第7話 「人間が天使と仲良くなる方法」
ゆいたんにとって、書斎は、よじ登れる本棚や、机の上のペン立てや原稿用紙など、面白いものがたくさんある、お気に入りの部屋でした。
書き物をしているパパの万年筆にちょいちょい触って手助けをしたり、パソコンのキーボードをカタカタするのを手伝うと、パパはいつも、「ゆいたんにはかなわないなぁ。」と言って、ご褒美におやつをくれるのです。
でも、ハムスターたちは、この部屋に入るのが初めてだったので、ゆいたんほど落ち着いては居られませんでした。
ここはどこ?
メイは好奇心の赴くままにキョロキョロチョロチョロします。
ルーシー・モード・モンゴメリ『赤毛のアン』
『ジャーナリズム入門』
『カナダの動植物』
『これで完璧!定番の家庭料理レシピ集』
本棚にはこんな背表紙の本が並んでいましたが、もちろん、メイにはちんぷんかんぷんです。
どうやら、「ほん」だらけの部屋だと認識します。
「ほん」は「かみ」の固まりで、かじったりしてはいけないものなのです。
『人間にとっては、とても便利で大切なものなのよ。』以前、そう花さんに教えて貰ったので、もうガリガリはしません。
なんでも、「もじ」とか「え」とか「しゃしん」で、遠い遠い所の出来事も知ることが出来るのだとか。
それがどういうことなのか、メイには理解できませんが、人間って凄いんだな、と思うのです。
そんな「ほん」ばかりの部屋なので、メイはすぐに興味をなくしてしまったのですが、ゆいたんの背中に乗って来た天使達が一緒にいる事を思い出します。
お話しの続きがしたいな。
そう思って振り向くと、花さんがショックを受けているのが目に入りました。メイは慌てて駆け寄って寄り添います。
「花ちゃん、だいじょうぶ!?」
天使たちと一緒に外に出てはみたものの、いざ、自分のケージのない、見覚えのない部屋の中に入ってみると、花さんの心は、不安でいっぱいになりました。
チュッチュと約束したのだから、天使達を外に逃がしてあげないといけないのだけれど、自分がいなくなって、お姉ちゃん達を心配させてしまうだろうな、と思うと、罪悪感も出てきます。
ゆいたんは「かくれんぼ」と言っていましたが、いったいそれが「天使達を外へ逃がす」事とどう関わってくるのか、そんなことも考えますが、今は不安が勝って、声にできません。
メイはちぢこまって震えている花さんの背中をなでてあげながら、どうしたものかと思案しました。
ひまわりの種は、残念ながら持って来ていないし、この部屋にもなさそうです。
すると、ママヌエルが、衣の中から、ひまわりの種を取り出して、メイに渡しながら言いました。
「さっき君からもらったものだよ。花さんにあげてね!」
メイは、「ありがとう!」といって、受け取ったひまわりの種を、花さんにさし出しながら、「ほら、がりがりだよ~。」と優しく勧めました。
花さんは、「うん。」ともの悲しげに受け取って、無心にがりがりしはじめましたが、さすがは、日ごろお世話になっているひまわりの種です。そのうち、少しずつ気持ちが落ち着いて来ました。
ママヌエルが言いました。
「ねえ、君たちは、子ども部屋に戻ってもいいんだよ。人間から隠れなきゃいけないのは、僕らだけなんだから。」
「そうよ。無理する事はないわ。」ナナエルも言ってくれます。
「チュッチュちゃんと約束したから。でも……。」花さんは、迷ってしまいました。
天使たちも、しょんぼりしてしまいます。
メイは、そんなみんなを元気づけるために、提案しました。
「そうだ!ゆいたんのお腹でお昼寝するのはどうかな?ゆいたんのお腹なら、あったかくて、ふわふわすべすべで安心。天使ちゃんたちも気に入ると思うよ?ゆいたーん!」
メイは、ちいさなお手手を合わせてゆいたんにお願いします。
「ゆいたんのお腹で休ませて!」
ゆいたんは、メイのお昼寝の提案を聞いて、「本棚の上はぽかぽかで気持ちいいよ!そこでお昼寝しようかなあ。でもこのお部屋はパパのお手伝いをするのは楽しいけど本棚の上でお昼寝してるとパパがいつも『ゆいたーんゆいたーん。』といっぱい話しかけてきてゆっくり眠れないにゃあ……。」なんてつぶやきます。
