とある個人事業主の税務相談 その1
「葉山信士です。宜しくお願いします」
朝、始業のベルがなり、HRの最中、僕は金融科の教室で担任の獅童桜子先生から紹介され、転科の挨拶をしていた。
まばらな拍手、皆、そんなことに興味はないという風に各々が税金の本を開き、自習していた。
「……気にしないでね、信士くん。皆、いつもああだから」
「は、はい」
普通科と違って、この科に学生生活らしい活気がないのは、基本的に定期的に行われるテストの内容が悪いと即落第だからだ。
一般の社会でも資格が必要な職に就く場合が多いため、こういう厳しい制度になっているらしい。まあ、厳しい場所だからこそ転科の申請だけはすんなり行ったのだが。
「……信士くんもね、早く溶け込めるといいね」
そう言った獅童先生は、背景に溶け込みそうなくらい、影が薄かった。
貞子の様な長い髪をくゆらせながら、ゆらゆらとつかみどころのない感じで輪郭がぶれている。割と本気で幽霊みたいで怖い。
休み時間でも皆、僕の事を透明人間かのように、まったく気にしてはいなかった。
友達を作りたいという僕の願いは、ここでも達成は出来無さそうであった。
僕は午前中の税の講義が終わるのを心待ちにしていた。
そう、今日の午後からは僕の初出勤だったからだ。
『真宮寺真綾税務士事務所』
金剛寺学園、第五部室棟、最奥にある部屋の前にはその看板が掛けられていた。
僕は今、その部室前に掛けられた看板を拭き掃除しながら、一つの誓いを立てていた。
「額面給与は月六万円帝、それ以上はびた一文出さない」
森野さんから告げられた給与は、ギリギリ生活できるかなというレベルのものだった。
そう、僕は今日から真宮寺真綾税務士事務所の一員としてここで働くことになったのだった。
―――まずは、僕の『人間性』を信用して貰う。
それが僕がこの事務所に入った時に立てた誓いだった。
片や、ペット。片や、金づるとしか見られていないのはさすがに堪える。
僕はこの事務所の中で、確固たる人物として認められたい。
それが僕の願いであり、目標となったのだった。
そして待望の午後、初出勤で僕が最初にやっている仕事は、事務所の掃除だった。
「それにしても、結構ボロいなここ……」
真綾さんの働く事務所の部室はお世辞にも良い場所とは言えなかった。床や壁面には所々ヒビが入っているし、隙間風も結構ある。
「もっとボロボロだった人間の言う台詞?」
「ひえっ!?す、すみません森野さん!」
いつの間にか僕の後ろにはこの事務所の事務員、森野さんがいつもの黒スーツで立っていた。
ビシっとしたその立ち姿はいつも以上に決まっていた。スーツが似合う女性というのは悪くないものだと思う。
「この部室に文句を言わない。家賃だって、馬鹿にならない」
「あの、部室って有料何ですか?」
「当然そう。この第五部室棟以外は家賃が高すぎる。この貧乏事務所じゃこれが関の山」
「でも隙間風が多いし妙に埃っぽいし……もうちょっと良い場所にあっても……」
「文句があるなら、首」
「ここ風通しが良くていい場所ですね!」
住めば都である。草むらで寝ていたことを考えれば天国かもしれないな、ははは。
そう、言い忘れていたが、僕はこの事務所で寝泊まりを許されている。
真綾さんの「ここで飼う!」の一言によるのだが、目標を達成するためにも出来れば早く自立したいと思う。完全にここの住人になっては色々人間として終わってしまう気がするし。
「それでいい。大体ここの家賃と君の給与は似たり寄ったり仲よくする」
よう、マブダチ。宜しくな。僕は事務所の看板にウインクした。
ずざざざざ!
「?」
物陰から黒い影がこちらに迫って来た。
「ぶはぁ!」
「……何、してるんですか、真綾さん?」
その正体は黒いポリ袋を被った真綾さんだった。ポリ袋を脱ぎ捨てると、何と、イチにしがみ付いた状態である。
「今日、人多いぞ!」
どうやら人ごみを避けてここまで来たらしい。逆に凄く目立つと思うのだが。
この姿でうろついているのを見つかったら、まるでTV特番スペシャル『怪奇!学園に現れた謎の巨大ゴキブリを追え!』である。藤○弘が探しに来てしまう日も近い。
「今日は昼に全校集会があったじゃないですか。だからみんな外の体育館まで移動するために出てたんですよ」
僕は当然参加していたが、真綾さんは初めから不参加を決め込んでいたようだ。
「人が少なくてお気に入りの散歩コースだったのに~」
ぶつくさと文句を言っている真綾さんをしり目に、森野さんはさっさと玄関の扉を開ける。
「ほら、二人とも早く来る。大事な会議をするから」
「しずかちゃん、真綾それ聞いてないよ?」
「言わなかった。だって言ったら、真綾は来ない」
「……それ、どういうこと?」
「今日は、真綾と信士、二人で客先に行って貰いたい。その為の、話し合い」
それを聞いて瞬時に逃げ出そうとした真綾さんの首根っこを素早く森野さんは引っ掴み強引に事務所に引っ張り込んだのだった。
「絶対嫌~!」
「無理、決定事項」
真綾さんと森野さんの話し合いは先程から平行線を辿っていた。
「別に、今までで問題なかったじゃん!?」
「それで問題ないと思っているのが、異常」
二人の話を総合するに、今までは森野さんが仕事を取って来て、その会社の税務の数字だけ見て、真綾さんが問題点を指摘して改善を指示する、という流れだったらしい。
しかしそれでは、森野さんの負担が大きいし、真綾さんが直接出向かないので人手も不足気味で非効率、というのが森野さんの主張だった。
「ただでさえ赤字経営なのに社員を増やした。責任は取って貰う、嫌なら、飼うペットを減らして。食費が足りない分は自分で稼いでくること」
「ぐぬぬぬぬ……」
飼っているペットのことを持ち出され真綾さんは黙ってしまった。どうやらそこは彼女にとってのウィークポイントでもあるようだ。
「ほ、ほら、僕が出来るだけサポートしますから。お客様と会話するのは僕がやりますし……」
僕としても、まだ税務士の仕事内容は完全には把握していない。近くで質問出来る相手がいるなら心強いのだが……。
「……」
しかし、真綾さんは沈黙している。
「あの、帰りは何かおやつを奢りますので……」
真綾さんは様子を窺がっている。
「あの、今度コンビニ部で新規で発売された人気のチョコアイスなんてどうでしょうか?」
「……3つ買ってくれるならいいぞ」
ちゃららちゃっちゃちゃ~。真綾さんは仲間になった!
どうやら物で釣るのが一番良いようだ。古来この伝統的手法は桃太郎の頃より有効である。
「決定。じゃあ早速、二人でここへ行って」
そう言う森野さんは住所と名前の書いてあるメモを僕に渡した。
「え~もうぅ~?」
「不満を言わない。さっさと行く」
不平不満を言いつつも、こうして僕らは初の共同作業に向かうこととなった。
それにしても、だ。税務士とは税金を扱う仕事なのだが、具体的にどういうことをお客にアドバイスするものなのだろうか?
仕事内容は一応眼を通したが、実際に立ち会ってみなければ分からない事だらけである。多少の不安を感じつつも、僕の横にはそのプロフェッショナルがいる……はずである。
横で震えて縮こまっている真綾さんを見て、期待と不安を抱えながら、僕は初めての顧客に会うことになったのだった。