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その10

「いらっしゃ~……あ、信ちゃん!」

「やあ、あけみちゃん。お久しぶり」


 ファンタジアはまだ営業の始まったばかりの時刻で、客はまだ、僕だけだった。


「どうしたの~?めぐちゃんが辞めちゃったからもう来ないかと思ってた~」

「……どうして、そう思うの?」

「だって~気があったでしょ、信ちゃん」

「振られちゃったよ。だから、君を指名したんだ」

「な~んだ残念、私二番手~?」

「そう言わないでよ。ボトル入れるからさ」

「ほんと!大好き~サービスしちゃうね!」


 彼女は僕の腕にその大きな胸を押し付けた。


「……ほんと、大きいよね」

「やだ~エッチ何だから」

「うん、だから、覚えてたんだ」

「……ん?何、それ」

「気にならなかったから、機会があるまで完全に忘れてた。僕としてはイージーミスだね。やっぱり、色仕掛けは怖いや」


 あけみちゃんの顔が、強張ったのが分かる。


「その感触、僕の良く知っている娘とそっくりだよ」


 僕に胸を押し付けた人間は、この学園に二人だけ―――あけみちゃんとそして。


「やあ、二階堂さん、久しぶり」


 もう―――あけみちゃんの、いや二階堂さんの顔は、能面のように、冷たかった。


「支配人!こいつつまみ出して!」


 彼女が大声を上げると、奥からタンクトップ男と、黒服が数人、そして、あの笑う支配人が現れた。


「ホホ、今日はもう、店仕舞いですかな」

「梟さん、どうもお久しぶりです」

「何、来るかもしれないとは思っておりましたよ。長年の、勘ですがね」


 そう、僕らが見つけた部活の名前―――ファンタジア。それが本丸の名前だったのだ。


「少々、長く商売をやり過ぎましたな。潮時を誤るとこうして要らない苦労を招く。困ったことです」

「元凶が、何を言っても言い訳ですよ?」

「確かに、そうですな」


 そう言って梟さんはまたホホッと嗤う。目は勿論笑っていないが。


「それにしても、凄い変装技術ですね。二階堂さんとあけみちゃんが同一人物だとは気付きませんでしたよ」

「ですが、慧眼でしたな。どうやって、見抜かれたので?」

「簡単な話ですよ。貴方の組織の下っ端の中谷が口を滑らせました。あけみちゃんしか知らない、僕の癖をね」


―――お酌をされるとき必ず斜め45度に会釈するとかよ!


「そんなことをなぜ中谷が知っていたかとすれば、それはあけみちゃんか、恵ちゃんしかいない。そして、二人を分けたのは、その胸の感触から推定されるカップです」

「……このエロガキがっ、調子に乗るんじゃないよ!」


 僕はあけみちゃんにグラスの水をぶっかけられる。


「おやおや、お客様に乱暴にするものではございませんよ?」

「でも……!」

「いいから、黙りなさい」


 その圧倒的に冷たく、威圧感のある声に、瞬時にあけみちゃんは固まった。


「私の技術ですよ。全てを偽装し、操る。時にこうして暴走することもありますので、躾けが必要ですがね」

「偽物の真綾さんも……あけみちゃんの変装ですね」

「おお!それもお分かりとは、いやあ実に優秀な方だ。是非うちに欲しいくらいです」

「残念ながら、僕は転職する気はありませんので」

「ホホ、では口を封じねばなりませんね」


 梟支配人の瞳が怪しく光る。


「……それは怖い」

「嘘がお上手だ。どうせお仲間も連れて来たのでしょう?」

「いえ、怖いのは本当ですよ。何せ、連れの方が……とても怒っていますから」


 その時、ファンタジアの入り口の扉を破る音が響いた。


「ようやく逢えたな貴様!」


 ファンタジアの内部に響き渡る怒号。ダリアさんが、正面の入り口から、一人の黒服を吹き飛ばして入って来たのだった。


「おや、お一人ですかな?麗しいお嬢さん」

「一人で十分じゃ。高遠玲人殿の仇、討たせてもらおう」

「……どなたのことでしょうか?忘れてしまいました、ホホ、残念」

「……貴様!」

「本当のことですので、しょうがないでしょう?私にとって、人とは利用するための道具で、目的の過程で潰れた人間はすべて、路傍の石なのですから。石に名前はつけないし、覚えたりもしませんよ?」


