2-6 後片付け
ぼうっと見つめた生徒会館の入り口の『立ち入り禁止』の札に、まぁ、そりゃあそうだよな……と、立ちすくむ。
カンカン、コンコンと何処からかする工事の音は、破壊された開かずの間の修理の音だろう。
昨日の一件のせいで、貰いたてのティーカップでエマに美味しい紅茶を入れてもらう、という予定が露と消えた。
うむ。だがどうやらこの様子では、今日は生徒会活動は営業休止だな、と、踵を返そうとして。
「おい、お前! ちょうど良かった、こっちを手伝え!」
三階の窓から降ってきたリリを呼びとめる声に、思わず深い深いため息を溢した。
◇◇◇
「あぁ……一階のフロアに傷が。うぅぅ、まだ何かあの匂いがする気がする……あぁっ、美しい手すりに謎のシミがッ……」
行き交う工事の人達と、招集されたのであろうメイドさん達があたふたと奔走する中、立ち入り禁止の札を潜って入ってきたリリに、同じく駆り出されていたらしい寮のメイドのルーアさんが近づいてきた。
「慌ただしくて申し訳ありません、お嬢様。まだ片付けが済んでおりませんで」
「皆さんが片付けて下さったんですか? あの……」
うっ、と思い出してしまったリリの様子に、ルーアもクスクスと笑いながら、「今回のはまた中々に強烈でしたね」と口にした。
この様子を見る限り、もしかして慣れているのだろうか。
なんて憐れな。
「おい、早く上がってこい。資料の救出に手が足りない」
そう命じる先輩に、ハァ、と一つため息を吐く。
なんかもうその辺はメイドさん達にお願いしてほしいのだけれど。
「盛大にぶちまけてましたけど……無事な資料なんてあるんですか?」
「爆発に対処できるよう本棚には厳重な扉が付いているからな。まぁ悪魔の侵略は防げなかったようだが……」
そりゃあまぁ、あんなじめじめどろどろしたところ……密封された本棚の中とやらに茸の二三本生えていたって驚かない。どうせ窓も締め切りっぱなしだったのだろう。いっそもう、窓とか無いままでいいんじゃないだろうか。
「絶対無理やり払おうとしないで下さい。逆にカビが飛散して増殖しますよ」
「ふむ……こんなにも研究しがいのある物質だったとは」
「駄目です。駄目ですよ! こんなところでカビの研究とかはじめたら!」
お願いだから、この歴史の有りそうな素敵な建物でそんなことはじめないでほしい。切実に。
取りあえずルーアからエプロンを借りて身に付けてもらってから、ついでに髪もまとめて、手袋も借りてから、厳重体勢で三階に踏み込む。
さすがに例の物体は綺麗にふき取られていたが、傷がついてシミになった壁や飾りはどうしようもなかったのだろう。すっかりと切り取られて姿を消し、転落防止のロープが張ってあった。
復旧には時間がかかりそうだ。
そんな中をおそるおそると進んで中を窺ったところ、修理の工人であろう人達が窓枠を取り払っているところだった。
また割れないように小さくしようか……なんて頭を抱えている様子を見るに、どうやら窓が割れたのも一度や二度じゃない様子が見て取れる。
「あの」
そんな彼らに、無事な本を選り分けているバルトを無視して話しかけてみる。
「少し、提案してもいいですか?」
そう切り出したリリに、振り返った大工さん達が、チラリとリリの恰好を見て、ついでに襟元の生徒会のバッチを見ると、すぐにマスクを引き下げて、「何でしょう、お嬢様」と丁寧に腰を折る。
そう恭しくされても居心地が悪いのだが。
「この部屋、爆発被害を抑えるために窓を小さくしてありますよね?」
「はい。以前割れたガラスが外に降り注いで、大変なことになりましたので……殿下のお言いつけで」
あぁ……生徒会長さんも、苦労しているなぁと、聊か同情してしまう。
気持ちはものすごく分かるが、しかしそのせいでこの部屋がジメジメしてしまっては逆効果だ。
大体、ここは二階の給湯室の真上なのだ。元々湿気は溜まりやすいだろうし、ましてや食器棚の上がカビ部屋とか、絶対に嫌だ。
「今回の原因はカビなんです。元々本が多くてカビがたまりやすい環境に、さらに窓が小さくて換気が不十分になってしまったんでしょう。やはり窓は大きく取っていただきたいんです」
「ですが……万が一また何かありましたら……」
「ガラスではなくて、木製の窓なんてどうですか? 木材なら気密性も低くなりますし、湿度調節にもなります。破壊の衝撃も硝子より耐えられるかと。明かりは差しこみませんが、その分、自発的に窓を開けて換気をしてくれるようになるかもしれませんし」
「なるほど。確かに、窓だからと採光を取ることに捕われていましたが、木窓でしたら安心ですね。頑丈な素材で、しかし開け閉めしやすいように軽い造りにして、閂をかければ壁と同じほどの強度になるように蝶番には工夫をして……」
