信頼=お金の図式 その2
その女性はじっと鋭い目線を僕と真綾さんに向け、品定めをするように眺め、そして眼鏡を掛けなおす仕草をして、開口一番こう言った。
「……珍しい。『人嫌い』治ったの?」
人嫌い?どういうことだろう?
「え?だってしずかちゃん、この子は……」
そこまで言いかけて何かに気付いたかのように真綾さんは後ずさった。
「……すみません、お客様。どうぞお入り下さい」
そのしずかと呼ばれた女性の後ろから一人の制服を着た男子生徒が入って来た。
「真綾さん、こちら税務相談にいらっしゃったお客様ですが……」
その台詞を全部聞く前に真綾さんは脱兎の如く部屋の奥の机の下に隠れてしまった。
僕が呆気にとられているとその女性は「……やっぱりダメヒキニート」と呟くように言う。
「え……どういうことです?」
「……聞きたいのはこっち。通報されたくないなら何のプレイしていたのか正直に言う」
「あ、いや、プレイとか別に怪しいことは何も……。単にその、拾われただけで」
と言いながらも格好は完全に不審者であることは否定できない。僕は苦笑いを返すしかなかった。彼女は厳しい目つきで僕を睨んでいたが……。
「あの、ところで貴方は?」
「……変態の犯罪予備軍に実名を教える義理はない」
取りつく島もなかった。
「……森野しずかちゃん。うちの事務員兼、共同出資者、だぞ」
真綾さんが机の下から情報を提供してくれた。
「……良い度胸」
森野しずかさんの目が鋭く机の下の真綾さんを睨む、怖い。見た目は綺麗なお姉さんだが、喋り方は冷たく、言葉の端々に毒を含んでいる。それがより冷徹な印象を僕に与える。
「あの、お客様すみませんが、少々お待ちいただけますか?」
そう言われた男子生徒は「は、はぁ……」と一言言っただけで森野さんの歩のオーラに当てられたのか、部屋の隅で小さく固まってしまった。微妙に可哀想である。
「……さて、とっとと出て行けこの変態、仕事の邪魔」
「あ、はい。すみません……」
そう言われてしまえばそれまでである。
さっき共同出資者と言っていたからには、立ち上げから関わっていて、この事務所の方針に発言権もあるのだろう。
「……駄目だぞ、その子はうちで飼う」
ようやく机の下の真綾さんが抗議の声を上げた。
「……意味が解らない。雇う、ということ?」
「そ、そうなんですか?」
そうであれば願ったり叶ったりである。少なくとも当座のお金がないと何も出来ないわけで、仕事があるのに越したことは無い。
「……貴方、本当に何をした?この人嫌いで有名な女に」
「人嫌い?」
初耳である。というか彼女は僕と接していた時、特にそんな素振りは見せなかったはずだが……。
「私以外の人間と、いつも引き篭っているこの女がまともに会話しているところなんてツチノコより貴重。それがこんな変態だなんて尚更」
その理屈だと森野さんも変態ということになるのではなかろうか?
「……言っておくけど、私は変態じゃない。貴方と違って露出癖はない」
顔色から心の中を見透かされたのかと思い、思わず自分の顔をペタペタと触ってしまう。
「……失礼な男。かまかけただけでも行動で、バレバレ」
「すみません……」
「彼女が私を平気なのは私の性格に由来する。……もしかして、貴方もそうなの?」
「質問の意図が解りませんけど……」
つまり僕に何か原因があって、真綾さんは普通に接してくれている、ということだろうか?
