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攻略難易度が高すぎて挫けそうです  作者: 灯月 更夜
第一章 ヴァイオリンと王子様
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1-6 選択肢3

 間もなく始まった試験期間、リリにとっては毎日が緊張の連続だった。

 クラスメイト達が毎日呑気に、「試験期間中は午前で終わりなので、お茶の時間が長く楽しめて嬉しいですわ」なんて話しながら呑気にサロンへ出かけるのを横目に、まったくあの人達の頭の作りはどうなっているんだ、と恨み言を抱きつつ、猛勉強した。

 いや、今更遅いとは分かっているのだが。

 おかげさまで、自分的にはまぁ悪くない程度には何とかなったと思うのだけれど、本当に怖いのは後半。実技試験の方だ。

 かろうじてダンスは避けられたし、身体を使わない系の実技……いわゆる刺繍とか作法なんかは何とかなるとして、立ち居振る舞いやらは難関だった。もう全身ばっきばきになるんじゃないかというくらい緊張して、さぞかし不自然な所作になっていたに違いない。

 今年はとりあえず選択実技の内、作法と音楽を選択して何とかなったけれど、来年はそれ以外を取らねばならない。在学中には乗馬なんかの単位も取らねばならない。それを思うと今から気が重い。


 でもそんな時は息抜きだ、と、試験の中日に聖堂へと赴いたのは自然なことだった。

 試験前は毎日スオウが来てくれて勉強を見てくれていたが、先だって筆記試験が始まったのを機に勉強は切り上げた。

 実技試験は手伝ってもらうこともないし、スオウにも自分の試験勉強に時間を割いてもらいたかったからと、ご遠慮申し上げたのだ。

 だから今日は一人きり。

 いや、相変わらず聖堂に行ったら、日当たりのよいカウンターの影でスヤスヤとキリエがお昼寝をしていたので、一人と一匹、だろうか。


「キリエったら。また聖堂にいたの?」

「リリがいない間は暇なんだにゃ」

 ふあぁ、と欠伸をしながらも身を起こすことなく寝心地を整え直すキリエは、リリがいてもいなくても多分、同じような生活をしていると思うのだけれど。勘違いだろうか。

「それより今日は何の曲だにゃ」

 すっかり眼は閉じているけれど、そうパタパタと尻尾を動かして問うてくれるのは、何だか少し嬉しい。すっかりと常連客の態度だ。

「何にしようかな。試験続きでちょっとアンニュイな気分だから、スローペースなのにしようかなぁ」

 思いつく曲は色々とあるけれど、最近はピアノ曲のアレンジばかり弾いていたから、久しぶりにしっかりとヴァイオリンソロの曲でも。

 そう。例えばバッハの管弦楽組曲三番のアリアをウィルヘルミバージョンの、いわゆるG線上のアリアで……って、これはソロじゃないか、なんて思いながらも、久しぶりにゆっくりと深呼吸して、慎重に、腕の筋肉をいっぱいに使って弓を添わせる。

 じっくりと、しっとりと。一音を大切に紡ぐ、美しい曲。

 あぁ、やっぱりどの国、どの世界にいてもこの感覚だけは変わらない。バッハは天才だ。

 すっかりとこの聖堂に響く音楽に酔い、思い描く音を一音一音尋ねながら奏でれば、いつしか心地よさそうにするキリエの尻尾がパタパタとゆっくりと揺れているのに気が付いた。

「キリエったら、ご機嫌ね」

 クスと口元を緩めたら少しだけピクリと耳が揺れた。

 おっと。雑音だっただろうか。

 でも残念ながら、五分半少々と短いこの曲はすぐに終わってしまう。それがもったいなくて、少し余韻タップリに最後の一音まで丁寧に弾ききったなら、拍手の代わりに、パタパタとキリエの尻尾が満足そうに揺れた。

 うむ、お気に召していただけたようである。

「さぁ、お客様。次は何に致しましょう?」

 聞いてみたが余韻に浸るお猫様から返答はない。

 そうだ。折角だから、今度はこの国の音楽にしよう。

 ぱっと思いつくのは、この国の音楽の大半を占める舞踏音楽だったけれど、折角場所も聖堂なのだから、聖歌を。

 本来オルガンで奏でられる和音を、技巧を凝らして、一本の弓で弾き分ける。

 神様の使い的にもこの国の聖歌は心地よいのか、ふらふら揺れていた尻尾が指揮者みたいに拍を刻んでいて、随分とのりのりなキリエの反応が見ていて飽きない。

「少しテンポアップしますよ?」

 ついてこれますか? なんて言ってアレンジを加えてみたら、ピンと耳がたって、むくりと体を起こした。

 おや。アレンジはお気に召さなかっただろうか?

