2-5 ルート:大爆発(1)
夕暮れ時。午後四時半。
そろそろ日も短くなってきて、流石にこの時間は少し肌寒さがある。
先に寮に戻った皆に荷物をお願いしたリリは、一人、先程エマから受け取った誕生日プレゼントを手に、生徒会寮とは逆の、生徒会館を目指していた。
別に今日行かねばならない理由なんてないし、貰った生徒会館用のカップだって、今日置きに行く必要はちっともなかったのだけど。
でも少し。
何となく、少しだけ。
外出の届け出を出していなかった“その人”が、もしかしたら仕事をしているんじゃないか、なんて。
そんなことを思ってしまったり、しまわなかったりしたわけで。
別に、町で見繕ってきたジンジャークッキーがあまりにも美味しかったからおすそ分けに、とか、当然ちっとも思っていないわけで……。
「そうよ。これはアレよ、アレ。方向修正といいますか。イベントに攻略対象を選ばなかったのが不安で、ちょっと補正のために頑張っとこう的な。うん」
そうに違いない、と生徒会館を見上げる。
今日は祝日。学校は休みだから、建物の扉横にも灯りは入っていない。
カーテンも閉じていて人の気配はないけれど、かろうじてホールには壁面に灯りが入っていたから、誰かはいるはずだ。
取りあえず、ホール横のキッチンから二階の給湯室に上がって、貰ったばかりのカップをしまおうと、紙袋を置く。
丁寧に梱包された包みを解いて、流し台でさっと洗って水気を切ると、脇の生徒会役員用の食器棚を開けて、カップを置いた。
こうやって見ると実に色とりどり、個性あふれる食器類だ。
中には卒業した生徒会役員から譲り受けたものもあると言うが、無地の白ながら花が開くみたいな瀟洒な作りをしたスオウのカップにしても、淡くぼかした薄桃色の花を一つワンポイントにあしらったエマのカップにしても、あるいは極彩色の大ぶりな花に覆われた鮮やかなトリシアのカップにしても、どれも皆もっともらしい個性にあふれている。
はて。そういえば、この一番上の、紺一色に、内側の上部に金の唐草を施した、シンプルなのに無駄に素敵なカップは、生徒会長さんのカップではなかっただろうか。
もしかして、上にはいないのだろうか。
「いや、別にいならいないでも何の問題もないですけど。私はただ、自分のティーカップをここに並べに来ただけであって」
一体誰に言い訳しているんだ、と自分で自分に突っ込みつつ、何やらため息が込み上がってきたので、思うままに息を吐きながら、開いていたスペースに自分のカップを置いた。
うん。周りのカップにも負けず劣らず、むしろ一番素敵だと思う。
早速明日、これでエマに美味しい紅茶を入れてもらおう。
そう思いながら、パタン、と食器棚の扉を閉めて。
さぁ……どうしようか。
折角だから、いないにしても、ちょっとだけ上を覗いてみようか、なんて、何となくそちらの方を見上げたら。
何故だろう。
何処からともなく、ドン、ドカン、ドゴ、ガッシャーン!! バリバリバリッ、と、凄まじい破壊音が響き渡って、まるで地震のような揺れた体に伝わった。
これは流石に予想外過ぎて、流石に「うきゃぁぁぁ!」と声を張り上げて、その場に膝をついてしまった。
何? 何の音だ?
