1-15 通り雨と王子様(3)
「何をいきなり勘違いしている」
「……え?!」
いやだって。謝罪を要求されていたのでは……。
「私が聞きたいのは、先程の“通り雨”の件だが」
「……は?」
その件については先ほど、『君がそう言うなら、それでいい』とか言っていたじゃないか。
それで納得してくれたとばかり思っていたのだが。
「通り雨? 今日は一日快晴ですよ?」
首を傾げたディーンが、手にしていた資料をそそくさと奥の書棚にしまいながら窓の外を見る。
「先ほど通りすがりに、こちらの令嬢の頭上にだけ局地的な雨が降ったらしくてな。ディーン。心当たりはないか? 確か同学年だっただろう」
「クラスメイトです」
そうニコニコと答える何の悪意も無いディーンに、おぉぉぉ……と、思わずリリは頭を抱えた。
いや、というかもう、学年とかばれてるし。これやっぱり、もうばれてるとしか思えないし。
「心当たりは……有るには有りますが。殿下、それを聞いてどうなさるおつもりで?」
え、有るの?! と、リリの方が驚いた。
リリにはちっとも心当たりがないのだが。
「聞いてから決めるつもりだったが……そうだな。ささいな妬み嫉みの類なら、お前達監督委員に任せるが、今回は少々度が過ぎている。これ以上過激化する可能性があるなら、議題にかける」
「これまでは精々陰口や物を隠す程度だったので、私も深くは手出しせずにいたんですが。こうした加速傾向は見逃せませんね。私が対処してもいいのですが……逆効果、ということも」
「またどこぞの令嬢達の仕業か……」
ハァ、とため息を吐いたユーシスに、ようやくリリの頭の中にもピンッと三人組のお顔が浮かんで、「え、あっ、そういうことですか?!」と声を挙げた。
この反応には、ディーンがちょっぴり呆れた顔をする。
「あの。気が付いていなかった……なんてことはまさか……」
「もしかして、教科書とか。筆記具とかも……」
あ、気付いてなかったんですね、とすぐに言い直したディーンが、「取りあえず座って下さい」と、改めてリリをソファーに促した。
つい先程まではどうやって逃げ出すかばかり考えていたのだが、何やらそうもいかなくなった。ディーンは、どうやらこのおかしな現象の理由をご存知らしい。その辺は少し教えていただきたい。
「私はてっきり、ディーン卿がただべらぼうに探し物が得意なのかと……」
「ははっ。まさか。表だって咎めるような真似は逆効果かと思ったので、ご令嬢方がよからぬ行動をとっている時はいつも後を追い、密かに回収してお返ししていました。盗まれている件についてはてっきりお気付きだと思っていたのですが」
「いえ……変だな、くらいには思っていたんですが。面倒をおかけしていたみたいで、重ね重ね、有難うございます」
「気にしないで下さい。これでも監督委員の副委員長ですので、学内での揉め事はすべて、我々の管轄です」
そう制服の腕の腕章を引っ張って見せたディーンに、あぁ、そういえば、と思い出した。
監督委員というのは、要するに学内での学生同士の揉め事とか問題の解決を担当する部署のことだ。学生同士の諍いは基本的に本人達同士での解決が求められるが、常日頃から学内を巡回してそういう事件に目を止めている監督委員に、知らない諍いは無いといわれていて、相談があれば解決にも手を貸す。
リリの場合、肉体的な危害を加えられたわけではないが、少なからず制服が一着駄目になった。下手をすれば、一緒に降ってきたバケツで怪我をしていた可能性もある。
そうなればもはや学生同士の可愛らしいいじめなんて話では済まされず、家同士の大きな争いに発展する可能性だってあるわけで、これは充分に生徒会監督委員が乗り出す案件なのだ。
王子が自分を生徒会室に連れてきた理由もそれであって、どうやら謝罪させるためではなかったらしい。
えっと。多分。
「それで、主犯は?」
「シンデル侯爵令嬢です。それにアイナート伯爵令嬢、クライフ子爵令嬢。前期中、エマにも度々陰口を叩いていたご令嬢方ですね」
「シンデル? あそこは典礼関連の家だろう。それがまさか、教公猊下の家系に?」
きょーこーげーか? それって、父の事だ、と、リリは目を瞬かせる。
典礼関係の家とやらが何をする家なのか知らないが、それが我が家と何の関係があるのだろうか。
というか、リリがその“げーか”とかいう職(?)にある父の血縁とばれていることについては、そろそろ突っ込んだ方がいいのだろうか?