 目も合わせてくれずに何やらじっと扉なんて見つめて……。

 見つめて……。


「……」

「……」

「……」


 つ、つつつ、つぃぃぃ。ぎぎ……と。

 弦の上で弓が弾みながら、情けなく音が零れ落ちる。


「……ッ」


 キリエの視線の先には、いつの間にやら開け放たれた扉の横で、壁に背を預けて佇んでいた“王子様”がいた。

 おもわず目がくらっとしてしまいそうな眩い立ち姿は、スオウじゃない。

 彼よりももっと明るい、日の光のようにキラキラと眩いブロンドに、何もかも見通すように透き通ったアイスブルーの瞳。微塵の隙も無くきっちりと着込まれた白の制服が無駄に映え、幼馴染と似ているようで、でも全然違う、まるで薄氷のような印象の造形美だ。

 初めて見るようで……でも初めてではない。

 ただ公式HPなんかよりもはるかに高解像度で、ついでになんかエフェクトが付いて、キラキラとか効果音もついてそうな出で立ちの、正真正銘の。

「……お……」

 うじさま。


「すまない。邪魔をしたか?」


 石造の床に良く響く通りの良い低い声色に、がつりと胸をわしづかまれる心地がした。

 なんだこのイケメンボイス。これがメインヒーローってやつか。声だけで心臓を奪われるなんて、ヒロインちょろいな……。

 とか自分で自分に突っ込みながら、ようやくはっと我に返った。

 余りの予想外イベントに呆然としたが、落ち着け自分。

 多分これがゲームなら、選択肢が提示されているはずだ。

  ①王子様に丁寧なご挨拶をする。

  ②演奏を再開する。

 それから……③は。


「ッ、しまっっ、たぁぁぁぁぁ!!」


 思わず挙げた叫び声に、ビクンッ! と肩を跳ね上げた王子様の驚嘆の顔に対処する思考回路は存在せず、ヴァイオリンをむき出しのまま一目散に壁に駆け寄ると、ガツッとキリエを片手に回収して。

「にゃっ?!」

 あとは一目散に……逃げるのみ。

「おいッ……」

 だが如何せん、扉は王子様が立つその傍に一つしかなく、日頃の運動神経の絶望具合を忘れたように一目散に逃げ出そうとしたところで、案の定、ガツッと腕を掴み止められてしまった。

 それを焦燥マックスの顔で振り返ったら、何故か思いがけず、跳ねるようにして王子の手が離れた。

 何だ? なんかすごいドン引きするような顔になっているのか?

 いや、でも好都合だ。逃げるべし! と再び駆けだしたところで、扉に引っかけたヴァイオリンの弓がカツンッと弾んで聖堂の中に跳ね戻った。

 すぐに振り返ったけれど、追いかけるように顔を出した王子様を見た瞬間、弓の事も忘れて一目散に逃げ出した。


 それはもう、がむしゃらに。

 ふぎゃ、ふにゃ、にゃにゃっ! と声をあげるキリエが目を回すくらい、乱暴に。

 一心不乱に、逃げ出した。


 ◇◇◇



 ドレッセン王国第一王子にして王太子、ユーシス・メレディウス・ヴィ・ドレッセンにとって、女性の甲高い寵声など聞き慣れたもので、うんざりこそすれ、気にかけるものであったことなど過去に一度としてなかった。

 だがこの日だけは、別だった。

「私は魔物か悪霊だとでも?」

 思わず口からついて出た言葉に、自分で自分に呆れる。

「まったく……何だったんだ? 今のは」

 深い深い間延びしたため息が、ただただ重々しく聖堂の空気を揺らす。


 この忘れ去れた人気のない旧聖堂は、学校の構内案内にも書かれておらず、今は生徒会の管理物件になっている。

 去年ここを見つけて以来、時折の息抜き場所として用いてきたユーシスも、今まで人に遭遇したことは一度として無く、先だって雨の日に女子の声がしたことも、ましてやこんなところまでスオウが迎えに来たことも、どちらも驚嘆に値する出来事だった。

