その8
「ぐあっ!」
部屋には打撲音と、床をカツカツと歩く音だけが響き渡っている。
僕はロープで後ろ手を縛られ、部屋に吊るされていた。
「ほんっっっとうにてめえは俺を舐め腐ってくれたなあ!?」
中谷の拳が僕の腹にめり込む。
「ぐはっ……!」
……息が、息が出来ない。呼吸が苦しくて、思考が、混乱する。
「おい、まだくたばんなよ?」
部屋の中には二人だけ、絆スターズ部室内に隠されていた殺風景な地下室に僕は連れてこられた。
「いい場所だろ?隠れ家にはよ」
「くっは……僕を、殺すつもりじゃ、ないのか?」
「殺さねえよ?お前の利用価値が無くなったら、ひっそりと息を引き取って貰うかもしんねーけどよ」
「……利用価値?」
「ったく、テメー人の事ばかにしやがって!俺様の誘いを断った時から、腹が立ってしょうがなかったんだよ!……だからテメーを嵌めてやろうとしたんだが、わざわざ何を探りに来てくれたのかな?」
「嵌める……そうか、銀行融資の書類を使って、銀行から金を引き出して、それから部活を潰すつもりだったのか」
「おうよ。お前の会計責任者印を押してあるあれでな!詐欺行為でテメーは労役送りって寸法だったんだが……まあちょっと予定は狂ったが、ま、死ぬより辛い労役送りよりは、自殺でもしちゃった方が、楽なんじゃないかな、信士くん?」
つまり、僕に罪を被せ、自殺に見せかけて消す、ということか。
「……一つ、いいか?」
「何ため口聞いてんだ!」
今度は足を蹴り飛ばされる。
「……ッ!」
「喋るための駄賃代わりだぜ」
「……頼む、最後に聞かせてくれ……どうして、ここに?何で、バレたんだ?」
痛みで麻痺してきた足で踏ん張りながら、僕は中谷に訊ねる。
「ふん、気付いてんだろ?頭が良い、信士さんよ!」
「……じゃあ、お言葉に甘えて、答え合わせさせて貰うよ」
僕の頭の中には、ある一つの明快な行動指針があった。
時間を稼ぐ。
森野さんが僕を助けるための人手を連れて来てくれる。それだけが僕が生き残る道なのだから。
「……二階堂さん、彼女はお前らの仲間か」
「そうだよ。すぐに連絡をくれたぜ。お前の唇がカピカピに干からびているってーのにお茶も飲まずに作業しているって報告をよ!」
しまった……そんなところから簡単にバレていたのか。
「他にもお前の癖を詳細に教えてくれたぜ!焦ると耳が真っ赤になるとか、鼻の頭を掻くとか、お酌をされるとき必ず斜め45度に会釈するとかよ!」
「ぐあ!げふ!ごあ!」
立て続けに三連発腹パンを喰らう。……そろそろ、限界が近づいて来ていた。
意識が遠のく。しかし、その遠のく意識の中で、僕の中で、何かが引っかかった。
―――なんで、そんなことを知っているんだ?
