真っ赤な顔で。
Twitterの『#彼氏が来る前に消さないと 短編企画』参加作品。
「……まいった。どうしよう」
彼氏が初めて部屋に来る日。
今すぐ撮影スタジオにできるレベルにまで磨き上げた部屋の中で脱力したあと、わたしは重大な事実を思い出した。
鏡の前で自分のほっぺをムニムニ揉んでみる。
「赤いなぁ……って思ってたらよけい赤くなってきた。やば」
感情が顔に出やすいって小さい頃からよく言われていたけれど、今の彼氏と付き合いはじめてからよりはっきり自覚した自分の欠点。
鏡の中にいるのは、大学に行く前と同じような軽いメイクだけした毎朝のわたし。
一つ違うのは耳の先まで真っ赤に紅潮しちゃっているところ。
「いや、わかるよ? 普通のデートでも出かける前はけっこう赤くなっちゃってたからさ。でもこれはちょっと。リンゴじゃないんだから」
鏡の中の自分に文句を言う。
これはまずい。見た目は完全に泥酔した人だし。
こんな顔で彼氏を迎えるのは、恥ずかしい。
「お酒だと赤くならないのに、なんでこう……ああもう!」
あと1時間くらいで彼が来る。
デートのときはきっちりメイクでどうにか誤魔化して、たっぷり二時間使って自分の心を落ち着けてから出かけている。
彼氏は年下で、わたしがリードしなくちゃいけないのだ。頼れるお姉さん的ポジションを守りぬかねば。
「うぬぅ。これなら、どうかな?」
手元にあったのは濃い目のクリームタイプの日焼け止め。
顔のほてりも押さえてくれるすぐれもの……なのだけれど。
「ダメだこれ。歌舞伎役者だ」
赤みを隠せるくらいに厚塗りすると、顔が真っ白に。
女形と言っても通用しそうなくらいに原型が残ってない。
この姿で出迎えたら、来客予定があってもパックしたまま家で過ごすタイプの変なひと扱いされてしまう!
急いで洗顔。見事にすっぴんになってしまったので、再びメイク。ファンデーションを厚めに塗ってみる。
「これでいい、のかな?」
赤みは消えた気がする。
いや、耳がまだ赤い。ティッシュと麺棒を駆使して耳にもたっぷりファンデーションを塗りたくってみた。
結構お高いやつだけれど、躊躇している暇はない。
「……ふむ」
見事に赤みは消えた。
頬は当然、目元も耳回りも完全に一色。ペイントソフトでベタ塗りしたように一色。
「え、これ気持ち悪くない?」
ぱっと見の第一印象はマネキン。なんというか、古い3Dゲームの肌感がある。
赤みが消えたのは良いけれど、人間味まで消えているのでは?
正直、夜中に見たら絶叫しそうなくらいには生きている感じがしない。
「玄関開けた瞬間逃げられる可能性すらある。いやでも、顔真っ赤よりは……」
鏡の前で真正面。斜め。上目遣い。
「いや上目遣いやば。スケキヨじゃん」
心なしか顔の凹凸すら減っているように見える。
そこで不意にチャイムが鳴った。
え、もう来たの、と思ってドアモニタを見たら宅配の人だった。
そう言えば、彼氏の誕生日プレゼントを通販で買ってたんだった。間に合って良かった。
なんてドアを開けると、宅配のお兄さんの目が。
「あの……すみませんでした」
宅配のお兄さんはわたしの顔を見るなり目を逸らし、心なしか青褪めた表情で荷物を差し出すと、サインも確認せず逃げるように去っていく。
「いやいやいや……このままは流石にヤバイよね。普通に凹凸が見当たらないし。なんというか不気味の谷的なホラー感あるし。よし、シャドーで立体感を出してみよう」
プレゼントは一旦置いておいて、シャドーで鼻すじを作り、頬の立体感を出し、ついでに眉も整える。
「できた! 完璧に舞台映えするきっちりメイクが!」
鏡を見ると、宝塚で男性役ができるレベルの、鋭角バッキバキな鼻すじの通った美男子がそこに!
