2-1 生徒会寮の朝
ふるると震えた肌寒さに、ゴソリと身じろいで布団にもぐる。
無意識にさすった薄い寝間着ごしの冷たい肩に、うぅぅっ、と縮こまって暖を求める。
やがて彷徨い続けた手は、布団の中の毛布のように心地よい温かい塊に吸い寄せられると、逃がすものかとそれを鷲掴む。が。
「んにゃぁぁっ!」
唐突な反撃を喰らい、「うぐっっ」とお腹をよじって目を開く。
眼前で髯をおったて、きしゃーっ、と威嚇している真っ黒なモフモフは、自称神様のお使いのキリエさんだ。
どうやら湯たんぽの正体はうちのお猫様だったらしい。
どおりで。温いはずだ。
「……さむっ」
いい加減、薄物の寝間着は駄目だったか、と、キリエの代わりに布団をひっぱり上げながら身を起すと、ふぁぁぁ、と大きく欠伸を溢しながら、しばしばとする目で見慣れない部屋を見渡した。
立派な天蓋。
ダマスク風の薄桃色の壁と、ふっかふかの絨毯。
灯りの消えたシャンデリア。
壁の見知らぬ立派な絵画と、重厚な色合いと繊細な彫刻のワードローブ。
まだまだ薄暗い広々とした情景を映し出す大きな窓に、ふわりと注ぎ込んでくる寒気。
今日から綿月。
かつての日本の気候に照らし合わせるなら、十一月といったところだろうか。
でも空気が乾燥している上に日本より涼しい気候のこの国では、朝冷えが強い。
その肌寒さにぼぅっとしていたら、ちょうどコンコンコンコンと扉を叩く音がした。
はて。まだ朝も明けきらないというのに、誰だろうか。
リリの膝の上で丸くなったキリエがクシュンとくしゃみをするのを聞きながら、あぁ、そうだ。ここは生徒会寮だ、と、昨日引っ越したばかりなのを思い出していたら、返事を待たずに扉が開いて、お姉さんが顔をのぞかせた。
ブラウンの髪をひっ詰めた白と黒のお仕着せのその女性は、確か昨日寮を案内してくれた、メイドのルーアさんだ。
「おはようございます、リリお嬢様。お目覚めでございましたか?」
「……はい。おはようございます」
まだ少しぼんやりした頭でそう答えたら、クスクスと笑いながら部屋に入ってきたルーアが、ベッド横にカートを止めて、ベッドの天蓋を括ってくれた。
薄暗いと思っていたけれど、そういえば今度のリリの部屋は朝日が差し込まない方角。もしかして、思ったよりも時間が過ぎているのだろうか。
「生徒会寮では朝の起床の鐘が鳴らず、遠くから聞こえる程度ですから、途中から入寮された方は遅刻なさることも多いのです。なので今朝は早めに参ったのですが、ちょうど宜しかったようですね」
「……あ。そうか。鐘」
毎日同じ時間に起こされて、すでに起きる時間は習慣として身に着いてはいたけれど、一つの時間の目安としての鐘が聞こえないのは確かに少し不便だ。
「寒くなってまいりましたから、洗面水にはお湯をお持ちしました」
てきぱきと窓のカーテンを開けたルーアに、ちょうどうっすらと白んだ朝日の欠片が入り込んできて、頭がはっきりしてきた。
ゴォン、ゴォン、と、遠くでかすかに鐘の音がする。
多分、一般寮の方で鳴っている音が、少し敷地の離れたこの寮にまでかすかに響いているのだろう。目覚まし代わりには到底ならない程度の音だった。
「有難うございます、ルーアさん」
「ルーアとお呼びください、お嬢様」
うーん。年上のお姉さんをいきなり呼び捨ては、なかなかにハードルが高いのだが……善処しよう。
しかもわざわざお湯を沸かして、朝から洗面用のお湯を届けてくれるなんて待遇良すぎだ。洗面室などは共用なはずだけど、このサーヴィスはさすが生徒会寮といったところか。
「今朝は朝食に、ジャガイモのキッシュとカボチャのスコーンを焼いております。どちらに致しますか?」
え。朝食って選べるの? 何それ贅沢。
「じゃあ、キッシュ」
「かしこまりました。他に何かお手伝いすることはございますか?」
「えーっと……」