「どうやらその辺はご存知ないようでしたよ。知っていれば、普通シンデル嬢でなくとも、こちらのお嬢様に手出ししないでしょう。誰でも、神の怒りは蒙りたくないですからね」
そうクスクス笑うディーンに、益々リリは首を傾げる。
なんだかちっとも話が見えないのだが、どういう意味だろう。
あぁ、あれだろうか? キリエンヌ地方は宗教的になんか重要な土地、とかいうやつ。
いや、でも聖なる頂とやらを領地に含んでいたとしても、別にアリストフォーゼ家自体が何か神聖とかってことにはならないわけで、手が出せないとかなんだとかもピンと来ない。
要するにどういうことなのか、言葉を砕いていただきたい。
いや……恥ずかしいから、そんなこと言えないけど。
「困ったな……相手も相手だ。生徒会で速やかに対処すべきだろうが……」
ふむ、と一人勝手に考え込んでいらっしゃる生徒会長様に、すでに当事者のリリが置いてけぼりになっているのを察していただきたい。
「そもそも何でこんなことになった。“スオウ”は何をしていた」
「スオウ様? 何故?」
何でそこでその人の名前が出て来たんだとギョッとしたリリに、しかしチラリとも視線を寄越さないユーシスは、すでにリリの存在など完全に無視していらっしゃる。
なんかもうこれ、私、帰っていいんじゃね?
「申し訳ありません。スオウ殿下も気を付けてはいらっしゃったと思いますが。後期の初めに、少し裏庭で席を共に。私も同席していました」
「お前達らしくもない。それが人目に付いたとしか思えないな」
「普通に考えたら、“別におかしくはない”ことでしたので、こんな事態になるとは私も思ってはおらず」
現にこちらのお嬢様は、未だに理解していらっしゃいませんよ、と笑うディーンに、リリも流石に頬を染めた。
えぇ、えぇ。ちっとも分かっておりませんとも。
でも、後期の初めのお茶が良くなかったというのだけは分かった。
リリにとってはあれはごく普通の日常的なシチュエーションだったのだが、やっぱり学内であんな目立つ人とお茶とか、やばかったのだ。
後悔しても今更遅いが、納得はした。
くそう。スオウ様のモテ男め……。お前のファンが原因か。
「おかしくない……か。確かに。我々の常識では、そうなるな」
「……」
あぁ、うん。えーっと。なりますかね、はい。うん。もう隠す必要もないよね。ばれてるよね。自分がスオウのハトコであることも。リリ・クラウベル・アリストフォーゼであることも。
いい加減、認めるよ。うん。
えっ。ていうかこの事、皆は知らないのか?
「それって……あ。駄目じゃん」
親戚と知られていない。イコール、私的な付き合い。イコール、妬み嫉みの対象だ。
思わず呟いたリリに、チラ、とようやくユーシスの視線が向いたのを見て、慌てて口を噤んだ。
おっといかんいかん。言葉遣いが。
「何らかの手を回して、スオウの縁戚であることを明るみにしてしまえば早い。そうと知られれば噂など些細なことだと分かるだろうし、王家の縁者に馬鹿な真似をする連中も減るだろう。アイツに何か適当な策でも……」
「あ、あのー……」
勝手に話が進んでいるようですが、ちょっと宜しいでしょうか、と、顔の横に右手を挙手して見せたリリに、ふと視線が集まる。
あぁ。そんな邪魔そうな顔をなさらずとも。
「要するに、私とスオウ様……スオウ殿下の関係を知らないお嬢様方が、殿下とプライベートなお茶をしていた私に嫉妬して、おいたをしている、という話で宜しいんですよね?」
「おいた……」
で、片付けていいのかどうかはちょっと、という顔でディーンが苦笑をしたけれど、まぁリリにとってはこのくらい、おいたでしかない。
前世の、同級生という名のライバル達による出し抜きあいが日常茶飯事な、ドロッドロの鬼の巣窟に身を置いていたリリにしてみれば、事実、ものすごく可愛らしい悪戯でしかない。
「そう軽い話ではない。これ以上被害が激化するようなら、王国をも巻き込む大事件にだってなりかねない」
「ははは……それは流石に大げさな」
いやいや。何言ってるんでしょうか。この王子様。
なるわけないじゃないですか。どこの王子様だよ、私。
「取りあえず、被害者である私が、今現在そこまで被害を重く受け止めていないのは事実です。なので、あまり仰々しい対処は望んでいませんし、個人的に目立つ行動も本意ではありませんから、スオウ様に出てこられたら困……じゃなくて。えっと。スオウ様にご迷惑をおかけするようなことにはしたくありません」
だってスオウが出張ったらものすっごく目立つじゃん。スオウの親戚とか知られたら、色々大変そうじゃん。女の子に取り次ぎ頼まれたりさ。そういうの、嫌です。とは流石にはっきり言えないが、ようはそういうことだ。
大事にはせず。出来れば当人達との話し合いで穏便に済ませたい。
「話し合いとは? 神の祟りを持ちだすような事態は避けていただきたいのだが?」
「は? 祟り?」
いや、王子様。それって何か、王子様ジョークとか、そういうやつ?
