logic3.錬金術
何故、ここに彼が居るのかが紅音には分からなかった。
突然現れた神坂に、どう声をかければ良いかすら分からない。
「……触んなよ、吸血鬼」
神坂は、紅音と同じく唖然としている吸血鬼に向けて突き刺すように言った。
触れるだけで血管がブチ切れそうな怒りが言葉に含まれている。
「私の食事を何故、君のような凡人に邪魔されなきゃいけないのかな?」
自分の食事を邪魔されて、眉を嫌そうに歪める吸血鬼。
「君はアレかい?私が女性以外は殺さないとでも思っているのかな?」
吸血鬼の言葉に、神坂の怒りが限界を迎える。
「黙って紅音から離れろって言ってんだよ、コウモリ野郎!!!」
凄惨な目付きと、雷のような神坂の怒声に、吸血鬼が言葉を詰まらせた。
まるで自分が初めてバカにされ、ショックをうけるかのように。
「貴様――私が吸血鬼だと知っての狼藉か?」
吸血鬼を包む空気が変わる。怒り。まるで今にも神坂を殺さんとする怒り。
しかし、神坂はそれでも吸血鬼を睨み付ける。
「お前、私に食われろ」
吸血鬼の口がいびつに歪む。
神坂は恐れずに、一歩、さらに一歩と歩を進める。
「雄、一……?」
紅音は恐れていた。
神坂はこの街に転校して来たばかりの初心者。
神坂の理が何かは知らないが、相手はエリシオンNo.1の炎使いですらてこずる強敵だ。神坂で勝てるはずがない。
「さ、下がりなさい!アンタ、死にたいの!?」
紅音は微かな体力を振り絞って神坂に忠告する。
しかし、神坂は止まらない。
止まらずに、弱々しい紅音を見下ろして。
「お前こそ、死ぬ気かよ?」
神坂は悲しげに紅音に言った。
紅音は、まるで心を見透かされたかのように神坂を見た。
死にたくはない。
死にたいはずがない。
「お前を、死なせたりしねぇから。」
神坂はそう紅音に言って、目の前の吸血鬼に再び強い目付きを送る。
「ハッ、私に逆らった事を土下座して命乞いするまで殴り倒してやろう。」
吸血鬼はまるで負けるはずがないという目で、神坂を睨む。
吸血鬼が先に仕掛けた。
地面をゴッ!!と蹴り、神坂にその鋭い腕を突き出す。
しかし、神坂には少しも焦る様子はなく、手に持っていた弓を吸血鬼にかざす。
吸血鬼が
「ハッ」と鼻でバカにする。
“弓”で一体何が出来るのだ。とバカにする。
しかし、次の瞬間。吸血鬼も、それを見ていた紅音ですら、目を丸くした。まるで信じられないものを見るかのように。
吸血鬼が神坂の持つソレを見て焦って地面を踏む。勢いを殺すために地面をえぐり、雪を掻き分けて進むように地面を足掻き分け、自分の体にかかる急スピードに急ブレーキをかける。
何とか神坂が吸血鬼にかざしたソレの目の前で吸血鬼が止まった。
「へぇ〜〜、やっぱり迷信じゃねぇんだな。」
神坂は余裕たっぷりに吸血鬼を睨む。
吸血鬼は悔しげに神坂が持っている“十字架”を睨んだ。
「やっぱり吸血鬼退治には十字架ってかぁ?」
神坂は悪そうな笑顔で吸血鬼に言った。
その光景を見ていた紅音ですら、何が起きたのか理解出来なかった。
先程まで、神坂は“弓”を持っていた。しかし、今はどうだ。神坂は“十字架”を手にしている。神坂は十字架を取り出した仕草など見せなかった。まるで一瞬で、“弓”が“十字架”に“変化”したかのように。
「さぁて、悪いコウモリの駆除開始だな」
神坂が持っていた十字架を右に大きく振る。
「ッ!?」
目の前にいた吸血鬼の腕から鮮血が舞う。
一体何が起きたのか。と神坂が持つ十字架を見た。
「なっ!?」
しかし、そこには十字架は無く、ただ鋭く銀色に輝く“剣”が握られていた。
吸血鬼が危険を察知して神坂から離れる。
「逃がすかよっ!!」
神坂が持つ“剣”が再び形を変える。
バァン!と轟音が廃工場に響く。
「銃…!?」
紅音が三度目を見開く。
吸血鬼の肩を鉛球が貫いたのだ。
紅音がソレを見て確信した。
「“錬金術”……?」
紅音が呟いた。
“錬金術”とは、有の存在をねじ曲げ、有を昇華させる力だ。
世界の存在すらもねじ曲げ、神すらも介入させない奇跡の力。
代償を払い、対象を変化させる力。
間違いない。神坂 雄一の“理”は、“禁忌の理”とされる部類に属されるのだろう。
だから神坂は理を自分達に教えたくはなかったのだろう。
神坂の生み出した槍が吸血鬼に再び血を流させた。
神坂から吸血鬼が再び距離を取る。
「“禁忌の理”だと!?ふざけるなっ!!私は特別なんだ!特別な存在なんだ!!」
吸血鬼が神坂の存在を信じたくないように必死に叫ぶ。
「ざけんじゃねぇ……。」
神坂の周りの空気が変わる。
神坂の右手が強く握り締められる。
奥歯を噛み締め、
「特別な人間なんていねぇ、特別な人間なんてのは、この世にはいねぇんだ!!誰しもが平等な存在なんだよ!!!」
ヒッ、と吸血鬼の動きがビクリと止まる。
だが神坂は止まらない。
嫌だ、と吸血鬼が左右に首を振った。
自分の存在は神にも近い存在なのだ。その自分が何故、痛みを受けなければならないのだ。嫌だ嫌だと神坂から一歩一歩下がる。
しかし、神坂はなおも近づく。
神坂の槍が迫り、振り上げられ、
「ぐぃぁぁぁぁ!!!!!」
と悲鳴を上げて吸血鬼が飛び退く。
神坂は槍の柄の部分で吸血鬼の頬を全力で殴ったのだ。
そのままゴロゴロと転がり、吸血鬼はまったく動かなくなった。紅音はその瞬間を、吸血鬼が動かなくなるまで凝視していた。
勝ったのだ。
仇を討ったのだ。
神坂はふぅ、とため息をつき、紅音に近づいた。
「怖かったか…?」
と紅音の髪を優しく撫でる。
「え…?」
と紅音はきょとんとする。
「いや、泣いてるから」
と神坂に指摘され、初めて自分が涙を流している事に気付く。
「あれ……?私…なんで……。」
悲しいわけじゃない。泣きたいわけじゃない。だが、涙が止まらない。とめどなく涙が溢れ出る。
「泣きたいなら泣けよ。」
神坂は優しく紅音に諭す。その優しさが、逆に紅音には響いた。
胸にあった親友の死。それを紅音はようやく実感したのだ。
「人は苦しみや、辛さは我慢出来る。けど、胸の痛みだけは、我慢出来ない。だから、今は泣けよ。」
神坂の優しい言葉に紅音が再び涙を流す。
声を上げ、神坂に抱き着き、泣きじゃくり、子どものように涙を流す紅音に、神坂は優しく優しく寄り添っていた。
長い長い夜のお話しだった。