それに「お姉ちゃんたちは花ちゃんとメイちゃんがいないとびっくりしちゃうから、戻ったほうがいいかにゃあ。」と、子ども部屋でお昼寝をする案も思いついて、悩みます。
「ああ!そうだ、しっかりものの花ちゃんに聞いてみよう!」
ゆいたんは花さんのそばにしゃがんで、「どこでお昼寝したらいいと思う?」と聞きました。
花さんは、唐突に意見を求められて、とまどいましたが、みんなが見つめているので、ともかく、薄日が当たった気持ち良さそうな絨毯の上を指差して、「あそこ、かな?」と答えました。
そこで、ゆいたんは陽だまりの中に横になり、ハムスターたちと天使たちは、そのお腹にもたれかかって、一休みする事にしました。
横一列に並んで、やわらかな毛並みの中に体を沈めます。
薄日でぬくもったゆいたんのふかふか、ふわふわの毛並みの、なんと寝心地の良い事でしょう。
「まるで、空に浮かぶ真っ白なわた雲の上で寝ているようだねえ。」ママヌエルが、横で寝ているキキエルにつぶやきました。
「ふわぁ。ほんと、うっかり眠ってしまいそうよ~。」キキエルはうんと腕を伸ばしてあくびをしました。
「はぁ~。これこれ。」メイが仰向けに横たわって、お腹をさすりながら至福の声をもらします。
ゆいたんもみんなのぬくもりを心地よく感じながら、「ご満足いただけて何よりよ~。」と、前脚の毛づくろいを始めました。
その時、部屋の外が、なんだかごたごたと騒がしくなって来たので、花さんは頭を上げて、耳を澄ましました。
紗矢とママが、それぞれ二階と一階から、何か話しているようです。
花さんはゆいたんの毛並みをかき分けて、隣で寝ているメイに声を掛けました。
「ね、メイちゃん、わたしたち、ここでかくれんぼを続けるの?それで、天使ちゃんたちを外に出してあげられるのかな。」
「むにゃむにゃ……、ん?かくれんぼ?」メイは、色々あり過ぎて、かくれんぼの事などすっかり忘れています。
ここで、少し時間を戻して、一階のリビングを見てみましょう。
るきあが、ソファーで、ママからなでなでしてもらっている所でしたね。
『にゃふふ~、やくとくやくとく♪』
ママの極上なでなでが、疲れた体に染み入ります。ごろごろ、とろとろ、すっかり眠くなった時に、騒ぎは起きました。
ママに抱っこされて、窓辺に行ったるきあが見たのは、恒例のうさたんVSハッシュの取っ組み合いです!
大興奮のるきあですが、間もなく、家の裏手から紗矢がほうきを振り上げてどなりながら出て来たので、うさたんは早々に追い払われてしまいました。
生垣に逃げ込むうさたんの白い後ろ姿に、ところどころ赤くにじむものを見たるきあは、一転して、うさたんのけがの具合が心配になって来ました。
「ひどいけがじゃないと良いのだけど……。」
そこへ、表通りをパパの車が走って来たのが見えました。
「ほら、パパもお帰りよ。」
ママは、るきあを連れて、廊下に出ました。
すると、すぐに玄関が開いて、紗矢がえらくあわてて入って来ると、声をかけたママへの返事も一言で済ませて、洗面台でバケツに水を入れるなり、階段を駆け上がって行きました。
「どうしたのかしら?」
ママも少し、気になって二階を見上げました。
そこで、車を庭に停めたパパが、「ただいま~。」と言いながら入って来ました。
「お帰りなさい。うさぎのプロレス。見た?」ママがさっそく聞きます。
「見逃したよ~。でも、とぼとぼ歩道を歩いてるのは見たよ。」
「にゃーん(おかえり~)。」パパの事もだいすきなるきあが、ママの腕の中からニッコリお出迎えです。
「あれ~。るきあも出迎えに来てくれたの~?良い子だね~。」パパが目じりを下げて、頭をなでなでしてくれます。
るきあは喜びの絶頂でしたが、ハッと気が付きます。
パパはたしか、なんとかっておしごとをしていて……。
それは、みんなにいろいろつたえるおしごとで……。
つまり、いちばん天使ちゃんたちを会わせちゃいけない人だよね?!