 それからしばらくは忙しさに足が遠のいていたが、いつしかスオウがこちらの方角にひそひそと向かっているのを見かけて以来気になって、あの雨の日に奴が言っていた『キリエちゃん』とやらについて調べてみた。

 この学園の生徒なら、名簿に名前があるはず。あれほどの楽器の腕前ならば、秋に催される学芸祭の代表に選ばれてもおかしくない。なのに一度も聞いたことが無いということは、おそらくまだ一年。

 そうあたりをつけて名簿を捲ったが、キリエなんて名前の生徒、ましてやセカンドネーム、ファミリーネーム、愛称や略称の類を想定してみても、やはり見つけることはできなかった。

 では生徒ではなく、職員なのか。例えば寮のメイドや使用人。学園内の整備を担っているような下働き。

 いや。この耳が正しければ、あの日彼女が弾いていた楽器はヴァイオリンに違いない。

 木製楽器の類は隣国アンブロシアの名産中の名産で、良質な楽器のほとんどはアンブロシアで作られる。ヴァイオリンはその最たるもので、型だけを真似て国内で生産されるものもあるが、それらで名器というにふさわしい物は一割として存在せず、この国でもアンブロシア産の楽器は大変な高値で取引される。

 そんな楽器であるから、ただ楽器を手に入れるだけでも相応の資金が必要であるし、楽器を学ぶこと自体が富裕層や特権階級にのみ許された嗜み。ましてやあれほどに弾きこなせる技量を考えると、庶民が独学でというわけでもあるまい。

 だからおそらくは貴族。それは間違いないのだが。

 それからまた数日が過ぎ、試験期間の息抜きにと足を向けた聖堂で、再びあの音に遭遇した。

 前回とはまた違う。技巧に頼らない、本当に優れた者だけが出せるであろう最高品質の音色と、情感豊かに、決していやらしくはない洗練された美しさを奏でる聞いたことのないメロディーに、たちまち意識を奪われた。

 すぐに気が付いた。あの時の彼女だと。

 だからひそかに扉に手をかけ、今度こそその姿を確かめようと扉を開けたところで、今度は聞き知った、この国で最も有名な聖歌が奏でられ始めた。

 本来幾つもの音を重ね、パイプオルガンで演奏される曲だ。それを、サイズもあっていない小さな楽器でめくるめく幾つもの和音を奏でてゆく技巧と音の選び方が、紛れも無くその才能を確かなものであることを明らかにしていた。

 傾いた日射しの降り注ぐ中で、きらりきらりと揺れた、甘く儚げにくすんだピンクアッシュのブロンドが、(ほこり)のちらつく空を舞って、ゆったりとのせた情感にあわせて制服のリボンが軽やかに舞う。

 その真剣な眼差しは、開いた扉にも全く気が付く様子が無くて、ただチラリと寄越した視線の先でクスリと笑みを象るものだから、何だ、と思って彼女の視線の先を見たら、ふゆふゆと尻尾を揺らす、真っ黒な猫を見つけた。

 そうだ。確か前回も、猫の声がしていた。彼女の猫なのか。

『少しテンポアップしますよ?』

 そう猫に語りかけながら加えたアレンジは、もしかしたら本当に神に捧げるべきこの曲は元々こういう音色だったのだろうかと思わせるほどに、胸を締め上げる音色だった。

 驚いた。

 これは、もう……とんでもないものを見てしまったのではないかと思うほどに。

 思わず我も忘れて感嘆の吐息を溢してしまうほどに、ただただ聞き惚れた。

 だがその物音に気が付いたのか、スヤスヤと丸まっていたはずの黒猫の耳がピンと立ち、こちらを向いたのと同じくして、んっ? 首を傾げた少女の視線が投げかけられた。

 ふわりと舞った長い髪の下で、大きなシャンパンガーネットのような暁色の瞳が、白くて小さな顔の中で、ぱち、ぱちとゆっくりと大げさに上下して、はっと空気を飲み込んだ薄朱色の唇が、薄く開いて空気を()む。

