに手配だろう」
と言ったのを
「皇宮は閉ざせ」
と言い置き、ネイハムに向かい
「追う前に、賊の風貌を尋ねないのか?」
と訊いた。
「それがわからなくては、追えないのでは?」と。
ネイハムが口を閉ざすと、前へ進み出た騎士に尋ねる。
「確かにランドル皇太子だったのか」
「間違いありません」
「では捕まえよう。で、どんな服だった?」
「グランデ騎士団の上衣でした」
「そうか、どんな様子だった」
「……おやつれでした」
「なるほど。つまり、髪や服なども乱れていたと言うことか」
「はい、恐れながらだいぶ……髪なども……」
「伸び放題か?」
「い、いえ。以前と同じくらいではありますが、……だいぶ乱れておりました」
「そうか」
そう言ってリンジーは急に振り返り、人々の後ろにいた侍従を呼んだ。
呼ばれた侍従は、驚いた。
「わ、私、でございますか?」
「そうだ」
リンジーは尋ねた。
「陛下が斬られた時、私はどこにいたか覚えているか」
何を言ってるのだろう。
この緊急時にいったい……。
ラティーシャは苛立った。
ラティーシャだけでない、おそらくここにいるすべての人がそう思っているのではないか。
呼ばれた侍従も青ざめながら答えている。
「は、はい。そちらの」
侍従は広間中程のベランダを指した。
「そちらのベランダです」
「誰と一緒だった」
侍従は視線をさ迷わせ、ある一点で止めた。
「そちらのご令嬢と、その隣の背の高い……そう、そちらのお方です」
そこには、あの娘……フェリシアと名乗る、あいつと誰か……異国風の礼服を着た男が寄り添うように立っていた。
「間違いないな」
「はい、間違いありません」
リンジーは微笑むと、その男に何か合図をした。
その男は、顔の半分程を覆っていた仮面をはずした。
そのままリンジーの所へ、ネイハムと大公の前へ歩いていく。
「久しぶりだな」
ラティーシャはひゅっと息を呑んだ。
それは……ランドル皇子だった。
生きていた?
たちまち周りがざわめいていく。
……生きておられた。
……変わらず麗しい。
……では、さっきの賊とは。
……お髪も乱れてなどいないぞ。
……おかしいのではないか?
ラティーシャの周りでも、声が高まっていく。
青いマントの騎士たちからは歓声があがった。
皇子!
お待ちしておりました!
「おい! お前」
リンジーがさっきランドル皇子を見たという騎士の肩を掴んだ。
「お前が見たのは誰だ?」
そう言って、ランドルに向き合わせる。
騎士は震えていた。
「……、く……、お前は……」
ネイハムが唇を震わせる。
「……本当に……」
ランドルは笑った。
「髪が伸びたものでね、ちょっと変わったかな」
ネイハムが怒鳴り声を上げた。
「い、今まで国をほおってどこにいたのだ!」
ランドルはすっと笑顔を引っ込め真顔になった。
「お前に襲われて、斬られた傷を治していたんだが」
広間が静まり返った。
大公が胴間声をあげた。
「こいつはカーシー皇太子を毒殺したのだ!
捕らえろ!」
後ろに控えていた騎士たちがハッとする。
ネイハムが剣を抜いたのを機に、騎士たちも一斉に剣を抜く。
彼らは舞踏会というのに、皆剣を帯びていた。そしてそのままランドル、リンジーに向かった。
リンジーの後ろの護衛騎士たちが素早く応戦する。
ラティーシャは騎士たちの間から飛び退いた。
何故こんなことに……。
でも、こちらの方が圧倒的に多い。
大丈夫、大丈夫だわ。
そのときだった。
ふいに、全ての音が消えた。
騎士たちのときの声も。
床を蹴る騎士たちの足音も。
今まさに打ち合った剣と剣の響きも。
女性たちの悲鳴も。
全て。
消えた。