3-13 疑心
「リリ様、これ、受け取っていただけませんか?」
「リリ様、今日は何かお手伝いできることは」
「私は教会の家門の者で!」
いつものように教室を出て生徒会館に向かう途中、扉の前にたむろう人垣を見つけて、ユーシスは足を止めた。
「もうすぐ大茶会ですが、生徒会ではどのような客選をするのでしょうか」
「宜しければ私ももっとリリ様とお知り合いたく」
ここぞとばかりに詰め寄って声をかける男女の中に、小柄なリリの姿は埋もれて見えないが、間違いなくその中にいるのだろう。
それもこれも適当にあしらって中に入ってしまえばいいのに、塊がピクリとも動かないのを見ると、リリは完全に逃げ出し損なっているらしい。
変なところでお人よしというのか、優しすぎるというのか。
「あぁあぁ。姫さん、また囲まれちまってる」
傍らで呟いたラウルが、おかしそうに笑う。
普通生徒会の役員というのは、何かと視線を集めつつも遠巻きにされがちで、あんな風に取り囲まれて不躾に声をかけられることは少ない。
それでもリリの周りにだけは、ああやっていつもいつも人が集まる。
侮られているというよりは、リリがそういう親しみやすい雰囲気を醸し出しているからであり、リリがそんな周りをはねつけないことを、すでに皆が知ってしまっているせいなのだろう。
まったく、どうしたものか。
ある意味では無礼と咎めてもいい状況なのに、リリがそうしないせいで、人垣は日に日に増えて行くばかりだ。
「おじょーさまー。リリおじょーさまー。いるっすかー?」
そんな人垣の中に、後ろからひょいひょいと顔を覗かせ必死に声をかけている少年が一人。
あぁ、また煩わしいものがきた。
「ニール君? えっと、皆さん、ちょっとごめんなさい」
必死に人をかき分けながら顔を出したリリが、少年を目にした瞬間、ほっと顔をほころばせるのが腹立たしい。
「今日もすごい人気っすね、お嬢様」
「もぅ……からかわないで。それよりご用件は、また鍵?」
「借りていいっすか?」
「今日も夕方まで生徒会館だから、書記室に返しに来てね」
「あざっす!」
周りの目に留まらないよう、こっそりとポケットから出したものを少年の手に隠すようにぎゅっと握りしめて渡す様子に、周りがコソコソと何かを噂話している。
それを気にも留めずに、受け取ったものを隠して駆けてゆく少年に下心が無いことは、すでに確認済みだ。
だが噂というのはそうはいかないもので、「あの子、リリ様のお気に入りの」「どういうご関係なのかしら」と囁く周囲の言葉が、嫌に苛立ちを煽った。
「お姉様」
そこにまた煩わしさを募らせるような少女の声が加わる。
ミナ嬢といったか。リリの従妹でゼノの双子の妹。スオウのハトコ。ここ最近生徒会館に毎日のように現れる、何を考えているのかいまいち分からない少女だ。
「あ……ミナ。いらっしゃい」
他の人達とは違う。少し困ったように、戸惑うような声色で視線を逸らすリリの様子は明らかに異質で、それをものともせずにリリの腕に抱き着いたミナ嬢は、軽く周りを見回して牽制する。
「今日はどうしたの? ゼノならまだよ?」
「そうではなくて、スオウ殿下はいらっしゃらないのですか? 花祭りの日にお世話になったお礼をしたいんです」
「スオウ様? まだ見てないけれど。確かめてくるから、少し待ってもらえる?」
「お姉様にそんなお手間をかけるなんて悪いわ。それにお礼をお渡ししたいだけですから……何なら、一緒に生徒会室に連れて行ってくださいよ」
そうたっぷりと甘えてみせるミナを、リリも一喝して引きはがしてしまえばいいものを、無駄に情が厚いせいか、無碍にもせずおろおろと困った顔をするばかりだ。
「ミナ、でもあんまり自分の身内だからと特別扱いをしたら……」
「あら、殿下はお姉様の身内である前に、私の身内でもあるんですよ? それでも駄目だと仰るんですか?」
「うぅーん……」
