印璽
ランドル皇子が……ランディが、私を好き?
フェリはさっきのランディの言葉に、椅子に座り込んだ。
顔が熱ってくる。
「フェリ」
ランディがそばに来ると、フェリの手を取った。
「フェリの手が好きだ」
手? 好きなのは手?
「猫のとき、いつも撫でてくれていたよね。人に戻ってみたら、とても小さくて驚いたよ、とても可愛い手だった」
そう言ってランディはフェリの手を自分の頬にあてる。
フェリはますます顔が熱り、燃えそうだった。
そ、そんなことを言うなら、ランディの手こそ思っていたのと違って、大きくて固く、剣を握るための手だった。毎日努力した手だった。
しかし、体がカチカチになって、フェリは口も開けなかった。
と、ランディはフェリの隣に座り、フェリをひょいと抱き上げ自分の脚に乗せた。
「ラ、ラ、……」
口が回らない。
ランディはフェリの頭を撫でて、
「私が猫のときはこうしてくれるだろう? あれはとても気持ちがいいから、フェリにもしてあげたいんだ」
そう言うと、そのまま抱き寄せて髪に口づけをする。
「これも気持ちいいよね」
「皇子」
お茶の用意をして部屋に入ってきたアビが、フェリを床に下ろした。
「フェリが固まってるじゃないですか」
ランディはきょとんとして、
「フェリ、どうしたの?」
と訊いてきた。
固まっているフェリに代わって、アビがきびきび応える。
「皇子は、猫のときと人のときと距離感を変えてください。
フェリは猫じゃないんですから、すぐに抱っこしたり、体を撫でたりしてはダメでしょう?」
ランディは少し赤くなった。
「か、体を撫でたりはしてない」
「頭でも、撫ですぎです」
「──」
フェリを一人掛けの椅子に座らせ、アビはお茶を出した。それから不満気な顔をしているランディにもお茶を出す。
そして、
「フルーツケーキもありますよ?」
とフェリの頭を撫でると、ランディが「あっ」と声をあげた。
それを見てアビが「私はいいんです」と、可笑しそうに笑うので、フェリもようやく息を吐いてお茶を一口飲んだ。
そこへグリッグが入ってきた。
「兄貴にバレたって?」
フェリが頷く。
「で、その兄貴は?」
「皇宮に行ったの。建国祭の打ち合わせだって」
つまりは、ランディに仮面舞踏会にしろと言われて、慌てて出て行ったんだよね、とフェリは思った。
グリッグはやはりアビにお茶をもらうと、ランディに尋ねた。
「皇子、あの従兄弟が証拠の契約書を持ってるらしいんだが」
ランディは急に難しい顔になる。
「問題は、その印璽らしい。間違いなく皇子の印璽らしい。だからそれが証拠と言ってるようだ。
皇子、印璽っていつもどこにあったんだ?」
ランディはちょっと目を伏せた。
「印璽は──そこら辺──多分机の上に置いていた」
「は? 金庫とかどっかにしまい込んでるものじゃねえの?」
ランディが顔をあげる。
「しょっちゅう決済だなんだって、押していたんだ。しまい込んでたら仕事にならん」
「ほおお」
グリッグはそれに冷たい目で応える。
「だが!」
とランディは続けた。
「そもそもその部屋には誰も入れないんだ。私と副団長、それと執事くらいだ。部屋の前、部屋へ続く廊下、見張りがいて誰も通さない」
「その部屋はどこにあるんだ」
「二階の西端だ。窓は細くて人など入れない。もちろんベランダもない」
「その従兄弟は入れないのか?」
「ネイハムは──、リンジー──副団長が元々警戒していた。絶対通さない」
二階の、西端……?
細い窓……。
……あれ?
フェリはアビを見た。アビもフェリを見ていた。
二人で頷きあう。
「……それ、騎士団の人がいつも立っている、鷲の顔がある部屋……?」
フェリが訊いた。
「鷲? ああ、鷲のレリーフが扉に付いている」
「扉の隣に、青いマントで白い馬に乗ってる男の人の絵がある……?」
「フェリ?」
ランディが驚いた顔をする。
「どうして──まさか、あんな奥まで入った──?」
そうフェリはしょっちゅう皇子宮へ忍び込んでいた。
「違う!」
フェリは慌てた。
「違う、あ、違わないけど、中に入ったのはあのときだけなの! あの日、急にすごい雨が降って、雷も鳴って、それで……怖くて……」
そこからはアビが続けてくれた。
「ほんとよ、皇子。あの日、雨と雷で、止むまでちょっと入れてもらったの。でも、何だか人が多くて。何か晩餐会があったのかな」
ランディは考え込んだ。
「確かに──、武道会の表彰を兼ねた晩餐会がひどい雨と雷だった日があったな──」
そしてふっと笑った。
「それにしても、よく入り込めたな」
アビが胸を張る。
「私がついてたから! フェリは一人きりのつもりだったけど、私が人の居ないところをうまく辿らせたの」
「あ、でも」
フェリは慌てて付け加える。
「その鷲の部屋には入ってない、その隣の小さな部屋。書類とか本とかたくさんある部屋、そこにいたの」
「そうか、隣の保管庫だな」
ランディがそう言う。
「でもあの日……」
フェリはぎゅっと手を握った。
「鷲の部屋にラティーシャが居た、よ」
ランディの顔に驚きが走った。
「顔は見てない。……でも声は聞こえた。
皇子の婚約者なんだから、中に入れなさいって。約束してるからって」
ランドル、そしてグリッグの顔も険しくなった。
「──そう言うことか」