2-21 音楽祭(2)
それから三十分ほどの休憩になった。
その間、貴賓席の御一行様は手前の貴賓室で軽い食事と飲み物を饗される昼餐会となったが、国王代理のユーシス以外の未成年は出席しなくてもいいとの事だったので、「アンコールの手慣らしをしておきたいので」と理由をつけ、音漏れしない地下の練習室に案内してもらって、そこに引き籠った。
当然、今更アンコール曲の練習なんてするはずも無く、このたまりにたまったフラストレーションを解消すべく、パガニーニの超絶技巧集、二十四の奇想曲を思いつく限り弾きまくった。
その様子はどうやら鬼気迫るものだったようで、「そろそろ時間ですよ」と呼びに来たはずの侍女さんが、何やら少し怖いものでも見るような顔をしていたのは、ただの気のせいだったに違いない。
ともあれ、おかげさまで少しすっきりとしたため、第二幕は心穏やかに聴くことができた。
元々リリも知っている曲ばかりだったし、むしろリリが構成した曲順だ。
うん? というかもう、この音楽祭自体、プロデュース、リリでいいんじゃない?
あぁ、だよね。そうだよね。だってこれ、“オープニング”なんだもんね。そのくらいの有り得ないことが有り得てもおかしくないか。
「神様に愛されてる、ねぇ……」
聖歌を主題とする演奏に、キリエがうっとりと尻尾を揺らしている。
まったく、人の気も知らないで。呑気なものだ。
やがて最後の曲への入れ替えが行なわれる段になって、おもむろにユーシスとオルネストが席を立つのを見て、パッとリリも慌てて立ち上がった。
そろそろ準備だろうか。
「キリエさんは、ここにいる?」
「んなぁ」
気分がいいのか、ハイでもウンでもなくただ喉を転がせて鳴いたキリエに、じゃあと振り返る。
するとすかさずユーシスがエスコートの手を差し出してくれたものだから、一瞬どきりと驚いて躊躇ってしまった。
でもその先でチラとこちらを見たオルネストを見た瞬間、あ、ここで断ったら絶対あちら様が出て来るな、と判断すると、ニコリと笑みを張り付けて、「有難うございます」と、王子様のお手を借りることにした。
まぁ実際、ベールで視界を覆われたまま、ちゃんと二人についていけるか不安なので、有難いに越したことはない。
「君は緊張とは無縁のようだな」
「それなりにはしていますよ。こんなに大きな舞台は流石に初めてですし」
ポツポツとそんな会話を交わしながら、階段を下り、一階の脇の扉から裏方へと向かう。
流石に外の日の入ってこない内廊下は、淡いランプの灯りだけで薄暗く、まるで映画で見たオペラ座の怪人の劇場のような雰囲気が、少し楽しい。
ただその道々に近衛がびしっと敬礼をしているせいで、そっちに緊張してしまいそうだ。
「この道、雰囲気あっていいですね」
「そんなことを言うのは君ぐらいだろうが」
「古い劇場って好きなんです。あ、窓がある」
隠し窓だぁ、と、嬉々として小さな小窓に顔を寄せようとしたところで、「迷子になるぞ」なんて言われたものだから、慌てて前を向いた。
「……殿下。いくらなんでも迷子はないんじゃないですか?」
「君はいつもふわふわふらふらとしていて、すぐどこかに行ってしまいそうだから、有り得なくはないかと」
「いやいや。一本道で」
それはないですよ、と言いかけたところで、楽屋と思しき扉と色とりどりに衣裳の押し詰まった雰囲気たっぷりの部屋に、また足が止まりかけた。
でも今度は指摘される前に、慌てて足を動かす。
「学習能力は高くなったようだな。前は二度三度言っても理解しなかった君が」
「あれ。もしかして顔見た瞬間二度、三度逃げ出そうとしたの、まだ根に持ってます?」
いやね、リリもあれは不味かったと反省しているよ。
顔見た瞬間、しまったぁ、で猛ダッシュだからね。しかもそれが気まずくて、二度目も三度目も何か逃げ出さないといけない気がしちゃったんだよ。学習していないわけじゃないんだよ。多分。
