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真宮寺真綾という女 その3

「やれやれ……」


 営業先を回り、僕は大通りのベンチに腰掛け、ペットボトルのお茶を飲んでいた。


「さて、どうやって開けるかなあ……」


 まあ放って置いてもご飯の時間になれば出てくるとは思うが、出来れば気分よく出て来て貰って、僕の質問に答えて欲しいと思っていた。


『真綾さんの復讐って、何ですか?』


 さりとて、こう堂々と聞いて応えてくれるものだろうか?という疑問は残る。

 まあしかし、それを教えてくれないのなら、それはそれでしょうがないだろう。言いたくないことを無理強いする気は毛頭なかった。


「……信士先輩?」

「ぼふっ!?」


 ぐ、ぐるじい……。不意に名前を呼ばれ、気管にお茶が入ってしまった。


「す、すみません!これ使って下さい!」

「あ……ありがど……」


 渡されたハンカチを使い、口を拭う。


「ぶへ、はぁ、はぁ……。ど、どなたか存じませんが、ありがとうございます……」

「いえ、そんないきなり声を掛けたのは私ですから……信士先輩、ですよね?」

「え、ええまあ……って何で僕の名前を……」


 ハンカチで拭った顔を上げると、そこにいたのは、僕の知らない顔だった。


「二階堂奈緒と言います。初めまして……っていうか、私だけ一方的に信士先輩を見かけた程度、何ですが……」

「奈緒さん……?」


 もう一度よく顔を見るが、やはり知らない顔だった。茶髪のショートヘアにちょっぴりふくよかな顔立ちは愛嬌があり、僕なら一度見たら忘れないだろう。

僕はその名前を自分の頭の検索バーに入れて探してみる。そして、それは僕の記憶の中の意外なところで見つかった。


「君、僕の最初に居た食品部の……」

「はい!後から入部した後輩です!」


 そう、彼女の名前は僕が設立に携わった最初の部活

絆スターズ

という食品開発と販売をする部活の名簿に載っていたのだった。

 部活自体は規模が大きくなるにつれ、顔を合わせる機会のない部員もそれなりに居たから、見覚えがないのはしょうがないかもしれない。


「信士先輩のことは色んな人から話を聞いてました!うちの部の設立から、成長まで牽引していた、素晴らしい人だって」


 二階堂さんは目をキラキラさせて僕を褒めちぎった。

 しかし、流石にその言葉を鵜呑みにするほど、僕は馬鹿ではなかった。

 そう、絆スターズの役員達とその仲間は、絆スターズの商品の卸先の一つ―――恐らく詐欺集団のような一味と結託し、その取引の過程で僕に借金を負わせ、素寒貧にしたうえで追い出したのだから。その部に未だ所属している人間が、僕を褒めるわけがないのだ。


「それ、どんな嫌みかい?僕はあそこを追い出された人間だよ?」

「いえ、嫌みなんかじゃありません!……私達は、貴方を探していたんです!」

「はい?」


 思わず僕は眉をしかめる。


「あの、そういう反応をされるのはしょうがないかもしれませんが、私達、絆スターズには、今貴方が必要なんです!どうか私達を……助けて下さい!」


 その言葉に、更に僕の眉はこれ以上ないほどに、歪んだ。


「……という、わけなんです」


 二階堂奈緒は、今まで何があったのかを僕に語り終えた。

 その内容は、何ともやるせないものだった。

僕が部からいなくなった後、後釜の経理も置かず、というか好き勝手に目先の商売ばかりに手を出し、部は傾き、更に部の幹部たちは詐欺集団と合流、または金を持ってとんずらしてしまい、今、絆スターズは倒産の危機だという。


「私達は……今絆スターズを支えている部員達も被害者なんです!一番良くしてくれていたはずの貴方を追い出し、部を食い物にされて……ですから、信士先輩に戻って頂いて部の再建をお願いできないかと……」

「……」


 何とも―――何とも勝手な言い分だと思った。同情心が無いわけではない。きっと騙されたというのも本当なのだろう。それでも、僕の心には割り切れない何かが蠢いているのも事実である。

しかし、腹立たしいものを感じつつも、僕は更にこの話の詳細を聞いてしまいたい衝動に駆られていた。


「……それで、今は部はどんな状況なの?」

「何人かはもう、逃げ出したり、諦めたり……それでもまだこの絆スターズが好きな人間が集まって、どうにかならないかを毎日会議しています。それで……私達は信士先輩が嵌められたことを知らなかった人たちは実情を知って、皆貴方を熱望しているといった状況です。このままじゃ、みんなで部の借金を背負うことに……だから……」


