とある個人事業主の税務相談 その2
「金成荘303……児島さん、と」
人通りの少ない路地を選びながら、僕らは目的の場所についた。
「は、早く入ろう?」
人目を避けるように震える真綾さんが僕の腕にしがみ付いてきた。
「あ、は……はい」
「……ん、信士くんどうかしたの?」
「あ、いえ……」
僕が憂鬱そうな顔をしていたのがバレたらしい。
「ここ、前に住んでいたんですよ」
「うえ!この金満アパートに?」
「ええ、特に気にしないで物件は選んでいたので……」
金成荘は金剛寺学園の中でもかなり寮費が高額な学生寮のうちの一つだった。風呂トイレ付きの1LDKで学内ネット完備、寮母がご飯を作ってくれるサービスもあった。
「新入生でここに入るとか、自分は浪費家の馬鹿だって宣伝しているようなものだぞ?だから、騙されるターゲットになったんじゃん?」
「はは……」
事実その通りだったから笑えない。
そうか、こういうところから足元がほころぶのだな、としみじみ思う。
「しかもこれ、僕の前に住んでいた部屋なんですよね……」
「うわ、最悪じゃん」
そうなのだ。過去の栄光ではあるが、昔のちょっとリッチな生活をしていた頃を嫌でも思い出してしまう。
「でも、仕事ですので」
割り切るしかない。僕は諦めて懐かしい金成荘の白いアーチを潜った。
階段を上り、目的の三階の角部屋へと向かい、呼び鈴を押す。すると……。
「ちょえ~す!」
部屋の中から軽いノリの言葉で、まるで馴れ馴れしさと軽薄が服を着ているような茶髪の眼鏡の男が出てきた。
「初めまして。真宮寺真綾税務士事務所から来ました。葉山信士と……」
言いかけて、僕は固まった。
「あれ?信士くんじゃ~ん」
「な、なんでこんなところに……」
そこで僕は思い出した。児島という名前の知り合いを、だ。
児島竜太郎―――僕が最初に立ち上げた部に居た、営業の男だった。
チャラ男の典型のようなノリの軽さが売りで、良く営業先を取って来ていた有能な男だった。しかし、中谷と結託して、僕を騙し、借金の書類に判を押し、周りに根回しを済ませ、体よく追い出したのも、この男であった。
それが、今は僕の―――前の棲家にいるのだ。
「いや~ここが空いてラッキーだったよ。この角部屋、住みたかったんだよねぇ」
キレたい。
いや、キレてしまえば楽かもしれない。
幸いこの男には僕は何も貸していない。彼にはただ、嵌められただけなのだ。彼には怒りしか湧いてこない。だが……。
「今は……税務士としてこの事務所で働かせて頂いています。宜しく……お願いします」
後ろに、真綾さんがいるのだ。これは仕事で来ているのであり、感情を優先させては、彼女と、森野さんの信頼を裏切ることになってしまう。
僕は自分を押し殺して、対応することにした。
「お~信士くん、おっとな~!あーでも俺も昔のこと忘れたしぃ?お互い気にしないってことで!」
それは加害者が口に出す言葉ではない気がするのだが。
「じゃあ中に入って……って?」
そこで竜太郎は僕の後ろに隠れていた真綾さんに気が付いた。
「ひっ!……」
竜太郎は真綾さんをマジマジと見つめ、舐るように観察し始める。そしていきなり。
「あ、どもっすー!チョーぷりちーっすね!うひょー、ハッピー、うれピー!よろピクねー!ボクちんの×××で君のハートを打ち抜くじょ~?取り敢えずメルアドとチャットアドレスこれね?交換OK?あ、これ違う名刺じゃん。ごめんこっちのがプライベート用……」
竜太郎はいきなり名刺を渡しながら真綾さんを口説きだした。
「にぎゃあああ!?」
真綾さんはそれを振り切って、竜太郎の部屋に駆け込んでいってしまった。
「おー、いきなり僕の部屋にIN!?いやあ、モテるって罪だねぇ~うぃーす!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
中に入った竜太郎と真綾さんを追って僕も部屋の中に入る。
奥の扉の先から、大きな物音がする。僕は急いでそちらへ向かい、扉を開けた。
「い、イデデデデデデ!?」
「真綾さん!?」
そこには児島竜太郎が、大量の鳩に突かれ、組み敷かれていた。
その部屋の窓が開け放たれており、そこから入って来たようだった。
「真綾さん、大丈夫で……」
と、彼女の方をみると、部屋の隅で、「ぴぃ~」と小さな細い笛を吹き続けていた。
「……何ですかそれ」
「……鳥笛」
呼び寄せたの!?
