その6
「覚悟は、いいの?」
この時、僕は覚悟を決めていた。人生で初めて、人を本気で騙すことを。
すべては―――真綾さんの為、そう言い聞かせて。
「はい、出来る限り、頑張ります」
耳に挿したイヤホンからは森野さんの指示が流れて来ていた。
時刻はもう夜になろうとしている。森野さんと話したあと、すぐに準備をし、僕は税会のあるビルの前で、ダリアさんを待っていた。
『出来る限り、では駄目。確実に成功させること。ダリア相手に二度目はない、今回一回が勝負』
「プレッシャー与えないで下さいよ……」
『ダリアを籠絡する。言いだしっぺなんだから、頑張れ』
むしろ、嬉々として準備をしていた人に言われたくない。肝心の部分は人任せである。
森野さんは物陰に隠れ、双眼鏡と僕に仕掛けた盗聴器によって僕らを監視しながら指示を出すことになっていた。
『来たぞ』
僕の体が一瞬で強張る。
ビルの玄関の方を見ると、確かに今ダリアさんが出て来たところだった。
『オペレーション ダリアフォール 開始』
森野さん、まじで、ノリノリで困る。
僕は彼女を身構えさせないように、慎重にタイミングを計り、彼女の後ろから、声を―――。
「我の後ろに立つな」
ゴルゴ13も真っ青な察知能力で機先を制されてしまった。
『馬鹿、背後からは近づくなと言っただろう』
怒られた。しかしやってしまったことは仕方ない。僕は覚悟を決めて、声を掛ける。
「申し訳ありません。お話が、ありまして」
「は!どうせ真綾のことじゃろう?聞く話などないわ」
ダリアさんはこちらを振り返りもせず、前を向いている。
「いえ、ダリアさんに、です。今日その、親交を深めたいなと思い、お食事にでもお誘いしようかと……」
「はっ、我に賄賂や接待など通じんぞ?貴様我を舐めておるかッ!」
激高しかけたダリアさんが振り向きざまに拳を振り上げ飛びかかって来る。僕は思わず目を瞑り、念仏を唱えた。
「―――」
おや?何もこない。
『第一段階、成功を確認』
その声で薄目を開けると、ダリアさんは褐色の肌を更に赤く染め、拳を震わせながらあわあわとしていた。
「あの……ダリアさん?」
「ひゃい!?な、何でしょう?いや、何じゃ貴様その格好……いや、その」
明らかにダリアさんはキョドっていた。
そう、僕は今、森野さんに写真で見せて貰った、高遠先輩の格好を真似ていた。
髪型もオールバックに変え服装も、ピチッとした紺のビジネススーツ姿である。お金は勿論僕の食費を削って投資させられたのだが。
偶然というか、何というか、その格好をした僕は、かなり高遠先輩に似ていた。
「ここまで似るとは、恐ろしい偶然」とは森野さんの弁である。背格好も似ていたのは幸いだった。さらに、森野さんが指導するまでもなく、言葉遣いや、仕草も共通点が多いようだった。
『畳みかけろ。葉山信士』
……アイアイサー。
「本日は、ダリアさんの故郷のスペイン料理の美味しいお店を予約したのですが、一緒に来て頂けませんでしょうか?野暮な話は、抜きにして」
僕は平身低頭し、お願いする。
「そ、そこまで言うなら、考えんでもない……わ、わかった……今回だけじゃぞ?」
嘘が苦手なのでかなり棒読みで森野さんに言われた通りの台詞を喋ったはずだが、それでもダリアさんは首を縦に振った。よっぽど高遠先輩に憧れていたことが良く分かる。
スペイン料理店へ着いたダリアさんはまず席につくなり、吃驚した様子で、僕を見つめて来た。
「ああ、これですか、ダリアの花です。頼んでテーブルに置いて貰いました。そろそろ、お誕生日だそうですね。おめでとうございます」
「にゃ、にゃぜ、知っておる?」
「僕、記憶力が良いんですよ。税務官の方々の年鑑を見まして、全部覚えました。デートにお誘いするなら、これぐらいしないと失礼かと思いまして」
「で、デートじゃと!そ、そんなのでは無いわ!これは、お前が誘うから仕方なしにじゃな……」
