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攻略難易度が高すぎて挫けそうです  作者: 灯月 更夜
第二章 好感度カプリチオーソ
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2-21 音楽祭(1)

 何やらそれからもしばらくユーシスとオルネストが笑顔のまま無言の応酬を繰り広げていたけれど、間もなく舞台にぞろぞろと楽団が出てくると、自然と皆会話を止めて、各々の席へと腰を下ろした。

 左から、父と、キリエを挟んでリリ。真ん中の席にはユーシスとオルネストが並んで、右に王妃様と、うちの母だ。

 間もなく舞台の方に、今回の百周年記念式典の主催者となるオペラ座の支配人が出てきて、よく通る声で、この劇場の歴史を交えながら、百周年を祝う口上(こうじょう)を述べた。

 それに続けて、実質この式典が今日から数日間にわたって催される条約更新調印式までの一連の儀式の初日に当たることから、この場で、招かれた来賓達の簡単な紹介が行なわれた。

 まずは貴賓席のオルネストと父の名が呼ばれ、それぞれが顔を見せると、客席から盛大な拍手が巻き起こる。

 次いで支配人は一つ一つのボックスごとに、今回の調印式に関わるであろうドレッセン側の貴族達の名と、引き続きアンブロシア側の賓客の名を読み上げてゆき、更にその他の諸外国から来ているらしい賓客たちも紹介された。

 その長々とした紹介が終わったところで、席を立ったユーシスが開会の祝辞を述べ、同じく席を立ったオルネストと握手を交わして見せると、割れんばかりの拍手に包まれた。

 まだ音楽祭も始まってないのに大層なことで、なんて冷めた心地でいたのは、きっとリリくらいなものだろう。

 つまらなさそうにしていたら、踵を返して席に着いたユーシスに、「案じずともこれで前座は終わりだ」と呟かれ、非常に気まずい思いをした。

 ベールがあるはずなのに、何故わかったのだろう……。


 ともあれ前座さえ終われば、あとはもうお待ちかねの、久しぶりの音楽漬けの至福の時間だ。

 一曲目は、ドレッセンの宮廷音楽団が演奏する渾身の交響曲。と言ってもそんなに長い演目ではなく、プログラムの予定では二十五分程の短い曲だ。

 楽器の種類が乏しいこの世界では今少し音の厚みが物足りないが、しかしおっとり優美な舞踏曲が多いドレッセンの曲にしては、豊かな表情の移り変わりを見せる曲調の付け方が新鮮で、折々のドンっとインパクトとキレのある調和音が癖になる、名曲だった。

 まだドレッセンの宮廷音楽では浸透の浅いはずの管楽器も用いており、弦だけでは出せないこれまでと違った華やかさもある。その旋律も、何やらハイドンの四十八番を聴いているかのような心地よさがあった。

「これ、聞いたことのない曲ですね」

 すっかり上機嫌でホロリと口から零れ落ちた言葉に、「気に入ったか?」と隣から言葉が返って来たので、チラリと隣を見る。

「ええ。もう少し音に肉付けしたくなりますが、これまでのドレッセンの音楽には無い挑戦があっていいですね」

「後ほどそこで指揮を振っているベンホーフト卿に直接言ってやると良い。彼の作曲だ」

「んっ?!」

 なんですって、と、思わず僅かに指先でベールを捲って舞台を凝視した。

 後ろ姿ではよく分からないけれど、はて。あそこで指揮を振っているのはもしかしなくても、リリが昔指導を受けたことのあるおじいちゃん先生だろうか。

「あっ。なるほど……」

 ハイドンっぽい。じゃなくて、ハイドンだ!

 いや、まったく同じというわけではないが、この曲の原型は間違いなく、リリが昔、作曲活動に精を出すベンホーフト師を見て、適当に記憶の中のメロディーを奏でて、こんな感じの作って下さい、と口を挟んで作ってもらった、あの曲だ。

 こういうインパクト音が好き、とか、ここで木管をばばーんと、とか、子供が生意気にもあれこれと口を挟んだ。

 それでいてベンホーフトも嫌な顔一つせず、面白がってピアノで旋律を弾いては、それはいい、それは駄目だと、あれこれ充実した音楽ライフを……。

「うわぁ……」

 恥ずかしい。私、何やってるんだろう。ていうかおじいちゃん、何やってるの!

