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第五十一話 亀裂

 昼休みのチャイムが鳴り、俺はため息をついた。


 昨日家に帰ったあと、父ちゃんは怒鳴ってきた。


「学校さぼったのは二回目だぞ! それになにそのTシャツ!」


「あら、可愛いTシャツね! どこで買ったの?」


 父ちゃんと母ちゃんの間にはすごい温度差があった。


「母ちゃん、こういうときはちゃんと叱ってやらないと」


「いいんじゃないの? あんたも子供のとき授業サボったことくらいあるでしょう?」


 父ちゃんが母ちゃんにそういわれると、顔を真っ赤にして、「まあ、高校生にも色々あるだろうし」と言って俺を解放してくれた。


「いっき、今度はお母さんのお土産も買ってきてね」


 母ちゃんはとてもやさしい人間だ。母ちゃんに怒られた記憶はほとんどなく、むしろ、いつも俺が悲しい時に無言でそばにいてくれる。


 こういう時も、さりげなく話題を変えて、俺の心の罪悪感を和らげてくれる。


 昨日俺と結月の会話を母ちゃんに聞かれたような気がした。大声出したのもあるけど、会話の途中でドアの向こうに音がしたから。それでも、母ちゃんはなにもせず、ただ見守ってくれている。


 母ちゃんにとって、子供には悩みが付き物で、自分が口出しするより、子供が自分で成長していくのが一番だと思ってるらしい。


 今日のこともそうだが、正直、俺と結月のことに、大人が首を突っ込んだら、たまったもんじゃない。自分の心のナイーブなところに、大人が土足で踏み込んでいいはずがない。それが親だとしてもだ。


 そういう母ちゃんだからこそ、父ちゃんも、俺も、たぶん結月も救われている。


 反抗期じゃないけど、子供には子供の世界があって、大人には決して理解できないのだ。だふん、俺も大人になったらそれを忘れて理解できなくなるかもしれないけど……ありがとうね、母ちゃん……





 そして、今朝学校に着いて、ホームルームが始まると、担任の先生がやれやれという感じで教室に入ってきた。


「秋月、有栖さん、また学校をさぼったのか……はあ、今度サボったら、『私はサボリーマン』ってプレートを一日付けてもらうからな」


 先生がそういうと、教室は爆笑の声に包まれた。正直これ以上の公開処刑はない。恥ずかしくて、気まずくて、いたたまれなくて……


 ちらっとこっちを見た姫宮の目線が冷たく俺に突き刺さる。





 そして、昼休みのチャイムが鳴った。例によって、五人が俺の席に向かった。ただ、姫宮は一歩先俺のところにきて、冷たい声で話した。


「いつきくん、今日は一緒に屋上に行こうか」


 彼女の声に生気がない代わりに、威圧感が半端なかった。


 俺は逆らえずに姫宮についていったら、はると、芽依は心配そうな目を向けてくる。


 はるとには、芽依から俺の事情を話してもらった。そのせいか、れんと葵と違って、はるとと芽依は俺と姫宮のことを不安に思っている。





 屋上につくと、姫宮は無言でいつものベンチに腰を掛けた。俺もつられてその隣に座った。


 沈黙がしばらく続いた。だが、姫宮の声で、それが破られた。


「昨日は有栖さんと一緒に学校をサボったんだね」


 姫宮のいつもの口調はどこかに消えて、今の声はただの普通の女の子のそれだ。


「ごめん……」


「謝るようなことしたんだ……」


「ちが……」


 俺は言い切れなかった。昨日、俺はずっと芽依の手を繋いでいたから。


「なんで否定しないの?」


「……」


「ちゃんと話してくれたら、私は許すよ?」


 正直、姫宮の言葉を信じられなかった。すべてを話したら、姫宮はどこかに行っちゃうか、俺のことをあざ笑うような気がした。


 それほど自分の姫宮への恋心、愛が薄っぺらいものなんだと思い知らされる……俺は姫宮を信じきれないのだ。


「なにも話してくれないんだね……」


「ごめん」


「いいよ、話したくないものもあるから、今日はこれでいいよ」


「ありがとう……」


 姫宮はうつむいて、表情が見えない。


 そして、わずかに唇が動いた。


「昨日と今日の分、給料の10円玉二枚ちょうだい……」


 姫宮にそういわれて、俺が財布を開いた。だが、財布の中には五円玉1枚と一円玉3枚しかなかった。昨日、俺のありったけの財産を使い切ったのだ。


「ごめん、金がないんだ。来月になったらまとめて払うから」


 俺がそう言い終わると、姫宮は顔を上げて涙をこぼした。その顔、俺は初めてみた……


「有栖さんのために、全部使ったのね……」


「うん……」


 ほんとは自分のために使った。芽依に使った金は巡りめぐって自分の気分転換になったから。


「払って……」


「だから来月払うって」


「払って……」


「前も10日分一気に払ったことがあるだろう。だから今度は少し遅れても……」


「払って……」


 姫宮は幼児みたいにずっと同じ言葉を繰り返し、それがやがて俺の心の平穏を壊した。心の中で張り詰めていたなにかが切れてしまった。


「お前も同じなんだな!」


「えっ?」


「どうせ金が欲しくて、俺に付き合ってるだろう!」


「違う……」


「なにが違うって? 今でも『払って』ってずっと言ってるじゃない!」


「違うの……」


「笑えてくるよ、俺と付き合う女ってどいつもこいつも金目当てなんだな!」


「えっ?」


 心の中で、嫌悪感が渦巻いて、悲しみと憎しみが沸き起こった。


 結局同じだ。結月も姫宮も俺のことを好いていなかった。ただただ、金が欲しかっただけだ。心の中のもう一人の自分が異論を唱えるも、俺がやつを抑えつけた。


「もういいだろう?」


「なにが……?」


「恋人ごっこがだよ! 最初から金目当てな上に、俺をおもちゃとしてそばに置いてるだけだろう。もう潮時だよ。俺はもうお前のごっこに付き合える気力がないんだよ! もうほっといてよ!」


「うっ……ううっ」


 姫宮が声を出して泣き出した。だが、俺の心には届かない。こいつも結月と一緒で、俺を傷つける人間の一人でしかない。憎むべき相手だ。


 現に俺に金をねだるようなことをしてるのがなによりの証拠だ。信じていた。いや、信じようとしていた。いつか日給を払えなくても、彼女は何も言わずに許してくれるって。


 だが、その期待は裏切られた。姫宮も結月と同じ女の子でしかなかった。俺のことを財布としか見ていないんだ。


 もう二度と傷ついてたまるか。もう傷が癒えることがないって分かってるから、そんな馬鹿な真似は二度としない。


 姫宮のことは好きだ。でも、姫宮を好きでいることは自分を傷つけることだと分かった今、俺は彼女から離れるしかない。


 「払って」という姫宮の声が俺の頭の中で木霊する。


 急に、姫宮がベンチから降りて、屋上のドアに向かって走った。


 ベンチの上には、二つの弁当があったまま。


 俺は弁当をもって教室に戻ると、姫宮の姿も彼女のカバンもなかった。


 そして、葵の姿もなかった……


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