そうして道すがら他愛のない話をしていたら、ふとオルネストが振り返って、「君達、本当に仲がいいんだね」と言うからビックリした。
そんなに仲がいい態度だっただろうか? チクチクと嫌味を言われていただけな気がしないでもないのだが。
「リリはいつもカレッジではそんな風なのかな?」
「どういう意味です? お義兄様。あぁ、王太子殿下への不敬な態度につきましては、いつもです。すでに色々とやらかしまくっているので、今更取り繕う必要性はないかと」
「リリ、まったくその通りだが、そこは胸を張って言う所じゃない」
すかさずユーシスに突っ込まれたが、何しろその通りなので仕方がない。
「ふむ……全寮制という閉塞的な空間。それとも大人の目のない自由な生活。何が原因かな。興味深いね」
「いやー、なんでしょうね」
全寮制も大人も関係ありません。リリがうっかりしてうっかりしちゃったせいで、それに目を付けたユーシスさんの反撃っぷりが鬼畜生だっただけです。
「リリ。うちのエルディン殿下がドレッセン留学に興味があるそうなんだけど、リリのいるカレッジで受け入れてもらうというのはどうかな?」
「ディン様が? どうしたんです? 急に」
「リザが、アンブロシアにも義務教育機関を置くのはどうかと、頑張っている。殿下も興味があるようで、その視察がてらに、一度見てみたいそうなんだけど」
「へぇ。いいんじゃないですか?」
そう安直に答えたところで、クッ、とわずかにユーシスに腕を引っ張られた気がして、はっと顔をあげる。
顔色は少しも変わってはいないけれど。あれ。いや、もしかして。もしかしなくても。
「あ、いや、ちょ、待った!」
慌てて自分の言葉に待てを出す。
「待たないよ。もう言質はとったから。お聞きになりましたよね? 王太子殿下」
そうニコリと微笑まれたユーシスが、僅かに吐息を溢す。
「リリ……」
「いやいや、待ってくださいっ。私はただお好きにどうぞ、という感じの返答をしただけで、許可を出したわけではありませんから! そこはしっかりきっちり、ドレッセンの国王陛下あたりとご相談ください!」
「愛し子様の言質を取れたのは大きい」
「いやいやっ、だから、今の無し! 無しです!」
「いやぁ、殿下にいい土産が出来た。きっとお喜びになるだろうなぁ」
「くっ。あの懐っこいディン様の満面の笑みが想像できてしまって、取り消す罪悪感がすごいッ」
「何を惑わされている、リリ」
「殿下、後はお国の方でどうにかしていただけませんかね」
「お前……相手するのが面倒になったな?」
流石安定の殿下です。お見通しで。
「まぁ……いい。あちらの王位を継ぐかもしれない王子殿下が我が国に興味を持って下さるというのだ。悪い話でもない」
「そうですか?」
ならいいですけど、とか細く答えるリリに代わって、ユーシスの視線はそこの何を考えているのかいまいち掴み辛いオルネストを見やる。
「ところで、そんなことをして、貴殿に何か得が?」
「うーん……しいて言うなら、自分の事業に興味を持ってもらえたと、妻が喜ぶ」
「お姉様を出すだなんて卑怯な」
またポツリと呟いてみたけれど、二人にはあっさりと無視された。
「わかりました。私から国王陛下に、検討を要請してみます。ただし、愛し子様とやらが、許可を出したつもりはない。国王陛下の裁可に任せると言ったことについては、その通り、正確に陛下にご進言させていただきます」
「なるほど……流石は、と言ったところか」
侮れないねぇ、とオルネストがぼやいたところで、ちょうどわっと盛大な拍手と歓声が巻き起こり、最後の曲が終わったことが分かった。
舞台袖にはすでにアンコールを待って準備していたアンブロシア側のチェンバロ担当者さんと、いつぞやの茶会で一緒に演奏した渋いチェロ奏者のブレッケル卿がいて、どちらもすぐにユーシスがエスコートしてきた未成年の女性の姿に、ぎょっと驚いた顔をした。
「これは……まさか。リリ嬢でございますか?」