「そんな芸当も、出来たんですか?」
「餌づけしたし。みんな良い子だぞ」
「は、早くこれ、何とかしてちょ~!?」
竜太郎が涙目で叫ぶ。ちょっと溜飲が下がったが、仕事の依頼主をこのまま襲わせておくわけにもいくまい。
「あの、もうそのくらいで」
真綾さんは不承不承という風だったが、笛を吹くのを止めてくれた。
途端に鳩たちは窓から飛び出して去っていく。
「……何だよ今の!」
「いやあ、窓を開けっ放しにすると怖いですねえ」
僕は素知らぬ顔でとぼけることにした。
「……ったくもう。あ~萎えたわ。早速仕事してちょ」
ボロボロについばまれたTシャツ姿で竜太郎はぼやいた。
僕もそれは願ったりである。とっとと用事を済ませて帰らせてもらおう。
「大丈夫ですか?竜太郎先生!」
「うわ!?」
吃驚した。突然、僕らのいる居間の横の部屋から制服姿の女生徒が3人ほど出て来たからだ。
「あ、ハニー達、大丈夫だよん」
「本当ですか?よかったぁ~」「あ、血が出てますよ」「お拭きしますね」
など口々に言い合いながら、まるでハーレムにいる王様のように、傷の手当をしてもらっている。
「あ、この子たちは僕のファン兼アシスタント。よろぴくね~」
「ファン兼、アシスタント?」
おかしい。こいつも僕の部に居たはずなんだが……。
「あ、仕事はもう変えたよん。一つのところに拘らないのがボクちんのいいところなのよね。今は、作家様、してまーす!」
何と、中谷と同じくこいつももう宗旨替えをして職を変えていたとは。
「信ちゃんと同じ部だった頃は兼業で細々とやってたけど、あぶく銭を元に、必要な画材、資料を買って本格的に始めたのよね~。いやあ、人生万事塞翁が馬って奴?ボクちん難しい言葉知ってるでしょ?」
全然塞翁が馬の一言で片付けて良いことではない。それ、僕を騙したお金の分け前だろうに……。
「センセ―は凄いんですよ!正に絵の天才!手塚治虫の再来です!是非読んでください!」
ファン兼アシスタントと言われた女生徒の一人が複数の冊子を持って僕に勧めてくる。
その表紙に描かれている絵は、多少萌えよりかな?と思ったが、確かに上手く、才能を感じさせるに十分であった。当然漫画の神様に比べれば、明らかに下ではあるが。
「あとこの白執事と茶執事の戦う話がカッコよくてですね!他にも未来からやって来たアルパカ型ロボットが駄目な少女を更生させる話が感動的で……」
「あ、は、はい……あとで読ませて頂きます」
その勢いに押され、僕は思わずその子から数冊分の本を受け取ってしまった。
「ほら、信ちゃんが困ってるからさ、解放してあげてよ?さ、仕事しよ」
「は、はい先生すみません!」
先生こと、児島竜太郎に促され、三人は元の部屋に戻っていった。
「と、言うわけ。で、この売れっ子作家様の税務相談で、おたくらを呼んだわけよ」
成程、人間どこに才能があるか分からないものだ。
「だそうです、真綾さん……」
と、真綾さんの方を振り返ると、部屋の隅の冷蔵庫と壁の隙間に挟まってこちらを伺っていた。
「あの子、貞子的な何か?」
いぶかしげな様子で竜太郎にそう言われる。
「は、はは……」
否定出来ない。
それにしてもここまでとは予想していなかった。これでは仕事ではまったく当てに出来ない。仕方ないので僕一人で暫くは頑張るしかない。
僕は一応ここに来る前に税務関係の本を一通り読んで記憶していた。僕一人でも何とかなるだろう。
「そっか。んじゃ早速なんだけどさ、こんなもんが来たんだよね」
そう言って竜太郎は一通の封筒を取り出した。
「何かコムズカシー呪文が書いてあるんだけど、これどういうことかなと思って、税って文字を見て君らにTelったんだよね。ここに書いてあるゼイムチョーサって何?新手の新興宗教かなにか?」