logic9.不幸の始まり
神坂と紅音が退院して3日が過ぎていた。
梅雨の夕暮れ、神坂はぐったりとした歩調で帰宅していた。
何故かと言われれば、明後日に迫った中間テストのせいに外ならない。
例え神坂が入院していたとしても、高等学校は甘くはない。神坂にも皆と同じようにテストを受けさせる。中学とは違い、高校は義務教育ではないからだ。
大体、何故高校は義務教育に入らないのか、と神坂はぐたらない事に思考を走らせ現実逃避しようとしていた。
そんな神坂は、足を止め、路上に立ち尽くしていた。
ある一点を見つめて。
もう夕暮れのせいか、辺りに人の気配はあまり見受けられない。そのためこの場合、見つけてしまった神坂が対処しなくてはならないのだが、神坂の第六感が告げていた。
(非常に嫌な予感がする…)
何か関われば抜け出せないような、そんな予感だ。
神坂が見つけているソレとは、倒れている小柄な少女だった。
神坂的には厄介に巻き込まれたくない。そのため、神坂は心を鬼にして携帯を取り出した。
「あ、もしもし?俺俺、」
話してはいるが電話などしていない。しているフリである。
神坂の作戦としてはこのまま電話しているフリをしてやり過ごしてしまおうという邪道の作戦である。
一歩、また一歩と倒れている少女に近付く。
鼓動が早くなる。
(気付くなよ? 気付かないでくれよー!?)
口では話しているフリをしながら、神坂は少女の横ん通り過ぎようとして、
ガシッ
足を掴まれた。
「女の子が、か弱い女の子が倒れているというのに……あなたは携帯で話すフリをしてやり過ごそうとしました……あなた、それでも人間ですか?」
少女がギリギリと握りしめる足が痛い。
「怒って……ますよね……?」
神坂はなぜか敬語で尋ねた。
「……お腹、空いた……」
神坂の不幸の始まりだった。
「…………」
なりゆきから、いや、強制的に身分不明名称不明年齢不詳の少女を保護した神坂。
とりあえず近くのファミレスに連れていき飯を与えた。しかし、これが神坂に不幸を呼び込んでいた。
神坂は少女が腹が減ったというので飯を与えた。少女は小柄、つまり少食。
これが大きな間違いだった。
まさか、今神坂の前に居るこの小柄で細い少女が、ガツガツという表現が似合いそうな食べ方をするんだと誰が予想出来ようか。いや、できまい。
「君……よく食べるね」
神坂の問いに、少女はほうばっていた食料を飲み込み、満面の笑みで答えた。
「私のお金じゃないですから」
そうウインク付きで返された神坂は、自らの財布に居座っていた諭吉様が消える事を、予感出来てしまう自分が嫌だった。
そして心の中で嘆くのだ。
(コイツの保護者見つけたらぜってぇぼったくってやるっ!!)
と神坂は決心を固めた。 やがて少女はたらふく食べてお腹がいっぱいになったらしく、腹をさすりながら呟いた。
「……デザート」
「ふざけんな」
「おごってくれないなら大声で『止めて、誘拐犯』と叫びます」
「な!? 可愛い顔してなんて恩知らずな! 親の顔が見てみたいっての!」
何気なく言ってみた神坂なのだが、少女は顔を曇らせ呟いた。
「親は……いません」
情に流されたというのだろうか、神坂は目の前で美味しそうにデザートを頬張る名称不明身分不明意味不明の少女を睨むしかなかった。
「このデザート美味しいー!」
と、ビッグチョコパフェを先程流しこんだメインディッシュは何処に行ったのかと疑いたくなるほど美味しそうに少女は食べていた。
やがて半分ほどパフェを食べたところで少女は呟いた。
「アレ嘘ですから」
「…あ?」
「両親はいないなんて、嘘ですから」
神坂の中で何かが弾けた。
「クソガキ!」
少女につかみ掛かろうとすると、少女は冷静に『正確に』言った。
「あなたが私に手を出した場合あなたが周りのお客さんがあなたに非難の目を向ける確率100%、店員さんがオラクルを呼ぶ確率90.7パーセント、あなたがオラクルに捕まえられ、三年〜四年刑務所で暮らす確率72%、あなたが後悔する確率――100%」
すらすらと本を読むように確率を言い放った少女は悪そうにニヤリと笑い、神坂を見た。
「それでもあなたは、私を殴りますか? 女の子への暴力は最低だと、親に習いませんでしたか?」
「くっ、ううううぅ……」
負けた。
神坂はガックリと肩を落とし、少女はガッツポーズで喜んだ。
ここに力の差がはっきりとさせられたのだ。
「はぁ……」
神坂は小さくため息をつくと、目の前で再び美味しそうにパフェを頬張る少女を見た。そしてようやく疑問をぶつけた。
「……、お前名前は?」
「福美 知里“フクミ チサト”よん」
長い茶色の髪を左右でくくり、小柄な体にピッタリな貧しい胸。俗に言うロリ属性だろうなぁと神坂は思いながら少女を見ていた。
「歳は?」
「じゅうさん」
13という事は中学生なのだろうか。だが制服は着ていない。
「この街に居るって事は、お前も能力者なんだな?」