先に問うたのはブレッケルの方で、リリは忽ち顔をほころばせると、「お久しぶりです、ブレッケル卿」と挨拶した。
それにとても朗らかに微笑んだブレッケルは、一度低く腰を追って、最大の敬意を示す。
「予期せずこのような形で再びお嬢様と演奏する機会が得られましょうとは、驚きました。これは、楽しいアンコールになりそうです」
「私も、とても楽しみです。といっても、単調な伴奏では退屈かもしれませんが」
「いいえ。ただの追復曲がこれほどまでに美しい曲になるというのは、もはや奇跡です。まさに両国の和平と調和を象徴するような完璧な音楽。その土台を築かせていただくのですから、これ以上の幸福は有りません」
「それは……ハハハ」
リリの作曲ではなく、パッヘルベルさんの作曲だと皆が知っているのであれば、ですよね! と賛同して音楽談義に花開かせたいところだが、多分ブレッケルの様子を見ても、作曲リリって誤解してるよね。そこで、ですよねー! とかドヤっちゃうのはかなり痛い。
ついでに、別に和平がどうとか全く考えてなくて、ただの気分で弾いた曲だったんですが、とかも言いにくい。
あぁ、なんというジレンマ。
「えーっと。チェンバロの方は。確か夏に、ご一緒致しましたね」
生憎と名前は聞いていなかったはずだ。多分。
だから少し濁したところで、「覚えていただいており光栄です」と、無難な返事が返ってきた。
リハ無し即興合わせということでどうなるのか心配だったけれど、皆どこかしらで一度はリリと合わせたことのある人たちばかりだ。これなら何とかなるか。
そうほっとしながら、音合わせをしてくれていた楽団員さんからリリも自分のヴァイオリンを受け取って、軽く音を確かめる。
次いでにヴァイオリンを抑えても顔の布がかからないかの確認もしておいた。
うむ。大丈夫そうだ。ぐっじょぶ、お母様。
「準備はいいか?」
そう問われて差し出された手に、ハイと答えてユーシスの手に、手を重ね。
そこで、はたっ、と、もう片方の手に持たれているヴァイオリンを見て、目を瞬かせた。
全員合わせたことのある人達?
いや、まて。まてまてまて。
「あれ。殿下が……ヴァイオリン?」
「今更だな……」
実にその通りだが、いやだって、驚いた。
そういえばユーシスがピアノを弾く所は何度も見たけれど、ヴァイオリンは初めてだ。
一体どんな音なんだろう。
そうわくわくしていたら、少し嫌そうな顔をしたユーシスが、いつぞやのリリみたいに、「ピアノほどは弾けないから、多少は大目にみろよ」なんて言ったから、つい笑ってしまった。
何でも完璧みたいな顔をして、案外可愛らしいことを仰るではないか。
えぇえぇ。大目に見ますとも。リリのぐっだぐだなピアノを大目に見てもらいましたからね。
取りあえず、そうして緊張感の欠片も無く、挨拶を終えて戻ってきた楽団員さんたちが高揚感冷めやらぬ雰囲気で恭しく王子様方に低い一礼をするのに見送られながら、うきうきと舞台に踏み出す。
その明るい舞台に、一歩を踏み出した瞬間。
ぞわっと全身を駆け巡った懐かしい緊張感に、ハッと突如我に返って天井を見上げた。
高い天井。ただ歩いているだけでも、ただ呼吸を漏らすだけでも、静かに空気が震えて返ってくるような、この感覚。
眩いほどのシャンデリアが幾つも連なった舞台のほのかな煤の香りと、客席中からそそがれる、長い音楽の時間に高揚仕切った臨場感。
思わず足の止まったリリに、「今更緊張を思い出したか?」なんてユーシスが軽口を叩いたものだから、ふと傍らを見上げて、苦笑を溢した。
「ええ。でも、とってもいい感じの緊張感です。とても心地のいい、背筋が伸びる感じの」
「なるほど。だが君に本気になられたら、我々の拙さが目立って困る。ほどほどでいい」
「俄然やる気になりました」
「……君は」
まったく、とため息を吐かれながらも、しずしずと立ち位置まで向かい、エスコートの手を離れる。
どうやら一部の賓客を除いて、殿下方が舞台に上がることは知らされていなかったようで、客席は俄かに色めき立ち、熱狂がさらに高まっているようだった。
