信頼=お金の図式 その3
「……三分、ジャスト」
「はやっ!?」「……すっご~!」
男子生徒と真綾さんの感嘆の声が事務所に響く。
僕の目の前には、先程の領収書の束が整然とまとまったスクラップブックが出来上っていた。
「計算金額も全部横に併記しました。これを申告に使えば良いんですよね?」
森野さんは無言のまま、スクラップブックを見つめていた。
「……貴方、何者?」
「……ただの、ルーザーズですよ」
僕は彼女に笑顔で応える。
僕は一度見たものは忘れない。日付と店名を確認したらあとはスクラップブックのどこに領収書を貼り付けるかを決めるだけだった。存在していた領収書の数と大きさを把握し、頭の中で配置し、それを正確にトレースして貼っていっただけのことだった。勿論計算は貼っている間に済ませていた。すべて同時進行しなければいけなかったが、僕は幼い頃からこういうことに慣れていた。
「何か訓練でもしたの?」
「小さい頃から友達に頼まれた時に、よく使っていた技ですよ。買ってこいと言われたジュースやお菓子の値段を後でまとめて請求するために覚えておいたり、そのお菓子を配る際に、出来るだけ均等になるように分量を把握して計算したり」
「……貴方、それ役に立った?」
「……いえ、全く」
買い出ししたお金は踏み倒されたし、お菓子も彼らが全部適当に平らげて、僕の分はなかった。
「……ということがありましたねえ。でも彼らにも事情があったと思うんですよね。好きなお菓子とかって沢山食べたくなりますし、余りに美味しくて支払いを忘れることもあるかもしれませんし、だから良いんです、人は信頼し合うものですから!」
「……純粋真っ直ぐ培養馬鹿パシリ乙」
「可哀想だぞ……」
何故か森野さんからは罵倒、真綾さんには同情されてしまった。
「でも、有能だってことは分かったよね、しずかちゃん。これで雇っても……」
「……駄目。尚更あと一つ、テストを受けて貰う」
「え!?今ので、駄目ですか?」
「……貴方が有能だということは分かった。でもそれだけじゃ、不十分」
「不十分て……僕に何が足りないんですか?」
「お客様、資料は完成しましたので、これを持って、先に申告会場で待っていていただけますか?」
彼女はお客の男子生徒にそう促した。彼は若干きょどりながらもそれに従い、僕の作成した資料を受け取り部屋を出て行った。
そして僕の言葉を無視するかのように、森野さんは真綾さんのいる机の方へと歩いていく。
「真綾、財布」
「……どういう事しずかちゃん?」
ようやく机から顔を出した真綾さんが訊ねる。
「協力したいんでしょ?」
そう言って森野さんは真綾さんに手を伸ばす。
「……おやつ代は残して?」
そんな子供っぽいことを言って真綾さんは森野さんに可愛い猫のガマ口を渡した。財布もだいぶお子様仕様だ。父が財布は人を表すと言っていたが、そうだとするなら僕の最初に感じた幼い印象は間違っていないのだと思った。
所長というからにはもう少ししっかりしたイメージがあったのだが、しかしまあ詮索するのも失礼だし、これ以上気にするのは止めよう。
森野さんは中身を確認するとそれをそのまま僕の方に放って渡す。
「え!?」
「おやつ代は!?」
驚く僕らをしり目に、森野さんが口を開いた。
「貴方は、甘い」
またしても、怖い。
彼女のその言葉からは冷たい棘のようなオーラが痛いくらいに伝わって来ていた。
「貴方の主義主張、行動信条はこの際どうでもいい。でも、ここで働く以上、絶対の掟は守って貰う」
「……何ですかそれ?」
「信用というのは金」
「え」
「人じゃなく、金を信用すること」
「そ、それはちょっと……」
なんだその今までの僕を全否定するような掟は?
「そこに一万円帝入っている。そのお金を二倍にして持ってくること。それが入社の条件。クリア出来れば、掟の意味は分かる」
「ま、真綾のおやつ代~」
「な、何でこの課題が金を信用することになるんですか?」
「なら聞くが、借りた金を返さない奴の事を、どう思う?」
「……何か事情があるんじゃないですか?」
「そこがまず違う。いい?借りた金を返さない奴にとって貴方はその借金額以下の価値の人間、ということ」
「!?」
「金とは、信用の多寡。彼にとってそれだけの価値が貴方にあるなら、そのお金は間違いなく返って来た」
「ぼ、僕が信用出来ない人間だとでも!?」
「それも違う、それはあくまで、金を返さない人間の個人的な価値観。所詮貴方は彼らにとって、利用するだけの存在」
「そんなことは……」
しかし僕はそれ以上何も言い返せなかった。
認めたくない。でも今まで僕の元には何一つ貸したものが返ってこなかったという事実が、それは真実であると証明しているようなものだった。
「真綾のお金をきちんと増やして返すこと、それが貴方が真綾の信用に応えるということ。信用させたいなら、お金を持って来て」
だから信用は、金……なのだろうか?
何か納得がいかないが、やらないことには始まらない。しかし……。
「信士くん」
「は、はい!?」
いつの間にか真綾さんが傍に立っていた。
「待ってるぞ!」
そう言うと彼女は力強く僕の頭をポンポンと撫でた。
「あ、ありがとうございます」
不覚にもそれだけのことで僕は目がしらが熱くなり、キュンとしてしまった。更に彼女は言葉を続けた。
「大丈夫、信士くんには、その価値があるぞ」
彼女の吸い込まれそうな深い瞳に見つめられながらそんなことを言われると、物凄く困惑してしまう。彼女は本当に僕に気が……。
「真綾!」
真綾さんは森野さんに強い口調でどやされその場を逃げ出した。そしてその際、小さく僕に手を振ったのだった。
そうだ、彼女の信頼に応えよう。信用が金という意味は正直分からないけど、今の僕にとっては、真綾さんの信頼に応え、森野さんの信頼を勝ち取るためにはこれしか方法は無いのだ。
「十分ヒントは与えた。やるの?やらないの?」
「やりますよ、森野さん」
「……なら期限は明日、この時間まで」
森野さんは試すような目線を僕に送る。僕はその目を真っ直ぐ見返した。
必ず合格する。その意思を込めて。