身支度は元々メイドさんの手間を煩わせずとも一人でできるし、お湯を運んでもらった以上、設備面で困ることも特にない。食堂の場所は昨日の内に確認済みだし、元々単純な作りのこの寮内で迷子になる心配も一切ない。
「大丈夫。問題ないです」
「それでは失礼いたします。何かありましたらまたお声かけください」
わざわざ寒そうな格好のリリの肩にブランケットをかけながらそう言ったルーアは、なんとも気の利くお姉さんで、去り際、「今宵は厚手の寝間着をご用意しておきましょうね」なんて言われてしまった。
うん。さすがに半袖薄地はもう駄目だよねと思う。
◇◇◇
身支度を終えて部屋を出ると、まずはざっと建物を横に貫く廊下を見渡した。
昨日は片付けだけで一日使って、まだ寮内の設備諸々はよく分かっていないのだが、この真ん中の長い廊下を隔てて両側に部屋が連なる、単純な構造であるらしいことは、受け取った見取り図で確認してあった。
正面に吹き抜けのホールがあって、一階は中央にホールと、左右に食堂や会議室と三部屋ずつ。二階にも同じく左右三部屋ずつと、中央にもう一部屋。他にも細々とした部屋があるらしい。あとは半地下にキッチンや使用人室、寮監事務室に、寮生用の娯楽室や音楽室などなど、色んな設備もあるらしいが、そこはおいおい確認しようと思う。
リリの部屋は二階で、玄関ホール右手の主階段を上ってすぐ右側。部屋の右にも小階段があって、外へ出かけるなら主階段だが、食堂なら小階段からが近い。
だからこっちかな、と右手に折れたところで、ちょうど小階段を挟んで隣の部屋の扉が開いて、トリシアが顔を出した。
「あっ。おはようございます、先輩」
慌てて背筋を伸ばしてペコリとお辞儀をしてみたところで、しかし中々返事が無いものだから、ん? と首を傾げながら顔を上げたところで、トリシアの顔が未だにボーっとしていることに気が付いた。
意外だ……。どうやら朝には弱いらしい。
「あのー。トリシアさん?」
「……え? あっ、何? 起きてるわよ?」
えぇ。分かっていますけど。
「おはようございます」
取りあえずもう一度そう挨拶してみたところで、ようやく覚醒してきたのか、「おはよう、リリさん」と、ちゃんとした挨拶が返ってきた。
いや。まだちょっと目の焦点はあっていない気がするけれど。
「隣、先輩のお部屋だったんですね」
取りあえずそう駆け寄ってみたところで、チラリとトリシアの視線がリリの部屋の方を向いた。
「あぁ。貴女の部屋、そこなのね」
「見取り図は頂いたんですが、何処が誰の部屋とかは書いてなかったので」
「私の部屋の向かいは空室。貴女の部屋の前は洗面室や守衛室の類があって、すぐそちらの真ん中向かいが王太子殿下のお部屋よ」
「……」
それは……あんまり聞きたくなかったよ。
「その奥がスオウ殿下。一階も二階も、大体中央を挟んで南棟と西棟が女子。東棟と北棟が男子。とはいえ仕切りはなくて、廊下も一本道だから、くれぐれもはしたない恰好でお部屋を出たりなさらないように気を付けるのよ」
「あ、はいっ」
朝から長々と何事かと思ったが、どうやらご親切に寮生活の心得を教えて下さっていたらしい。
「食堂は貴女のお部屋の下……というのは、昨夜確認済みね」
いつの間にやら足取りもしっかりしたトリシアが階段を下りて行くのに続いて下りたところで、ちょうど小階段の向かいの部屋から、エマが顔を出した。
「おはようございます、リリ様、トリシア様」
「おはよう、エマ。今から?」
「はい」
肩をすくめて微笑むエマは、トリシアと奇妙な会話をすると、「また後ほど」と、何故かすぐ傍の食堂ではなく、廊下の端。斜め向かいの、トリシアの部屋の下に位置する場所へと向かう。
その様子にリリが首を傾げていたら、「あそこはノマ副会長のお部屋よ」と言われた。