天使ちゃんたちは二階にいるはず。
パパのお城(=書斎)も二階です。
つまり、パパが二階に上がったら、鉢合わせをする危険があります!
ちっちゃい肉球に冷や汗がにじみます。
天使ちゃんたちがもう脱出していたら、ゆいたんもお出迎えに来そうだけれど……。
それがないのだから、いますこし時間を稼ぐ必要がありそうです。
とりあえず、るきあはパパにも可愛く甘えることにしました。
もしかして、パパとママが居間でお茶しはじめたりしてくれたら、満を持して二階(子供部屋)へ行ってみる事にしましょう。
「ニィー、ニィー。」とっておきの子猫の鳴き声で、パパに抱っこをせがみます。
「あらあら、今度はパパが良いの~?」
ママが笑いながら、パパのかばんを受け取って、代わりにるきあを渡します。
「お~、よちよち、るきあはまだ赤ちゃんでちゅね~。」パパも赤ちゃん言葉であやしながら、るきあを抱っこします。
その時、二階から、うえーんという真琴の泣き声があがりました。
「あら、紗矢ちゃーん、けんかしちゃだめよ~。」ママが声を掛けます。
しばらく様子をうかがっていると、階段の踊り場に、紗矢と、しくしく泣いている真琴が下りてきました。
「どうした。またお姉ちゃんにやり込められたのか?」とパパが聞きます。
「違うよ。真琴が一人で泣き出したんだもん。」紗矢がちょっとむくれて言い返します。
「真琴、どうしたの?」ママにも聞かれて、真琴がしゃくりあげながら言いました。
「花さんと、メイと、すずめと、てん……」
「てんてんててん、てんてっててん!」紗矢があわてて、ビートボクサーみたいな合いの手を入れてごまかします。
「……が、逃げちゃったのぉ~。」
「あらあら、そんなにいっぺんに?」
「ついさっき逃げたばかりで、花さんとメイはまだ部屋にいると思うから、大丈夫。二人で探してみる。」
紗矢が言いましたが、ママは、「一緒に探してあげようか?」と階段を上がりかけました。
るきあが「まずい!」、と思って、パパの腕の中でニャーニャー!鳴いて、じたばたしました。
「とっとっと、なんだ、るきあも探しに行くのか?」
パパがるきあを床におろしました。
紗矢は、「いいよ!二人で探すから!」と断りましたが、ママは「三人で探した方が早いでしょ。」と言うと、パパを振り返って、「コーヒー淹れてるから、一服してて。探し終えたら、ご飯作るね。」と言って、階段を上がって行きました。
こうなっては、仕方がありません。
るきあは、パパとママを見比べて、少し迷ってから、ママの後を追って二階にのぼって行きました。
ちょうどその頃、チュッチュはうさたんを見送って、「けがが早く治りますように。」と祈りながら、元の電線に舞い戻って来ていました。
佐藤家を見ると、子ども部屋の窓は閉めてあって、中で紗矢と真琴が立ち話をしています。
真琴だけの時の方が、心配が少ない気もしましたが、贅沢は言っていられません。
意を決して、窓辺に飛んで行きます。
「ごめんなさぁい!」
窓辺に降り立った途端、真琴の涙声が耳に飛び込んできたので、チュッチュは何事だろうと、部屋の中を急いで確かめました。
そして、ぎょっとしました。
「ママヌエルがいない!何があったの?外に逃げられたのかしら?でも、メイちゃんも花さんもいない!」
チュッチュはどうしようもなくどきどきしながら、不安に駆られましたが、ともかく子供たちの会話を聞いて、状況を把握することにしました。
