1-8 お隣のロイヤルファミリー
「ということがありました」
あれから三日。夏の離宮があるというアリアガの街に着いてすぐ、城門まで迎えに来てくれた姉と出会って早々、姉の嫁ぎ先が思っていたよりすごかったことを今さら知りました、なんて話をしたら、姉に凄まじいため息を吐かれてしまった。
いわく、貴女、私がどこに嫁いだと思っていたの? と。
そんな呆れ顔の姉がリリを連れて行ったのは、離宮の一画の煌びやかな離れだった。
陛下への謁見までまだ時間があるからと進められてそわそわと腰を下ろしたのだが、すぐにも姉に、「ここは我が家の所有する離宮内の居所だから、誰も来ないわ。ご安心なさい」と言われ、益々驚いた。
やっぱり、姉はとんでもない人に嫁いでいらっしゃったらしい。
「まったく……お父様もお母様も、一体貴女をどう教育していたのかしら? ユリー。貴女もよ。私のこと、何と教えていたの?」
そう姉の乳母子でもあり、元々姉の侍女でもあったユリーに鋭い視線を投げかけた姉に、ずっとリリに付き従ってここまで来てくれたユリーも、流石に困った顔で眉尻を下げた。
「申し訳ありません、リザ様。ちゃんとお教えしていたはずなのですが、私もまさかリリお嬢様がここまで“ズレ”ていらっしゃったとは思いにも寄らず。以前こちらのお国にいらした時は、リザ様がずっとご一緒でしたから」
「あぁ、そうね……そうだったわ。私のせいでもあるわね」
少々、周りの目に触れないよう過保護にし過ぎたのだ。
両親もそうだ。
二人とも、長女のリザを授かってからしばらく、中々子供ができず、母は一度流産も経験していて、そんな中ようやく授かった待望の二人目がリリであったから、どうにもこの次女に甘い。
のびのびと育て過ぎて、いささかのんびりし過ぎてしまったようだ。
「ははっ。そういうところも含め、リリちゃんは相変わらず可愛らしいな」
そんな姉妹の会話に、大層朗らかに微笑みながら顔を見せた紳士には、はた、とリリもソファから腰を上げて、ちょこんとお辞儀をして見せた。
「お久しぶりです、オルネストお義兄様。お変わりなく」
「やあ、リリ。久しぶりだね。そんなに畏まらなくていいんだよ」
「ほらもう。そうやってあなたまでリリを甘やかすんですから」
ハァ、と今一度リザがため息を吐いたところで、この国の王族特有の、とても魅惑的な金色の瞳をやんわりと細めた義兄が、「いや、だって可愛くて」と言い訳した。
ついでに「機嫌を悪くしないでくれよ」、なんて姉に寄り添って腰を抱きよせる様子は相も変わらず仲睦まじくて、見ていてこっちが恥ずかしくなる。
ましてやどちらも絵になる造詣をしていらっしゃるものだから、なんというか、絵面の迫力がすごい。
そんな中で、「りーりー?」と拙い声色で呟いた小さな人影に、「あらっ」とリリは目を瞬かせた。
姉譲りの白い肌と、義兄譲りのプラチナの髪に、金の瞳。長めの上着と大きな帯と、この国の民族衣装をまとった何とも愛らしいお坊ちゃん。
「もしかして、アナイス殿下ですか?」
ぱっと顔を輝かせたリリに、「おっと、そうだった」と、義兄が自分の後ろにくっついて来ていた小さな少年を抱き上げて、ポン、とリリの目の前に置いた。
「うちの長男のアナイスだよ。二歳になる」
近くで見ると益々義兄と姉にそっくりで、これはもう、今から将来が期待できる。
「わっ。可愛いっ! お義兄様とお姉様にそっくり!」
「そうでしょう? 何処がと言われても分からないのだけど、よく言われるのよ」
そう母の顔をした姉が、息子の傍らに寄り添って、その背に手を添える。
「アナイス。この子は私の妹。貴方の叔母上よ」
「おーばーうーえ?」
「ごきげんよう、アナイス殿下。リリと申します。仲良くしてくださいね」
そう床にしゃがみ込んで手を差し伸べたなら、ふわっと可愛いい顔を益々可愛くしたアナイスが、にっこりとほほ笑んで手ではなく、リリに抱き着いた。