ちょっとレベルが高すぎて、私の頭では理解が追い付かないんですが。
「え、えーっと……何だか先程から、話が噛み合っていない気がするんですが……」
もしかしてこの人、リリのこと別人と勘違いしているんじゃないだろうか。
なるほど。それって、あり得るのではないか?
もしかして、キリエとかいう名前のリリの知らないすごい人が実在した?
「あのー」
私、多分その人と別人です、と言うべく身を乗り出したところで、バンッ、と少し慌ただしく開いた扉の音に、ぱっと視線が集まった。
「リリ!」
真っ直ぐと飛び込んできて、すぐにもリリを見つけた訪れ人はスオウで、そのいささか慌てたような顔色には驚いた。
いつも穏やかでおっとりしたこの人でも、こんな慌てた顔をすることがあるのだ。
「スオウ。ノックもせず何だ、突然」
「ノックしないといけないようなことでもしていたの?」
ギロっと視線を鋭くしてツンケンとしたことを言うスオウの声色には、益々びっくりした。
あれれ。この二人、確か従兄弟だったはず。不仲だなんて噂は聞いたことが無いけれど……なんだか、空気が剣呑としている気が。
「えーっと……こんにちは。スオウ様。慌ててどうしたんですか?」
こういうピリピリしたのって苦手なのよ、と、極力声を軽やかにして横から口を挟んだら、すぐにもスオウの空気が和らいで、ほっとした様子で歩み寄ってきた。
「校内で、君らしい背格好の女生徒がユーシスと生徒会館の方へ行くのを見たときいて……まさか」
「う……」
あぁ、なんてことだ。人目にはついていないと思っていたのに、また何だか余計な噂が加味されてしまったようだ。
というかあの状況は、連行された、なんて言葉の方が正しい気がする。
噂もその辺を是非正確に伝えてもらえたらと思う。
「髪が濡れてる。それに……制服は? 何があったの?」
声を和らげながら、すかさず自分の上着をリリの背にかけ、零れ落ちる髪を手に取ったスオウの仕草は相変わらずきらっきらで、つい頬が染まってしまいそうだった。
人前で、あんまり過度なお兄ちゃんっぷりを発揮しないでいただきたい。ものすっごい恥ずかしい。
とはいえこの状況、どう説明したらいいものか。
ユーシス殿下に罪を着せるわけにはいかないし、かといって、貴方のせいでこんな目に遭いまして、なんて絶対に言えない。
スオウはとっても優しいから……きっと、そんなことを聞いたら……。
「惨劇だわ……」
うっ、と顔色を濁したリリに、「惨劇? そんなにひどいことが?」と眉をしかめたスオウの厳しい面差しに、おもむろにユーシスがため息を吐いた。
「“リリ”ということは、やはり君が、リリ・クラウベル・アリストフォーゼ嬢だったか」
「あ」
そういえばその話だった、と、ユーシスの言葉に顔を跳ね上げたリリは、たちまちに頬を掻く。
まぁ、“やはり”と言われるくらいだ。もうご理解はいただけていたかと思うが、はて、しかしそうなると、人違い説はリリの勘違いか。
「確か、件のヴァイオリンケースは知り合いのものだからと……」
「あ、あーっ、あー、あーっ!」
必死にごまかしの言葉を考えたが、微塵も思い浮かばなかった。
しまった……確かにそうだ。そんな感じで宜しく、とか、スオウに丸投げしたんだった。
「まぁ、今はその件はいい」
「それで、ユーシス。君はリリに一体何を……」
「勘違いするな、スオウ。私は道すがら、水撒きされた庭の水たまりに向かって盛大に転んだ生徒を見かけて、仕方なく手助けをしたまでだ」
「え?」
んん? と、リリも思わずパッとユーシスを見やって目を瞬かせた。
水たまりに向かって? 転んだ? いいや。そんな事実はないけれど。
でもチラリとこちらを見たそのアイスブルーの瞳に、すぐにも理解した。
そうだ。何も話したくないというリリのために、嘘をついてくれたのだ。
いや……なんかすっごいリリが間抜けな感じになってるけど。う、うぐ。我慢しよう。
「リリ……本当?」