 その言葉を聞いたダリアさんのバックには紅い焔が上がったように見えた。


「貴様だけは……地獄へ落ちるがいい!」


 ダリアさんは梟支配人に躍り掛かった、しかし―――。

 横から割って入ったタンクトップ男が彼女の拳を受け止めた。


「ぬぅ!?」


 タンクトップ男はその拳を受け止めたまま、押し返す。

 何と、あのダリアさんに力負けしていない。


「ダ、ダリアさん!」


 ダリアさんはそのまま上から押し込まれ、膝をついてしまう。


「ホホ、全く自分の戦力を把握していない者はいけませんな。力を過信すると、足元を掬われますぞ」

「ぬぐっ……ぐ……」

「さて、では貴方も、年貢の納め時ですね」


 梟支配人が僕に向き直る。


「……暴力反対、出来れば自首して頂けませんかね?」


 残りの黒服たちが僕に迫る。


「そうは参りません。私が負ける時は、誰かに力で屈服させられた時しかありませんので」

「なら、僕のやることは一つですね」

「命乞い、ですか?」

「いえ、貴方を屈服させます」


 その瞬間、ファンタジアの柱の陰から、隠れていたランボースタイルの森野さんがバズーカ砲を持って現れた。

 バフッ!

 バズーカからはネットが発射され、黒服たちを一瞬で、文字通り一網打尽にした。


「ぬあ!?」「うおっ?」「くそ……」男たちは口々に叫び声を上げる。

「さ、先に失礼!」


 それをみたあけみちゃんが逃げ出そうと入口へと駆けだす。しかし―――。


「バウッ!」

「きゃあ!?」


 イチ他、オウムのトロワや鳩軍団、島に住み着いていた野良猫たち。

 僕の手には真綾さんから預かった各種呼び笛。そして階段には、―――真綾さんが餌づけしたありとあらゆる動物が、彼女に襲い掛かっていた。


「……形勢逆転、ですね」

「ホホ、なるほど、用意周到だ。ですが……」


 その時、タンクトップ男がダリアさんを手四つで押しつぶしかけていた。


「本当に強い者には勝てません。この娘を大事に思うなら、我々を解放することです」

「くっ……ダリアさん!」

「……心配するでない、貴様らは、そこで大人しく見ておれ」

「ほう、まだ頑張りますか」


 明らかにダリアさんは強がりを言っているようにしか見えなかった。


「もうやめてください!ダリアさん……」

「やってしまいなさい」


ベキッ、ベキッ!