「あ、お気を悪くさせたらすみません。でもこれは、僕の心からのもてなしの気持ちなんです。宜しかったら、受け取って頂けると幸いです」
「う……そういうことなら、も、貰ってやらんでもない……」
『上手い、が調子には乗らないこと』
わかってますよ、森野さん。
台詞は全部覚えたが、タイミング取りは森野さんの指示と割と自然に自分で行っている部分もある。ある程度自然に振る舞っても大丈夫そうだという感触はあった。まあ過信は禁物だが。
料理が運び込まれ、僕らは表面的には、ぎこちない付き合いたてのカップルのように楽しく食事をしていた。久しぶりの故郷の料理なのか、ダリアさんも心なしか、顔がほころんでいる場面が多い気がする。
大分打ち解けてきた感じになった頃合いで、僕は水を向けることにする。
「ダリアさんは、どうしてこちらへ?」
「……留学生で我はここへ来た、ということは知っておるな?この学園は海外にも分校があり、そことの交換留学生として来たのが我じゃ。結局一年では戻らず、ここに残ることにしたがの。そのきっかけが……」
ダリアさんは言葉を区切り、こちらの顔を見た。
「……真宮寺真綾、あやつのせいじゃ」
『第二フェーズ、完了』
僕らはようやく、ダリアさんの口から、真綾さんの話題を引きずり出すことに成功した。彼女の口からきっかけを掴めば、話はしやすい。さあ、ここからが本番である。
「真綾さんのせい、ですか?」
「そうじゃ!あやつが我の……大事なものを壊した。だから、我は残ったのじゃ」
「……それは、恨みとか、そういうものでしょうか?いや、決してその失礼なことを言うつもりはないですが」
ダリアさんは下唇を噛みながら、伏し目がちに俯いている。
「どう……なのだろうな」
悩ましい、といった口調で、ダリアさんは語り出した。
「あ奴が疎ましいと思ったことも、当然ある。逆に、あ奴が我を疎ましく思ったことも、当然あるじゃろう。そして、我はいつも真綾の面倒を見る、いや、見ていたつもりになっておった」
懐かしむ、というより、哀しい顔をダリアさんは見せる。
「その、真綾さんのせいで、事務所が解散してしまったから税務官に転向したんですか?」
「―――あれを、あの事件を真綾だけのせいにする気はない。元々あれは、我のせいでもあるのじゃから」
意外な言葉がダリアさんの口からこぼれる。
「どういう、意味ですか?」
「……誰の入れ知恵か知らぬが、貴様のその姿、懐かしくもあり、切ない思い出じゃ。……あれはそう、真綾ではなく、本来我が行くべき仕事じゃった」
「え!?」
そんなこと、初めて聞いたぞ?
「高遠先輩は常日頃から、真綾を妹の様に、優しく、包み込むように相手をしておった。『何か、理由があるんだから、無理強いはさせてはだめだよ』そう言っていたが、我にはそれはただの甘やかしに過ぎんと思っておった。じゃから、我は……体調がすぐれぬと嘘をつき、真綾を無理やり仕事先に出向かせたのじゃ」
ダリアさんは思い切りテーブルを叩いた。その衝撃でテーブルは割れ、食器が飛び散る。
「我の……つまらぬ、あ奴への嫉妬で、このざまじゃ。最初から我が行っておれば、こんなことは……」
周囲の客が驚き戸惑う中、僕はダリアさんから目を逸らせずにいた。
そうか―――ダリアさんは苦しんでいるんだ。今も、昔も。そう―――自分のついた嘘と、それが招いた結果に。
「……つまらぬ話をした。誰にも喋るでないぞ?今日は、我が奢ろう」
駆け寄って来る店員に彼女は支払いのカードを渡し、店から出て行く。
『任務続行だ、葉山信士』
「……いえ、ここまでです」
『信……』
ブツッという音と共に、僕は森野さんからの通信を遮断した。そして、急いでダリアさんの後を追う。
店を出て大通りに出ると、もうダリアさんの姿は見えない。急いで辺りを見渡すと、大通りから入れる公園の中を歩く紅い人影を見つけ、僕は駆け出す。
「ダリアさん!」