「家雀は、けがが大したことなくて飛べたんだから、逃げちゃっても良いの。でも、窓やドア開けっぱなしで、ハムスターや天使から目を離しちゃ、だめだよ。」紗矢が、極力穏やかに注意しましたが、真琴は自分が逃がしてしまったのがショックで、「ごめんなさぁい。」と繰り返すばかりで、涙が止まりません。
一階から、ママが「紗矢ちゃーん、けんかしちゃだめよ~。」と呼びかける声が聞こえたので、二人はともかく返事をするために、廊下に出て行きました。
チュッチュは、今のうちに何とか部屋に入ろうと、窓のすみをつついてみたり、引っ張ってみたりしましたが、びくともしません。
仕方がないので、ママヌエルたちが、部屋のどこかに隠れていないか、窓越しに見回してみます。
隠れられそうな場所は、二つある勉強机の後ろか、タンスの後ろか、小さな本棚の後ろくらいと、限られています。
手前の勉強机の上には、うさたんからもらった薬草が置いてあるのが見えました。
そして、奥の、子供用の赤いバケツが置いてある勉強机に目を向けると、壁にかけてあるカカポの写真が目に留まりました。
自分と同じで羽がはえている、黄緑色の珍しい鳥。部屋の中にいた時は緊張して、写真を見る余裕がなかったけれど、紗矢ちゃんはこの写真を見ながら「守ってあげなきゃ。」と言っていたのです。そうか。この鳥を守ると言っていたのか。真琴ちゃんもうなずいていましたし、チュッチュは、とても感動しました。
その言葉と花さんの「お姉ちゃんたちは良い子よ。」という言葉、そして子供たちが自分たちを一切傷つけなかったことを思い返して、チュッチュは、子供たちをもっと信じていいのではないか、と思い始めました。
「ママヌエルたちが無事に見つかりますように。」
チュッチュは祈りながら、これから子供たちには、こちらの気持ちをつたえるために、花さんやメイちゃんにも頼んで、分かりやすい行動をとるようにしよう、と決意するのでした。
そうこうするうちに、紗矢と真琴が、ママと一緒に子ども部屋に戻って来ました。
「廊下にはいないし、他の部屋はドアが閉まっているから、やっぱり子供部屋のどこかに隠れているんだよ。」と紗矢が言いました。
「じゃあ、手分けして探してみよう。」ママはまず、本棚の後ろをのぞいてみました。
紗矢と真琴は、それぞれ自分の勉強机の後ろをのぞいてみます。
念のために、机の中や、ケージの中もあらためましたが、ハムスターたちは見当たりません。
「窓から逃げちゃったのかなぁ。」真琴がまた、涙目になりました。
「真琴が気が付かなかったなら、窓から出たのは家雀だけだと思うけど……、あれ?真琴、あれ見て!」
紗矢が指差すので、真琴とママが顔を上げると、窓の外に、逃げたはずの家雀が、戻って来ているではありませんか!
しかも、コンコンと、いかにも開けてほしそうに、窓をくちばしでつついています。
「助けたお礼を言いに来たんだ!」
真琴が喜んで、そっと窓を開けると、チュッチュは少しためらってから、部屋の中に舞い込んで、真琴の机の上にとまりました。
「こんな事があるんだねぇ。よっぽど義理堅い子なんだね。」ママが感心して、チュッチュを見つめました。そこで、ひょっと思いついたらしく、ママはポンと手を打つと、
「ああ、分かった。花さんとメイは、別の部屋にいるのかもしれない。」と言いました。
「子供部屋以外のドアは閉まってたんだから、自分たちでは入れないよ。」紗矢が言うと、ママは得意げに、
「この家には、もう一匹、ドアを開けられる住民がいまーす。さて、誰でしょう?」とクイズを出しました。
紗矢と真琴は顔を見合わせて、同時に、「ゆいたん!」と答えました!