「は……はい。水浸しな上に制服も汚れて困っていたところを、殿下と、グレッフェン卿が見かねて手を貸してくださいました。お湯と、制服と。あ、あと……」
ちらと見やった窓辺に干されている楽譜にはっとしたスオウは、少しだけ痛ましげな顔を見せたかと思うと、本当か? と問うかのように、傍らのディーンを見やる。
「私は先ほど下でリリ嬢に遭遇して、三階に案内を。ずっと同席していますが、ご心配になられるようなことは何も」
ニコリと微笑むディーンの言葉には、隠し事はあるが嘘はなく、その温厚な雰囲気がすんなりとスオウを納得させた。
「リリ、怪我は? 指は平気?」
「ええ、ちっとも。スオウ様ったら、心配し過ぎですよ。私のこと、五、六歳の子供かなんかだと思ってるでしょう?」
まったく、相変わらず、とため息を吐いて見せたところで、ようやくスオウもほっとした顔で、強張っていた表情をほぐした。
「思ってないよ。十やそこらくらいに見える時はたまにあるけど」
「も、もう……」
調子を取り戻すとすぐにこれなのだから……。
「そういうわけですから、何の心配もいりませんからね」
スオウ様って、すぐ過保護になるんですから、と、その大きすぎる上着をつきかしたところで、スオウが少し困ったように眉尻を垂らしたけれど、「寒くない?」と問う言葉に頷いてみせたなら、しぶしぶ受け取ってくれた。
ふぅ。良かった。
こんなもの着て外を歩こうものなら、きっとありとあらゆる女生徒に抹殺されるに違いない。
そんなことになったら、なんかそこで憮然とした顔をしていらっしゃる王子様やら、ニコニコしているディーンさんやらが何をしでかすやら。
断固として目立つ行動は反対である。
その辺、彼らにもちゃんと伝わってくれていたらいいのだが。
「えーっと……そう言うわけで。あとは私が“自分で対処します”ので。帰ってもよろしいでしょうか?」
「……あぁ。わかった」
こく、と頷いてくれた王子様にほっと安堵しながら、では早速、と、奥の楽譜の干されているスペースに向かった。
一つ一つ、丁寧にタオルで拭われたのだろう。音符や五線譜は滲んで薄まっていたけれど、読み取れなくなるほどではなくて、この何十枚という数すべてが一枚一枚、丁寧に干してあった。
誰がやってくれたのだろう。あのラウルさんとかいう偉丈夫さんだろうか?
「楽譜、これで全部?」
そうすぐに追ってきたスオウが楽譜に手を伸ばして、回収を手伝ってくれる。
まだ少し湿っているが、あとは寮の床で……。うーん……キリエが引っ掻き回さなければいいのだが。
「ちゃんと乾くまで、預かっていようか?」
「……うーん。キリエ、紙が好きだからなぁ。広げたら揉みくちゃにされそうだしなぁ」
暴れまわるキリエを想像したのか、「確かに」と、スオウが肩を揺らす。
でもそんな会話をしていたら、「キリエ?」と後ろで王子様が呟いたから、ハッとして振り返った。
そうだったっ。この人にはリリのことを、キリエ嬢だと勘違いさせたことがあるのだった。
「リリ・アリスト・フォー・キリエンヌ、という意味での、愛称か何かなのかと思っていたが……紙を、揉みくちゃ……?」
意味が分かっていない様子で首を傾げるユーシスに、思わずリリは楽譜を手にしたまま、クス、くすくすっ、と肩を揺らして笑った。
一体今何を想像しているのだろうか。
アリスト・フォーなんとやらの意味はよく分からなかったけれど、もしかして今彼の頭の中では、リリが紙の上で暴れまわっているところでも想像されているのだろうか。
すごく不本意だけど、なんか王子様の怪訝な顔が面白い。
「キリエは猫です。黒猫。殿下も聖堂で一度ご覧になったかと」
「なるほど……そういうことか」
ハァ、とため息を吐いたユーシスが、「おい、スオウ……」と鋭い視線を投げかける。
はて。何故そこでスオウになったのだろうか? 別にその人に責任なんて。
「嘘は言ってない」
「貴様……」
「それよりリリ。荷物はこれだけ? 寮まで送って行くよ」
王子様を完全に無視して、そうにこやかにいつも通りの紳士っぷりと発揮するスオウに、つい頷き掛けたリリは、慌ててはっと肩を跳ね上げると、「いや、いい!」と即答する。
