薫みんとに関する報告
薫みんとは、鼻がとても良かった。
「警察犬のように」は言い過ぎだろうが、かすかな匂いにも彼女の嗅覚は敏感に反応した。
それは、彼女にとってあまり好ましい能力ではなかったはずだ。
人と話せば相手の口臭が伝わってくる。彼女は無意識に相手の正面に立たないように立ち振る舞う。自分から誰かに話すことをつい躊躇してしまう。
人とすれ違えば相手の体臭が匂ってくる。すれ違う少し前から息を止める癖がついた。風がどの方向から吹いているかは、彼女にとって常に重要なことだった。風下に立てばたちまち誰かの体臭に襲われる。
駅前のような、人や物が集まる場所に行けば何百・何千もの匂いが次々と彼女の鼻腔に突き刺さる。複数の匂いがランダムに混ざった結果、良い香りに変化することなど万にひとつもない。
人が普通に感じ取る程度の匂いが、彼女にとっては異常な強い刺激臭になってしまうのも問題だった。
芳香剤や香水、香りつきの柔軟剤など、あえて程よく香りを発生させるようなものは彼女にとって鼻の穴を接着剤で塞ぎたくなるほどの嫌悪の対象にしかならなかったし、車や公衆トイレ、他人の家といった生活臭が溜まりやすい狭く閉じた空間には数秒と留まることができなかった。一呼吸しただけで吐き気を催す。
清掃直後のトイレに入れば塩素の刺激臭に鼻がやられる。
学校は、教師に相談して常に窓際の席にしてもらうことで今のところなんとか通学できているが、下駄箱で上履きに履き替えるのが毎日つらい。下駄箱周辺は雑菌の王国だった。
彼女は人となど会いたくないはずだ。外になど出たくないはずだ。嗅覚が優れていることを呪いたかったはずだ。
彼女の特殊な能力は今までどれだけの人を傷つけてきたことだろうか。彼女が不快な匂いについ顔を歪めたとき、相手がそれに気付かぬはずがない。
それを思うと彼女は心が痛む。
そんな彼女にも、大好きな香りがあった。
爽やかで、優しくて、心が安らぐ清楚な香りで彼女を包んでくれる、ミント。
彼女はその優れた嗅覚でミントの香りを誰よりも深く楽しむ。
彼女は匂いで溢れるこの世界で、これから何十年と生きていくことになる。今はなんとかなっているが、社会人になったときはどうだろう。
電車には乗れない。中年男性とは距離をあけないと話せない。公衆トイレには入れない。そんな彼女を社会は快く受け入れるだろうか。
ちなみに、彼女の将来の夢は『花屋さん』だ。




