2-9 雑用報酬(1)
あの日から、ユーシスは毎日のように大量の書類を持ってきては書記室に入り浸った。
それはもう、下手に黙々と手伝いなんてするなじゃかったと後悔するくらい、毎日毎日。
王子様は、本当の本当に鬼畜だった。
でも気のせいだろうか。少しずつ書類が減って来て、しかもその処理にも段々と慣れてくると、余裕が出来るようになっていった。
「はい、本日分しゅーりょー」
ポンッ、と最後の一枚を書類の山においたところで、今日は空席のままの目の前の机で、ふわわぁとキリエが大きなあくびをかみ殺した。
堅い机で寝ていたせいか、髯に可笑しな寝癖が付いているのが可愛い。
「今日はとっても少なかったねー。生徒会長が来る前に終わっちゃった」
そうごっそりと片付けた書類を手に隣の部屋の扉を開けたところで、今日はガランとした生徒会室に残っていたラウルが、すぐに気が付いて駆け寄ってきた。
「お疲れ。今日もすごい量だな」
「いえいえ。昨日の三分の二にも満たないですよ。この一週間ですっかり落ち着きましたけど、何かあったんですか?」
まさかあまりの鬼畜ップリに反省して、ユーシスが気を使った、なんてことはないだろう。
うん。ないな。あの王子に限ってそれはない。
「いやいや、この数日が異様だったんだよ。書類をここに運んでいる俺が見てもどうかと思う量だったし……」
受け取った書類をテキパキ種類ごとに選別するラウルの様子を見ても、ただの脳筋さんではなく、ちゃんと殿下の補佐役なんだなと感心してしまった。
というか、いつもラウルがあの書類の山を作り上げていたのか……。
「そういえば生徒会館破損の件の事後処理書類がほとんどなくなっていました。それで減ったのかな」
「あ、あと宰相閣下がそろそろ視察から戻ってくるころだな」
なるほど。両方が同じ時期に片付いたわけか。
ということは、これからはもう雑用も増えないのではないか?
「あ、じゃあ私はまだやることが有るのでこれで! 殿下が会議から戻ったら、リリはもう帰った、って言っておいてください!」
「ん?」
やることが有るのに帰った? と首を傾げたラウルには、お願いします、と一つ手のひらを叩きあわせて拝んでおいた。
その見慣れない仕草に、「何のおまじない? アリストフォーゼ家の秘儀か何か?」と首を傾げたラウルに、「そんなもんです」と適当なことを言っておいた。
「ははぁん、つまり殿下にはヒミツでやりたいことが有るから協力しろってことね」
「い、いやいや、そんな大層なことではッ」
でも折角できたこの時間、しかも生徒会長が会議で留守となれば、バルトの資料整理の残りは今やるしかない。
これでようやく、あの中途半端に箱に詰まったままになっている書類の束が片付くのだ。
断固としてやり遂げてみせる。
「あんまり根を詰め過ぎないようにな」
「殿下が持ってくる先の見えない書類の山に比べたら、ものすごく可愛いものです」
思わずそう真顔で答えたら、はっはっはっ、と大笑いしたラウルが、おもむろにその大きな掌をリリの頭の上に乗せて、わしゃわしゃとかき回した。
さすがの押しつぶされそうな圧に、「わっ、わっ」と、肩をすくめたリリの髪をひとしきり撫でまわしたラウルが、「いかんいかんっ」と手を離してくれた時にはもう、すっかりとくしゃくしゃになっていた。
「もぅ……先輩ー」
「すまんっ、つい可愛がりたくなってなっ」
「可愛がってたんですか? これ」
そう手櫛で髪を整えるリリに、ラウルはふと口元をほころばせると、勿論、と頷いてみせた。
「いや、本当に。正直、この数日助かった」
「できればその言葉は先輩ではなくて殿下から聞きたいですね」
「いやまぁ、そうなんだが、そうじゃなくて」
珍しく歯切れの悪いラウルに、ん? とリリは首を傾げる。
「いや……本当に。姫さんが手伝ってくれて助かったよ」
「はぁ……」
「俺じゃあ殿下の書類の手伝いはできねぇし……殿下も、それでスオウ殿下でも頼ってくれりゃあいいんだが、そういうのができねぇ人だから。正直、姫さんを頼ったのには驚いた」
「え?」
言われてみれば……確かに。
バルトが書類整理に役に立たないというのは分かるが、スオウだったらその辺は上手くやってくれそうな気がする。
それにスオウだったら、リリと違って王太子業務の方の書類の手伝いだって出来たはず。
なのにどうしてスオウじゃなくて、リリを頼ったのだろう?