 梟支配人の声に呼応するように、骨の砕けるような音が、辺りに響いた。


「ダリアさん!」


その場でダリアさんはくの字に崩れ落ちる。

 タンクトップ男は、勝ち誇ったように、それを見下ろしていた。


「さて、では残りも片付けてしまいましょうか」


 梟支配人とタンクトップ男がこちらを向く。

 僕の背中を嫌な汗が伝う。その時―――。

 ゴシャッ


「!?」


 床に物が落ちる音、それも重い何か……。


「久々に、外せる相手がおるとはな」


 何と、ダリアさんが起き上がっていた。

 そして、驚くべきなのは、その格好だった。

 何と彼女は和服ドレスを脱ぎ捨てているではないか。

 スポーツブラとスパッツだけを身に着け、その健康的に焼けた肌と肉体美を余すところなく見せつけている。


「……おかしいですな。確かに骨の砕ける音がしたはずですが?」

「ああ、確かに折れたぞ、そのドレスの中に入れてある、ワイヤーの骨がの」


 ダリアさんは脱ぎ捨てたドレスを指さした。


「総重量50kg以上、鋼鉄製のワイヤーがいくつも服に仕込んでおる。体を鍛えるためにの」


 ドラ○ンボールの主人公ですか貴方。

 ダリアさんは拳をペキポキと鳴らし、タンクトップ男の前に再び立った。


「ふんっ!」


 手四つ、再び二人は手をがっぷり四つに組む。しかし今度の結果は違った。

 ベキベキベキベキベキ―――。


「うがああああああああああああああああああああああ!?」


 今度はその大男ごと、ダリアさんは腕だけで持ち上げてしまった。

 組まれた手は、大男のほうだけ、折れて捻じ曲がっている。


「噴ッッ!」


 ダリアさんの気合いの掛け声と共に、憐れタンクトップ男は天井までぶん投げられ、激突し、そこに突き刺さってしまった。


「……次はお前じゃ、梟」

「観念しろ」

「ワンッ」


 僕らは今、ようやく探し当てた一人の男を、取り囲んでいた。


「……年貢の納め時、という奴ですか」

「そうじゃ、観念したか?」

「そんなもの最初からしていましたよ?どうせ一回きりの人生なんですからね」


 この男は、この期に及んでも飄々としたものだった。


「罪の意識とか、ないんですか?」

「あったら、嬉しいですか?」

「……僕は……そうですね。自己満足だとは思いますけど」

「ほほほ、正直な方だ。やはり、駒として使ってみたいですね」

「……遠慮しますよ」

「……貴様の動機は何じゃ?どうしてこれだけのことをした!?」

「それ、意味有るでしょうか?人間の動機なんて、不確定で、不確実なものでしょう?私はお金を愛し、それを増やすことが好きだった。そういうことにしておいて下さい」

「そのために、たくさんの人間が不幸になろうとも、か」

「ええ、それが、私の幸せですから」


 そう言って、梟は不敵に微笑んだ。


「また会いましょう。学園生活は、長いんですからね」

「貴様は一生、労役しておれ!」


 ダリアさんの拳が梟の腹にめり込み、彼はゆっくりと白目を剥いて倒れた。

 僕らの戦いは、ようやくいま終わったのだった。

 ダリアさんは梟を担ぎ上げ連れ去っていく。その背中を見ていて、僕は一つ、どうしても確認しなければならないことを思い出した。


「あの、一つ聞いても宜しいでしょうか?」

「何じゃ?」

「あの……真綾さんのこと、まだ許せませんか?」


 唯一気がかりだったことを彼女に訊ねる。


「許せぬ、それは、変わらん」

「でも……もう犯人は」

「そう言う問題ではない。我は奴のことがまだ、信用出来ん」


 この時僕は露骨にがっかりした顔をしていたと思う。が、それを見たダリアさんは付け足すように口を開く。


「じゃが、お主らの面会室のやり取り―――あれは森野と二人で楽しく見させてもらった」

「え!?」


 あれを―――見てたの!?


「まるでおぬしら不器用で、未熟なガキ同士じゃ。そんなものと争っていたら、我も同じことになってしまう。じゃから、許すことにする」


 にやりと笑うダリアさんに、僕は赤面でしか返せなかった。


「ところでお主―――税務官にならんか?」

「へ?いや、何でですか?」

「いや、そちらのほうが向いている気がしてな。お主の特性は税務士で続けるには苦労が多かろう?」


 確かに、苦労した覚えしかない。


「信用を得るのも一つのスキルじゃ。それを誤魔化すことなく人柄で出来るのは、才能かもしれぬ。結局な、我らがやる仕事は人間が相手なんじゃよ。他人に好かれるも、嫌われるも、結局信用を得られる人間は、正直者だけじゃ」

「それ、褒めてます?」

「褒めとるぞ?良い者にも悪い者からも信頼される資質。利用するにも利用されるにも、分かりやすい人間なんて中々置いておけるものではないからの」


 単に―――騙されやすいってだけじゃないの?


「人間中々正直にはなれない、ということじゃよ。そんなところをきっと気に入ったんじゃよ。真綾はな」

「そう……なんですかねえ?」


 あまり実感はなかった。僕は常に、ありのままを晒して生きて来た人間だからそのあたりの感覚に疎いのかもしれない。


「我々の仕事で嘘を付かないのは『数字』だけ何じゃ。その世界の中で、お前がいることがきっと、嬉しかったんじゃないか―――、そう思うんじゃよ。……まあそれは我もじゃが」


 最後の「我も――」からは声がだんだん小さくなって聞き取れなかった。何をもごもごしていたんだろう?


「長々と話した。ではまた―――次の戦場でな」


 そう言い残し、ダリアさんは去って行った。

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