すっかり困り果ててしまったリリの様子に、一つため息を吐きながら、ユーシスはようやく足を進めた。
「駄目だ」
ついでにかけた声に、ふと皆の視線が集まり、自然と一歩、二歩と引き下がって場所を開けた。
「あ、殿下」
困り切った表情の中で、ほっと安堵の色を見せたリリの様子に、少しだけ機嫌が浮上する。
「まったく。君は毎日飽きもせず囲まれて……」
「あ、扉塞いでましたね。ごめんなさい」
すぐにどきますね、なんて言いながらも必死で助けを求める視線に、チラ、と、今なおリリに抱き着いて離れない少女を見やった。
実際にリリやスオウの親戚である点で、簡単に無碍にすることもできない相手だ。
「ラウル。スオウは?」
「俺らが出た時はまだ教室だったから、生徒会館にはいないはずだぜ。お嬢さん、教室の方行ってみたら?」
いい具合に意を汲んでくれたラウルの言葉に、一瞬ミナの表情に、鼻で笑うような嘲笑の面差しが過った。
彼女の事がいまいちよく分からないのは、その時折垣間見せる表情のせいなのだ。
ユーシスやラウルに媚を売る女生徒なら、これまでも沢山いた。遠縁を理由にすり寄ってくる者も、勿論いた。だがこんな風に、すり寄るような言葉とは裏腹に、あからさまに嘲るような顔をする者は見たことが無かった。
一体彼女は、何を考えているのだろうか。
「そうなんですの。それは有難うございます」
言葉だけは甘ったるいテンポだが、まるでそんな情報どうでもいいとでもいうようなニュアンスが感じられるのは、こちらの考え過ぎだろうか。
「それよりお姉様。先程の、ベンホーフト卿ですよね? 随分と親しそうにお話していましたが、どういうご関係なんですか?」
いや、考え過ぎではなかったようだ。
スオウを探しているといいながら、ちっともそんなそぶりも無く、まるでユーシスを挑発するようにこちらを見ながら窺う口調には敵意すら感じられる。
「ニール君? ミナ、彼を知ってるの?」
「同じクラスですもの。いつも何かのケースを抱えてますけど、もしかして楽器ですか?」
「えぇ。練習できる場所をたまに貸して……」
「リリ。会議までもう四半時もないぞ」
思わず苛立ちが募り、上手く躱すことも逸らすこともできずに率直に挟んだ口に、単純なリリはすぐにはっと顔色を変えてミナの手を引きはがした。
「っと。そうでした! ミナ、ごめんね。お話はまた今度ね」
「いえ、私こそお邪魔してごめんなさい。殿下の前でお姉様と他の殿方の睦まじいお話なんて、失礼でしたわね」
「え?」
首を傾げるリリとは裏腹に、その言葉の意図に勘付いたユーシスは、思わずジロリとその少女を横目に見た。
なるほど。どうにも何がしたいのか読めない少女だと思っていたが、どうやら自分とリリの関係を探っているようだ。
それは一体、どういう意図からなのか……。
「ぷふっ。殿方って。ふはっ。ニール君が殿方ってっ」
なのに一人変なところにツボを押されたらしいリリの様子には、呆れてため息が出そうだ。
とはいえ期待とは違う反応だったせいだろう。ミナもびっくりしたように目を瞬かせている。それに関しては、何やらいい気味だ。
「笑ってないで行くぞ、リリ」
「あ、はぁい。じゃあ皆様、また」
ふわふわと手を振るリリの手をガシリと掴んで中に引きずり込む。
こうでもしないと、また取り囲まれて身動きできなくなるだろうに……なんでこいつはいつまでたっても学習しないのだろうか。
相も変わらずふわふわしていて、心配というより、焦りが募る。
「ふぅ。助かりました、殿下。全然抜け出せなくって」
「はぁ……」
その上呑気にそんなことを言っているのだから、始末に負えない。
本当に抜け出す気があったのか、なんて咎める気すら失せる。
「いちいち構わず、適当なことを言って抜け出せと言っているだろう」
「それができたら苦労しないんです。私は殿下みたいに、大魔王様オーラとか出せないんですから」
