3-6 見送り(1)
日中の祭事とあって、この日アデリアが選んでくれたドレスは、柔らかい色合いの簡単なドレスだった。
あまり今の流行りのわさわさしたものではなく、すっとシンプルなラインに大きなコサージュをポイントにあしらった上品なもので、幾重にも重ねたスカートのシフォンにうっとりするくらい豪華な宝石のちりばめられた一品である。
流石は物の趣味が良い上に、クールビューティーを標榜されるアデリアの選んだものだ。ごてごてとしたドレッセン風のドレスとは一風違った、シンプルでありながら華やかなデザインは、とても斬新で、でもとてもリリ好みだった。
何しろドレスがワンピースタイプだった。これにはユリーが目くじらを立てて、「絶対に一人では脱げないようにしてみせます」と、背中の編み上げを手の届かない位置で結んだり、糸で縫い合わせたりと密かな苦心をしていたようだが、生憎と今日は身勝手にドレスを脱ぎ捨てる予定はないので安心してほしい。
勿論、そんな言葉はユリーには届かなかったけれど。
かくして、同じく招きを受けたらしい母と共に馬車に乗って王宮に出向いたところで、先にこちらに来ていたらしい父とも合流した。
その後どうやら父と母は国王陛下に謁見に向かったらしいのだが、リリは両親から真顔で「ボロが出るといけないから、君はここでじっとしていなさい」と厳命された。
おかげさまで、玉座で行われた正式な見送りの謁見の間、リリは一人、王宮内の応接間で待機することになった。
その間、リリは手持無沙汰に過ごすことになったのだが、先日の事があったせいか、応接間の外には近衛がしっかり張り付いていて、リリが行方不明にならないように監視していたせいで、大人しくせざるを得なかった。
まぁ、暇だからと部屋を出て一人で王宮探索とか、小心者のリリには最初から無理なんだけどね。
なんて思いながら、部屋隅に置かれていた小さなピアノで暇をつぶしていたら、間もなくコンコンと部屋の扉を叩く音がして、席を立った。
まだ謁見が終わるには早すぎる気がするが、と、かき上げていたベールを下ろしながら返事をする。
しかしどうにも中々扉は開かず、あれ、これって自分で開けないと駄目な系かな? と、自ら内側から扉を開けたところで、一人、近衛に阻まれながらしゅんとした顔で佇む紳士の姿が見え、驚嘆した。
「フェイルゼン候? どうしてこちらに?」
はて。お見送りの儀式とやらはいいのだろうか? それとも、もう終わったのだろうか。
そこにいたのは、先日までの堂々たる風格が台無しなくらいに萎れてしまった、母の兄であるはずの人だった。
今日はその後ろに、夫人がご一緒している。
きつい癖毛と堀の深いド迫力美人は、今日も相変わらずの迫力で、まるで夫の首根っこを掴まえてきたと言わんばかりの冷ややかな表情が、一層近寄りがたい。
「先日非礼を働きましたゆえ、大公息殿下やドレッセンの国王陛下には姫君に面会してはならないと禁じられております。しかしどうか。どうか少しばかり、私に謝罪の機会を」
そう深々と頭を下げる侯爵閣下に、おもわずぎょっと飛び下がりそうになった。
それを何とか踏みとどまったのは、意外な侯爵様の謝罪でも、逃がさないとでもいうような侯爵夫人の眼力でもなく、単にそこに半開きの扉があったからだ。
まぁとりあえず、どうしてノック音がしたのに誰も顔を出さなかったのかの理由は分かった。
王室に忠誠を誓う近衛が、陛下から面会不許可を出されている人物を、リリと会わせないように追い返そうとしたからだろう。
なんならリリもその調子で部屋に引き返したいくらいだったのだが、それではここまで来た意味がない。先日アデリア王女にもたんまりお説教されたばっかりなのだ。
なので一つ、こほんっ、と空咳で呼吸を整えると、落ち着いた所作で顔を上げる。
「公式な面会は、陛下のお許しが無いとのこと。親戚とはいえ、ドレッセン国王の臣である私は、陛下の意に反して応待することはできません。それはご理解いただけますか?」
