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logic6. ナクシタモノ(前編)


その日の空はとても快晴だった。雲一つない青く澄み切った空が、神坂が住む街を覆っていた。


 その日も神坂は学校へと向かっていた。いつものように妹に叩き起こされ、料理上手な母の朝食に舌鼓を打ち、いつものように学校へと向かっていた。


 適当にすれ違う知り合いからお決まりの挨拶をされ、またお決まりの挨拶で返しながら自宅から10分ぐらい歩いた所にある学校へと向かう。


 神坂が通う学校はそれほどレベルが高いわけでもなく、高校受験も家から近いという理由だけで選んだのだった。その高校に入学してようやく高校にも慣れてきた。今では友達もたくさんいる。


 しかし、神坂には『秘密』があった。それが『理』を使えるという事だ。


 自分が触れたモノをなんにでも変化させられる。この能力には幼い頃には気付いていた。


 だが、両親が神坂に幼い頃から『エリシオンは危ない』と言い聞かされていたため、誰にも言えずに過ごしてきたのだ。神坂には『エリシオン』という場所にあまり良い感情は抱いていなかった。だから神坂は『エリシオン』には行きたくないと思っていたのだ。それが『理』を持っているのを言えない理由だった。


 その日もいつも通りの一日だった。いつものように役に立つかも分からない学習に励み、体育で汗を流す。

 そんないつも通りの日常。今日も、そんな日常のはずだった。


「神坂、弁当食おうぜ!」


 そう言ってクラスメートの男子達が神坂の机に自分の机を寄せて来る。神坂も頷き弁当を広げて全員着席した。


「つか、お前授業中寝過ぎじゃねぇ? 」


「あ、それは俺も思ってたぁ」


 話題は神坂の授業態度についてだ。


「そうかぁ? 」


 神坂に自覚はないのだ。ついでに悪気も。


「寝過ぎだよ、お前は」


 そう言われ、神坂は今日一日の授業を思い出す。 一時間目の古典の授業内容……


(確かシャーペンを握って…………ねぇな)


 今日一回もシャーペンを握りノートに黒板の内容を書き写した記憶が欠けていた。


「な?やっぱ勉強してねぇんだよ。」


 そう言われて神坂は少し反省した。


「これからは気をつけるって」


「気をつけるって、まぁ俺達は別に困らないからいいけどなぁ」


 そう言って笑われる神坂。


――こんな日常を楽しめる平和さが、この時の俺には理解出来てなかったんだ。ドラマや漫画のような体験を、まさか自分がするなどと、考えるはずもなかった――


 談笑しながら昼食を食べる教室内は和気あいあいとしていた。

 しかし、突如その平穏を破り、教師の扉が激しく開け放たれた。クラスにいた全員が何事かとそちらに目をやる。


「お前ら……逃げろ……!!」


 扉を開けた張本人である血まみれの担任が、声もかすれかすれに叫んだ。


 それを最後にバタッ! と血を流しながら倒れる担任。

  教室内に居た女子から聞きたくないような悲鳴が上がる。


「なんだってんだよ………? 」


 クラスメートもかなり動揺しているのが見て取れた。廊下にいる各クラスの生徒もかなり慌てている。

 神坂も何が起きたのか理解出来ず、ただ泣き崩れる女生徒を見つめるだけしかなかった。


「君達、校舎外に逃げなさい!! 」


 放心状態の生徒達に後から駆け付けた学年主任が叫んだ。


「な、なにがあったんですか!? 」


 扉の近くにいた生徒が叫んだ。


「柿崎先生が『厄憑き』だったんだ!! 」


 厄憑きとは、簡単に言えば『理』を持つ者に対する差別用語である。『エリシオン』以外に住む人には『理』を持つ人間は人間ではない悪魔のように見られているのだ。そのため、『理』を持たない人間は、『理』を持つ人間を忌み嫌い、差別する事が多々あるのだ。これが『エリシオン』という都市がある理由でもある。


「柿崎先生が!? 」


 学年主任から放たれた言葉に誰もが目を丸くした。


 柿崎先生といえば生徒からも人気があり、授業もわかりやすいという事で有名で生徒思いな先生だ。


「厄憑きだなんて……嘘だろ……!?」


 生徒達は悲鳴に近い顔で先生を取り囲み、問い詰めていた。


「昨日まで元気な『人間』だった先生がなんで…」


 という悲痛な呟きが神坂に届いた。


 人間。昨日までは人間。今は違うというのか? もう人間ではないのか?