「りりさま、母上にそっくり! 好き!」
「あら」
「おやおや?」
目を丸くする義兄と姉の前で、はて、どうしたものかと思いつつ、もちもちふわふわの甥っこは文句なしに可愛らしく、役得とばかりにそのまま抱き上げてやった。
思ったよりも腕にずっしりとくる。
うむ。だが可愛い。
「人見知りする年頃なのだけれど。珍しいわね」
「リリの笑顔は魅力的だから。あぁ、あとうち家系は皆、君達の家系の笑顔に弱い。これは実証済みだ」
うんうん、と頷く義兄に、笑顔に弱い? とリリは首を傾げた。
実証って、一体どういう意味なのだろうか。
「リリは知らない? 君達の母上はこの国の出身だけど、我が国に短期滞在していた君達の父上の笑顔に一目惚れしたとかで、出会ったその日のうちに逆プロポーズして、そのまま無理やり嫁いだんだよ。押しかけ女房、ってやつだね」
「……」
知らなかったよ、お父様。お母様。あのお二人にそんな歴史があっただなんて。
というか、あの常に強面な父が笑顔を見せるという状況がそもそも想像できないのだが、一体何があったのだろうか。それがちょっと気になる。
「あら。でもお義兄様とお姉様は一応、政略結婚でしたよね?」
笑顔にやられたというけれど、この二人の場合は恋愛結婚ではないはず。
ドレッセンに王妃の妹を嫁がせることを了承したアンブロシア王室が、既知を得たアリストフォーゼ家に対し、我が王室にも是非にその血筋を、と話を持ちかけて成立した結婚であったと聞いている。
そこで白羽の矢が立ったのが、王弟エルネスト・グリューネ・フォン・アンドレア大公の嫡男、オルネストであった。
義兄オルネストは姉の二つ年上。姉はドレッセンで聖ドレス・ノワ・カレッジを卒業した後、二年程花嫁修業をしてから、四年前にこのアンブロシアに嫁いだ。
それまでもリザとリリは時々この母の実家もあるアンブロシアに来ていたし、義兄も何度かアリストフォーゼ領に来てくれたことがあったから、付き合い自体は結構長くなる。そのせいか、政略結婚とはいえ義兄と姉は随分仲が良いとは思っていたけれど。
「いやいや、私も義母上と同じでね。この常日頃厳しい強面の中に時折ふわっと浮かぶ笑顔が何ともいえず癖になって」
「強面で悪うございましたわね。私はその辺は生憎と父親似なんですのよ」
確かに、顔は完全に母親似だけど、性格は父に似ているかもしれない。
つい、ふふっ、と笑い声を溢したリリに、「そういう貴女はいったい誰に似たのかしらね」と呆れ顔をされてしまった。
まぁどちらかといえば母なのだろうけれど、多分この性格は両親のせいではなくて、前世での記憶……凜々子のせいだと思う。似てなくて申し訳ない。
「リリさま、リリさま。猫さん。リリさまの?」
そんな大人たちの会話がつまらなかったのか、すっかりリリの隣に腰かけたアナイス少年が、リリの膝の上で丸くなった黒猫に、いつの間にやらキラキラと目を輝かせていた。
「そうですよ。キリエと言います」
自分が紹介されているのに気が付いたのか、のそっと顔を上げたキリエは、いつもより割増のお澄まし顔をして見せると、「んなぁ」とアナイスに向かって鳴いてみせた。
そのお行儀のよい猫に、アナイスも無遠慮に伸ばしかけていた手をピタリと止めると、「アナイスです」と律儀に自己紹介してから、「触ってもいいですか?」とリリに問うた。
「ええ、勿論。キリエは紳士さんなので、優しく撫でてあげてくださいね」
猫に紳士ってどうなんだ? と自分に突っ込みたい。
だが変に思った様子のないアナイスは、恐る恐る手を伸ばして、初めて触るもっふもふの毛並に、瞬く間にその大きな瞳を輝かせた。
「ふわふわ。さらさらっ。もっふもふですっ」
「キリエはお腹と耳の裏が弱いんですよ。ここをこうして……」