確かに男子生徒がいるこの状況では真綾さんは机の下から出てこないまま口数も極端に減っている。彼女の言うヒキニートだという言説も分からなくはない。
……もしかして、僕は彼女に一目ぼれされたとか……いや、まさか……へへへ。
「……にやけるな変態。とりあえず何があったのか話せ」
「あ、いえ。何も……ただ助けて貰っただけです。僕がこの格好で行き倒れていたら……」
僕は今まであったことをかいつまんで森野さんに説明した。
「……」
それを聞いた彼女はじっと押し黙り、何事か考えているようだった。
ひとしきり押し黙った後、彼女はポツリと「そういうこと」と一人得心がいったように呟いた。
「あの~」
僕は恐る恐る森野さんの様子を伺う。
彼女はそれを無視して一足飛びに真綾さんに話しかけた。
「理由は分かった。でも、出てって貰う」
「だ、だめ!しずかちゃん!この子はうちに置きたい~」
「そういうことはまずそこから出てから言う。それに、うちにはただ飯ぐらいを増やす余裕はない」
机の下の引きこもりと部屋の真ん中で威張る女性の奇妙なやり取りに僕ら男性陣は大人しくそれを静観するしかなかった。特にお客様の立場のこの男子生徒が気の毒である。
「……なら、働いて貰えばいいの?」
真綾さんのその台詞を聞いた森野さんは僕の方を睨みつける。
「……働きたいの?」
「え、えーと……はい、出来れば」
本音である。この森野さんと一緒と言うのはちょっと大変かもしれないが、命の恩人である真綾さんと一緒に働きたいという気持ちはあった。
「借りたものは返せ、というのがうちの家訓ですから。真綾さんに助けて貰ったお礼はしたいかと。それに、今他に仕事に就くこともなかなか出来ないので……」
僕は正直に告白することにした。
「……あなたもしかしなくても、《ルーザーズ》よね?」
『ルーザーズ』
この学園都市の中で最底辺に位置する、いわゆる貧民層の蔑称、つまり、負け犬である。
「しかも借金経験のあるレッドルーザー(危険債務者)。そういった厄介者は生徒手帳に赤線が引かれ、そのせいで足元を見られ低賃金で働かされ、まともな部には入れない。だからそんな姿になった。ここでは一番信用出来ない人間」
そう、だからこそ僕はまともな仕事で働くことも出来ず、負のスパイラルに陥ったのだ。ちなみにこの唯一身に着けているパンツの中に、僕の生徒手帳は厳重に仕舞われている。
負け犬は一生負け犬の烙印を押され、慎ましく生きていくしかない。それがこの学園の掟と言っても過言ではなかった。
「……反論は、ある?」
ひとしきりそう言うと森野さんは僕の目を見る。僕は自分が、恥ずかしい生き方をしてきたとは思っていなかった。自分が信用に足らない人間だと思われることも嫌だった。
「あります」
僕はハッキリとそう言葉に出した。
彼女は僕から目をそらさずこう続けた。
「なら、自分の価値を証明して。入社したいなら、それだけの働きが出来る事を、私達に見せるの」
そう言うと彼女は部屋の隅で完全に手持ち無沙汰になっていた男子生徒に振り返った。
「すみません。彼に手伝わせます」
そう言うと彼女は彼の持っていたカバンを手に取り、中から大きな茶色い袋をいくつも取り出した。
彼女は僕の方を向き直り、顎で、来い、とジェスチャーをする。
僕はそれに素直に従う。選択の余地はない。
彼女はその茶色い袋を全て机の上で開ける。
「これを整理して、一時間以内に」
それは大量の領収書だった。
「……これは?」
「こちらは飛び込みのお客様。税金の申告の為に経費をまとめないといけない。商売で使ったお金―――それが『経費』、それを申告しないとより大量の税金が取られる。申告期限が迫っているけれど、今まで放置して経費をまとめていなかった。これがそれ」
机の上にはまさにその何百、何千枚とありそうな領収書の束が堆く積みあがっている。
「つまり、この領収書の束を分類して、計算すれば良いんですね?」
「そう、しかも使用用途、日付順に分類しないとダメ。厚生費、旅費、接待交際費、等々それらを分けて計算する。これだけの量、しかも時間は無い。出来る?」
「つまり、飲食に使った物や、事務で使った文房具類だとか、分けて計算しろと?」
森野さんは一回だけ首を縦に振る。
「……わかりました。やってみます」
「が、頑張るんだぞ、信士くん」
僕は心配そうな声援を机の下から送る真綾さんにサムズアップで応える。
「二時間、いえ、今日中に終わらせるには一時間が限度だけど」
「……カップヌードルでも作って、待っていてください」
これ僕の、得意分野ですから。
僕は軽く腕を廻し、その大きな山に手を伸ばした。