そんな中で、ポーンと、チェンバロ奏者さんが押した一音に、すっと観衆の声が消えてゆく。
同時にファーストのユーシスから順々に音取りをしていって、準備は完了だ。
あぁ。あれほどまでに恋い焦がれた、観衆溢れる舞台だ。
あの日、最後の日、演奏することのできなかった壮大なコンチェルトとはいかないけれど、まるで歴史の遺産のような心躍るオペラ座で、ぶっつけ本番という、何ともチャレンジャーすぎる即興の催しもの。
わくわくする。
生憎とベールで視界は悪いけれど、肌にじりじりと感じる気配が心地よい。
この感覚は、一体いつ振りだろう。
リリではない。凜々子の記憶が、覚えている。
舞台の上の、楽しい音楽の時間。緊張と焦燥と昂揚感と、そしてすべてを弾き切った瞬間にあふれんばかりに投げかけられた拍手と歓声の津波の快感を、今も鮮明に思い出せる。
チラ、と顔をあげたブレッケル卿が、皆を見回して様子を確認すると、一呼吸吸ってから、ゆったりと重低音の序奏を奏でだした。
ゆったりと雄大で、しっかりと弦の浮かない柔らかい音。最高の音だ。
それに乗せるようにして最初に音を加えたファーストヴァイオリンに、リリは思わずパッと顔をあげてユーシスを見やってしまった。
くそぅ、何がピアノ程じゃなくても大目にだ! 無茶苦茶上手いじゃないか、この野郎。
でも、チラリとこちらを見て少し挑発的に笑ったその人に、何やら嫌な気はせず、あぁまったくと苦笑しつつ、ヴァイオリンを構えた。
ゆったりと流れるような二小節。それに合わせるように、指先から弦の一本一本にまで神経を張り巡らせ、スッと弦に弓を乗せる。
舞台の前の反響板にぶつかった音が、丸く包み込むような音色になって返ってくる。
うぅーん、流石は国がお金を厭わずにかけて作った劇場だ。いい音をしていやがる。
そうして繰り返した二小節に、今度はサードヴァイオリンが加わって。その音を聞いてすぐ、またリリはパッとオルネストを見ることになった。
なんてこった。この音。もしかしなくても、例のアンブロシアの国宝、二百年物の名器じゃないですか! くそぅ。いいヴァイオリン持ってきやがって。
あぁ、楽しい。
これにチェンバロの、とてもクラシックなしゃがれた音が混じり、曲調は次第に華やかに。
同じ旋律を二小節遅れで繰り返すだけの掛け合いが、初めて合わせたとは思えないほどに綺麗に重なり、ファーストが最も華やかな主旋律を奏で始めたのを機にうっとりとしたため息が、何処からともなく零れ落ちた。
次いでセカンド。そしてサード。奏でる旋律の中に、伴奏に転じたところで、少し色を付けて音を弾ませてみせると、すぐに気が付いたブレッケルがニコと笑って少しばかり遊びに乗っかってくれた。
すかさずユーシスにはギロリと睨まれたけれど、なんだかんだ言って対比的にしっとりと音色を丸めた対応は中々に柔軟で、心地よかった。
それに合わせて音を丸めたところで、後を追うようにオルネストが音色を弾ませたのが絶妙なタイミングで、そうそう、と顔がほころぶ。
即興のいいところは、遊びがきく所だと思う。
念入りに何度も合わせて練習した曲ではなく、コンサートのアンコールで、手練れのプロ達が、日頃仲間内で遊んでいる曲を奏でてくれた時みたいな、少し適当なわくわく感。
ほんの数分で終わってしまうのがもったいないくらいに、いい音楽だった。
たっぷりと抒情的で、たっぷりと華やかで。
アレンジにトレモロをきかせてより華やかに最後の一音を奏で、一つ、二つと呼吸を置いたら、次の瞬間からチェロとサードがクルンと表情を変えたジークに突入する。
今度は一小節遅れでセカンド。そしてファースト。少しテンポの上がった軽やかなパッセージに、クルクルと指が回ると、何やら楽しく、かつちょっぴり物足りなくなってゆく。
わずか十小節の短いフレーズを、もう一度頭から繰り返す。