「そんなものは出していない」
「嘘です! 皆殿下を見た瞬間、すごい勢いで下がるじゃないですか!」
ですよね?! とラウルに同意を促すリリに、「あぁ、出てる出てる」と、また調子のいいことを言ってラウルが同調するせいで、リリが変な満足感を得るのだ。
まったく。どうしてどいつもこいつも……。
「このあいだ、バルト先輩に人避けオーラを出す道具とかないんですかって聞いたら、あったらもう作ってるって。殿下、先輩の開発に協力してみる気はありませんか?」
「馬鹿を言っていないで準備しろ」
「ふぁーい」
仕方なさそうに肩をすくめて書記室に向かうリリに、まったく、とため息を吐きながら、チラリと逆方向のバルトの研究室になっている部屋を見やる。
新学期早々は何かと生徒の出入りが多くて煩わしいせいか、バルトはもうふたつき以上も引き籠って出てこない。
人避けが作れるものなら是非とも作ってもらいたいものだが……。
「くくっ。協力する気になったとか?」
「……馬鹿なこと言ってないで、お前も仕事しろ、ラウル」
「はいはい。仰せのままに」
はぁ、まったく。
あぁ、まったく。
◇◇◇
「では大茶会の人選はそういう手取りで。招待状は書記室で準備します。今は庶務が不在なので、名簿の方も書記室で準備しますね。今回は書記室が名簿の監査に当たることができないので、他生徒会の皆さんには人選の外部監査に協力をお願いします」
時間通りに始まり滞りなく進んだ会議に、副議長を兼任するリリがテキパキと処理してゆく。
いつの間にやらすっかりと慣れたリリの手際に問題は微塵もなく、これほどうまく会議を捌ける人物が、どうして人垣は捌けないのかと不思議なくらいだ。
「リリ様、名簿の準備までしていては書記室が大変では? 私で宜しければお手伝い致しますが」
「エマは自分の仕事が大変でしょう? 大丈夫」
風紀委員副委員長という名とは裏腹に、実質風紀委員のすべてを預かるエマは、イベントごとのたびに忙しい。その辺をリリは存分に気遣っているらしいのだが……。
「どうにかそろそろ、バルトを引きずり出せないものか……」
思わず零れ落ちた本音に、誰もがうんうんと頷いた。
そもそもは委員長であるバルトが仕事をしないせいでもあるのだ。
いや、正確に言えば、バルトもなんだかんだ言って書類仕事は完璧にこなしている。あぁ見えて、優秀なことに間違いはない。だからこそ、いまなお委員長という席を解任せずにいる。だがとにかくひきこもりで、外に出てこない。それが問題だ。
「いやぁ、バルト先輩を引きずり出すより、新しい人材を育成する方がきっと手っ取り早いと思いますけど。エマも、全部自分で引き受けないで、風紀委員のメンバーから補佐できる人材を見繕ってみるのはどう?」
そこに思いのほか真っ当なことをリリが言うものだから、皆いささか驚いてリリを見てしまった。
「そんな真っ当な意見が君の口からでるとは……」
「ちょ、殿下、酷い」
肩をすくめて見せるリリは、片付いた書類をてきぱきとまとめる。
「私は殿下を見て学んだんですよ。手が足りないときは容赦なく部下に書類を押し付ける鬼畜ぶり。うんうん。見習うべきです」
「……」
何とも度し難いことを言っているが、反論はできない。
周りが気を使って視線を逸らしているが、そこをあえて口にするのがリリなのだ。
「あぁ。その通りだな。リリ、ちょうどいい具合に書類がたまっている。後で私の机の書類をすべて引き取ってくれ」
「うぇっ」
ふん。今更取り繕ってもう遅いからな、とニヤリと笑って見せたところで、ため息を吐くリリは、なんだかんだ言って拒みはしないのだ。
「とはいえ、いい加減、庶務は探すべきですね」
そこに一際冷静なゼノの言葉が、さっと皆の空気をさらってゆく。
何事にも動じず、淡々としながらも穏やかで耳障りのよい声色は、いつもこうして不思議と人の耳を引き付ける。こういう所は流石、若いながらも、すでに大勢を前にミサをこなした経験を持つ教公猊下の世継だ。
