logic5.戦いの後に
神坂が目を覚ますと、そこはまた見慣れない天井だった。
身体中が包帯だらけなのが圧迫感から感じ取れた。静寂の病室を見渡す。
個室、ではない。隣に誰かが寝ているらしい。
恐らく、というよりかなり高い確率でここは東条が勤める病院だろう。
「…起きた?」
「あぁ」
隣のベッドから聞こえた紅音の声に答える神坂――
「って、えぇ!?」
神坂は思わず飛び上がりそうになった。というか半分飛び上がっていた。
上半身を起こし隣の病人を見る。
「大きい声出さないでよ、ここ病院よ?」
と、相変わらずいつも通りな紅音にも神坂と同じくらいの量の包帯が巻かれていた。
「な、なんでお前が居るんだよ?」
神坂の答えにも冷静に答える紅音。
「東条さんの仕業でしょ、あの人この病院ではかなりの権力者だから。」
とすんなり答える紅音に神坂はずっこけかけた。
「東条さんがまさかそんなに偉い人だなんて……ただのエロ医者じゃなかったんだな」
「なんか言ったかしら?」
「言ってません」
弱っている今、紅音に攻撃されれば死は免れないだろう。
「今深夜だろ?病院内で急患なんて出したら怨まるぜ?」
という苦しまぎれの言い訳に紅音は
「それもそうね。」と大人しく引き下がった。
そんな紅音に神坂は調子を狂わせながらため息をついた。
「悲しいのは分かるから…泣きたいなら泣けよ」
と優しく言ってやる。
そんな優しさが紅音には逆に辛かった。
「…泣かないわよ、バカ」
と言う紅音に
「涙声になってますが?」なんて聞けなかった。
「…仇は討ったんだ。それであの子が報われるとは思えないけど、あの子はお前のそんな顔を見ていられなくてお前に声を掛けたんだと思う。」
そう、彼女はこんな紅音を見たくないから自分から声を掛けたのだ。そうに違いない。そして、仲良くなった。
「あの子のためにも、お前はそんな顔しちゃ、いけねぇんじゃないか?」
彼女だってきっと、笑ってと言うだろうから。だから、自分が側に居て笑っているのを見ていてあげたい。
「………っ……」
必死に声を押し殺し、布団を握りしめ、紅音は泣いた。彼女のために。彼女のために、今だけ涙を流した。
やがて二人は再び眠りに包まれた。
次に目を覚ますと、夜が開けていた。
病室に一つしかない時計を確認する。時刻は8時過ぎだ。
(学校…)
と頭に過ぎるが入院しているので無理だと諦めた。紅音は静かに寝息を立てている。まだ眠っているらしい。
「起きたかい?」
優しく聞き慣れた低い声だった。
神坂は頭を窓際に向けた。そこには白の半袖のYシャツに柄のダサいネクタイを付けた白髪の男性が立っていた。
「春雄さん…」
彼は秋元 春雄
神坂がこの街で暮らすのを見守る役を与えられたオラクルである。神坂の理は禁忌とされるため、保護観察が付けられていたのだ。
「春雄さんが俺達を病室に?」
「あぁ、重傷だったがやはり東条の腕は確かだったな。」
と皺の深い笑いを浮かべる。
「吸血鬼は?」
神坂は矢継ぎ早に質問する。秋元は暑いのかハンカチで汗を拭いながら答えた。
「バスティーユ牢獄に閉じ込めている。死人も出ているからな、どうなるかは分からない。」
バスティーユ牢獄。
エリシオンとは別の場所にある隔離された牢獄である。“理”を扱う者達には“理”を封じ込める特殊な施錠が施される。でなければすぐに脱獄されてしまうのだ。そのために今までに脱獄出来た者はいない。
「そっか……」
神坂は遠くを見るような視線を流した。
自分が倒したのだ少しばかり罪悪感がある。
「しかし、今回はおふざけが過ぎたな。」
秋元が声を強めた。
「理は極力使うな、と言ったはずだ。」
禁忌の理は持っているだけで犯罪に近い扱いなのだ。身体への負担も酷い。