そしたら最後の十小節は、チェロとセカンドから。一呼吸おいて始まったセカンドからのスタートに、ニッとブレッケルを見やりながら、僅かに弦を弾ませ、自然と速度を上げてゆく。
すぐに気が付いたらしいブレッケルが応じたのと共に、すかさずサードが付いてくる。
どうですか、と伺ってみたファーストが、無駄にニコニコとした嫌そうな顔で乗って来て、徐々に徐々に速度が上がり、また十小節を繰り返す。
当然また出だしでリリが更に速度をあげた。
それに乗っかって来た二人も、ムキになったようにどんどんテンポが上がっていって、十小節の長さなんて微塵も感じない内にもターラタンッッ、と、弾みよく最後の音を弾き切ったところで、わっと溢れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
あぁ、足りない。
ちっとも足りない。
なんだろう、この無駄に溜まったフラストレーションは。
この、“焦り”は。
「リリ」
ぼうっと見上げたシャンデリア。弦に食い込んで離れない指先。
音楽の悪魔に魅入られたかのように、指先が動かない。
「リリ」
ふと手に触れた他人の感触に、はっとして隣を見たところで、すかさず弓が奪われた。
「あ」
「残念ながら、これは公務だ」
「あ、ふぁいっ」
唐突に現実に引き戻された感覚に、あわててヴァイオリンを下ろし、一礼をして見せる殿方たちに交じって、胸に手を当てて腰を落とす。
そのまますかさず視線の中にすっと差し出された手を見て、チラと顔を上げた。
どうやら舞台から下がる時は、オルネストがエスコートをしてくれるらしい。
うん、平等じゃないと駄目だもんね。行きはユーシス。帰りはオルネスト。
あれ。何か今頭に、『行きはよいよい、帰りは怖い』とかいう日本のメジャーな童謡が過ったぞ。
振り返ったらよくないことが起こりそうなので、舞台袖に入るなり、先に入ったユーシスの方にヒョンと飛んで行った。
だがお生憎と、飛んで行った先で、ガシリとそのユーシスさんに頭を鷲掴みにされた。
「いだいです。いだいですっ」
「くれぐれも、お手柔らかに願いたかったんだが? 作曲者殿……」
「ひぃっッ。すみませんっ。調子に乗りました!」
「中盤はまだいい。最後のあれは何だ」
「ひいっ。だってそんな感じだったでしょう? 殿下だってムキになって」
ギリギリ、と締め付けの強くなった頭への圧迫感に、再び「ひいぃっ!」情けない声を上げる。
「ハハハ。相変わらず、リリ嬢のおられる演奏は一筋縄ではいきませんなぁ」
そうニコニコとやってくるブレッケル卿は、真っ先にリリに乗った張本人なので同罪だ。
「何故皆、揃いにも揃ってリリに甘いんだ」
そう睨みを聴かせる王子様に、おっと、とブレッケルも肩をすくめたけれど、「いやぁ、ヒヤッとしたけど、無駄なやり遂げた感があるねぇ」なんてオルネストが擁護したものだから、意気揚々と頷きだした。
よし、味方は多いぞ。どうだ、こんちくしょう。
「リリ。君は反省しなさい」
「あい……」
ですよね。はい。
でも。でも何となぁく。
ねぇ、ユーシスさん。頭を指圧する掌が、何だか少しだけ、さよさよと。頭を撫でていませんか?
「あれ、もしかして結構楽しか……」
「黙りなさい」
「はぁい」
フイと粗放を向いてしまった王子様の表情は見えなかったけれど、何となくすっきりとした笑みが零れ落ちてしまった。
あぁあ。もっと。もっとこの時間が長く。ずっとずっと弾いていられたらよかったのに。
素晴らしい演奏でしたよ、と差し出されたヴァイオリンケースに、ちっとも喜ばしくなんてない心地を押し殺しながら、ヴァイオリンをおさめる。
たったの六分少々。実に短い、夢だった。
ハァと憂愁のため息を溢しながら、お仕事を終えたヴァイオリンをひと撫でし、ケースを閉じようとしたところで。
「ん?」
あれ。何か足りないような。
「ッ、殿下、弓! 弓返して下さいっ!」
うっかりと再び質に取られかけた弓に、慌てふためくことになった。