「……さて、そろそろお仕舞にすっか」
「……フェイスレス」
「あ!?」
「お前ら、フェイスレス、だよな」
「……テメー、何言ってんだ?」
「嘘つかないでいい。お前は詐欺集団のフェイスレスの……末端組織の人間だろ?」
「……気でも狂ったかテメー、もういい、黙れ!」
僕は怒りの形相の中谷の顔を見つめる。
「くっ……はははははは!」
「何笑ってんだテメー……」
「お前さ、嘘をつくとき、目尻が上がるんだな」
「!」
中谷は驚き、瞼を触る動作をした。
「テッ……テメー!」
「中谷、お前も嘘下手くそだな。僕の嘘も、大したもんだろ?」
今度は腹ではなく、顔面に衝撃が走った。
「くっそがあああああああああああああああああああああああ!」
今度こそ……終わりか、更に殴られ……僕は、もう……。
「中谷さん!」
「ああ?いまこっちは忙しいんだよ!」
中谷の手が止まる。
「こいつ、隠れてやがりました!そいつの仲間では?」
薄目を開けると、体操服にブルマという出で立ちの、隠密というには艶めかしすぎる姿の森野さんが、男たちに捕まっていた。大きな胸の部分にはでかでかと森野と書いてある始末である。
「……森野さん、他に服、無かったんですか?」
「なぜ、第一声がそれ?」
余りにも場違い過ぎて、逆に笑いが込み上げてしまった。状況は、更に絶望的になったが。
「すまない、捕まってしまった。隙を見て、逃げようと思ったんだが」
「この変態眼鏡女もテメーの仲間か。何を探りに来たかしらねーが……代わりに俺が色々お前の身体、探ってやるよ」
中谷は舌なめずりをし、森野さんに近づく。
「寄るな、短小包茎のうえ、裏でエロDVDばかり違法購入しているようなお子ちゃまが」
「ばっ……テメー犯すぞ!?」
「蛇の道は蛇。私が裏で受けている仕事の店に君の名前があったのを思い出した。巨乳ものが好きなんだろう?あと獣……」
「それ以上いうな馬鹿!」
獣……何だろう?森野さんの後ろにいた男子生徒も思わず吹き出しているが、意味がわかるのだろうか?
「残念だが、君のような変態の性的欲求を満たすには私では無理のよう、あはははは」
森野さんはこの状況にも関わらず、棒読みで勝ち誇っている。
中谷は怒りで小刻みに体を震わせ、森野さんの胸ぐらを掴んだ。
「テメーから殺してやる!ふざけたことをしやがって……」
「……それ以上、いけない」
「何がそれ以上、いけない、だ!ふざけんな!テメー自分がどういう状況が分かって……」
「ああ、分かっている。それ以上やると……」
森野さんに向けて、中谷が拳を振り上げる。
「君が、危ない」
その時、地下室の天井が、音を立てて、崩れ落ちた。
轟音、そして粉塵。そして、その中から―――聞き覚えのある声が、聞こえて来た。
「貴様ら、覚悟はよいな?」
粉塵の中から現れたのは、僕らの良く知る、あの紅い魔人――法皇院ダリアさんだった。
「何だ、テメェ……」
「お主が、やったのか?」
ダリアさんが、天井のロープが外れたことで、床に倒れている僕を指さす。
危うく、瓦礫に飲まれるところだった。半分くらいは、ダリアさんのせいかもしれない。
「だったら何だってんだよ、この日本かぶれの外人様が……」
「なら死ぬがよい」
メキョッという音と共に、ダリアさんの拳が中谷の顔面を打ち抜いた。
音もなく中谷は崩れ落ちる。
「後の者も、同罪じゃ!」
森野さんを捕らえていた男子生徒たちは、怒りに震える紅い旋風の前に、なすすべはなかった。
※※※
紅い暴風が吹き荒れた後―――中谷達は全員ダリアさんの手で捕縛されていた。
「遅れてすまなかったな、信士よ」
僕は全身ボロボロではあるが、縄も解かれ、自由の身になっていた。
「……いえ、助かりました。でも、どうしてここが?」
「何じゃ、お主が呼んだのじゃろう?こんな手紙などしたためおって、まったくこっぱずかしい」
「……それ、何ですか?」
「何ですか、ではないわ!とぼけるでないこれを見ても思い出さんか!」
ダリアさんが顔を赤くして、一通の手紙を開いて僕に見せた。