三人は、すぐに廊下に出てみました。
すると、書斎の扉の前で、るきあがこちらにお尻を向けて、素知らぬ顔で座っています。
「あやしいね。」
「あやしい。」
「あやしいー。」
るきあは、三人の方をちらっと振り向きましたが、みんなが注目しているのに気が付くと、すぐに前に向き直りました。
「るきあちゃん、ちょおーっとどいてくれるかな。」
ママが、「うにゃうにゃー!」と鳴いて逃げ出そうとするるきあをつかまえて、抱き上げたすきに、紗矢がドアノブに手を伸ばします。
一方、書斎では、小動物たちと天使たちが、すっかりくつろいで、昼寝の最中でしたが、心配事が頭を離れずに、眠れないでいた花さんが、同じくため息をついて寝返りを打ったママヌエルを見て聞きました。「ねえ。ハッシュからちょっかいを出された小動物は、大抵けがしているんだけど、あなたは、本当に大丈夫?」
「うん。でも、ちょっとひじをすりむいちゃった。」腕を上げてくれたので、見ると、ひじが赤くなっています。
「うさたんがくれた薬草が、使えると良いのにね。」花さんが心配します。
「平気だよ。でも、心配してくれてありがとう!」
すると、廊下から、「逃げてにゃー!」と、るきあの騒ぐ声が聞こえました。
「人間が来たよ!隠れよう!」ママヌエルは飛び起きて、ナナエルとキキエルを揺り起こすと、隠れる場所を探して右往左往しました。
ドアが開かれて、紗矢と真琴と、ママが書斎に入って来ました。
三人は、絨毯の上で寝そべってくつろいでいる、ゆいたんと、花さんと、メイを見つけて、「やっぱり!」と言って笑い出しました。
「良かった~。探したんだよ~。」真琴が、本当にほっとした様子で、三匹のそばにしゃがみ込みました。
その時、ママが「ん?」と言って、部屋の奥に進みました。
「どうしたの?」
「本が落ちちゃってる。」
ママは、床に伏せられた状態で落ちている、宮沢賢治の『ビジテリアン大祭』の文庫本を拾おうと手を伸ばしました。
するとどうでしょう。その本に、バッと足が生えて、駆け出したのです!
「きゃーーーっ!ねずみ!!」ねずみが大の苦手のママは、けたたましい叫び声をあげて飛びのきました。(ちなみにママは、ハムスターは大好きです。)
文庫本は、もたもたしながら本棚のすみへ逃げて行きましたが、一番近くにいた真琴が飛びかかって、本の下に隠れていた天使をつかまえました。
素早くポケットに入れて、ふり返ると、ママは廊下の壁の裏に逃げていて、「ねずみ!どこ行った?」と、おびえた声で聞いています。
「見失っちゃった。多分……本棚の後ろ!」紗矢が代わりに答えました。
「パパぁ!またねずみが出たよぉ!」
ママは情けない声で叫びながら、階段を下りて行きました。
そこで、紗矢は真琴と一緒に、花さんとメイを連れてひとまず子ども部屋に駆け戻りました。
るきあと、目を覚ましたゆいたんも、あわてて後に続きます。
「ああ!危機一髪!だったねぇ。」紗矢は、花さんとメイを、ケージに戻しながら、嬉しそうに言いました。
真琴が、なぜか黙っているので、紗矢が振り向くと、真琴は目をぱちくりさせながら、「さっきの天使と違う。」と言って、手に握った天使を、紗矢に見せて来ました。
それは、茶色の巻き毛を二つ結いにした、女の子の天使、キキエルでした。
「どういうこと?」
紗矢は、真琴と一緒にカーペットに座って、キキエルを下ろしてやると、不安そうに震えている小さな天使を、不思議そうに見つめました。
「変身したのかな?」
「違うと思う。さっきのとは別の天使なんだよ。」
「じゃあ、さっきの天使を助けに来たんだね。」
真琴が何気なく言った言葉に、紗矢はハッとしました。
すると、真琴の勉強机の上にいたチュッチュが、突然飛んできて、キキエルのそばに下りると、話しかけるように「チュンチュン!」と鳴いてから、キキエルの隣に寄り添って座りました。
紗矢と真琴が驚いていると、部屋の入り口から様子を見ていたるきあとゆいたんも、すぐに歩み寄って来て、天使とチュッチュの横に並んで、守るようにしゃがみ込みました。メイと花さんも、ケージの中から、何かを訴えるように、「キュイ!キュイ!」と鳴いています。
紗矢は、いつもとは違う動物たちの様子に圧倒されながら、キキエルに顔を近づけると、「怖がらないで。私たちは、あなたたちを保護しようとしていただけなの。でも、もしかしたら、それは、あなたたちにとって、ありがた迷惑だったの?」
キキエルは、何か言いたそうに、震える口を動かして、うつむくと、しばらくの間考えてから、顔を上げて、ほんの少しうなずきました。
天使たちには、人間の言葉が分かるのです!
