1-4 エマ
それからも長雨は続き、リリが聖堂に通う頻度はどんどんと高くなった。
キリエも随分とその聖堂の寝心地が気に入ったのか、リリよりも先に聖堂にいることも増えて、もっぱら最近はキリエが観客だ。
でもそうやって一人で過ごせば過ごすほどに、他人への目がおろそかになるもので。
そんな自分にため息を吐いたのは、そろそろ長雨も開けようかという頃の事だった。
「どうしてあんな子が……」
「ほら、お姉様が副会長でいらっしゃるから」
「ノマ様はそれは早々いらっしゃらない才女でいらっしゃいますもの。でもだからって」
クスクス、クスクスクス、と密かに囁きあっては小馬鹿にしたような笑い声を溢す令嬢たちの会話に気が付いたのは、ただの偶然だった。
だがその偶然を耳に入れた瞬間、思わずはっと辺りを見回して、一人の人物の姿を探してまわった。
リリが座っていた席からはずっと離れて、一番後ろの隅の席に一人。
肩を小さくすくめて俯き、長い髪を垂らしたエマの姿。
はて……そういえば、入学した頃にはよく見かけて、時折会話なんかもしていたはずの彼女が、最近はちっとも遭遇しない。もしかして、席が遠くなってしまっていたせいだろうか。
「一番上の席から私達を見下ろして。さぞ良い気分なことでしょうね」
「何しろ“生徒会役員様”ですものね」
「ふふっ。滑稽ですこと。お姉様の“お情け”で、“雑用”に雇われただけなのに、勘違いしちゃって」
「惨めよねぇ」
クスクスッ、クスクスッと笑う彼女たちの声が聞こえたのか、カッと顔を染めて益々俯いたエマが、慌ただしく荷物を掴んで立ち上がろうとする。
きっと彼女は己の身を恥じて目立たぬ場所へと腰を下ろしたのだろうけれど、後ろに行くに従い黒板が見やすいようにと段なりになっているせいで、皆より視線が高くなってしまう。それを指摘されて、席を移るのだろう。
そんな必要なんてないのに、と、思わずリリも腰を浮かせて。
「エマ! 貴女まだ教室になんていたの?!」
ぱっと飛び込んできた明るくハキハキとした声色に、皆の視線が一斉に教室の後ろ扉を見やった。
貴族の令嬢にしては珍しく、肩の辺りで切り整えた短いストレートヘアと、理知的な瞳にぽうっと見惚れそうな勇ましい立ち姿。
思わず教室中の女の子たちが、「まぁっ、ノマ様よ!」「きゃあっ、ノマ様ぁ!」と猫なで声を出して身を乗り出した。
そんな令嬢達をチラリと見やった二学年先輩にあたるノマ・フランチェス・ウォールセン生徒会副会長は、「突然騒がせてごめんなさいね」と微笑んでみせると、ツカツカと教室に入ってきて、後ろでビクビクと小さくなっている妹へと歩み寄った。
「ほら、早くなさい。今日は放課後、前期末の夏夜祭の打ち合わせがあると言ったでしょう?」
「あ、あの……お姉様。私」
「うじうじしないの。庶務の仕事を引き受けたのは貴女なんだから、責任を持ちなさい」
「でも……」
決してノマの態度が高圧的なわけではないものの、気弱なエマはまともに言葉も紡げずにビクリビクリと小さくなってしまって、見ていて憐れなほどだった。
それを覗き見て、またひそひそ、クスクスと笑いあっている令嬢達のことが、エマも過剰に気にかかっているのだろう。今にも泣き出してしまいそうで、それを見やったリリは慌てて浮かしかけていた腰をパッと浮かせる。
「ノマ様。ごきげんよう」
本当なら関わり合いにならず小さくなっていたいくらいだったけれど、流石にここで見捨てるのは良心が傷む。
ほとんど咄嗟に口からついて出た言葉に、チラと視線を寄越したノマが、すぐにその顔を「あらっ」とほころばせると、胸に手を当てて、一つ、小さな会釈を送った。
「ごきげんよう、リリ様。そういえば、うちの妹とは同級でいらっしゃいましたね。これまでご挨拶にもお伺いせずに申し訳ありませんでしたわ」
上からで失礼いたしますわね、と言って丁寧に礼を尽くしてくれたノマとは、学校に入る前に、二度、三度ほど会ったことがある。