ぐわん。ぐわんっ、と揺れた浮遊感と、でも間もなく、シンッと静まり返った建物と。
もしかして今、地震が起きた? なんて目をぱちくりさせながら、再び恐る恐ると上を見上げた。
地震なら下か外を見るべきなのだろうが……何故だろう。不思議と視線が、上に吸い寄せられた。
それも、真上に。
「な、何? 何今の。ほんと、何っ?」
さっと冷めあがった顔で、きょろ、きょろとあたりを見回す。
幸いにして、食器棚の中から割れる音はしなかったから、カップは大丈夫だと思う。
でも今しがたこの耳に届いた音は、確かに硝子とかそういうのが割れる音だった気がする。
で、音は多分……上、から。
「もしかして……誰もいない生徒会で、生徒会長が暴れている、とか……」
いやいやまさか。そんなはず……と思いつつも、おそるおそると給湯室を出た。
覗き込んでみても、一階には何ら変化が無い。
じゃあやっぱり上だろうか、と、階段の上を見たところで、ガンッッ、ガコンッ!! と、吹き抜けのホールに向かって、三階から何かが降ってきた。
それはもうすごい勢いで。二階にいるリリの目の前を、ヒュンッ、と、木の板みたいなものがまっさかさまに落ちて行った。
「ッ……」
何これ。ねぇ、本当、何?
でも取りあえず、生徒会室からではない。
ここの上は確か……そう。以前、スオウに生徒会館の間取りを簡単に教えてもらった時に、言われた気がする。
三階には、中央奥に生徒会室。そこから真ん中の吹き抜けのホールに面する形でぐるりと廊下が廻っていて、左右に二部屋ずつある。で、生徒会室からの内扉を備えた左手の部屋が、書記室。隣が監督委員室。一方で右手については……。
『生徒会室の右手の扉の先は元々議長室だったんだけど、今はわけあって風紀委員室になっている』
そう。元々議長室だったはずなのに、風紀委員室になったとかいう部屋と。そしてその隣の、何の説明も受けなかった謎の部屋。
間違いない。物が落ちてきたのはその部屋からで、先程の爆発音もやっぱり、その部屋からだ。
そしてその“大爆発”に……何故か、ものすごい心当たりがある気がする。
『雑用、束縛、波乱、調教、大爆発。どれにするにゃ?』
いつぞやキリエさんが言ってた言葉が、頭の中でループした。
雑用はユーシスルートのオプションだということが判明している。後はどれがどれだかわからないが、取りあえず一番直接的にやばそうなのが、大爆発。
そしてそんなものを引き起こすとしたら……。
「生徒会風紀委員長……さん?」
いわゆる攻略対象の一人であり、しかし今なおリリとはまだ一度も面識のない、その人なのではなかろうか。
公式HPでもヤバイ奴扱いだったから、出来れば関わり合いにはなりたくないと思っている。だとしたらここは何も聞かなかった、何も見なかったことにして、大人しく出て行くべきなのではなかろうか。
いや……でも今の音。絶対何か壊れたよね? 窓ガラス、吹き飛んでるよね……? とか思わなくもないわけで。
それを無視して平然と生徒会寮に戻ったところで、呑気に皆と顔を突き合わせて笑って夕飯を取れる気はしない。全くしない。
どうしよう。
でも。うーん、でも。
「……よし。見なかったことにしよう」
何も知らなかったふりを頑張ることにしよう。その方が絶対に楽だ。そうに違いない、と確信し、周りから一切視覚と聴覚を遮断して、一階に降りる階段を目指そうと歩き出した。
だが当然、そうは問屋が卸さないわけで。
「ふざけるなッ! 私の泊まり込み一ヶ月の成果をどうしてくれる、このカビどもめ!」
廊下の手すりから身を乗り出して、吹き抜けのホールに向かって吐き出された大音量の叫び声。
それはもう、いかに意識を遮断しようとも思わずビックリして視線を寄越してしまうほどの勢いで。
そして当然ながら……。
「……あ」
「……」
「……」
「……」
まわれー……みぎー……。
「おい、お前!」
はい。見つかりました。
「えー、あのー。誰もいません。何も見てません。何も聞いてません」
「下に吹き飛んだ扉を回収してこい! 至急だ!」
「えぇー……」
おいおい。さっき降って来たのは扉だったのかよ。通りで凄まじい音がしたわけだ。
ていうか、いたいげな少女をひっ捕まえて、ドアを拾って来いって。無理だよ。普通に。ねぇ。
「それからカビの駆除だ! 箒! 箒は何処だ!」
あのぅ。カビは箒じゃ駆除できないと思うんですよ。
「おいお前! 今すぐ箒を探せ!」
「それを言うなら、取りあえず雑巾かエタノールじゃないですかね」
「何っ。お前にはこの厄介な悪魔と対峙する術があるのか! よし、気に入った!」
「えー……」
「特別に私の研究室に立ち入る許可を与えてやる! 五分以内に割れたガラスと扉の処理、ならびにカビの駆除に協力しろ! いいか、今すぐに。迅速にだ!」
いや。私は別にお掃除婦とかメイドさんとかじゃないわけでして。大体、前世の知識で、冬場の結露に困って調べたカビ撃退方法も、家庭用洗剤とかそこらへんの薬局で手に入るエタノールあってこその方法なのであって、当然、この世界でそれが通用するのかどうかなんて存じていない。どうしようもない。
悪魔退治は専門外なんです。マジで。
「あのー。というか今の爆発は一体……」
「いかんっ! 薬品が倒れたままだ! お前、急げ! 早く片付けねば、また爆発するぞ!」
おい待て。そんなところ、近付きたくないよ! 全力で!