「今は一年から生徒会に採用している人材が第二書記だけなのも、気がかりだな」
そう暗に期待を持たせてゼノを見やれば、チラリとこちらを向いた視線が、静かに目礼した。
「わかりました。私が気を留めておくことにします」
つまるところ、庶務は一年から見繕いたい、という意を難なく悟ったゼノは、すぐにもその話題を切りあげた。その察しの良さと早すぎる決断力は、まったく優秀と認めざるを得ないのだが、その声色は明らかにリリと接する時と比べて棘を感じる。
ミナに感じるものとは全く違う棘だが、やはり多少の既視感を感じるあたり、本当に兄妹なのだなと実感する。
とはいえその棘には、何か、理由があるのだろうか。まぁ、リリに関することなのは間違いないだろうが。
「他に議題が無ければ、今日の会議はこれまでと致しましょう。いかがかしら?」
その場の妙な雰囲気を見て取ったのか、すかさず場を締めたトリシア議長の言葉に、「私は無いよ」と、すかさずスオウが答える。
それを機に皆が片づけを始めると、自然と散会の雰囲気となった。
「じゃあゼノ、名簿の様式の説明するから、私たちは書記室ね」
「はい」
すぐに席を立つリリに続けてゼノが立ち上がり、皆それぞれに席を立つ。
必要な話し合いもすべて済んだことだし、散会に問題はまったくない。
ないのだが。
「お嬢様。議事録は私が」
目の前でリリの手から分厚い議事録を受けとり、睦まじくやり取りをしている二人の姿が、妙にもやもやを募らせる。
「リリ。書記室の前に、書類を取りに来るように」
「うっ……そうでした」
思わずこちらに意識を引き付け奪い取る物言いをすると、案の定、チラリとゼノの鋭い視線が追いかけてきた。
またその視線だ。妙に敵愾心のある、何かを探るような視線。
「行くぞ」
でもそれを気にかけず、さっさと踵を返して扉に向かえば、何の邪心もない単純なリリは、ふわふわと後を追ってくる。
だというのに。
「いいよ、書類は後で私が運ぶから、リリは書記室にいて」
そこにスオウがまた余計なことを言うものだから、思わず眉根がよってしまった。
「いやいや、殿下に書類運びをさせるのはどうでしょう」
「どうせまた、生徒会に関係ない書類が混じってるだろうし、選り分けてから運ばせるよ。だよね? ユーシス」
チラ、とこちらを見るスオウの視線に、そんなものは慣れているリリにやらせればいい、なんて思いが過ったが、そこで無駄にリリを特別視するのも妙だ。
周りの視線がチラチラとこちらを見ているのを思えば、意地を張るのも邪推を呼ぶか。
「あぁ、それでいい」
何やらリリは妙な顔で首をかしげているが、もとより王太子業務の方も、本来補佐すべきはスオウなのだ。だからそれに何の問題も無い。
問題は、ないが……。
「……」
「まぁ……殿下がそう仰るなら」
ポツ、と呟きながら、ではお先に、とゼノを連れて出てゆくリリの後姿に、妙に焦燥感が募る。
これでいい。いいはずなのだが。
「その調子で。姉上とは今少し、距離を置いていただきたいものですね」
ポツリ、と。
出て行き様に、ユーシスにだけ聞こえるように呟いたゼノの言葉が、たちまちにユーシスの視線を引き付けた。
他に何も言わず出てゆく後ろ姿が、何も憂うことなくリリの傍に寄り添う。
そのあまりにもしっくりと来た、俗世とは線引きしたような感覚。
自分とリリの間を隔てた、いいようもない不安。
ゼノにもミナにも。そして最近ではスオウからも感じられる、リリとの間を隔てさせようというさりげない空気。
「お前達……何を考えている?」
チラ、と見やった先で、静かにこちらを見据えるスオウが、さっと視線を逸らす。
それを見て確信した。
何かが、起きている。
よく分からないが、彼らが何かを隠し、何かを意図している。
それだけは確かだった。