神坂の中に様々な負の感情が渦巻いては消え、神坂を苦しめた。


「もういいんだ! 早く校舎外へ逃げるんだ! 」


先生が叫ぶ。

 それが引き金となったのか生徒達がはじけるように大騒ぎながら逃げ出した。 我先にと出口へと群がりすぐに廊下は逃げ惑う生徒の群がりで溢れた。

 気が付けば教室内には血まみれで倒れる先生と神坂だけだった。


「皆いねぇや……」


 と今更気付いた神坂は思い出したかのように教室から廊下に溢れた生徒の群れに自分も混じった。


 しかし、これだけ慌てて生徒達が逃げ出すと、毎年していた避難訓練も全く意味はないんじゃないだろうか。


「ったく……意味ねぇよなぁ……」


 とその階の最高尾に並んでいた神坂が何回目かのため息をついた。


「ウギィァィィィイ!!!」



 あまり緊張感のない神坂だったが、不意に聞こえた断末魔にも似た叫びに、だらけていた背筋が凍ってしまった。


「なっ……!! 」


 断末魔のような気持ち悪い声に、その場に居た生徒達は更に恐怖しあわてふためき、各階に二つしかない階段に群がる。これでは何人かの生徒が圧迫死にすらなりかねない。


「おい! お前ら落ち着けって!! 」


神坂が叫ぶ。

 しかし、騒ぎ立てる生徒達の声に神坂の叫びは無情にも掻き消されてしまい全く届かない。


「くそっ…!! 」


 神坂が毒づく。

人間の欲深さを真近に見させられているようだった。


 人間とは誰もが欲深さを持っているものだ。人の不幸を喜び、生きたいという生への執着心が溢れた時、人は醜くなるのだ。自分の格好など気にもせず、生きたいという目標へとひた走るのだ。人間が一番醜い瞬間である。


 神坂が頭を抱えるのを合図に、背後でコンクリートが砕けるような爆音が校舎内に響いた。


 まるで時間が止まったかのように、あれだけ騒がしかった校舎内が水を打ったように静まり返る。


 誰も動かない。いや、動けないのだ。未知の恐怖が生徒達を襲う。


「なんだってんだよ……」


 神坂の背後から迫るソレに神坂もかつてない恐怖に襲われていた。

一歩、また一歩とコチラに歩み寄るソレに、神坂達はかつてない緊張感を感じていた。頭が必死に叫ぶ。


(逃げろ……逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!!)


 神坂が頭の中で必死に訴える。だが、動けない。誰一人。目の前に迫る『かつて』の人間に、誰もが目を逸らせなかった。


「ミツケタ……オナジ……ニオイ……」


柿崎が何かを言っていた。

(同じ……臭い?)


柿崎は確かに同じと言った。気付いている。神坂の力に。何故柿崎があんな異業に成り果てたのだろうか。


 柿崎はもはや人間とは呼べない姿だった。筋肉が膨脹し、まるで岩のようにゴツゴツしている。目は真っ赤に充血し、息も荒い。そんな現象が目の前で起きているのだ。怖くないはずがない。


「オマエ……イッショ……」


柿崎の口元がグニャリと曲がり、不気味に笑う。

 それを見て止まっていた生徒達がようやく悲鳴を上げた。ホラー映画並の悲鳴だ。漫画や映画での出来事が現実に起きているのだ。ある者は腰を抜かし、ある者は涙を流し、またある者は友達の手を強くにぎりしめ、我先にと階段に殺到した。

もはや真後ろに柿崎は居るのだ。ジリジリと後ろから迫る柿崎に、誰もが恐怖した。

  本当は、逃げるのが正解だったのかもしれない。

 しかし、神坂は震える足をしっかり踏み締めて柿崎に向き合った。

 怖い、当たり前だ。だが……


(アイツは俺を見て見つけたって言った。)


 柿崎の目は明らかにコチラに向けられていた。という事は自分に用がある意味だと理解出来る。何故柿崎が自分の事を知っていたのかはしらない。


(やるしかねぇ……)


