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第二十九話 二人きりの教室

「姫宮、起きなさい!」


 先生の声が教室に響いた。姫宮はしぱしぱとした目を開いて、教科書を開き直した。


 珍しいことではない。


 去年の入学式で一緒のクラスになってから、姫宮はたまに授業中で寝てしまう。


 その時は気に留めていなかったが、今はどうしたのだろうと気が気じゃなかった。前も俺の家のソファーで寝てしまったから……


 そして、一年前は誰かが姫宮に声かけて起こしていたのだが、「魔王」という異名が広まって以来、下手に姫宮を起こそうとする人がいなくなった。


 ただ、俺には姫宮が居眠りをする理由なんて聞けない。それは決して()()触れてはいけないことだと直感が俺にそう告げた。


 姫宮に関して不思議に思ってることはまだある。ただ、それらも含めて()()触れてはいけないような気がする。下手したら、彼女を傷つけることになってしまうかもしれない。


 姫宮は俺と同じ匂いがした。一緒にいるようになって俺はなんとなく気づいた。彼女は何かを必死に隠している。俺の場合は結月のこと、そして、彼女の場合はまた違うなにか。


 だから、俺は俺なりの方法で姫宮の力になるしかない。


「すみません」


「これから気を付けてな」


 姫宮が謝ると、先生はやれやれと首を傾げた。多分、先生だって姫宮を注意したくなかったのだろう。生徒とはいえ、美少女に悪いイメージは持たれたくないもの。でも、先生の本分でそうせざるを得なかった。


 ふと思ってしまった。この世界は不平等で出来ている……誰でも一度は聞いたようなことだ。だが、俺が思ったのはこれじゃない。


 たくさんの人がほかの人に平等に接しようとしているが、それも不平等としか言いようがない。なぜなら、もともと人々は不平等に生まれてきて、違う才能、顔、体をもって異なる体験をしてきたのだから、それぞれの人にあった接し方をしたほうが平等といえるのかもしれない。


 寝ていたのは誰であっても、先生は注意していたのだろう。だが、それは先生の怠慢かもしれない。全員に平等に接しようということは、相手ときちんと向き合ってその人にとって一番いい接し方を考えていないということだから。


 でも、これは先生のせいじゃない。だれのせいでもない。周りのすべての人の事情を把握して、接し方を考えるなんて不可能に近い。それでも、俺は先生に姫宮のことをちゃんと考えてほしかった。


 先生ができないのなら、せめて俺が姫宮の味方でいようと今しがた決意した。





 学校が終わり、姫宮と芽依がやってきた。


「芽依、先に帰って行ってくれないか? ちょっと姫宮と話がある」


 芽依と姫宮が困惑した表情を浮かべた。真剣な顔で話があるって言われたら、だれでも身構えてしまうだろう。


「私が聞いちゃいけないようなこと?」


「ほんとにごめん、芽依」


「分かった、じゃ、先に帰るね……」


 芽依に悪いことをした。帰りに芽依のためになんか買って帰ろう。


 それでも、俺は今日、姫宮を癒したい。なぜか、俺にしかできないと思ってしまった。それは思い上がりでも傲慢でもいい。少なくとも、俺は初めてこんな気持ちになったのだから。


「話ってなに?」


「少し待ってほしい、みんなが帰ってから」


「なら二人きりの場所に行こう?」


「ううん、教室がいい」


「そう?」


「うん」


 それから、俺らは無言で席に座っていた。いつもなら姫宮は何かしら言ってくるのだが、今日の彼女はやはりどこか変……





 三十分くらいして、教室から人がいなくなった。


「今なら話せるでしょう?」


 やはり話があるって言われた側は気になってしょうがないものだね。姫宮から余裕がなくなった。


「ごめん、話あるっていうのは嘘」


「えっ?」


「ちょっと俺の膝の上に座ってくれる?」


「いつきくんがこんなに積極的になるなんて想像してなかったわ」


「そういうことじゃないけどね」


 そういいながら、姫宮は俺の膝にまたがった。


「姫宮、なんで向かい合って座ったの?」


「このほうがキスしやすいでしょう?」


「俺のことなんだと思ってるの?」


「キス魔」


 くっ、否定できない……映画館の時に無理やりキスしたからな……


「ごめん、やはり向き変えてくれない?」


「なんでかしら? てっきりこのままキスして私を襲うものかと思ったわ~ 教室のほうが興奮するとかいう理由で」


「ごめん、そこまで変態じゃないから」


 姫宮は俺の言葉に応じて、俺に背を向ける感じで、俺の膝の上に座りなおした。


「これからなにする……えっ?」


 俺は左手で姫宮を抱きしめ、右手で姫宮の頭を撫で始めた。これはいつも惚れさせようとしてやっていることと違って、単に姫宮を勇気づけるためのものだった。


「なにをしているのかしら?」


「なでなで」


「それはわかってる……」


「いいから、大人しくしてて?」


 俺は優しく姫宮を宥めて、そのあと丁寧にゆっくりと姫宮の髪を撫でおろした。


「まだ、俺になにか言えないことがあると思う。俺からも聞くつもりはない。でも俺が姫宮の味方だということを覚えててほしい」


「……」


「なんでたまに居眠りするのかは分からないけど、いつかその悩みを俺に話せる日が来たらちゃんと聞くね。今俺にできるのはこれくらいしかないから」


「……」


「姫宮の髪っていい匂いするね。撫でてるこっちが気持ちよくなる」


「……」


「ごめんね、こういうことしかできなくて」


「……気持ち……いい」


「うん?」


「続けて……」


「うん」


 姫宮の顔が見えないが、声は少し泣いてるように聞こえた。いつもの「魔王」はすっかりいなくなって、ここにいるのはただの女の子の姫宮。


「よしよし、愛ちゃんはいい子だね」


「……」


「女の子だから、つらいときは声出して泣いていいよ?」


「……うん」


 二人きりの教室で、俺は嗚咽を漏らす姫宮を抱きしめて、頭をなで続けた。

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