「道理で。聴いたことがあると思ったら。卿が昔うちの娘と音室に籠って何やらやっていた曲ではないか?」

 ましてや逆隣で父がそうボソッと呟いたものだから驚いた。

 あまり家にいない父なのに、一体いつ聞いたのだろうか。びっくりだ。

「お父様。ベンホーフト先生、前宮廷楽士長だったんですって? 私この間初めて知って驚いたんですけれど」

「私が何か頼んだわけではない。君は覚えていないだろうが、小さな頃、教会でヴァイオリンを弾いていた君を見た卿が突然我が家に押しかけてきて、勝手に君の先生を名乗っていただけだ」

 ねぇほんとおじいちゃん、何やってんの?!

 いや、リリ的には存分に学ばせていただいて、楽しませてもらったから良いんだけど。

「確か先生、肩を痛めて演奏からは離れられたとか」

「宮廷楽士を使って作曲に邁進(まいしん)していたそうだ。今日指揮を振っているのは本人のたっての希望だな」

 殿下、よく止めなかったですね。おじいちゃん、何やらふらふらしてて、見ているこっちが怖いんですが。

 でも幸いにしておじいちゃん先生は倒れることも無く、最後まで雄弁と指揮を振り続け、会場は見事な熱気と歓声に包まれた。

 リリの目が思わず潤んだのは、曲の感想というか、今そこで肩の痛みも忘れて楽しそうに笑う師の姿にほっとしたからだろうか。


 それから楽団がごろっと雰囲気も恰好も違う一団へと入れ替わってゆく。

 次はアンブロシア側の協奏曲だったか。

 タイトルにはヴァイオリン協奏曲第一楽章としかなく、十五分たらずのとても短い曲だ。いや、第一楽章だけで十五分近く有るなら、長い方か?

 構成はあまり多くない。ほぼヴァイオリンという、少し珍しい構成な気がしないでもない……さてどんな曲かしら、と思っていたら。

 序盤からいきなり、小刻みにタラタラタラ、とはじまった不穏な音から一気に軽やかに、華やかに始まったロ短調の曲に、思わずガタンッとリリは腰を浮かせかけて静止した。

 間も無く繊細な音と情緒たっぷりの音色から技巧を駆使したヴァイオリンの独奏部が始まり、その旋律に、すぐそこでニヤニヤとしているオルネストを、振り返った。

「……ちょ」

「リリ? どうした」

「……っ」

 キョトリと両側でユーシスと父が目を瞬かせているのを見て、慌ててポスンと腰を下ろす。

 だが下ろしてすぐに、嫉妬してしまいそうなほどに美しい独奏の音色を耳にして、思わず顔を覆って俯いた。

「リリ?」

「……私の教えた曲です」

「何?」

「このあいだの夏、アンブロシアの楽士さん達に煽られて披露した私の……ッ。私ですらまだオケと合わせたことないのにッ」

「無事にリリの驚く顔を見られてよかった。リザには、絶対やめておけ、リリに口を聞いてもらえなくなるから、って言われたんだけど、うちの楽団が皆乗り気で」

「ええ。今無性にお義兄様とは喋りたくない気分です」

 むすっとして顔を伏せたリリに、オルネストはクスクスと笑うだけだった。


 あぁ。あぁ、嫌だ。嫌で嫌でたまらない。

 ベンホーフトのハイドンもどきはあんなにもわくわくして聞けたのに、なんというフラストレーション。

 今そこで奏でられているのは、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第二番ロ短調――ラ・カンパネラ。凜々子の世界ではリストのピアノバージョンの方が有名だったが、その原曲。まさに、協奏曲という名のソロヴァイオリンのためだけの曲だ。

 パガニーニの協奏曲といえば、とにかく超絶技巧だらけの、よく言えば面白い、悪く言えば悪魔的な曲で、凜々子も音大の入試課題曲だったこともあり気合を入れて弾きまくっていた。一番有名なのは第三楽章だが、凜々子はこの第一楽章が好きで、音高の文化祭で演奏したこともある。

