2-22 夜の舞踏会(2)
あぁ、怖い。マジ怖い。
きゃーっとか歓声があがっていますけれど、次の瞬間こちらをギランと睨む視線が、ほんとに怖い。
「ご機嫌よう、ご令嬢方。皆随分と集まっているようだけれど。アッチはいいの?」
さりげなくユーシスの方へ行ってしまえアピールをしているスオウもどうかと思うのだけれど、お嬢様方はちっとも靡くことなく、「私達は皆スオウ殿下一筋です!」「浮気なんて致しませんわ!」なんてアピールしている。
浮気って何だ?
「スオウ様、そちらのお嬢様は?」
「先ほどから、アンブロシアのお召し物のご夫人と一緒にいらした方ですよね?」
「その髪……生徒会の」
ちらほら、ちらほらとリリを見るいぶかしげな視線が飛び交うようになると、ここぞとばかりに笑みを深めたスオウが、ぐっとリリの手を握ったまま、リリの背を押す。
「あぁ。キリエンヌの教公猊下のご息女で、私のハトコのリリだよ。生徒会の第二書記の」
「え!?」
「まぁ……まさか猊下の」
「殿下のご縁戚という噂は本当でしたの?」
ざわざわと広まった訝しむような声色に加えて、リリを見る視線が突き刺すようなものから、どこか怯えるような色に変ってゆく。
睨まれるのは嫌だけど、なんかこれもこれで微妙だ。
一体どの情報が不味かったんだろう。教公の子なこと? スオウのハトコなこと? 生徒会の、ってところは、まぁ今更だよね。
「ご機嫌よう、皆様。折角スオウ様を眺めて楽しんでいたところを邪魔してしまってごめんなさい」
取りあえず当たり障りなくそう答えたところで、「ちょっと、リリ?」と隣から何やら剣呑とした微笑みが降り注がれた気がしたけれど、この位は許してもらいたいと思う。
「皆様ご存知の通り、アリストフォーゼ家は今回の両国の仲介を担っているので、何の決定権も無い私にまでアンブロシア側の根回しが多くて、困っていたんです。ドレッセン側としても望ましくない状況だったようで、スオウ様が“ご公務”で助けて下さったんです」
お嬢様方にこんな説明をしてどれほど通じるか不安だったけれど、流石は学問に重きを置いた聖ドレス・ノワ・カレッジの学生だ。理解しているかいないかはともかく、ちゃんと内容を耳に入れて考えようとしている様子が窺い見れる。
バルトは、馬鹿は思考しない。思考する者を馬鹿とは言わない、と言っていたか。どうやらこの場に、馬鹿はいないらしい。
「皆様もドレッセン貴族として、その国益を支える貴き者として、どうか私を匿うのにご協力いただけたらと思います」
どうしよう。どうしたらいいのかしら? と顔を見合わせるお嬢様方には、やはりもう一声必要だろうか。
「匿って下さったなら、もれなくおまけで本日の私の監視役スオウ様が付いてきますよ」
「リリ」
ぎゅぅぅとスオウに腕を掴まれたけれど、もう一言。もう一言だけ言わせてください。
「その代わり、お触りは禁止です! スオウ様のボタンが一つでも欠けようものなら、私がお嬢様方の陰湿ないじめよりも酷い目にあわされるので、それだけは勘弁してください!」
どうかお願いします! と切実に拳を握って主張したら、皆が一様にポカンとした顔で目を瞬かせ、間もなく、誰からともなく、ぷっ、くすくすっ、と、笑い声を溢し出した。
「ふふっ。まぁ。なんですの、それ」
「星見の日のお話ですわね。噂になっていましたわ」
「も、申し訳ございませんっ。私の姉も、あの日殿下にひどいご非礼を」
たちまちに空気が華やいで、面白おかしい話題をはやし立てるお嬢様達の様子に、思いがけずキョトンとしたスオウが、チラリとリリを見やった。
「リリ……君」
「ふぅ……上手くいきましたね、スオウ様。これでもうここは安全ですよ。ご協力下さる皆様のために、少しお話に付き合うくらいはしていただいてもいいですか?」