「無論でございます。ただ、一言。このような外交上重要な一連の日程の中、軽率な言葉で貴女の不興を買ったことを、深く反省しております。その謝罪をさせていただきたかったのです」
その人の言葉にどれほどの真実味があるのかは計り知れなかったが、ただ随分と憔悴した様子は、演技であるようには思えなかった。
あの日の年の瀬の出来事は、どうやらアデリアいわく、リリが思っていた以上に大変な打撃をアンブロシア側に与えることになったらしいから、あるいはフェイルゼン候はその責任という形で、義兄だか誰だかにひどい叱責を受けたのかもしれない。
自業自得だ、という気がしないでもないが……肉親に対して、少し薄情だったかなと、憐れに思わなくもない。
「反省を、しているんですか?」
「私は誰かの兄であり誰かの伯父である前に、アンブロシアの政治家であり、アンブロシア国王の忠実なる臣下です。貴女を政治的に利用しようとしたことも、それに大公息殿下を巻き込んだことも。そして我が家門の安泰を望んだことも、少しも後悔などしておりません」
後悔している、と言われた方が、嘘くさいというものだ。それを取り繕わない言葉は、むしろリリにとっては好印象だった。
「しかし貴女という人を計り違えたことは、私の大きな失態でした」
それを謝罪しに、という正直なその人に、思わずリリはベールの下で口を緩めた。
なるほど、政治家、か。きっとこの人は今後もリリを利用するつもりだろうし、ここで謝罪して罪を清算し、国に戻った時の地位を固めておきたいのだろう。
それは随分とあけすけなやり方だったけれど、そのあけすけな態度が、むしろリリにはちょうど良かった。
彼は間違いなく、あの時リリが口にした『繊細で面倒くさそうな微調整、私には無理ですから』を聞きもらすことなく理解し、吟味し、解釈したのだろう。
仕方がない。アデリア王女の助言もあることだし、ここは一つ盛大に仲直りして、お見送りをしようじゃないか。
そう意を決して口を開こうとして。
「いい加減になさいませ! あぁ、姫様。いいえ、リリ様。このような無礼な夫をお許しください!」
突如膝をついてぎゅうっと腰に絡みつくようにして抱き着いてきた迫力美人に、ギョッッと、今度こそ飛び下がりそうになった。
だがそれはぎゅうぎゅうに抱き着く侯爵夫人の手に阻まれ、同時に警戒していた近衛が剣に手をかけたけれど、外交使節の夫人を独断で傷つけることはできず、それは牽制に留まった。
それが分かっていて、彼女はリリに抱き着いているのだろうか。
「ッ、やめなさい、ベロニカッ」
「リリ様。違うのですっ。そうではないのです! リリ様という愛し子様を戴くことは、我ら家門の誉れ。その意に背くことに反省をすれど、利用などしようはずもないのです!」
迫力に気圧されて口を噤んだリリの様子をどう思ったのか、息を意を得たようにベロニカはまくしたてはじめる。
「私、遠くに嫁いだ義妹のクラリサのことも、貴女のことも、今回お会いするのをとても楽しみにしていたのです。義妹のこちらの国での立場をどうにかしてあげたいとも、ずっと思っておりました。それを非難するような夫の態度には、情けなさしかございませんっ」
その話はもう済んだんですけど、とか言いたいが、絶賛反省中らしいフェイルゼン候を窺ってみたところで、シュンとして項垂れてしまっていて役に立ちそうもない。
「夫はプライドゆえに、謝罪と称しながらリリ様に不愉快な言葉を繰り返しましたが、本心ではないのです!」
「え、えーっと……」
いや、すごい本心だったと思うよ? 今そこでその夫とやらが、おろおろしているし。
「ですからどうか誤解なさらないで下さいませ。私達は貴女の肉親。貴女の味方なのですから、どうかっ……」
「薄っぺらな言葉ですこと……」
ポツン、ともらしたリリの言葉に、「えっ」と、息を引きつらせるようにしてベロニカが口を噤む。