「そうだよ。私の理は“演算予知”」
「えんざんよちぃ?」
あまりに聞き慣れない名前に、神坂は首を傾げた。
「あなたも能力者なら能力には種類があるのは知ってるよね? 自らの体を強化する“強化型”、自然の一部をまるで自分の体の一部のように扱う“自然型”、刀や槍を強化して有り得ない現象を引き起こす“武装強化型”、その強大さから禁じられた“禁忌型”、そして科学や数学等自らの知能を上げる“知能型”。他にもいくつか種類はあるけど、代表的なのはこんなもんね」
と、長い話しをしたところで知里はパフェを口に運んだ。
「へぇー、そんな種類分けがあったのかぁ」
と、呟く神坂に知里は軽蔑の目線を送った。
「あんた、ホントに高校生?」
「う、うるせぇ!」
知里は激昂する神坂を放置して話しを進めた。
「私の理、“演算予知”は、“知能型”に入るのよ。分かる?」
「それぐれぇ分かるわ!」
しかしなおも知里は叫ぶ神坂を無視して話しを進める。
「“演算予知”って能力は、人、物、天候、状況などから情報を読み取り計算し、予知して数字にするってわけ。つまり、私が100%と言ったらそれは覆えらない。何故なら私の計算はハズれないからね……」
最後の方は何故か暗かったが神坂は知里の理については理解出来た。
「へぇー、つまり計算能力だけは世界一のスーパーコンピューターでも敵わないって事か?」
「そうなるね。私の計算はスーパーコンピューター並に早いから。そうねぇー…あそこのお客さん、後3分以内に席を立つわ」
そう言って知里は神坂達から2席ほど離れた場所に座る男性を指差した。
見るからに男性はまだ来たばかりの料理を食べており、3分以内に帰るとは思えない。
だが、
「なんなんだこれは!?」
と、突然料理を食べていた男性が叫んだ。慌てて店員が男性の元へ駆け付けた。男性は店員に料理を指差しながら激昂している。店員はひたすら頭を下げ、男性は激昂したまま足早に店を出てしまった。
その様子を神坂は口を開けて眺めていた。
「ね?」
知里がうれしそうに笑う。
「……嘘だろ?」
その後何回色々試しても知里の言う通りになった。店員が皿を落としたり、客が帰る時間を指摘したり、神坂には彼女には何かが見えているとしか思えなかった。
「私には絶えず情報が『見えて』るのよ」
「情報?」
「そっ、まるでコンピューターが正確に指摘するように弾き出された確率が常に見えている。私の頭は寝ている時以外は常に勝手に悩が休まず計算してるのよ」
つまり彼女は一日を常に計算式で休まず計算しながら暮らしているのだ。こうやって話している今も。
そんな彼女が神坂には不憫に思えた。
「毎日計算しなきゃならないなんて、しんどいだろ?」
「そう? 慣れれば誰でも出来るわよ。おかげで私は命の危険すら予知出来るから、墜落する飛行機を……予知して乗らずにも済むし、友達に嫌われているのだって分かる。あなたの…寿命すらも」
「……やっぱりか」
知里はゆっくり頷いた。
神坂の体は常に細胞分解している。つまり、彼女にとってはそれすら計算する情報になる。その進行具合から寿命すらも計算出来てしまうのだ。
「ま、バレたからどうってわけでもないしな。俺は神坂雄一。よろしくな、知里」
神坂はそう言って手を差し出した。
知里は差し出しされた手を、戸惑いながら握り返した。
その握りしめた手は、とても温かった。
温かい手を、久しぶりに握る人の温かさを噛み締めていた知里
だが、次の瞬間知里は目を見開いていた。
見えてしまったのだ。
その演算予知能力によって。
「っ!、雄一! テーブルを壁に錬金して!」
知里が今一番適切な対処法を演算して叫ぶ。
神坂も知里のただならない様子に慌てて知里を抱き寄せてテーブルに手を当てた。
一瞬でテーブルが壁にかわり、神坂達の前に立ち塞がるのと、聞き慣れない激鉄の乱射音が聞こえるのはほぼ同時だった。
「な、なんだ!?」
神坂が映画等でしか聞いた事のないマシンガンの音にあわてふためく。
店内ではガラスの割れる音、客やアルバイトの悲鳴が響き渡る。まるで地獄絵図である。
そんな中でも知里はひたすら考えをめぐらせる。今一番適切な方法を導き出す。
神坂はそっと敵を見た。
黒いスーツの男が5人、マシンガンを乱射している。
店内には流れ弾が当たり血を流している者もいる。
「ん?」
ふと神坂は気付いた、五人の中の一人がマシンガンを撃つのを止め、手をコチラに向けている。
間違いない。
「理か!」
と、神坂が叫ぶのと知里が神坂を連れて割れた窓から飛び出すのはほぼ同時だった。
次いで爆発。
理を使ったらしい。
遠くからは消防車の音が聞こえる。オラクルも来るだろう。
神坂には、何故こんな事になったのか理解出来ていなかった。
神坂はただ神坂の手を握りしめ、危機迫った顔で走る知里に連れられて走るしかなかった。
どうしてとか、なんでなどの疑問が浮かんではいた。だが、神坂は一つだけ分かった。
(この子、命を狙われて…るのか?)