「……あぁ。そうだね」
「まぁ!」
「宜しいのですか? あ、あのっ。けして触れたりは致しませんから」
「わ、私、以前殿下に落し物を拾っていただいたお礼をずっと申し上げたくて!」
ベールの下で、ふわふわと顔をほころばせて身を乗り出すご令嬢達が、何やら雛鳥みたいで可愛らしい。皆一生懸命一線を越えないように自制をしているようで、それがいい具合に彼女達のテンションの抑止力にもなっているようだ。
節度さえ保ってくれれば、スオウも文句はないようで、思ったより丁寧に一人一人に声をかけてあげている。これなら問題ないのではなかろうか。
「あの。リリ様。スオウ殿下のお身内というのは、本当なのですか?」
そんな中で、ちらほらと、スオウとの会話を終えて、リリに声をかけてくる人も現れ出した。
「ええ。私の祖父の妹が、先代のルドルフセン公に嫁いでおります。現公爵のスレンおじさまは私の父ゼーレムの従弟ですね」
「まぁ……ではやはりリリ様は、あの麗しの教公猊下の」
「なんて羨ましい……あぁ、ですがあの孤高の存在でいらっしゃる猊下に子供がいらしたなんて、それはそれでもどかしいわっ」
「今宵の猊下はご正装でいらして、遠目でもうっとりしてしまいます。リリ様、猊下はご自宅ではどのようなご様子なのかしら? やっぱり、聖職者然としていらっしゃるのでしょうね」
んんっ? 何だか話題が父の話になってきたぞ。
「えっと。お父様は日頃から大教会で過ごされることが多いので、家にはあまり。ですがそうですね。家にいる時も敷地内の聖堂でお過ごしになることが多くて、あまり公私に変わりがあるようには見えませんね」
「まぁ! やはり」
「私生活まで清らかでいらっしゃるのね。はぁ……素敵ですわ」
う、うん。なんかうちのパパさん、すごい大人気だったみたい!
「えっと……スオウ様、スオウ様。これは巷では普通の反応ですか?」
「ふふっ。そうか、リリは余所で自分の父親がどう見られているのか知らないんだね」
「前に町の教会で父の信奉者らしき司祭様を見てギョッとしたことがあったくらいです」
「猊下はあの外見だから、信奉者は多いね。その上言葉が少なくて、どことなく浮世離れしていらっしゃるのが神秘的なんだと評判だ。うちの母も、猊下のファンだしね」
そういえばそうだった、と、日頃大変物静かでお美しいアデリア王女の父を見るうっとりとした眼差しを思い出した。
まぁかくいううちの母も、それで押しかけ女房したわけですから。
あれ。うちのパパさん、すごいなぁ。
その内お嬢様方も、一通りスオウと話ができて満足したのか、あるいはスオウと一緒になってパパさん談義に花が開いて楽しくなったのか、何やら和気藹々とした空気が醸し出されていった。
よくわからないけど、私、グッジョブだったんじゃないのか?
なんだかもう式典が終わるまで、ここにいたら安全な気がしてきた。
だが生憎と、そうはいかない。
「スオウ殿下。姫さん。ちょっとちょっと」
お嬢様方の向こうから、頭一つ以上大きなラウルがヒョイと顔をだし手招きをした時から、何やら嫌な気配がむんむんと漂って来ていた。
「ラウル先輩、最初に言っておきますが、アレに突っ込め、とか、無理ですよ」
まずはそうビシリと、益々の人垣に覆い尽くされている王太子殿下を指差した。
「おっ、鋭いな、姫さん。そのユーシス殿下から、救援要請だぞ」
「スオウ様、断って下さい! すぐに!」
「どうしようかな。一応私は今日の所、ユーシスの補佐をするよう言われているんだけど」
「では是非一人であの中に突っ込んでください。そもそもはスオウ様が殿下を人身御供に差し出したのが原因なんですから」
「人聞きが悪いなぁ。私は皆の願望を少し後押ししてあげただけだよ」
笑顔で何言ってるんでしょう、この人。悪魔か? 悪魔なのか?