つい思わず漏れ出た本心だったのだけれど、黙ってくれたのならちょうどいい。
一つ深い深いため息を溢したリリは、頭を抱えてしまっているフェイルゼン候を、憐み深い目で見やった。
薄っぺらな言葉のせいでリリの不興を買った夫の失態を、彼女は見ていなかったのだろうか。今折角それを候が取り繕おうとしていたのに、なんで失態の上塗りをわざわざして下さっているのだろうか。
流石にフェイルゼン候が少し可哀想になってきた。
まぁある意味で、似たもの夫婦なのかもしれないけれど。
「お手を離していただけませんか? フェイルゼン侯爵夫人。私、貴女の夫の姪である前に、アリストフォーゼ家の……キリエンヌ公王家の人間でもあるんです。これはアンブロシア的に、無礼と咎めていい状況なのではありませんか?」
よくわかんないけど、多分。と、はったり半分に口にしたところで、「仰る通りだ、離れなさい」と、フェイルゼン候が夫人を引っ張りあげた。
だがそんな夫に向けるきつい眼差しは、いかにも、今リリを取り込んでおかなくてどうするんですか、とでも言いたそうに訴えかけているようだった。
「どうか、そんな冷たいことを仰らないで下さい、リリ様。私達、親戚ではありませんか」
夫が頼りにならないと思ったのか、にこやかにほほ笑みながら再びそう手を差し伸べるベロニカに、リリは今度こそ明確に自分の意思で飛び下がった。
生憎とさほど飛び下がれずにドンと扉に背中をぶつけただけだったけれど、リリの意思は伝わったらしく、今度はきちんと近衛が間に入って引き止めてくれた。
誰だか知らないけれど、グッジョ……あ、あれ? 見慣れない恰好だから気が付かなかったけれど、その後ろ姿。その横顔。
「あれ、ディーンくん?」
超顔見知りじゃねぇのか?!
生憎今そこに驚嘆して、同級生と和気藹々と日常会話を嗜む場面ではなかったようで、チラリと振り返ったディーンはただ苦笑を溢しただけで、すぐに職務に戻った。
ゼノにしてもそうだったが、何で未成年が普通に働いているんだろう。ディーンだって、まだ正式な近衛の所属じゃないはずなのに、なんでこんなところでリリのお守なんて……あ、アデリア王女の手配か。うん、間違いない。
ってことはここでの出来事は間違いなくアデリアに筒抜けになるという意味で。
何だか面倒くさいし。もう一度ここで、面倒臭いの嫌いですといって逃げ出してやればいいのか? とか思ってたんだけど、それしたら、絶対後でアデリアに怒りの鉄拳を買うことになるような。
もしかしてこれが、リリが逃げ出さないための“対策”なのか?
いや、でも後から怒られることさえ我慢すれば、この煩わしいご夫人からは逃げられるんじゃなかろうか。
だって悪いのはアッチだよね?
せっかくの機会を台無しにしたのは、アッチなんだよね?
これもう、リリ、怒っていいんじゃね?
「お言葉ですが、侯爵夫人。私、その親戚だからとかいう薄っぺらな言葉で利用されるのが一番、大っ嫌いみたいなんです」
ビクンと表情を引き締めるのが、ベールの下からでも分かった。
「謝罪だと仰るので、それこそ肉親の情とやらで、陛下の命に背いてお話をお伺いしましたが、まさかまたも同じあやまちを繰り返すだなんて……」
「姫君っ。妻には厳しく言って聞かせます! 私の言葉に嘘偽りは有りません!」
「何を言っているの、あなた! いいえ、違います。私は本当に、心からリリ様のことを心配して!」
「黙りなさい!」
あー、なんか目の前で夫婦喧嘩始まっちゃったよ。
どーするよ、これ。
リリの手には余りそうだし、何もなかったふりして部屋に引っ込んでしまおうかな。それでいいよね? ディーン君。なんてチラリと同級生の様子を覗き見たところで、そのディーンがあらぬ方向を向いているのを見て、ピクリとリリも視線を向ける。
その目端によぎった鮮やかな青紫のマントが、確かめるまでも無く、リリの顔を引きつらせる。
大魔王様のご降臨だ。