エマ同様、やはりウォールセン伯爵がうちに連れて来たことがあるためであり、そのお招きで、一度だけお茶会に赴いたこともあっただろうか。
テキパキハキハキとして何事もそつなくこなす上に社交的なノマは、素敵な方だとは思うものの、リリとは正反対みたいな人なので、そんなに親しくしていたわけではない。それでも一応家の関係上、声をかけるにはやぶさかではない人物ということだ。
そんなノマとエマの傍にゆったりと段を上がっていったリリは、ついでにチラリとエマの座っていた席の机に、課題途中の刺繍が置かれているのを見ると、それを取り上げる。
うぅん、流石はエマさん。刺繍の腕も素晴らしい。
「ノマ様。実は四限目、先生が少々無茶な課題を出しまして、皆終わらず、残って続きをやっていたんです。今日中に出すようにとの課題で」
「刺繍? あぁ……ウィンデル女史ね。そういえば私の時も、そんな無茶な課題ばかりだったわ」
ハァ、と頭を抱えたノマも、どうやらすぐに事情は察してくれたみたいだ。
「エマ、刺繍の続き。あとどのくらいで出来るの?」
「え? あ、えっと……急げば、三十分も、あれば」
「三十分……会議にはギリギリね。貴女にはむしろ会議前の準備を手伝ってもらいたかったのだけれど……仕方がないわ」
すぐにそう息を吐いたノマには、エマが驚いた顔を跳ね上げさせた。
「あ、あの。課題をやっても……?」
「何言ってるの、当然でしょう? 生徒会役員とはいえ、学業優先。いいえ。むしろこんなつまらないことで単位を落としたりしては、恥ずかしいわ」
チラ、とエマの視線がリリを窺ったものだから、その視線の意味はよく分からなかったのだけれど、取りあえずニコリと微笑んで見せた。
どうやら話は丸く収まってくれたらしい。
「でもエマ。今度からはそういうことは、ちゃんと連絡を入れなさい。無駄足を踏んだでしょう? 時間は有限なのよ」
「っ……」
「まぁまぁ、ノマ様。おかげで私は久しぶりにノマ様のお顔を拝見出来て、嬉しかったですよ」
そうぎゅっとエマの腕を掴みながら微笑んで見せたところで、「貴女という御方は相変わらず」と、ノマの顔も思わず綻んだ。
「ええ。今回は、リリ様のお顔に免じて大人しく引き下がることにしますわね」
「有難うございます、ノマ様。私が許可しますので、代わりにスオウ様を雑用に使って差し上げて下さい」
「貴女って……」
本当に、と何故か一つ頭を抱えてため息を吐いたノマは、やがて、まぁいいわ、と顔を上げた。
「ではエマ。少しでも急ぎなさいよ」
「はい……お姉様」
恭しく頭を下げるエマから颯爽と視線を外したノマは、「皆も、課題、頑張ってください」と声をかけながら、足早に教室を出て行った。
うーむ。相変わらず、なんと勇ましくていらっしゃるのか。
「ノマ様、ちっともお変わりないですね。確か一桁の年の頃から、あんなふうだった気が」
男だったらきっとモテモテですね、なんて言ったところで、エマがクス、とわずかに顔をほころばせたのを見てほっとした。
強張っていた顔が、今はいい具合に綻んでいる。
「はい、刺繍。とっても綺麗なノビタキね」
「有難うございます……私、ちっとも自分で言えなくて」
「ノマ様はとってもかっこいいんだけど、“圧”がすごいものね」
わかるわかる、と頷いて見せたら、エマが益々顔をほころばせた。
「あの……」
「はい?」
「……リリ様の隣で、続きをやってもいいですか?」
「勿論。あ。いえ、私がこっちにくるわね。エマは早く続きをやって」
そう肩を押して席に促したら、エマはほんのりと頬を染めて頷いた。
何だかわからないけれど、ちょっといいことをした気がする。気分が良い。
ついでに隣の席で、その刺繍の技を盗ませてもらおう。うん。そうしよう。
そう、そそくさと自分の席に戻って、上手くも下手くもない人並みな自分の刺繍を取り上げて。
はて。
そういえば……いつの間にエマってば、生徒会に入ってたのだろう、と、今更そんなことに気が付いて。
自分の迂闊さに、ため息を吐いた。
あぁたしかにこれじゃあ、友達なんてできるはずもないわよね、と。