『おっ……』

 ポツン、と零れ落ちた声色に、邪魔をするつもりはなかったのだが、と言葉を掛けたら、みるみる少女の頬が朱に染まった。

 まぁ大抵、どんな令嬢も自分を見れば同じような反応をする。チャンスか、好奇心か、怖いもの知らずか。およそ多くの人が自分に抱く感情は、自分ではない自分の肩書に対する関心だ。

 彼女もまたそうなのかと、思いのほか凡庸(ぼんよう)な反応だったことに感心の薄れる心地がしたものだけれど。

『ッ、しまっっ、たぁぁぁぁぁ!!』

 突然の叫び声に、びくんっ! と肩を揺らして驚嘆したら、あろうことか、猫を抱きかかえて逃げ出そうとするものだから、咄嗟(とっさ)に手を伸ばしてとっ捕まえてしまった。

 何だ。何なんだ、この反応。

 困惑に思わず手に力を込めたところで、はっと振り返ったその大きな瞳が、不覚にもどくんと胸を(うず)かせた。

 頬を真っ赤に、ぎゅっと口を引き結んで、全身で逃げ出したいと訴えてくるような顔に、思わず手を振り離す。

 あぁ、まさか……まさかこの自分がこんな、良くも知らないおかしな相手に。


 不覚にも……見惚れるだなんて。




「……あの音にあてられたか……」

 忘れ去られた弓に手を伸ばし、拾い上げる。

 少しの毛羽立ちもない、良く手入れされた弓。持ち手にあしらわれた象牙の装飾と繊細な紋様に、最高級のニスの艶めき。何なら王宮の宝物庫に有ってもおかしくないような品だ。

 さてどうしたものかと見やった先で、ベンチの上にヴァイオリンケースが放置されているのを見て、そちらに歩み寄る。

 この国で用いられるものとは少し違う、四角い木箱に繊細な彫刻を施したケースは純正アンブロシア産のケースだ。それに一つ一つのヴァイオリンの形にあわせて整えられたクッションと、最高級のベルベット。丁寧に整頓された手入れの道具を見ても、この楽器が持ち主にとても大切にされていたことがわかる。

 なのに弓を投げ出してゆくなんて。

 思考がそれ始めたところで、何度目とも知らない吐息を零した。

 何だろうか。このもやもやと気に入らない感じは。気分が悪い、と口にしながら、つい丁寧に弓を緩ませてケースにしまってやった。

 パタンと蓋を閉め、改めてケースを見やる。

 見やってすぐに……その彫刻の一角に刻まれた良く見知った紋章を見つけ、息を呑んだ。


 これは……どういうことなのか。

 どうして、こんな物がここにあるのだ。

 有り得ない。有り得るはずがない。

 十字と竪琴を刻んだ楯に、二羽の鷲と鷹。弓に、王冠……。


 見間違えるはずもない。

 これはこんなところに投げ出してしまっていいはずもない、とんでもない代物だ。


 王宮の宝物庫?

 否。これはそんな単純な話じゃない。


 一体あの子は、何者で。

 一体何処で、こんなものを……。

 何しろこれは。


「なぜこの学校の生徒が、“アンブロシア王家”の家紋などっ……」


 まったく、本当に……訳が分からない。




 その翌日、再び名簿を調べたけれど、やはりキリエなんて名前は見当たらなかった。

 ただ一つだけ……気になる名前は見つけた。

 スオウと知り合いで。ついでにアンブロシア王家とのつながりのある名前。

 リリ・クラウベル・アリストフォーゼ――。

 アンブロシア王国国王エドモンド三世の正妃エクレナ・ノーレ・フェイルゼン妃の姪にして、スオウ・ベイルズウォン・ルドルフセンのハトコ。このドレッセン王国でも決して無視できない、この国の、いや、この大陸全土のすべての神祇を司る辺境伯家の次女――。

 まさか……と、確かめるべく望んだ前期末の夏夜祭で、しかしユーシスはその場にリリ嬢も、そしてあのキリエとかいう少女も、見出すことはできなかった。


 そしてその夏。

 ヴァイオリンケースと放り出された弓は、ユーシスの手元で、ひと月を過ごすことになったのである。






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