なるほど。エマのお姉様の部屋なわけだ。とはいえ何故エマの部屋に行くのか。
「おそらくこの寮で一番朝が苦手なのはノマ副会長なのよ。エマさんがいらしてから随分とよくなったけれど」
「……なるほど」
意外だ。あの才女として名高いノマ様が低血圧だなんて。
ひとまずトリシアに続いて食堂の扉を潜ったところで、すでにスオウとディーンが食事をとっていて、リリが顔を出すや否や、「やぁ」と顔をほころばせた。
「おはようございます、スオウ様。ディーン卿」
「おはよう、リリ。ははっ。なんか変な感じだね。お祖母様のお屋敷でもないのに」
そう苦笑するスオウには、「あぁそういえば」と、リリも昔を思い出した。
スオウの祖母。リリの大叔母にあたるセリアは、郊外の自然豊かなお屋敷に隠棲していたから、会いに行くときは日帰りより泊りがけの方が多かった。
スオウと同じ朝食の席に着くのはそれ以来だから、少し懐かしい感じがする。
「王族とみだりに席をともにせず、なんて前期の授業で習った気がしますけど」
そう言いながらも向かいの席に腰を下ろしたところで、スオウの隣にいたディーンが、「寮では不問ですよ」と言ってくれた。
まぁ当然だけれど。
でもスオウならともかく、ユーシス殿下なんて現れた日には呑気に食事なんてしていられない気がする。
これは大丈夫なのだろうか?
そう不安がっているのが分かっているのか。
「ユーシスは、自室で取ることが多いから、滅多にこっちにはこないよ。安心して」
そう教えてくれたスオウのおかげで、ちょっとほっとできた。
ていうか何だ? 王子様のお部屋は、部屋で食事ができるくらいの設備なのか? すごいな、おい。
「そういうスオウ殿下こそ、お部屋でお取りになっていただけたら、私達はもっと気楽に食事ができますのに」
ただリリの隣に座ったトリシア曰く、どうやらスオウも殿下の括りであるらしい。
「私はほら。皆でわいわい食べる方が好きなんだよ。もう慣れただろう?」
「えぇ、慣れましたわ」
そうトリシアがツンと返したところで、給仕係のメイドのメリッサが、サラダとスープ、それにリリにキッシュを。トリシアにはスコーンを運んできた。
寮のメイドたちは学生に生活マナーを指導するための役目を担っている、とか入学時のしおりに書いてあった気がするのだが、メリッサが不敬とも取れそうな会話に口をはさむことはなかった。
やはりこの寮は何かと特別待遇なのだろうか。
大体にして、昨日からも何人メイドを見ただろうか。この寮の規模に対して、多すぎやしないだろうか?
「そういえば……生徒会って、何人いるんですか?」
空席の目立つ食堂のテーブルを見渡しながら、ふと首を傾げたリリがそう問うと、「貴女、生徒総会では何を見ていましたの?」とすかさずトリシアに突っ込まれた。
まぁまったくもってその通りなのだが、だがお生憎と、リリは前期最初の生徒総会も、後期最初の生徒自治大会も、両方さぼっているからよく知らない。他人行儀にクスクスと笑っているスオウ様にも大いに責任があるので、呑気に笑っていないでフォローしていただきたい。
「生徒会役員は最大で十二名。今期も、貴女でちょうど十二人目よ」
だが咎める言葉とは裏腹に、すぐにもトリシアが説明を始めてくれたものだから、ちょっと驚いて隣を見やった。
なんだかんだといいつつも、やっぱり教えて下さるらしい。
「生徒会長の王太子殿下。副会長のノマ様。スオウ殿下が議長をお勤めで、私が副議長。同じく二年のヘルメス卿が会計。三年のテイラン卿が書記。貴女が第二書記で、庶務がエマさん。この八名が生徒会役員ですわ」
ヘルメス卿やテイラン卿とは面識はないが、リリも一応書記という役職に就いたことだし、すぐにも面識は得られるだろう。
「それと、校内の綱紀粛正を取り持つ風紀委員の委員長と副委員長。校内の揉め事の解決を担当する監督委員の委員長と副委員長を加えて、十二名」
