第四十七話 デートの朝と心の独房
翌日の朝、親にバレないように、制服を着て一階に降りると、結月の姿があった。
彼女の目は赤く腫れあがっていて、くまもくっきり見える。
俺はダイニングの席につくと、結月は朝食を運んできた。
「お兄さん……」
「ありがとう、結月ちゃん」
彼女は俺の言いつけを守って、何もなかったかのように振舞おうとしているが、どこかぎこちなかった。俺も徹底的に彼女を義妹として接している。
彼女だけじゃない。洗顔の時に鏡にうつる自分の顔を覗いてみると、眼球が充血していて、くまもできている。俺も眠れなかった。
何もなかったから、俺は結月の作った朝食をいつものように食べ始めた。
「結月ちゃん、おいしかったよ」
「ありがとう、お兄さん……」
「じゃ、先に学校に行ってくるね」
俺は嘘を吐いて、家を出て行った。
芽依も家の前で制服姿をして、俺を待っている。初めてじゃないから、二人とも慣れた感じだった。
はるとのおばあちゃんちに行ったときは、俺も芽依も制服姿で緊張しながら、家を出た。そのあと、お互いが家族の前でついたぎこちない嘘を披露して笑いあった。
「い、いってきます!」
「どうしたの? 芽依。汗がすごいよ!」
「部屋でう、運動したの! じゃ、行ってくるね!」
「部屋で運動? ちょっと芽依、変なことしてないよね?」
「してない!」
俺のほうはもっとひどい。
「母ちゃん、学校に行ってくるね」
「いつき、少し変よ?」
「あっ! 変な夢見たせいで、あんまり眠れなかったかも」
「かも?」
「なんでもない! 学校に行ってくるね」
今になって考えれば、学校を強調している時点で、もう怪しいことこの上ない。
だが、今日の俺らは違う。初めてじゃないから。俺と芽依はいつも通り、行ってきますとだけ言って家を出たから、怪しまれることはなかった。
確かに、変にごまかすより、堂々としているほうが疑われないのかも。なんか変な才能に目覚めたようで、変な気分。
「今日は水族館デートだ!」
芽依が叫ぶと、俺は慌てて手で芽依の口を塞いだ。親に聞かれたら絶対連れ戻される。
「うっ……私、拘束プレイの趣味はないから!」
芽依が俺の手を振りほどいて、怒ったふうにいう。
「俺もそういう趣味はないよ」
「じゃ、なんで急に襲うのよ!」
このど天然美少女幼馴染……襲ってるように見えたのか。
「襲ってない、そういう感じで叫ばれると親に気づかれるでしょう?」
「えーっ! いっきが正々堂々としろって言ったのに」
「バカ、時と場合を考えて!」
「あっ! それ知ってる! TPOってやつでしょう」
「はあ」
俺のツッコミで芽依の天然が治るんだったら、今日まで拗れてない。あきらめて、俺はため息を吐いた。
「なんか駆け落ちみたいだね!」
駅に向かいながら、芽依は気楽に言った。
「こそこそと親にばれないように家を抜け出して、遠くに行くのドキドキするね!」
能天気なもんだなと思った。学校をサボる罪悪感とかはないのかなって聞こうとしたが、俺にもなかったから、やめた。慣れって怖いな……
昔考えたことがあって、世の中の夫婦ってすごいなって。だって愛し合う相手と結婚して、毎日色々な恥ずかしいことを平気でするから。
でも、今なら理解できるかも。最初の一回さえ乗り切れば、あとは慣れでどうにかなる。たとえ、それが大好きな人に自分の裸を見せることでも、慣れてしまえば、羞恥心も鈍って平気でできるようになるだろう。
「いま、いっき変なこと考えてるでしょう!」
くっ、この子、変なところで鋭いのよね……
「いや、なんも考えてないよ?」
「あっ、嘘つきの顔してる!」
「それってただの悪口だから」
「あっ、ごまかしてる!」
何年ぶりに一緒に水族館に行くからか、芽依はいつもより明るくてしつこかった。
「あーあ、わかったから、教えればいいでしょう! 裸のことを考えてた」
「いっきのエッチ……」
俺が芽依の裸を想像していると誤解したのか、芽依の顔は真っ赤になった。
「いや、芽依の裸を想像してないよ?」
「私の裸? いっきは何を考えているのよ!」
芽依ってほんとに都合のいい耳をしているなと感心してしまった。
「だから、夫婦ってすごいなって!」
「私と夫婦になってすごいことをするつもりなの? そんな理由で結婚するのやだ! 変なプレイはやだ!」
「もう、好きにして」
今日の芽依はおかしすぎて、話がかみ合わない。
「じゃ、好きにするよ! 結婚式はやはり教会でやるね、あと子供は三人で、女の子は一人ほしいかな!」
「そういう意味の『好きにして』じゃないんだけどな……」
そういいながらも、俺はどこかでもういっそのこと芽依と結婚すればいいと思ってしまった。ただ、結婚生活もこのテンションだと成り立たないかも。まず会話が成立しない。
でも、なにかが心に引っかかる。なにかを心の独房に閉じ込めて、その何かが必死にドアをたたいて、出してって懇願しているような感じ。
姫宮の顔……一瞬それが頭に浮かんだ。優しそうできれいな笑顔……俺に弁当を食べさせてくれる手。
そして、俺は独房にまた鎖を付けた。今は芽依と一緒にいるから、彼女のことを考えてはいけないんだ……
「そういえば、いつも俺のこと考えてなにしてたの?」
「えっ? いや、あの、その、なんもしてないから!」
計算通り、これなら芽依を妄想の中から救出できる。
「いっきのバカ、バカ、おおバカ!」
「まあ、だいたい見当はついてるけどね」
「嘘!」
芽依の顔は熟したイチゴみたいになった。
「ほんとに……?」
芽依は小さい声で確認してきた。
「冗談だよ。なにしているか分かんないよ」
「よかった……」
芽依って単純すぎる……冗談って言ったらすぐ信じてくれるし、そういうふうにほっとしたら、本当に俺のことを考えてなにかしているのがバレバレなんだよね。
そういう単純な芽依だから、俺らはずっと幼馴染でいられたのかもしれない。