 知らないが、知らないが、柿崎には一つだけ分かっていた。今、この場には自分しかいないのだ。自分しか柿崎を止められない。恐れている場合ではない。守りたい。仲間を。


(ビビッてる場合じゃねぇだろ……神坂! )


そう言って自分を奮い立たせる。怖い。当たり前だ。神坂は今まで普通の生活を送って来たのだ。そんな神坂が急にアニメや映画の主人公並の強心臓を持っているわけでも、強運を持っているわけでもない。


 神坂はただの高校生なのだ。


 神坂が拳を握り締める。強く、震える拳を力一杯握り締める。

 考えて見て欲しい。自分の目の前に現実として人間ではない人間がいたとしたら。勝ち目はない、ヒーローでもないただの自分が、バカらしくならないだろうか?


 だが神坂は格好を付けたい訳ではなかった。


(日本の警察なんかじゃ駄目だ。奴を止められない。ましてや待ってる暇はねぇ……)


 日本の警察で太刀打ち出来る相手ではない。固いコンクリートすら突き破る怪物なのだ。自衛隊ぐらい必要だろう。


(だったら……やるしかねぇよなぁ! )


 神坂は緊張等忘れて手の平を廊下にピッタリとつけた。


(出来るはず……イメージしろ……自分の理想を……)


頭の中で思い描く。神坂にしか扱えないこの力で、守るため。


 次の瞬間、柿崎に無数のコンクリートの刃が襲い掛かっていた。


「グゥ……!! 」


怯んだ柿崎が刃をかわす。


 神坂はワナワナと震える手を真摯に見つめていた。


「出来た……俺……」


 いつも練習はかかさなかったからか、神坂はいつしか力を操れるようになっていた。しかし、このように対象が大きいのは初めてだった。


 神坂の能力、『物質錬金』は、あらゆる物理の法則をねじ曲げ、物質の性質、形状、構成物質までをも術者の意のままに操るのだ。この『物質錬金』は、対象を選ばない。生き物だろうが、天使だろうが錬金出来る。危険な力だ。 しかし、感慨に耽っている場合ではなかった。ニヤリと笑った柿崎が神坂に向けて飛び掛かって来たのだ。


「!!」


 グッと体に力が入る。


 動けずに居た神坂の顔に柿崎の拳が突き刺さった。グシャッ という音と共に神坂の体が地面を転がり、何度も回転した。


 神坂が理を扱えなければ一撃で死んでいただろう。理を扱える人間は通常の人間とは細胞の強度や構成が違うのだ。普通の人間とは自己治癒能力が全く違うのだ。病気への免疫力や細胞再生率が尋常ではない。骨折などは一週間もすれば治ってしまう。それは神坂も例外ではなく、細胞の強度は人知を越えている。


「痛ぅーー!! 」


 しかし、痛みまではあまり和らげられない。神坂は今までの喧嘩とは段違いの痛みに体が襲われた。

 しかし、神坂は立ち上がる。体が痛かったが、それでも立ち上がる。ゆっくり、力を込めて。


 今までのチンピラとの喧嘩とは全く違う。勝てる気はしなかった。だが、神坂は負けたくなかった。



――今思えば、俺はあの頃から守りたかったのかもしれない――


 

 負けない。神坂は負けたくないのだ。


「……へっ、効かねぇな……三下……!!」


 立ち上がった神坂が口元の血を拭いながら言った。


 再び柿崎が飛び掛かって来る。獣のような太い腕を振りかざし、神坂に襲い掛かる。


 神坂もすぐさま再び廊下に手をかざし、イメージする。


 ドンッ! という音と共に飛び掛かる柿崎の真下の廊下のコンクリートから丸く太い棒のような形に変わったコンクリートが柿崎のアゴを捉えた。


「グギッ……!? 」


神坂に飛び掛かっていた柿崎は急に下から現れた障害物の一撃を浴び、綺麗に吹き飛んだ。


「っし!! 」


思わずガッツポーズをする神坂。


(いける……!! )