「にゃっ!」
余計なことをするにゃ! と紳士面を歪ませて焦りを見せたキリエに、問答無用に頭を手のひらで包み込んで耳の裏を指先でわしゃわしゃと揉みしだいてやったなら、たちまちキリエの顔がこの上なく緩んで、「にゃぁぁぁ」と情けない猫撫で声を出しながら膝の上にぐったりとだらけてしまった。
うむ。やっぱりキリエはこうでなくては。
「僕もやっていいですか?」
「ええ勿論。ここをこうして……」
小さな手を誘導してやり方を教えてやると、すぐにも飲み込んだアナイスが、わしゃわしゃと手際よくキリエを撫でまわす。
よほど気持ちがいいのか、ゴロゴロと喉を鳴らして膝の上で暴れるキリエに、流石にくすぐったくて笑いそうになってしまった。
「その子ったら、相変わらず貴女にべったりなのね、リリ」
「キリエのこと? うん。ベッタリというか。学校にまで付いてきてるよ」
「……貴女ねぇ」
ハァ、と再びため息を吐いた姉には、「いや、私が連れて行ったんじゃなくて、トランクを開けたら何故か入ってたの」と取り繕った。
当然エマ同様に、「そんなわけないでしょう」と突っ込まれたけれど。
「一体いくつになるのかしらね。昔からちっとも変わらないけれど」
「……さ、さぁ?」
うむ。それはリリも考えないことにしている。
単純計算でも、リリが生まれた頃からずっといるというから、もう十五歳以上。猫の寿命を考えたら、結構なおじいちゃんということになるが、何しろキリエはただの猫ではない。
少なくともおじいちゃんではないだろう。
そんな気の抜けた会話をしていたら、先程義兄が入ってきたカーテンのかかる入口から、「やぁ、なんだかずいぶんと賑やかだね」と声がかかり、自然と視線が吸い寄せられた。
颯爽と大股にカーテンを潜ったのは、スラリと背の高い偉丈夫だった。
仄かに焼けた肌に、義兄より少し落ち着いたシルバーアッシュの髪と、鮮やかな金色の瞳。豪奢な刺繍のマントを煩わしそうに軽く片方の肩に引っかけて着崩した装いが、殊更とっつきやすそうな面差しのその青年を引き立て、魅力を倍増させている。
とはいえ突然こんなところに現れていい人物ではない。
すぐにも自然な所作でさっと立ち上がった義兄が、「何故こんな離れに殿下が?」と呆れた顔をした。
その言葉にはっと我に返ったリリも、すぐに立ち上がろうとしたのだけれど、膝の上のキリエが邪魔で立ち上がれない。
かと思いきや実にタイミングよく、アナイス少年が膝の上からキリエを慎重に抱き上げて、そのままトテトテと愛らしい足取りで客人に向かってかけて行ったものだから、途端に膝の上が軽くなった。
「おじうえっ、猫! とっても可愛いです」
そう満面の笑みを浮かべたアナイスに、「よう、キリエ。君も一緒だったんだな」と、客人がアナイスごと軽々とキリエを抱き上げた。
そのうんと高い抱っこに、アナイスもきゃっきゃと顔をほころばせる。
おかげさまで立ち上がれるようになったリリも、その様子につい癒されつつ席を立つと、取りあえずドレスをつまんで一礼して見せた。
「ごきげんよう、エルディン殿下。私からご挨拶にお窺いする予定でしたのに、どうしてこちらに?」
「リリ! 君の到着をずっと待ちわびてたんだ! 先程リリがこっちに着いたと聞いたから、慌てて駆けつけて来たんだよ。もっと大歓迎してくれないと」
よいしょ、とアナイスを彼の父親の腕に託してリリに駆け寄ったエルディン殿下、ことエルディン・グリューネ・フォン・アンブロシア第二王子殿下は、隣国から公務で訪れたリリに王子殿下らしい素敵なご挨拶を……するのではなく、突如としてリリを抱きよせて、がばっ! と腕の中に閉じ込めたものだから、流石にリリも驚いて硬直した。
「わ、わわっ。ディンさまっ!?」
「うーん。やっぱりリリは小さいなぁ。このサイズ、この抱き心地! 絶妙だと思わないか、オルネスト!」