暗い、誰も通っていない、街路灯がポツンと一つあるだけの道で、僕はダリアさんに追いついた。
「……来るでない」
ダリアさんの方から鼻を啜るような音がする。
「このような姿を他人に……」
「はぁ……はぁ……すみません、ダリアさん。僕、貴方を騙していました」
「……何?」
そう言うと僕は足元に、イヤホンと盗聴器を投げ捨てる。
「全部、貴方から協力を得る為に打っていた芝居です。ダリアさんと話をしたい一心で、こんなことをしました、すみません!」
「……気づいておったわ。じゃが、夢を見た代償として、受け入れた……じゃが、それを言い出したということは」
べきっという音が彼女の握った拳から洩れる。
「死にたい、ということじゃな。葉山信士ッ!」
鬼の形相でダリアさんは振り返る。
「……それでも、構いませんっ!」
「どういうつもりじゃ!その格好は……」
僕は土下座の体制で、彼女に対していた。
「僕を殴って気が済むなら、それで構いません!でも……貴方が高遠先輩を助けたいように、僕も真綾さんを助けたい!ですからお願いします!僕に協力して下さい!」
「何を言いだすかと思えば、そんな泣き言を……」
「はい!泣き言です!」
「んなっ!?」
「僕には、やっぱり人を騙すとか、誤魔化すとか、そういうことに向いていません!だから思いっきり今から泣き言を言います!ダリアさんの力がないと、真綾さんも……そして高遠先輩を嵌めた犯人も、捕まえられないんです!ですから、職業倫理に反してでも、僕に力を貸して下さい!それが終わったら、いくらでも殺して頂いて構いませんから!」
僕は頭を地につけたまま、彼女の返答を、いや拳かもしれない―――それを待った。
「……よかろう、殺してやる」
彼女の近づく足音がする。そして、僕の近くで止まり、ブンッと風を切る音がした。
グシャ!
恐る恐る目を開けると、僕の足元のイヤホンと盗聴器が破壊されていた。ダリアさんはそのまま僕の首根っこを掴み引き起こす。
「あの……?」
「貴様は殺す、殺すが、この拳でではない。必ず、真綾同様税務士としての貴様を倒し、殺して見せようではないか。貴様、それでも我に協力をして欲しいなどと抜かすか?」
「も、勿論です!」
僕は涙目になりながらも、ダリアさんの瞳から目を逸らさない。きっと逸らしたら、本当に殺される。そう直感していた。
「……本当に、よく似ておる」
ポツリと漏らすように言うと、ダリアさんは僕を掴んでいる腕を放した。
彼女は僕に背を向け、歩き出す。僕が彼女に再び話しかけようと口を開いた時だった。
「……一度だけじゃ」
ダリアさんは一度その場に立ち止まり、確かにそう言った。
「一度だけ、助けてやろう。お主のその、底なしの馬鹿正直さに免じてな」
再びダリアさんは歩き出す。
「あ、ありがとうございます!その際は、必ず、必ず連絡しますから!」
僕は頭を垂れたまま、その場で暫く動けなかった。
「怪我の功名。上手く行ったのはいいけど、これは弁償するように」
僕は翌朝、事務所で壊れた盗聴器とイヤホンを手に持った森野さんに、こっぴどく叱られていた。
「……必要経費、という事でまかりませんかね?」
「君が暴走しなければあの事態は防げた。君の過失」
「でも、協力は取り付けたわけですし……」
「それは、次の働き次第で決めることにしよう。やることは、分かってる?」
「はい、でも……その前にやることがあるんです」
「それは事件と関係があること?」
「……無ければ、それに越したことはありません」
意味が解らない、という顔を森野さんはする。
「森野さんは、真綾さんの様子でも見に行ってあげてて下さい。きっと、寂しがってますから。じゃあ僕はちょっと、待ち合わせがあるので」
更に何か言いたげな森野さんを残して、強引に僕は外へ出た。
僕は『二つの』書類を鞄に潜ませ、ある人物との待ち合わせに向かったのだった。
この時、僕は本当に『人を騙そう』と強く決意していた。