だから傷つき、路上に倒れていた。
(追われているんなら、いつから? 一人で?)
神坂は自分が恥ずかしくなった。何故、自分はあの時見捨てようとしたのだろうか?自分はたくさんの人を笑わせる、と決めたではないか。自分が守れる命なら守る。と決めたではないか。
「くそっ…!!」
神坂は知里の手を引き路地に入った。
知里からすれば安全な演算を頭の中で割り出し、逃げていたのだから神坂が路地に入ったのはあまり得策とは思えなかった。
「雄一、あなたバカなの!? 私の言う通り逃げれば間違いなく逃げ切れる!」
「バカ野郎…」
「え?」
「バカ野郎って言ってんだ!」
知里の手を取りながら裏路地を走る神坂は、力強く叫んだ。
「なんで俺に助けてって言わねぇんだよ! 逃げるだけじゃ、いずれ捕まるだけじゃねぇか!」
「しかし、今の追っ手を倒してもまた新たな追っ手が現れるだけ」
たしかにそうかもしれない。何度でも知里を追い掛けるかもしれない。だが、
「俺が、おまえを守ってやる」
「…え?」
そんな温かい言葉をかけられたのは、久しぶりだった。自分はいつもお荷物で、論理的で。
そんな自分が居たところで邪魔にしかならない。
「私には戦闘はできないんだよ? ただ見守るしかできないんだよ?」
知里は必死に自らの無力さを神坂に訴える。
しかし、いくら知里が何を言おうが、神坂は気にもしない。神坂雄一とはそういう人間だ。
「守るって言ってんだ、おまえはそこで守られてろ」
神坂が走るのを止めて振り返り、追っ手に向き合った。
知里が割り出した神坂の戦闘勝利率は76%。勝利は間違いない。間違いないのだが、不安になるのはなぜだろう。
追っ手が迫る。
「あまりてこずらせるなよな」
黒いスーツの男が5人。神坂に向けて歩いて来る。
「渡してもらおうか? 生きたスーパーコンピューターをな」
ギリッと歯がきしむ。
「生きたスーパーコンピューター?」
低い声。雷の前の静けさ。自分のものだ。
「知里は、人間だ!」
次の瞬間、神坂は飛び出していた。
一番近くにいた男のマシンガンを掴み、錬成。
あっという間にマシンガンはサーベルへと錬金される。
「なっ!? なんの能力だ!?」
男達がざわめいた。
しかし神坂は止まらない。奪い取ったサーベルを手に、男達に切り掛かる。
「くそっ! このガキ!」
男が神坂に手をかざした。間違いない。理だ。
神坂はすかさず地面に触れる。
「錬、金!」
男の真下の床が崩れ落ちる。
「なっ!?」
バランスを崩した男は理を壁に向けて放ってしまった。
路地裏の狭い壁が、崩れ落ちて男に降り注いだ。
耳に嫌な声が聞こえたが、神坂は気にせず次のターゲットにサーベルのみねでなぐりつけた。
それが最後の一人だった。
戦闘を終えた神坂はフゥとため息をつき、手にしていたサーベルを石に変えてから投げ捨てた。
もし誰かがサーベルを拾えばあらぬ事故や疑いをかけないとも限らない。
「俺の強さ、分かっただろ?」
そう言って神坂は知里の頭を優しく撫でた。
知里は恥ずかしげにはにかみながら言った、
「ザコをいくら倒して強いと言われても納得しかねるわね。大体戦いの方法も12ヶ所ぐらい無駄があった。もう少し安心出来る戦い方をしてよね」
「くっ、このガキャ……」
と、みしみしと沸き上がる殺意を必死に押さえ付ける神坂。
そんなことはつゆしらず、知里は笑顔で付けたした。
「ま、82点ですね」
その笑顔を見せられて、神坂の中の怒りは消えた。
「ま、私を守るにしては弱いボディーガードですけど」
最後の一言が余計だった。
「このガキィ!!!」
神坂の怒声と知里の悲鳴だけが夕闇の街に響き渡った。