「僕は、フェイスレスの手がかりを見つけました。これからその敵地へ潜入します。ついては僕が戻らない場合、貴方に意志を継いで頂きたく、お手紙をお送り致します。もし僕が捕まってしまい消されても、悲しまないで下さい。大好きな、ダリアさんの涙は見たくありません……」
これは、確かにこっぱずかしい。
「一度、貴様を助けると約束した。その約束を果たしに来ただけじゃ、ほ、他に他意はないぞ?」
「……でもこれ、僕じゃないですよ?」
「なにぃ!?」
ダリアさんが大きく目を見開く。僕らはお互い目を合わせた後、示し合わせたかのように同じ一点を見つめた。
「森野さん?」「しずか、貴様……」
「やあ、バレてしまったか、テヘペロ」
「バレてしまったかじゃないわ!お主がこの手紙を寄越したのか!」
「念のための、保険」
「何で僕がその、ダリアさんが大好きってことになってるんですか!?」
「なら、嫌い?」
「……そ、そりゃあ嫌いじゃないですけど!まあどちらかと言えば好きな方かもしれませんが……」
「ば、馬鹿、お主何言っておる!?」
「あ、そ、その今のはですね……」
「馬鹿ップル乙」
「「ちがーーーーーう!」」
思わず二人の声がはもる。
場の空気は完全に森野さんが掌握していた。本当に食えない人だと思った。
「あ、そう言えば、森野さん、裏帳簿は?」
「持って行かれた、確か上」
「それを早く言わんか!」
言うが早いか、ダリアさんは上階へと駆けだした。僕も急いで後を追う。
「……くそっ……誰もおらぬ」
もうオフィスはもぬけの殻だった。
「……二階堂さんの姿が見えません。恐らく、彼女が……」
「じゃろうな、くそっ!重要な証拠を見す見す逃すとは、我も焼きが回ったか」
「でも、そのおかげで助かりました。ありがとうございます」
「何、約束通り助けたまでじゃ、これですべてはチャラじゃ」
「でもない」
後ろから森野さんがやって来ていた。
「……何じゃと?」
「信士君を助けるという約束は、信士君から頼まれた時のもの。これは、貴方が騙されて勝手にやって来た。まだ、信士君の約束は有効のはず」
「んな!?」
え、それって……アリ?
「馬鹿なことを言うな!そんな戯言……」
「でも、契約ってそういうものでは?」
森野さんはしれっとした顔で眼鏡をクイッと上げる。
「……昔から、人使いだけは上手い小娘じゃ」
ダリアさんは森野さんを睨みつけながら、渋々といった様子でそれを了承した。
「えっと……良いんですか?」
「良いも悪いもない。通すべき義理を忘れたら、我は我ではないからな。ただ、しずか、後で覚えておれよ」
形だけの会釈で森野さんはそれに応えた。どちらも、敵に回したくないなと思う。
「……で、我は何をすればいい?」
「税会のデータをすべて見せて。今ある資料から、どうにかして本丸を見つける」
「一言言わせてもらうが、どれだけの数の部活があるか分かっておるのか?それっぽっちの数から全て辿っていったら、日が暮れるどころではない。真綾の拘留期限を余裕で過ぎてしまう。それに、あやつの拘留期限が切れる前に、審問が行われ、下手をすると労役送りが決まってしまうぞ?」
「それ、いつまでなんですか?」
「遅くとも明後日か、下手をしたら今日か、学園というシステムを持っている以上、それほど時間はかけられん」
「でも、無罪だと認められれば……」
「税務士の不正会計の有罪率は99%。疑わしきは罰してしまえ、そんな風潮じゃぞ?」
酷い、僕は絶対に捕まりたくはないなと思った。
「じゃあ、あまり時間はない。早くやらないと。下の奴らの口を割らせるのは?」
「期待できんな。そもそも本当に口を割るかどうか、情報を持っているかどうかもわからん。おそらくただの、下っ端じゃ」
「じゃあやっぱり……税会に行かないと」
「我がその申請を出したとして、使える時間は二時間が限度、びた一文まからんぞ?見つけられるのか?」
森野さんが僕を見る。
「出来る……あと、一人いれば」
天才的記憶力と、計算能力の持ち主、それともう一人―――どんな会計の嘘も見抜く達人がいれば。
「そいつの説得が、先じゃな」
僕らは、そのまま税会のビルへと向かったのだった。