「分かった。もう邪魔はしないから、安心して。ただ、他の人間に見つかると、あなたたちにとってきっと厄介な事になるから、もし、何か困っている事があって、手助けがいるなら、協力させて。」
「お姉ちゃんも私も、良い人だから、大丈夫だよ~。」真琴も、天使を驚かせないように小声で伝えました。
キキエルは、また少し考えて、表情を和らげると、正面を指差しました。
そっちは書斎のある方です。
紗矢はキキエルのあとに続いて、部屋を出ました。猫たちやチュッチュも、ついて来ます。
書斎に入ると、キキエルは駆け出して、本棚のうしろの隙間に入って行きました。
しばらく待っていると、キキエルはママヌエルと、ナナエルも連れて、出て来ました。
「三人いたんだ~!」紗矢と真琴は、ささやき声で喜び合いました。
そこで、一階から、誰かが階段を上がって来る音がしました。
紗矢と真琴は、とりあえず天使たちを連れて書斎を出ると、真琴と天使たちは子ども部屋に戻り、紗矢は廊下に座り込んで、猫たちと遊んでいるふりをする事にしました。
階段を上がって来たのは、パパでした。
「書斎にねずみが出たって?」
「うん。私はよく見てなかったけど、そうらしいよ。」
パパは、書斎に入ろうとして、るきあの横から小ぢんまりとした家雀が見上げているのに気が付きました。
「へぇ。家雀を手なずけたのか。すごいなぁ。」
パパが手を伸ばすと、チュッチュはパッと飛んで、廊下の奥に逃げました。
「まだ馴れ始めたばかりだから。」紗矢が説明すると、パパは、「さすがだなぁ。紗矢は昔から、動物に好かれるところがあったもんな。」と感心しながら、書斎に入りました。
そして、本棚の後ろをのぞきながら、「ママが言うには、そのねずみは、二本脚で、その脚が、人間の脚みたいに見えた、って言うんだけど。まさかお前、そんな変な生き物を家に連れ込んだんじゃないだろうね。」と紗矢に聞きました。
「保護したのは家雀だけだよ。そんな生き物、いるわけないし。」
「だよなぁ。カナダの固有種にも、そんなのいないだろうし。ママ、ねずみが怖すぎて、ちらっとしか見ないもんだから、見間違えたんだろうね。」
パパは部屋から出て来ると、「わなを仕掛けとこうな。」と言って、一階に下りようとしました。
紗矢が、「パパ。」と呼び止めて、「あのさ、もし、ママの見たのが、コロポックルとか、天使とかだったら、どうする?」と聞きました。
「ええ?そうだなぁ。」パパは面白そうに上を向いてちょっと考えると、「そりゃあ、つかまえて、世界に発表するだろうね。『ファンタジーの中だけで語られていた存在をついに発見!』って。僕らは世界一の有名人になれるよ。」と微笑みました。
「じゃあ……さ。もし、その生き物が、世界に知られる事で、ものすごく生きづらくなるとしたら、それでも、パパは発表する?」
パパは、紗矢の質問が、真剣みを帯びている事に気が付いたので、すこし真面目な顔つきになって紗矢を見つめました。
そして、「もし、その生き物と、コミュニケーションが取れるなら、発表してもいいか、たずねてみるだろうね。」と答えました。
紗矢は、いくらか安心したようすで、
「分かった。ありがとう。」と言いました。
パパは、「ママが見たのは、コロポックルだったのかな?」とつぶやきながら、階段を下りて行きました。
紗矢が猫たちやチュッチュと子ども部屋に戻ると、真琴はまた、花さんとメイをケージから出して、カーペットの上で天使たちと遊ばせていました。
「もう~。パパが部屋に入って来たらどうするの。」紗矢が注意すると、真琴は、「だって、花さんとメイが、ずっと出して出してって、うるさいんだもん。」と言いました。
さて、天使たちと人間の姉妹は、ようやくお近づきになれましたが、これからみんなは、どうすればいいのでしょう?