いやだが、また爆発とかされて、下の階の給湯室に被害が出たら困る。本気で困る。
折角エマから素敵なカップをプレゼントされたばかりなのに、割れたら目も当てられない。
どっちだ? どっちを選ぶべきなんだ?
①全速力で逃げ出す。
②大人しく危険物の処理に当たる。
いや、ここでの選択肢は圧倒的に①なんだけど、でもエマさんの好感度を下げたくない私は全力で②を遂行することにします。
えぇえぇ。それはもう。エマちゃんのために!
と、取りあえずお出かけ用のドレスの裾をたくし上げ、グッと腕まくりをすると、給湯室のロッカーから箒と雑巾を引っ掴んで、バケツに水をためて、三階へと飛び込んだ。
どうか爆発しませんように。
「薬品の種類はなんですか?!」
「エルルパラリチレンとルルビナマルプギナにアプナリスの球根を……いやっ、これ以上は秘匿情報だ! 聞き出そうなど百年早いわ、馬鹿者め!」
える、るるるる……えっと。何? うん。ちっとも使えなかった。
えぇい、こうなったら一か八かだ。
取りあえずドンと飛び込んでみたところで、ものすごい酸っぱいような甘ったるいような謎の匂いが鼻腔をついて、思わずうっっ! と鼻を塞いだ。
目眩がしそうな匂いだ。
「とにかく換気っ……は、してるか……」
窓、割れてるんだった。えぇえぇ。それはもう盛大に、元からそんなもの無かったかのように滅裂に。
あとはもう、見渡す限り本、本、本。床やらソファーの上にまでこれでもかというほどに積み上がった謎の書類と、適当に机をくっつけまくったのであろう広々とした作業台の、怪しい器具たち。ゴポゴポとなぞの泡を吹きだしている壺と、部屋隅でキーキー金切声をあげている憐れなモルモット達は取りあえず見なかったことにしておいて……まずはこの床に散らばっている紫色のどろっとした液体から……。
「嫌だッ。何かこれ、全力で触りたくない!」
なんでぬめってんの?! その机の上でウネウネしてる植物、それ何?! 触ったらかぶれる系じゃない? 麻痺とか。毒とか。絶対あるよね?!
「バルトさん! ご自分でやらかしたんですから、床は自分で拭いてください!」
取りあえずそう全力で、手にしていた雑巾を、植物救出に奔走している男に突き出してみる。
すらりとした長身に、ガリガリと不健康そうな骨っぽい体躯。ごっそりと伸びたぼさぼさの前髪と、明かりも入っていない部屋の中で一層気味悪さを増すような烏羽色の髪。多分制服であろうが原型をいささか見失った格好に、よれよれの汚れた白衣。
だが雑巾を突きつけた先で、ふっとこちらを見下ろした緩慢な視線に、思わずドキリと息を呑んだ。
薄暗闇の中で、僅かに注いだ夕日が逆光となって影を落とす。
その長い前髪の下でこちらを見下ろした瞳。
真っ白な肌の中にぼうっとうかぶその瞳だけが、妙に気迫を持っているようで、目が離せなかった。
なんて美しい、アメジストの瞳。
思わず、手を伸ばしたくなるような……。
「おい。お前」
「っえ。あ、はい! 何でしょうかっ」
「名前」
「はい?」
名前? あぁ、名乗れってこと? ていうか、一応私も生徒会役員なのに。
「えーっと。私は……」
「私の名前」
「ん?」
わたしの? んん?