いや、リリを巻き込んだのは多分ただの嫌がらせだとして。どうしてスオウを頼らないのだろう?
従兄弟同士で、同じ王族血縁で。ユーシスを補佐するのに、それ以上の人材もいなかろうに。
「スオウ様に手伝ってもらったら、ものすごい見返りを要求される、とか? うん、ありそう……はっ。これはもしや、私も何かを要求するチャンスなのでは……」
「あー姫さん? 心の声がダダ漏れてるぞ?」
「はっ」
しまった、と顔をあげたところで、相変わらず人のよさそうなラウルはケラケラと笑うだけで、ちっとも害になりそうな雰囲気はなかった。
今更だけど、いい人だよなぁと思う。
波乱……うん。多分この人、波乱ルートの人だけどさ。
「じゃあまぁ、俺からのささやかなお礼ってことで。殿下が戻ったら、リリ嬢はもう寮に帰った、って、口裏合わせてやるからさ。それでいい?」
「ありがとうござます、ラウル先輩! では宜しくお願いします!」
これにて、髪ぐちゃぐちゃの件もちゃらです! と、ついうっかり額にビシリと敬礼をかましたリリに、また何やら首を傾げたラウルが、良く分からないまま同じ仕草で答えた。
その様になりすぎた敬礼には、これはやばいぞっ、と、リリも慌てて背中を向けて書記室に飛び込んだ。
そのままバタンと扉を閉めるや否や、ふぁあぁぁっ、と、頬を染めてしゃがみ込む。
「今度は何してるにゃ、リリ」
「や、やばいです、やばいですよ、キリエさんっ。美丈夫さんの敬礼です。敬礼なんです!」
「は?」
「あれで軍服とかだったらもう、吐血ものですっ。雑用報酬のレアスチル、いただいちゃいました!」
「リリ。それは多分、貰っちゃダメなレアスチルにゃ」
「あ、そっか!」
いかんいかん。浮気をするところだった。
うん、でもあれは良かった。今度は是非軍服でやっていただきたいと思う。
ないけどね! この国には!
さぁ、というわけで、今度はコチラです。
ずーるずーると机の傍まで引っ張ってきた大きな木箱に、この数日間手にしたくても手にできなかった書類の束を、ごっそりと持ち上げる。
「ビバ、やりたかったこと!」
そう取りあえず口にしてみたけれど。
「……ん。あれ? いや……別に、そういうわけじゃなかったはずなんだけど」
折角きれいになった実験室がぐちゃぐちゃになるのがもったいなくて、仕方なく始めた書類整理のはず。
なのにお預けを喰らいまくったから、無性にこの木箱の中が気になって気になって仕方が無かった。
これは何か? 洗脳か? 強制雑用スキル向上イベント?