 神坂が小さく核心する。


 しかし、その期待はすぐに裏切られた。


ノソリ とまるで何事も無かったかのように柿崎が立ち上がる。そして外れたらしいアゴを入れ直し、神坂を睨む。


「な……!! 」


 声が出なかった。全くダメージのない柿崎を前に、神坂は微かな希望を一瞬で潰されたのだ。少しでも勝てると思った神坂の負けだった。


 神坂の体が再び宙を舞う。強烈なボディブローだ。身体中の酸素が無理矢理吐き出される。そしてあっという間に神坂は教室内に吹き飛ばされた。落下地点にあった固い木製の机やら椅子やらが神坂の身体を痛め付けた。

「ぐ……がぁ……! 」


身体中をかつてない痛みが走る。肋が折れたかもしれない。腹部を激痛が襲う。このまま倒れていれば楽なのかもしれない。楽なのだろう。だが、


「ち……きっ……しょぉ……!!! 」


指先に渾身の力を込め、神坂は立ち上がる。それが自分に出来る事だから。 神坂は立ち上がり、柿崎に立ち向かう。例えそれが勝算のない戦いだろうが神坂には関係無かった。勝つ。それだけだ。


 ゆっくり、ゆっくりと柿崎が近づいて来た。


 死ぬ。


神坂は初めて実感した。死ぬという事を。今、自分に救いはないのだと。


「オマエ……クエバ……オレハ……」


 片言だったが神坂には確かに聞き取れた。『食う』ヤツは自分を何故かは知らないが食うつもりなのだ。あまり自分がおいしいとは思えないのだが。


 そんな事を考えている間にも柿崎はゆっくり近づいて来る。


(死ぬ……んだな……)


 神坂に、案外と恐怖は無かった。むしろ後悔の方が強かった。


 守れずに、誰も守れずに……自分は死ぬのか。


 そんな事を考えていた神坂の両手が急に熱くなったのを感じた。何かが内側から溢れ出すような、暖かい力。まるで身体が軽くなるような心地よい感覚。


それが、神坂の覚えている最後だった。








 次に神坂が目を開けた時。


 全てが終わっていた。


「……」


何が起きたのか、神坂には分からなかった。ただ、焦点の定まらない視線を泳がせ、周りを確認する。


「どう……なってんだよ……? 」


 神坂の目には信じられない光景が広がっていた。


 神坂達が通っていた校舎が、『無い』。無いのだ、神坂を中心に廃クズと化した灰色のコンクリートや木製の机等が広がっている。ふと、神坂は手に違和感を感じ自らの手を見つめ、神坂は息を飲んだ。


 血に塗れ、赤々と黒光る手の平。それはまさしく自分の手だった。認めたくはないが、自分の手だった。

「え……」


 声が震え、手が震え、足が震える。自分の手が真っ赤に黒光りしている。間違いなくこれは血だ。自分のではない。自分は怪我をしていない。


「なんだってんだ……」


 自分は瓦礫の山の上に立っていて、辺りはもう夕闇に近づいている。自分が何をしたのか、記憶を辿っていく。


 柿崎と戦い、殴られ、死を覚悟した…そして身体が暑くなり……。


「っ……!! 」


 神坂の記憶がフィードバックする。ガタガタと震える身体で辺りを見渡す。


「……みん、な……? 」


コチラをまるで柿崎を見ていた目と同じ怯えるような目をコチラに向けていた。

 その目は、怯え、震え、軽蔑し、もはやそこにかつての神坂を見る暖かい瞳は無かった。


「おい……みんな……」


 震える手で、神坂は友達に近寄る。しかし……


「ヒィッ……!! く、来るな! 化け物! 」


「っ!? 」


 怯えた目で、自分から逃げる友達。神坂を、かつて味わった事のない衝撃と、喪失感が襲う。

 嫌だ、と思う。認めたくはない、認めたくはないが、自分は今、柿崎と同じ存在だ。


(殺される……)


 神坂は、微かな意識の中でそう思った。柿崎は殺された。自分に……。

 罪悪感。人を殺したという罪の意識。もう、後には戻れない。自分は異能を宿しているとバレてしまったのだから。


「う、う………」


 怖い。人に嫌われたのが、死ぬという事が。もはや戻れないのだ。日常を、自らの手で壊したのだ。怖い。逃げたい。


 神坂の唇がブルブルと震え、呻きが漏れた。


「うわぁぁぁぁああああ!!!!!! 」


 神坂の絶望の雄叫びが、暁の空に虚しく響いた。







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