花さんがママヌエルに聞きました。
「家の外に出たら、そのあとはどうするの?」
「元の大きさに戻りたいんだけど、今の僕らじゃ、力が弱まっていて、三人の力を合わせても、元には戻れそうにないんだ。でも、天上に近い場所に行って、天上からの力を受け取れば、元に戻れるくらいの力にはなるかもしれない。」
「天上に近い場所って?」るきあが聞きます。
「うんと高い所。」
「屋根の上?」と花さん。
「もっと高い所。」
「隣のオコーナーさん家のチェリーの木のてっぺん?」とゆいたん。
「もっともっと、うんとうんと高い場所。」
「そんなところ、あるかなぁ。」メイが首を傾げます。
「あるわ。」チュッチュが、パッと飛んで、真琴の勉強机の上に乗ると、うさたんが置いて行ってくれた薬草を一枚とって、持って来ました。
「ほら、これは、うさたんのねぐらの山の場所を記した地図なんだけど、山のてっぺんなら、ここらでは天上に一番近い場所でしょう?」
なるほど、薬草の裏側には、簡単な絵で、山への道筋が描かれてありました。
「よし!うさたんの山に行ってみよう!」ママヌエルの言葉に、ナナエル、キキエルも「よーし!」「行ってみよー!」と賛成の声を上げました。
「その前に。お薬を塗っておいた方が良いわ。」花さんが、薬草の端をちぎって、よくもんで、ママヌエルのひじに塗りました。
「あいたたた!きくぅ~。」ママヌエルがそう言って飛び上がったので、みんなはくつくつ笑いましたが、紗矢と真琴も、天使や動物たちの言葉は分からないけれど、彼らのやり取りの面白さや愛らしさに、ひたすらにこにこして見入っていました。
そんな風に、佐藤家で人間と天使と動物たちが、和気あいあいとやっていた頃、そうとはつゆ知らないうさたんは、ねぐらの山へ向けた帰り道を、ひょこひょこ歩き続けながら、こんな事を考えていました。
「チュッチュの様子からいって、なにやら佐藤家では大変なことになっていそうだなぁ。でもまあ、いったん帰ろ。こりゃあ遊びにいくのは中止だな。薬草ぬって大人しくしていよっと。おれはここらのボスだからな。あいつらが困ってたら助けてやらないとな。」
となりの山のくまたんちに遊びに行きたかったうさたんですが、何やら一悶着起こりそうな気配がむんむんです。それに怪我をしたまま遊びにいったら、くまたんにも心配をかけてしまうでしょう。諸事情をかんがみて、うさたんは大人しく帰る事にしたのでした。
途中、行きつけの林で、薬草を新たに数枚摘んだうさたんは、さっそく傷口にすりこんで、「あいたたた。しみるぅ!」と言いながら、だんだん民家がまばらになる町はずれの道を、見えて来た小高い山に向かってひたすら歩いて行きました。
その山は、てっぺんに樹齢二百年くらいのサトウカエデの大木が生えている、この街のシンボルのような見栄えのいい小山で、動植物の保護区にも指定されていました。
うさたんは、その頂上からちょっと下った草地に、巣穴をほって住んでいるのです。
近くにはきれいな石清水のわく池があり、木の実や新芽の美味しい木も豊富にあって、野兎にとってはこの上なく暮らしやすい場所でした。