「リリは、“やらなきゃ”を“やってやろうじゃない”に変換するのが得意にゃ。雑用ルートは案外リリに合ってたみたいにゃ」
「あれ。なんだかあんまり嬉しくないぞ?」
そうぼやきながらも、すっかりと書類の山が消えた机の上に、久しぶりの実験レポートをどっさり置いた。
この数日、先の見えない書類の山にばかり追われていたせいか、この雑多な紙束がものすごく可愛らしい量に見える。
あれ、これ。一日もあれば終るんじゃね? ってくらいに。
「こんなものに何日も手をかけていた自分が馬鹿みたいだよ。はは。見てよキリエ。この量。さっき片付けた書類の山の半分以下だよ?」
「すっかり王子ルートのオプションに毒されたみたいにゃ」
えぇえぇ、何とでも言うがいいさ。
最早今は無敵のリリ様の気分だ。
「よし。今日中にやってやろうじゃない」
そしたら明日は生ハムタワーでお祝いよ! なんて口にしたら、正直リリの未来より生ハムの方が大事であろうキリエが、目を輝かせて立ち上がった。
「リリ、集中力は増し増しで行くにゃ! 雑用スキルは王子攻略の必須にゃ! 頑張るにゃー!」
うん。なんか今ものすごく適当なことを吹き込まれている気がしないでもないが。
いいとも。宜しいとも。やってやろうじゃないか。
そうして書類に取り掛かったリリは、日が暮れるよりも前に、ついに念願の資料整理をやり遂げたのである。
清書を終えた最後の束のインクを乾かし、ラベルを張って、木箱に収め。
すっかりと人気のなくなった生徒会館の廊下を、ふらふらとよたつきながら横断し、久方ぶりの実験室へと持って入る。
爆発の件でバルトは謹慎させられているらしく、幸いにして今日はおかしな実験は行われていなかったけれど、なぜか部屋が散乱している。
謹慎中なはずなのに、何故だろう。
ひとまず木箱を降ろして、選り分けたレポートの内、ラベルを張った本の写しと思しきものをごっそり机の上に積み上げて、本棚におさめる作業から始めた。
今まではぐちゃぐちゃと詰め込まれているだけだったけれど、こうして製本された物を並べるのは、なかなかに気持ちがいい。
昔から、本棚なんかに楽譜がきちっ、ぴちっと並んでいるのを見るのが好きだった。
別にリリ自身は整理整頓が得意というわけではなかったが、父が細かい人で、リリがぐちゃぐちゃに引っ張り出したりすると、すぐに綺麗に整頓され直して元通りになっていた。
温厚な父が目くじらを立てて娘を怒鳴るのも、楽譜やレコードの並びをぐちゃぐちゃにした時だけだった気がする。
なんだか懐かしいな、なんて思いながら、一つ、一つと納めてゆく。
「あんなに整理整頓が苦手だったのに……ね」
思わず呟いた言葉に、おっと、と口を噤んだ。
昔のことを思うと、どうにも胸の奥がきゅんとして嫌な気持ちになるから、出来るだけ思い出さないようにしていたのに。
でも思い出してしまったものは仕方がない。
一つ、一つと分類して並べる指先に、じんわりと、父の大きな手が重なって見えた。
『別に、意味も無く綺麗に並んでいるわけではないんだよ、リリ』
好き勝手に楽譜を広げて見るも無残な惨状を齎した娘に、父は困った顔をしながらも、一つ一つ、これは誰それがどこで書いた曲。こっちは別の時代の誰々が同じどこそこで書いた曲、と、説明をしながら、どうしてその順番で並んでいるのかを教えてくれた。
『楽譜は言葉であり意思であり思いであり物語だ。それをあべこべに並べるなんて、先人達への冒涜。許されない事なんだよ』
正直父は気にし過ぎだと、凜々子は最後までそのこだわりを理解することはできなかったけれど、でも綺麗にぴっちりと書棚に納められた背表紙の眺めは、悪くなかった。
『ほら。気持ちいいだろ?』
すっかりと綺麗になった並びに、そう満足そうに微笑んだ父の顔が思い浮かんで。
思わずクスリと、口元が緩んだ。
「うん。綺麗。とっても気持ちいい」
最後の一つを、トン、と納めて。
すっきりと隙間なく納まった背表紙に、吐息が零れ落ちた。
この狭い部屋にぎっしりと詰まった紙の束は、何だか少しだけ、あの頃の凜々子の家のライブラリーにも似ている。
だからだろうか。眺めていると、何だか少しだけ切なくって。
メモ用紙を詰め込んだ木箱の蓋を閉ざすと、その上にポツンと座り込んで、ぼうっと書棚を見上げた。
紙と、インクと、少しの埃っぽさと、でも少しの真新しい木の匂いがして。
換気のために開けた窓からうっすらと入ってくる夕日が程よい薄暗さで、何やら少し、うとうととしてしまう。
「もう少し……もう少しだけ、長く生きてたら。理解、出来たかな」
もう少しだけ大人になっていたら、どうして父があんなにも綺麗な並びにこだわったのかも。その並びの美しさにも、共感できたのだろうか。
そしたら父とももう少しだけ違う会話を交わして。
ようやく理解したリリに、時々しか見せないちょっと子供っぽい顔で、『やっと分かったのか?』なんて笑ってくれただろうか。
それでまた。
それでもう一度。
それで。
それで……。
「パパ……」
きれいに並んだ背表紙はとっても綺麗で、心地よくて。
だけどとっても、切なかった。