肩パット入ったスーツ来たらかなりバブリー。
確実に、百人に聞いたら百三人が「迷走している」と答えそうな状況に陥ってしまった。
試しに仮装用のアイマスクをしてみた。
トランプで有名な喋らないマジシャンみたい。
「ハロウィンじゃねぇんだよなぁ!」
叫びながらメイク落としを乱暴に塗り込む私の姿は、両親が見たらきっと泣いてしまうだろう。
変なところで親を心配させてしまう。
「どうしよう……」
ドすっぴんに戻った私の顔を見る。
そんなに悪くない……と思いたいけれど、そのままで彼の前に出るほどの自信はない。
大学の他の子たちは、私みたいにキツめの目つきじゃなくて、丸くって可愛らしい目をしている。
唇も、ぷっくりと愛らしい子が沢山いる。
「私も、もっとカワイく生まれたかった」
中学生くらいからか。もう少し前からかも。
他の人よりちょっとだけ成長が早くて身長が高かったし、目つきが鋭くてなんとなく「お姉さんキャラ」みたいな扱いだった。
ちやほやされるカワイイ子が羨ましかったけれど、頼りにされるのは、それはそれで悪い気はしなかった。
「そのくせ、人前に出るとあがり症で顔が真っ赤になっちゃうんだよね。それが恥ずかしくて、目立つの好きじゃないし。でも部長とか委員長とか、押し付けられるんだよね」
今の彼氏と出会ったのも、大学のサークルで私が教える側になったのが最初だった。
フットサルのサークルなのだけれど、男女一緒に和気あいあいの居心地の良さが気に入っていて、そこに入って来た彼を見た時は「小動物みたい」と思った。
サッカーは知っていてもフットサルは未経験の彼に、何かと教えるようになって、サークル以外でもよく話すようになって、いつの間にか気になっていた。
彼は飲み会には来るけれど、お酒は飲まない。まだ十代だからと、ちゃんと断れる。
見た目は大人しくて可愛い感じだけれど、自分の考えをしっかり言葉にできる人だったのが意外で、そこからはっきり自覚した気がする。
私から言い出すかどうか迷っているときに、彼から告白してくれた。
そうして付き合い始めて約一年。
「今日は彼の二十歳の誕生日だから、お酒の飲み方を教えるなんて言ってとうとう家に誘ったのに。誘えたのに……!」
上手く誘えた嬉しさと緊張で、私の顔は再び真っ赤に染まっている。ちょっとした夕日とタイマン張れる程度には赤い。
胸に手を当てて心を落ち着けようと、深呼吸を繰り返す。
すう、はあ、と繰り返すうちに、鏡の中の私は泣きそうな顔になっていた。
年上彼女として、なるべく格好いいところを見せるようにしていた。
頼りになる先輩として、彼の尊敬のまなざしを受けるのが嬉しかった。
それなのに、今はまるで初恋みたいに心臓が暴れ回るのを止められないでいる。からだ中が熱くて燃えつきてしまいそうなほど、緊張している。
彼が好きで、好きだから見せられない顔をしている。
彼氏が来る前に、この恥ずかしい頬の紅潮を消さないと。
またチャイムが鳴った。
モニターを見たら、笑顔の彼の姿があった。
『先輩、僕です。……あの、ここで良かったですか?』
不安そうに微笑む彼に、返事をしなくちゃいけない。
「うん、会ってる。待って……たよ。もうちょっとだけ、待ってくれる?」
『わかりました!』
「ごめんね」
冷静に答えたつもりだけれど、声が震えているのが自分でもわかる。
今の私は、すっぴんで顔を真っ赤に染めて、涙を流して震えている変な女。
こんな顔で、彼を迎えるわけにはいかない。
でも、ドアの前で彼を待ちぼうけにするのもだめだ。
彼はちゃんと来てくれた。私は迎えなくちゃいけない。
毅然とした、先輩として。
「お、お待たせ!」
「せ……先輩? ですよね?」
「その通りよ!」
私は玄関先に置いていたニット帽を顎まですっぽりと被って出迎えた。
前が見えなくて、手探りでドアのカギを開けると、彼の戸惑う声が聞こえる。
「ちょっとだけ!」
私は手を振って、必死で言い訳を考える。
「ちょっとだけメイク失敗したの! だから、こんな感じで! ごめんね! ……ごめんね……」
恥ずかしくて、情けなくて、また顔が熱くなるのを感じる。
止まったはずの涙が流れてしまう。
このままだと、彼にバレる。
私が泣いていることも。
「先輩、大丈夫ですよ」
「や……」
彼の手が、ニット帽をそっと捲った。
眩しさに目を細めた私は、自分の頬を慌てて押さえる。指先に感じるのは、頬を赤く染める血潮の熱さ。
私は今、彼の前で顔を赤く染めている。
「メイクしなくても、先輩は格好良くて……美人です」
「でも、でも……こんなに真っ赤になって……恥ずかしくて……」
「いつものキリッとした先輩も素敵ですけれど、たまに見せる照れた顔も……あの、後輩の僕が言うのも失礼だけれど、可愛いって、思います……」
自分が耳まで赤くなるのをはっきりと感じる。
消えてしまいたいくらいに恥ずかしいのだけれど、彼の言葉が飛び上がりたいくらいに嬉しい。
可愛いって、私のことを。
それに、たまに見せるってことは、私が緊張で赤くなりやすいのも知っていたのだ。
「ちょっと待ってくださいね」
そう言うと、彼は自分が持ってきた荷物から缶チューハイを取り出すと、三口分くらいゴクゴクと飲んで見せた。
私が何か言う前に、彼の首筋が、頬が、そして耳も赤く染まる。
「ほら、あっという間に僕も真っ赤っか。昨夜ちょっとだけ飲んでみたらこんなでした。僕、お酒にすぐ反応しちゃうみたいです」
缶チューハイを置いた彼の両手が、私の手を握る。
そしてちょっとだけ身長の高い私の顔を見上げて、真っ赤な顔でにっこり笑った。
「お揃いですね」
私は思わず彼を強く抱きしめた。
何の心配もいらなかったんだ。彼は私のことをちゃんと見ていて、恥ずかしい部分も含めて好きでいてくれる。
「ありがとう……」
「僕の方こそ、呼んでくださって、あと、素顔を見せてくださってありがとうございます」
触れ合う頬が熱かった。
私のも彼のも暖かくて、同じだって思うと何より嬉しかった。
「それじゃ先輩。お酒のご指導、よろしくお願いします」
「任せなさい! こう見えても私、お酒は結構詳しいからね! 料理だってちゃんと用意してるのよ」
「本当ですか! 先輩の手料理? やった!」
彼の手を引いて家に入る。
顔から赤みは消えないけれど、私の心配、不安は消えた。彼氏が消してくれた。
「誕生日、おめでとう」
今日は彼のお祝いだけれど、私の方が大きなプレゼントをもらっちゃった。
お酒で赤い彼と、ドキドキで赤い私は、きっとこれからもお互いを大好きでいられる。
ちょっとだけ、今日から私の赤い頬が好きになれそう。
ありがとうございました。