そのあまりにもはっきりとした拒絶には、キョトリとスオウが首を傾げた。
「リリ?」
「あーっ……その。スオウ様にはここで楽譜を質に取られないよう、しっかり守ってもらわないとっ」
「質……って。あぁ……」
アイツからね、とユーシスを見るスオウの視線を見る限りだと、もしかして、まだヴァイオリンケースと弓の件は解決していないのだろうか。
なんだかもうリリのこともばれたわけだから、今更スオウに間に入っていただく必要も無くなったのだが、今は取りあえず、そういうことにしておいた方が無難に済みそうだ。
「ディーンとラウルに送らせる。大体スオウ。お前が一緒だと、彼女にいらぬ面倒を引き寄せるだろう」
「……それは」
チラ、とリリを窺ったスオウの視線に、リリも遠慮なく、コクコクと頷いてみせた。
「そうですよ、スオウ様。私、目立ちたくないですし」
「……あぁ。わかった。でもユーシス。それならラウルやディーンだって……」
「私が生徒会館に連れだったことも噂になっていると言ったのはお前だ。二人を同行させて、何があったのかを報告させておけば、寮内にも今回の件が正確に伝わるだろう。校内での事件は監督委員の管轄だ。そうだろう? ディーン」
あぁ、なるほど、と納得したリリに、「あぁなるほど。それもそうですね」と、ディーンも首肯した。
何やらそのいつもの微笑みが、なんか少しゾワッとしてしまったのだが。気のせいだろうか?
「そういえば殿下。ラウル兄さんはどちらに?」
「薪がどうとか言って出て行った。裏にいるんじゃないか?」
「あー……今度は薪割りにはまってるんですか……あの人」
ふぅ、とため息を吐くディーンには、リリも、薪? と首を傾げてしまった。
なんで騎士様が薪割り。
「じゃあ探してきます。リリ嬢。一階で待っていていただけますか?」
「あ、はいっ。お世話になります」
そうペコリと頭を下げてから、改めて王子様を振り返る。
「えーっと。それでは……大変お世話になりました」
うむ。リリだって、ちゃんとやればできるのである。
じゃ! とかいって飛び出て行ったりなんて、しないのである。
予想外の出来事に弱いだけで。うん。多分。
「何かあればディーンに言いなさい」
「あ、はい」
「それと、弓とケースは寮に置いている。そちらは後日返そう。“虚偽の件”についても、その時に」
「は……はい……」
うう……言葉の端々に敵意を感じる。
その鋭い眼光。さめざめとした物言い。これ、絶対まだあの日のことを根に持ってるよね。
何せ本日出会いがしら、逃げたら不敬罪とか言っちゃうんだから……。
いやまぁ、当たり前だけど。
「ではスオウ様も、また」
「あぁ。いや、下まで送るよ。それならいいでしょう?」
「私、階段くらい一人で降りれますよ?」
一体スオウ様って、私の事なんだと思ってるんでしょう、とため息を吐いたところで、どうにもピリピリとしていたスオウがクスと笑いながら、リリの手を取って引っ張った。
何か知らないけど、調子は戻っただろうか?
ひとまずもう一度だけ、王子様にペコリと頭を下げてから、導かれるままに部屋を出る。
結局そのまま一階にたどり着くまで、スオウはちっとも手を離してはくれず、むしろ階段が降り辛いくらいだったのだけれど、なんだかその後ろ姿に文句を言う気にはならず、大人しくついて行った。
さてはて。大発見だ。
どうやらスオウは、あんまりユーシス殿下と和気藹々というわけではないらしい。
さわらぬ神になんとやらというし。気を付けよう。
そんなことを思いつつ。
湯浴室にかけておいた制服とタオルを回収して、ディーンが連れて戻ったラウルとディーンに連れられ、スオウに見送られながら建物を出た。
外はすっかりと夕暮れ時の様相になっていたけれど、相変わらずの晴天で、雲一つ無かった。
帰り道。彼らから少し距離を保って歩きながら。
何となく頭の中には、あの甘く切ないチャイコフスキーの旋律が流れていた。