「へへっ…守りたくなったんですよ、こんな小さな手の平でも、何かが守れるなら…って」
神坂はそう言って微笑んだ。
誰かが笑うために生きてみる。それも悪くはない。そう思えるようになった。
秋元はかわらずに顔をしかめ
「雄一、お前…分かってるのか?誰かの笑顔を守るという事は、自らも犠牲を強いられるという事だ。」
秋元は神坂に尋ねる。守るという覚悟を。犠牲を。
「分かってます。でも、短い人生なんだ、出来る事はしたい。」
食い下がらない神坂に秋元は諦めたようにため息をついた。
やがて口を開き
「お前の寿命も、後3年持つか分からないのにか?」
死ぬ。そう言われても神坂は変わらず
「そんなの、分からないじゃないですか。」
と神坂は笑う。
「…お前、“消える”んだぞ?誰の記憶からもお前は消える。それでもお前は人のために戦うのか?」
秋元の問いに、神坂は何かを悟ったかのように微笑み、ゆっくり頷いた。
「それまでに、たくさんの人の笑顔を守れるなら……」
それが本望だ、と。
次に目を覚ますと、時刻は3時を過ぎていた。
適度に腹が空く。この病院には昼食は無いのだろうか?と疑問になる。
「腹減ったなぁ…」
と堪え難い空腹に神坂は襲われていた。
「お弁当食べる?」
起きていたらしい紅音が神坂に告げた。
「弁当?お前いつの間に?」
「さっき東条先生がさし入れだって持って来てくれたの。」
抜かりはないんだな。と神坂は思う。
東条先生の手料理だ。
食も進みそうだ。
「あ、それなら病室なんかじゃなくて庭で食べない?」
「それ、いいなぁ」
紅音の提案に神坂は頷いた。
二人はまだ痛む身体を引きずりながら青く澄んだ空に生い茂る緑に囲まれた庭に出て来た。
のどかな光景だ。
病室内とは思えないような綺麗な公園のような庭が広がっていた。
6月にもかかわず風が強い、晴れた空だった。
適当なベンチに並んで座り、さし入れの弁当を広げる。
ありきたりな中身だが、二人前の弁当はとても豪華に彩られている。
「私、お茶買って来るわね。」
そう言って紅音は立ち上がる。
「あぁ。」
神坂は頷く。
「アンタもお茶でいいわよね?」
紅音が神坂に尋ねる。
「え?いいよ俺は」
と手を大袈裟に振る神坂。
「いいの。私が奢りたいんだから」
と紅音に満面の笑顔で言われたため、神坂は頷くしかなかった。
一人取り残された神坂は物憂げな目でのどかな庭に目をやる。
「………3年、か。」
3年。
それが神坂に残された寿命である。命が無い。と言われた時はショックだった。だが、下を向いていると壊れそうになる。
消えたくない、と言ってしまえば怖くなる。
こんな日常でも、楽しみたいのだ。
例え自分の存在が皆に忘れられようとも。
自分はあがいて見たかった。ここに居るんだ、と。
「お待たせ」
と陽気に手を振りながら紅音が近づいて来た。
すぐに笑顔を取り繕う。
やがて二人は食事を開始した。
久しぶりの食事は滑るように喉を通り、栄養へと変わった気がした。
東条先生のお手製と言う事もありとても美味しく感じる。
美味しそうに食べる神坂をジトッとした目で紅音が凝視していた。
その視線に居心地の悪さを感じた神坂が尋ねる。
「な、なんだよ…?」
「べっつにぃ〜私の作ったお弁当でも美味しそうに食べるのかなぁ?」と嫌味ったらしく紅音が言う。
「分からん。」
「即答か!!」
と神坂の首に掴み掛かる紅音。
「バ、おま、重傷なんだぞ!」
とぎゃあぎゃあとくだらないやり取りを繰り返しながら食事を済ませた。
やがて紅音が疑問に思ったのか神坂に尋ねて来た。
「そういや、アンタなんでこの街に来たの?」
エリシオンに来る者達は当然、理を扱える者のみだ。神坂にも何か理由があるに違いない。
「ん?あぁそれはな…」
と、神坂は過去を振り返るように話し出した。
それは一ヶ月前に遡る。