「監督委員は、ラウル卿とディーン卿ですね」
そうディーンの方を見やったリリに、「ディーンでいいですよ」と言われたので、色々と考えた結果、「じゃあ……ディーン君?」と呼んでみた。
あんまり貴族間で、君付けやちゃん付けは聞かないのでどうかなとも思ったのだけれど、ディーンが何も言わないので、これでいいということにする。
はて。あと知らないのは風紀委員の二人ということになるが。
昔見た公式HPでは副委員長はエマだったはずだが、今の時点ではエマは庶務だから、きっと来年度配置換えがあるのだろう。
「えーっと。風紀委員の副委員長さんは?」
「ナーラ先輩ね。ナーラ・フェリミラ・ジュンテンス嬢」
「まぁ実際の所、ナーラ嬢が委員長だけどね」
そう呟いたスオウの呟きは、はっきりとリリの耳にも届いた。
うん。やっぱりそういう感じなわけだ。
風紀委員長――バルト・ミルディフ・スヘンデルは、学問的才能だけ言えば、他に追随を許さない天才であるが、研究と勉強に熱中し過ぎたあげく生徒会の仕事をほっぽりだし、生徒会の資料室を実験室にして研究に没頭しているとかいう、危ない人らしい。
事前知識はあるが、正直どんな人なのか想像もつかない。
公式HPのヴィジュアルも、なぜか半振り向き白衣の後姿で、はっきり描かれていなかった。
興味はなくも無いけれど、平穏無事な生徒会生活のためには、多分近づかない方がいいはずだ。
「えーっと。それで。生徒会のお仕事って。一体何をすればいいんでしょう?」
「取りあえず放課後、生徒会館にいらっしゃい。書記の仕事の説明はテイラン卿がして下さるでしょうから、卿にお聞きして。あとは……そうねぇ」
「もうすぐ綿花祭があるから。生徒会はそろそろそれに向けての準備かな」
スオウの加えた言葉には、「あっ。綿花祭!」と、リリも目を瞬かせた。
それはこの国固有のお祭りの一つにして、学年暦にも記載されたれっきとした祝祭日のことだ。
本来授業のある十五日がこの祭日にあわせて休講となり、学生も届け出をすれば町へと出かけることが許される。
このカレッジは基本的に休日でも学外に出るのは難しいから、前期の花祭りと後期の綿花祭は、学生達にとっても貴重な外出日だ。
「でもただの祝日に、生徒会が何かすることがあるんですか?」
「一応話し合いを設けて、学生の外出に関する規定が例年通りでいいかどうかなんかを決めて、治安なんかによっては帰寮時刻を調整したりもして。最終的に学校側に提案して許可が下りたら、学生に告知を出すことになるね」
「祝日自体は学校の決め事ですが、外出許可は生徒会が学校に掛け合って認めてもらう、という形で成されているんですの」
「なるほど……」
裏では生徒会の影の尽力があったわけか。知らなかった。
「今週中には決めないといけないから……副議長。寮の掲示板に、五日付で会議の告知を出しておいて。ユーシスには私から許可を取っておくから」
「かしこまりましたわ」
掲示板? と首を傾げたリリには、トリシアがすぐに、「玄関を入ってすぐの左手、ポストの横ですわ。毎日確認するように」と教えてくれた。
うーむ。今まで毎日ダラダラ適当に生きてきたから……こういうちゃんとした仕事とか、出来るか不安だ。
「色々と、教えてくださいね。スオウ様」
取りあえずそう頼りになるハトコ殿にお願いをしたら、勿論とでもいうような笑顔が向けられたけれど。
「何を仰っているの、リリさん。殿下をお煩わせになる前に、私にお聞きなさい」
あまりにも思いがけないトリシアの言葉には、「えっ?!」と驚嘆に目を瞬かせてしまった。
「何ですの?」
「……い、いえっ」
なんだか。
うーん。やっぱり何というのか。
「……宜しくお願いします。トリシア先輩」
この人、多分ものすっごい面倒見がいい人だ――。
なんだか、大丈夫な気がしてきた。