「おい、お前達。何を勝手に……」
「ついでに壁の本棚もすべて解体していただけますか?」
「おいおい、ちょっと待て!」
カビカビの本を抱きしめて文句を言おうとするバルトに、リリは遠慮なく、キッ! と鋭い視線を投げてよこす。
「本はただでさえカビが繁殖しやすいんです! それをさらに密封して湿度を高めるだなんて、そりゃあカビもキノコも生えますよ!」
「い、いや……キノコは、まだ」
たじたじとなっている様子を見ると、もしかしてキノコが生えそうな胞子でも発見したのだろうか。
これはもう、徹底的なてこ入れが必要と見た。
「バルトさん! こうなったらもう、徹底的に大掃除しますよ! 先輩だって、大切な資料や本がこのままでいいとは思ってませんよね?!」
「……う、うむ」
その視線がチラリチラリと傷痕を残したリリの手を見ているのに気が付いた。
なんだ。一応女の子の肌に怪我をさせたことについては、少し気にしているのだ。紳士なところもあるじゃないか。
まぁだからって、許しはしませんけどね。
「まずは部屋から荷物を全部出して、天日干しです。本も、他の部屋にカビをまき散らさないよう、しっかり包んでから運び出しましょう。実験機材や器具は私達が触って壊したりしたら困りますから、バルトさんが自分でやって下さい! あ、あとモルモットさんたちも、速やかに救出を! カビ部屋で飼育なんて、可哀想すぎます!」
「あ、あぁ」
「それが済んだら、エタノールと綺麗な布で、部屋中を消毒です。本は二重に詰めると奥の方とかにカビが生えやすいんです。だから通気性の良い素材で、薄目のものを備え付けてもらいましょう。本や資料は本棚に収まる範囲に整理して、残りは資料室に移動です!」
「まてまてっ。ここにあるのはすべて必要なっ」
「すべて必要なら、カビが繁殖するまで放置なんてされていませんよ!」
「う、うぬ……」
わかってくれたならいい。
「あとは、よく干した茶殻とか、塩、炒ったお米なんかも乾燥剤代わりになりますから、本棚の隅に置いたりして、ご自分でも管理するようにしてください」
「ほぅ……そうなのか?」
「ごく一般的な生活の知恵ですよ」
前世の家には防音室があって、防音用のカーペットと気密性の高い窓とで、結構な湿度だった。勿論楽器を守るための湿度調整器も空気清浄器もあったけれど、音高時代、楽器のためにこういう工夫をしてる、みたいな話は方々で聞いたことがあったから、それなりに覚えている。
勿論、お菓子の袋に入ってる謎のアレとかテレビで見たことのある湿気の多い日本家屋必須の謎の素材とかポンと出て来るならそれが一番いいが、この世界にそんなものがあるのかは良く分からないので、取りあえず手が出しやすいものを挙げてみただけである。
「そうと決まったら、作業開始です! バルトさんも、ご自分の研究室の事なんですから、ちゃんと働いてくださいよ!」
そうせっせと本棚に向かう後ろ姿に、ふむ、と首を傾げたバルトが何を考えていたのかについては、知るはずも無い。
それからせっせと本を包んで、明日から天日干しを始められるようにと働いたリリに、「そろそろおしまいにしましょう」とルーアが声をかけてくれたのは、もう日が暮れようかという頃だった。
綺麗に髪や服の埃を払ってもらって、「すぐにお湯の準備をしましょうね」というルーアと一緒に生徒会館を出たところで、「私も帰る」とバルトが付いてきたのにはびっくりした。
そういえばこの人も生徒会の一員。生徒会寮に部屋があるはずなのだと、思い出したのは、しばらくたってからだった。
ルーアも、「えっ、お帰りになるんですか?!」と驚いた声をあげていたから、多分寮に部屋があると言っても、ほとんどこっちで過ごしていたに違いない。
本当に、変な人だ。
そんな変な人に、何故か乾燥剤について知っているすべての情報を吐けとばかりに問い詰められながら寮に帰ると、そこは流石にルーアが、「何処まで付いてくるおつもりですか」と追い払ってくれた。
それからルーアが用意してくれたお湯で、さっぱりとお湯をいただいて。
部屋に戻ったところで、机の上に、『詫びだ』というメモと一緒に、少し大人っぽい素敵なドレスが置いてあるのを見て、びっくりした。
そういえばあの紫のどろどろのせいで、一着駄目にしたんだった……。
でもこれ。えーっとこれ。
「バルトさんが、選んだのかなぁ」
よりにもよって紫のドレスというのは……皮肉か? 狙ってるのか?
そう首を傾げるリリの隣で、真新しいドレスのすべらかな手触りに大興奮した我が家のお猫様が大暴れして、あっという間に猫の毛まみれにしたことについては……うん。まぁ、見なかったことにしようと思う。
変な人だけど。
多分、そんなに悪い人ではないんだよなぁ。