「あ、そっか」
そういえば先程、思わず彼の名を呼んだ気がする。
何しろ事前知識として、宰相閣下のご子息、バルト・ミルディフ・スヘンデル侯爵令息の名前は知っている。だからつい咄嗟に口からついて出ただけなのだが。はて、どうしたものか。
いや、そもそも同じ生徒会役員なのだ。知っていたって、問題なくないか?
「私、先日生徒会第二書記となりました、リリといいます。なので他の役員さん達の名前くらい知ってますよ」
そう口にしたところで、何故かまたキョトンとした顔をされたから、同じように首を傾げてみた。
何が言いたいのだろう。名前を知っているのがそんなに変なのだろうか。
それとも名前、間違っていただろうか?
バルト。バルトさん。バルト・ミルディフ・スヘンデルさん。生憎宰相さんの名前は覚えてないけど、確かバジルとかバゼルとか、そんな感じだった気がする。名前似てるし。もしかしてお父さんと間違えた?
なんて考えてみたところで、あれ? と、何やら気が付きそうな違和感を覚えた。
そういえば自分は彼の事を、“何”と呼んだだろうか。
「バル……ト、さん」
「あぁ」
「……」
あ。うん、これか。
先輩で、しかも侯爵閣下のご子息に、いきなりバルトさんはない。うん、ない。
こちらの常識的に言うと、スヘンデル卿とか? せめて、バルト様? いや、先輩でいいかな? 今更だが、言い直した方が良いだろうか。いや、なんかこう、聞き間違え的な感じでどうにかならないだろうか。うん。そうだ。そうしよう。
「えーっと。それでですね、先輩。二度目の爆発が起こる前に、ご自分でその床を……」
「おい、これはどういうことだ! バルト!」
取りあえず何事も無かったかのように流そうとしたところで、階下から通りの良い声がまっすぐと飛び込んできて、あっ、と、思わず廊下の手すりにしがみつき、階下を覗き込んだ。
覗き込んですぐに、いやまて、ここはひっそり隠れて知らんぷりするべきだった! と激しく後悔したのだが、もう遅い。
ばっちりと目があった先で、休日でも相変わらず制服を着こんでいらっしゃる生徒会長様が、明らかに深く眉間のしわを深くして、今にも舌打ちをしそうなお顔で睨み上げて下さった。
くそう。何故このタイミング!
「リリ嬢。何が起こっているのか、速やかな説明を求める」
「え、えーっと。いやぁー。何なんでしょうねー。えー……」
「おい、バルト! いるのは分かっている。大人しく出てこい! この惨状は何事だ! お前、今度は何をしている!」
うんそうそう。怒るならソッチにお願いしますよ、と、恐る恐る振り返ったところで。
何故か箒を手に、躊躇いも無く紫色のドロドロに向かって、ドボドボドボと何かの液体を垂らし、べちゃっ、と箒を浸したその人に、「なんでぇぇ?!」と絶叫してしまった。
それはない。絶対ない!
おかげさまで、もう二度とその箒は使い物にならなくなった。
なのに躊躇いも無く突っ込めるその精神が理解できない。
「おいお前、急げ! アイツが昇って来る前に早く塵取りを……」
「いやいやいやっ。絶対嫌ですからっ! ていうかそれより床ッ、床ッ、床ッ! なんかぶくぶくいい始めてッ」
そしてその言葉が最後まで忠告を終える前に。
バルト閣下の実験室は、二度目の爆発をしたのであった。