「でもまぁ……そのユーシスの命令で、リリをアンブロシアの集団の中から連れ出せ、って言われて傍を離れたわけだから。そのユーシスからの救援要請を聞かなかったことにするのは、流石に罪悪感が募るかなぁ」
「あぁぁ……殿下。救援要請なんて鬼ですか、悪魔ですか、とか思ってごめんなさい。スオウ様寄越してくれてありがとうございます。遠くから感謝していますので、これでご勘弁ください」
そうそろそろと頭を下げたところで、ぎろんっ、と、何やら遠くから睨まれた気がしたのは気のせいだろうか。
「あー。姫さん、むっちゃ睨まれてるぞ。今見捨てたら後で呪い殺すと言わんばかりのド迫力だぞ」
「ッ、聞きたくないッ!」
だがどうしたことか。こちらから近付くよりも早く、あちら側が、ニコニコと笑顔を振りまきながらこちらに向かって歩いてくる。
あぁあぁ。そんなぞろぞろとご夫人とご令嬢を引きつれて近付いてこないで。
なんだかもう皆の視線が、ユーシスが真っ直ぐ直進してくるこちらに突き刺さっていますから。
あ。そうだ。せめてスオウ様の後ろに隠れよう。そうしよう。
「あ。そういえば私はユーシスに、バルトを探し出して連れて来いとも言われてたんだった。リリ、ここは任せるね」
「ちょっ。スオウ様?!」
「大丈夫、大丈夫。ユーシスの傍にいたら一番安全だから」
「あの状況見て、それを言います?!」
「あれ、リリ。今日は一日、私の言うこと聞くんじゃなかったっけ?」
「そうでした! すみませんでした!」
くそうっ! スオウめ。最初からこのつもりだったんじゃないだろうか。
「あぁ……大魔王様が近づいてくる……」
そう恐々と項垂れるリリに、スオウの掌が、トン、と、その背筋を伸ばさせるかのように背を叩く。
「リリ。大丈夫。顔をあげて」
「何がどう大丈夫なんです? 根拠のない励ましなんて……」
「そうじゃない。顔をあげて、見て御覧」
見てと言われても、ベールが邪魔でどうせ見えないし、なんて思いつつ、そろそろと顔を上げる。
するとどうした事か。いつの間にやらユーシスの周りに取り巻いていた取り巻きが、一定の距離で足を止めてそわそわと視線だけを投げかけていて、リリやスオウの周りにいた令嬢方もおそるおそると引き下がり、周辺にポッカリと空白が生まれていた。
なんだ、これ。
結界? 大魔王様、そんな技を?
「えっと。大魔王オーラ?」
「リリ……」
「あ、いえ、ふざけているのではなく。何ですか? これ」
「君が日中、音楽祭で彼女たちに刻み込んだ印象が、彼女たちの足を止めさせたんだよ」
「え?」
何の事? と首を傾げたけれど、辺りを見回すリリの視線に気が付いたのか、ご令嬢達の間々にいるご夫人方が、そっと目を伏せ小さく会釈するのを見て驚いた。
あぁ。そうか。そうなんだ。
ベールの下の本当のリリなんて関係ない。
今そこでリリを見ている大半の大人達にとって、リリというのは、先程王太子殿下と隣国の大公息殿下との間に挟まれ、共演をしたアリストフォーゼ家のお姫様なのだ。
「リリ、堂々として。大丈夫。君は、“世界で最も神様に愛された子”なんだから。君の思うままに、すればいい」
ツイと押し出された背中に、一歩、二歩、と、自然と足が前に進む。
ちょうどすぐ目の前まで来て足を止めたユーシスを見つめると、何やら自然と背筋が伸びた。
不思議と。なにやら身の引き締まるような心地が……。
「よくも見捨てようとしてくれたな。リリ」
「うぐっ」
もう! 折角の気合が台無しですよ、殿下!
「に、逃げずに今ここにいるんですから、いいじゃないですかっ」
「スオウに何を吹き込まれた? 相変わらずアイツは他人を煽るのが上手い」
「スオウ様は背中を押してくれただけです。何でそんな風に……」
「随分と信頼しているようだが、振り返ってみろ。奴ならもう逃げ出した後だぞ」
「へ?」
バッと振り返ってみたところで、ニコニコとするラウルと遠巻きにしているお嬢様方の他に人気はなく、え、あれ?! と慌てて辺りを見回した。
「うそ、どこっ?!」
「はぁ……まったく。どうしてあいつはいつもこう……」
「もしかして私、身代わりにされました?」
「アイツに何を言われた」
「なんか、堂々としてたら大丈夫とか。今周囲は私をリリじゃなくてアリストフォーゼ家の一員としていているんだから、とか、なんか励ましの言葉を……」
「リリ、それは励ましの言葉じゃない。脅しだ」
「は?」
「これだけの衆目の中、家名を穢すか誇るかは君次第だから、背筋を伸ばしておいた方がいい、という、ただの脅しだ」
「ッッ」
なんてこった! 言われてみればその通りだ!
