序章:クビになってネトゲを始める編①
駅前の通りをしばらく歩くと、村田と待ち合わせている飲み屋が見えてきた。
彼は、看板の下で、たばこを吸いながら待っていた。
彼は高校時代にラグビー部に在籍しており、体が一際大きい。身長も180センチを超え、体重も100キロを超えている。
急いで彼の元へ駆け寄り、彼の胸元に僕の目線を置く。
そして、上を見上げ、申し訳なさそうに、
「遅くなって、申しわけありません。」と声をかけた。
「お屋形様、お久しぶりです。そして、今までブラック営業お疲れ様でした。」
と、彼は、僕と同じような低い声のトーンで言ってきた。いや、低い声のトーンよりかは少し人見知りをしたような声で語りかけた。
今日、僕は営業の会社を退職した。正確には退職したのではない。
クビになったのだ。
いや、契約社員だったから、クビというよりかは契約終了ということの方が正しいのだろう。
IT土方をやめて、ITの営業ポジションに転職できたはいいが、その会社はとりわけハードだった。結局は苦手なITのことばかりをやらされた。
然もありとあらゆるところに出張しホテルに宿泊するか、それとも会社に徹夜で寝泊まるかで、結局家に帰ってくるのが月に一度あるかないか・・・・。
その働き方でもよかったのだが、成績が悪く、色々な気持ちが殺到し、僕の勤務態度や業績にも出てきたのだろう。
結局、試用期間でこのままだと厳しいと判断され、その後も正社員登用はされず、そのまま契約社員でしばらくすごし、ついに契約終了を言い渡されてしまったのだ。
せめて、正社員であれば、会社に泊まったり、出張することも割り切ることができたのになと。
「まあまあ、辛いことは忘れて今日は飲みましょうよ。少なくとも私はよく、この長い間続けましたね、と思いますよ。お屋形様。」
村田が僕のことをお屋形様と呼ぶ理由は僕の名前にある。僕は上杉信勝という名前だ。信勝、のぶまさと読むのだが、歴史が好きな村田は上杉謙信みたいだと言い、お屋形様と呼ぶようになった。しかし、お屋形様と村田が呼ぶ理由は、何も名前だけではなかった。
村田は、高校時代ラグビー部で、とても体が大きい。
それに対して、僕は高校時代、演劇部で裏方ばかりやっていた。
僕らは、大学のグリークラブで出会った。グリークラブというのは、男声合唱団のことで、もちろん、男だけでサークル活動している。
ただ、僕の大学のグリークラブは歌う体育会系という別名があり、村田のような、高校は運動部で、楽譜も読めずに音楽を始める人が多い。
僕は演劇部の裏方と言っても、音楽担当であった。ピアノを習っていたため、劇中のBGMを作曲したり、ミュージカルであれば吹奏楽部や、管弦楽部に協力を依頼して、指揮を振ったりしていた。
つまり、グリークラブの中では、音楽経験は超が着くくらい豊富だった。
演劇部なので、裏方と言っても発声練習は付き合うことになる。そのため、重要と言われる、腹式呼吸の基礎はできていた。
僕は大学に入学し、音楽のサークルに入りたいと思ったところで、グリークラブと出会った。いや、強制的に出会わせられたのだろう、僕の高校までの経験を語ったら、ぜひ入ってくれと言われ、あっという間に、村田のような体格の持ち主の先輩に囲まれてしまい、逃げ場が無くなってしまったのだ。
しかも、全員が、村田のようなラグビー部出身もいれば、サッカー部、陸上部、バスケ部の運動部ぞろい、逃げても勝ち目はなかった。大学デビューってこれだっけ、彼女とかできないか。と、あきらめて僕はグリークラブに入団した。
時同じくして、グリークラブに村田が入団した。村田は、音楽サークルなのに、譜面も読めない状態で入団した。いや、このグリークラブの僕の学年で初めから楽譜が読めた人間は、同期15人ほどのうち、僕を含めて数人だった。初めのうちは、同期だけでの練習となると、楽譜が読める僕の力がとても大きい。
村田と僕は同じ学部学科であり、同じバリトンのパートだった。村田やその他のメンバーの質問に答えまくるようになり、僕の名前を知った村田が、頼りになる存在と思うようになり、名前と、グリークラブの同期の僕の立ち位置から、お屋形様と呼ぶようになった。
やがて、グリークラブの運営に関わる3年生を迎えたとき、僕はバリトンのパートリーダーで村田は会計をしていた。バリトンのパートは、音楽の知識豊富な僕の練習と、村田のムードメイクが常であった。後輩の前でも、村田はお屋形様と呼ぶようになり、やがては、とても野太い声で、
「お屋形様、お疲れ様です。」
と、後輩たちも声を揃えて言ってくるようになった。
その後、お互いに就職活動を迎え、村田は、体育会系の経験と、その外見、おまけに会計という役職を大学時代にやっていたので、速攻で、大手の金融会社、つまり銀行から内定をもらった。
対して僕は、内定を得るまで時間がかかり、行きたい業界からも断られ、最後は、大手就職ナビサイトにも載ってない、中小のIT企業に就職した。ITと言っても、文系の学部を卒業した僕にとって、未経験で、一番やりたくない業界だった。わからないことが多かったが、SE時代の経験を活かして、次はITの営業ポジションへ行くともがいていたが、この有様だった。
有名な大学出身で、サークルで全国コンクールに出場した経験は同じなのに、この差はなんだろうと思う。
ため息をつきながら、お酒を飲んでいく。お魚料理メインのお店なので、日本酒をチョイスし、刺身と生ガキを食べる、大好物なのに食欲がない。
「いいんじゃないっすか、営業にはお屋形様向いていなかったんですよ。それがわかっただけでも。」村田は続けた。
「しかし、これからシステムエンジニアに戻っても、ろくなことが起こらないなあ。」
僕はそう言った。確かにそうだ、ITはとても僕にとっては苦手だ。
「まあ、まあ、お屋形様。恐れながら申し上げます。いい方法がありますよ。」
村田が言った。
「何かあるのか?」
僕は続けると村田はにやりと表情を変えた。
「次の仕事ですよ。」
僕の表情が変わった。
「あるのか。次の仕事・・・・。」
「ありますよ。」
村田は得意げな表情で僕に語りかけた。