 一方、凜々子を国内の大学ではなく海外の音楽院に進学させたかった母には、『コンクールが近いのに何してるの』と楽譜を取り上げられ、悔しさのあまり、初めて自力で譜面に起こした曲でもある。

 勿論、すでに暗譜しているのに譜面に起こすなんて無意味では?! と気が付いてすぐに止めたのだが、そのおかげで、凜々子が“リリ”になって最初に譜面に起こした協奏曲がこれだった。

 とはいえ、この時代からしたら未来的過ぎるくらいにぶっ飛んだ技巧が駆使されているので、ベンホーフトに見せた時には、『ヴァイオリン? ピアノの間違いじゃなくて?』と一笑に()された。

 そんな曲を、先日夏にアンブロシアを訪れた際、超絶技巧を披露するあちらのヴァイオリニストさんに競争心を懐き、思わず披露した。

 その時のヴァイオリニストさんが快く伴奏部分を買って出てくれたので、持ってきていた楽譜を引っ張り出して軽く合奏したのだが……まさかあの時、音を盗まれたのか。

 それで暗譜して自力で譜面に起こしたのだとしたら、すごいいい耳だ。

 いい耳だが……それがまた悔しい。

 あぁ。何でそんなに素敵に弾くんだ。あぁあぁ、また難しいフラジョレットをいい感じに響かせやがって。

 くそぅ。素敵だ。

 この曲は、パガニーニの書いた部分はヴァイオリンの独奏とヴァイオリンの伴奏部分しか残っておらず、戦前はヴァイオリンのみで演奏されていた。それを面白がって、文化祭の時も伴奏はヴァイオリンのみで演奏した。そのせいか、管楽器が足りない構成でもリリにはかなり聞き馴染みのある原曲に近い曲になっている。

 それがまた妙にリリの嫉妬心を煽るのだ。

 あぁ、嫌だ。それは“リリ”の音楽なのに。自分はこんなところで着飾って、座っている。あぁ、どうして自分がいる場所は、アソコではないのだろう。

 悔しい。もどかしい。たまらなく、イライラする。


「無償にヴァイオリンが弾きたくなってきました」

「やっぱり君にファーストを譲ろうか?」

 クスと笑うユーシスに、チラと顔を上げたリリは即答しそうになって、間もなくため息を吐いた。

「自分で楽譜を書いておいてなんですが……カノンはファーストもセカンドもサードも、ほとんど同じ旋律です」

「知っている」

 うん、だよね。

 ハァともう一度ため息を吐き、膝に肘を預ける不作法な格好のまま、チラ、と陰に隠れるようにして再びベールを捲ってみた。

 あぁ、あの少し焼けた肌にエスニック感満載のチリっとした黒髪と、あのおひげ。そしてあの整った顔立ちと、この美しい音色を台無しにする、プチポッチャリなポテッ腹。見覚えがある。あの時一緒に演奏したチェレスター卿だ。

 あぁいいなぁ。弾きたいなぁ。

 そう悶々とストレスを募らせたまま、最後まで見事に弾き切った演奏には、国境を問わない拍手と歓声が送られた。

 それが何やら無性に悔しい。


「ところでリリ。あの曲の譜面、うちの宮廷楽団できちんとリストに加えて管理したいんだけど。作曲者名とタイトルは何にしたらいいの?」

 クスクスと笑う余裕たっぷりのオルネストに、ムスリとしながら、リリは僅かに身を起こす。

 アンコールを受けた独奏者が、短い、有名なアンブロシアの曲を奏でている。ふんっ。こんなものか! なんてことは言わないけれど、曲自体が“この世界”の曲になったことで、少し立ち直った。

「曲名は『鐘』。作曲者名は、ニコロ・パガニーニさんにしてください」

「だからそれは一体誰だ」

 思わず隣でユーシスがぼやいたけれど、それについては聞き流しておいた。


 かくして音楽祭第一幕は、嬉しいやら悔しいやら、複雑な感じで幕を下ろしたのである。





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