「スオウ様めっ」
「そして君にはもう一つ、残念なお知らせがある」
「これ以上、何ですかッ」
「この物々しい状況に、うちの宮廷楽士長が妙な気をきかせて、音楽を切り替えた」
「は?」
それが何です? と言いかけたところで、耳慣れたメロディーに、サッと一瞬にして顔色が青ざめた。
「で、殿下……これ」
「ドレッセンで最もメジャーな宮廷舞踏曲第一番の序章だな」
「い、いえいえいえ。たまたまですよね? たまたま……」
「君の意見ではなく、世間一般の意見として、私がダンスを申し込んだら、女性はどう反応すると思う?」
「十中八九顔を真っ赤に飛びついて、至福の時間を過ごすんだと思います」
「私も私に付随する身分をそういうものだと理解している」
「えっと、つまり?」
「君が宮廷楽団と仲良くなり過ぎたのでは? 気を利かせたブレッケル卿が、君に良い夢を見せようと、余計なことをしたのだろう」
「ブレッケル卿っ、それは良い夢ではなく、ただの悪夢ですッ」
この状況、どうしろというんですかっ、と、本気で涙目になりかけた。
ドレッセン貴族たる者。奏でられる舞踏曲に、向き合う男女がダンスを申し込まないなんて不作法、許されようはずがない。ましてや外国の目の有る中で王子様にそんな真似をさせられるはずがない。
だがこればっかりはリリにも如何ともしがたい。
「悪夢は……流石に酷いな」
「そんなことを言っている場合じゃありませんよ、殿下ッ。私の成績はどうせ把握なさっているんですよね?!」
「生徒会始まって以来の不祥事。生徒会から二人も教養実技の追試試験を出したことか?」
「ふぐぅっっ」
まったくもってその通りなのだが、なんだろう、この心臓を握りつぶされる心苦しさは。
ほんと、ポンコツですみません。
「ハァ……もう、序章が終わるぞ。覚悟を決めろ」
「穏便に回避する方法を……どうか。どうか……」
「無理だ。いや……というかおそらく、私がダンスを申し込むまで、延々に序章をリピートするつもりだぞ」
「なんですか、その的確な脅し文句」
「……」
いいからさっさと諦めろと、強引に誘われるかと思ったが、どうしたことか。ユーシスは珍しくぐっと顔色を濁して口を噤んだ。
その表情が、どうにも気にかかる。
「あの。殿下?」
「……すまない。どちらかの陛下の指示があったのかもしれない」
「え?」
「王妃陛下か。あるいは、国王陛下か」
「……」
あー。あー……。
「あー……」
はぁ。だから、その顔なんですね?
「……もぅ。調子が狂うなぁ。そんな顔されたら、逆に無茶言えなくなるじゃないですか」
「愛し子を政治利用してはならない。それがキリエンヌの掟だ。私は師から、その歴史とその教えを学んだ」
「お父様からですか?」
「あぁ……」
ふふっ。何やらおかしい。
リリの知らないところで、どうやらうちのパパさんは、思いの外殿下の信頼厚い先生をやっていらしたようだ。
そんな教えと、王太子の責務と。その狭間で悩んでくれているのだから。
あぁ。なんだかもう、充分だ。
「言っておきますが、殿下が想像する以上にポンコツですからね?」
「リリ?」
「足を踏んでもステップを間違えても、全力で誤魔化してくださいよ?」
「……分かった。すべて大目に見よう」
クス、と、ようやく僅かに口元に笑みを浮かべたユーシスが、やがて恭しく胸に手を当て、首を垂れて手を差し伸べた。
授業では散々に習った作法だけれど、いざ実践と為ると流石に緊張する。
ましてや王子様に頭を下げさせるだなんて、なんという背徳感。
「ではリリ嬢。お手を」
「よ、喜んで……」
どうしよう。なんか可哀想になって思わず引き受けてしまったんだけど。
これ、もしかしなくても早まったんじゃないか?