「ええ、それには大変同意見ですが。未婚の淑女への挨拶にしては無礼が過ぎますよ。さっさとうちの義妹を放してくれませんか」
「君の義妹である前に、私の従妹なんだからいいだろう? 君の指図は受けない」
そうぎゅうぎゅうと益々抱すくめられて、リリもわたわたと腕の中でもがいた。
何でもいいけど、何でこの国の人は皆剛腕なんだろう。逞しすぎて苦しい。
その様子に姉が一つため息を吐いて、そろそろ助け船を、と口を開こうとしたところで、再び入口の方から、「こらこら、ディン。いい加減離さないとリリが苦しがっているだろう」と、とても穏やかな低い声色が窘めた。
これにはまたまた皆が視線を寄越して、たまらず姉がため息を吐いた。
「陛下まで……」
「えっ。国王陛下?! あの。あのっ、わっ」
前の見えないリリはそのままわたわたと暴れるのだが、ちっともエルディンの手は緩んでくれない。
「おや、父上。リリなら私が抱きかかえて連れて行くので大人しく玉座でまっていて下さい、と言ったのに」
「お前の事だから、そうやってリリ姫を羽交い絞めにして手放さない気がしてな」
そう笑う陛下、ことアンブロシア国王エルモンド三世陛下のお言葉に、「ええ、御覧の通りです」という義兄の冷静な言葉が追い打ちをかけ、深い溜息と共にようやくエルディンが手を離してくれた。
すっかり熱気と恥ずかしさに火照った顔で、ふはっ、と呼吸を取り戻したリリは、慌ててきょろきょろとあたりを見回し、見つけた国王陛下のお姿に、慌てて今までで一番丁寧な礼を尽くした。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、陛下。あの。というか、私からご挨拶にお伺いするはずで……」
「あぁ、よいよい。気にするでない。面倒な手続きを待ちきれず、私が勝手に出て来ただけだからな」
ほら顔を上げなさい、と促す相変わらずの伯父上様に、ほぅとリリも顔をほころばせた。
うん、やっぱりなんか、国王陛下、って感じじゃないのだ。
いやいや、威厳あるお姿と、名君と誉れ高い素晴らしい人物であることは知っているが、でもなんだかこう……もう、ただの親戚の伯父様なのだ。
今も、「おぉ、アナイスも来ていたか!」と、好々爺とした顔で甥っ子の子供を軽々抱き上げている。
「はぁぁ……まったく、まったく、もう。貴方方と来たら。そろいもそろってうちの子達を甘やかしてばかり」
うむ。姉がため息を吐きたくなるのも当然だ。
「い、いやほら、だってな、リザや。滅多に会えない姪っ子達が来てくれたんだぞ」
「そうそう。しかもこの我が家きっての癒し系のリリがだよ。可愛がらない理由が無い!」
「あー。それには激しく同意です。何しろ我が家系はみんな、アリストフォーゼの笑顔に弱い。ほらね。言った通りだろう? リリ。君が笑顔で頼み事なんてしようものなら、私達に逆らうという選択肢はない。さぁ、早速何か欲しいものは無いかな?」
義兄までそう悪乗りしたものだから、流石に姉もピキリとお美しい顔を凍りつかせると、「あーなーたーたーちー……?」と、随分と恐ろしい声を腹の底からお溢しになった。
その声色には、びくんっ、と大の大人がそろいもそろって肩を跳ね上げる。
「“うちの子”をこれ以上好き勝手するようでしたら……」
パキンッ、とおもむろにリザの手の中で音を奏でて爆ぜた扇子と。
「お仕置きに、いたしますわよ?」
破壊度マックスの笑顔に、この場の体感温度は三度は下がったに違いない。
うむ、良く分かった。
美人の笑顔はマジ怖い。
お姉様の笑顔はマジ怖い。
そしてそんなお姉様は、どうやらこの国で、最強であるらしい。
リリがこの国の自分の立ち位置をいまいち実感できずにいるのは、国王陛下をも怯えさせてコクコク頷かせてしまうお姉様のせいに違いない。