 放って置け、そんな言葉が、森野さんの声で僕の頭に響いている。

 確かに、そうしたほうが、楽に違いない。わざわざ、泥沼に足を突っ込む必要はないのだ。そこはもう、僕の居場所ではないのだから。

 でも―――僕はそんな風に割り切れる人間ではないと知っていた。


「……検討してみるから部の帳簿を持って来てくれるかい?」


 僕はこの時、決して泥沼を避けて通れない運命なのだと、悟った。


※※※


「ただいま戻りました……」

「ほにゃ!?」


 三時のおやつ時、真綾さんは案の定もう開かずの襖を開けて、おやつのポテチの袋を開け、口いっぱい頬張っていた。


「し、しずがじゃんばばばば!?(しずかちゃんは!?)」

「……一緒じゃないので、まだ外じゃないですか?」

「……ごきゅん、ふう、良かったぞ。ていうか、しずかちゃんも酷いよね!ねえ信士くん、今のうちにHP改装して貰っちゃだめ?」

「良いですけど、でも、管理者パスを僕知らないですよ?真綾さん知ってますか?」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ~~~!」

「グヌヌ!グヌヌ!」


 真綾さんが床でローリング悔しがりを見せる中、オウムのトロワが文字通りのおうむ返しを決めていた。


「で、信士くんはお仕事終わり?暇ならこのあとゲームであそぼーよ!真綾、このトサカレックスが倒せなくてさ」

「……えーと、すみません。ちょっとやることがあって」


 僕は自分の鞄をチラッと見る。

 中には二階堂さんから受け取った、絆スターズの帳簿が入っていた。


「そんな大した用事じゃないですから、終わったら遊びましょう!ね!」

「……」

「あれ?真綾さん……」


 真綾さんは無言でお菓子を両手で抱え込むと、奥の押入れにドンドン放り込む。


「嘘つき」

「真綾さん!?」


 そう言うと真綾さんは物凄い勢いで襖を閉め、またしても引き篭もってしまった。

 やばい、もしかして、何か僕は彼女の地雷を踏んだのか?

 その時、僕の脳裏に森野さんの言葉が鮮烈に浮かび上がった。


『本能に忠実で嘘をつかない動物しか周りに置かない』


 これだ。


 今僕は、真綾さんを前にして、初めて物事を誤魔化したのだ。

 たったこれだけのことで、へそを曲げた彼女が過敏なのか、それとも、僕がそれを分かったうえで答えられなかったことが未熟なのか。

 そういうことは抜きにして、僕は自分の行為を激しく後悔した。

 少なくとも、信頼関係を維持するなら、そう答えるべきではなかったのだ―――彼女に対しては。

 前に恵ちゃんのことで揉めた時も、多少怪しい言動はあったが、僕からついた嘘はなかったはずだ。しかし、今はハッキリ、誤魔化してしまった。彼女はそれを敏感に嗅ぎつけたのだ。


「真綾さん!あの……実は……」


 しかし、既に押入れの中からは爆音で音楽が流れて来ていた。聞く耳持たない、という体勢らしい。開けようと近づくが、イチは申し訳なさそうな顔をしながらも、きっちり僕を威嚇し、押入れの前をどこうとしない。これでは取りつく島がない。

 しかし、ここで引いてしまっては、誤解を引きずったまま、事態がこじれてしまい間かねない。


「すまんが、通して貰うぞ、イチ……」

「バウッ……」


 僕らは千日続く戦争状態のような睨み合いを始めた。高まれ僕の小宇宙。

 しかし、その永遠に続くと思われた睨み合いは、わずか一瞬で、終わりを告げた。

 事務所の扉が吹き飛ぶ音によって。


「真宮寺真綾はおるかああああああああああああああああああああああああああああ!」


 声の主のほうを見なくても、誰が入って来たかは一目瞭然だった。


「ダリア……さん?」

「おう、ネギ坊主。真綾を出さんか」


 ダリアさんは今までで一番の殺気を放ちながら、事務所の中へと入って来た。

 僕とイチはお互い目を合わせる。イチは健気にも、押入れの前で足を震わせながらも立ちはだかっていた、おしっこがだだ漏れだったが。


「そこか、通せ、犬」


ダリアさんがイチに近づく。


「だ、駄目だイチ!逃げろ!」


 このままではイチが殺処分されてしまう!?僕がイチの傍に駆け寄ろうとすると……。


「……何じゃこやつ、立ったまま気を失っておるのか」


 イチは直立不動のまま、失神していた。お前、男だったぞ、イチ。

 イチに気を取られた隙に、ダリアさんはもう押入れの襖をぶち破っていた。


「にゃあああああああああああああ!?」

「真綾、ついて来てもらうぞ」


 僕が開けられなかった扉を力技で強引にこじ開け、ダリアさんは真綾さんを中から引きずり出してしまった。


「にゃに!?にゃんなのおおおお!????」

「15時45分、真宮寺真綾、貴様を脱税の共謀容疑で逮捕する」

「はぁ!?」

「うええ!?」

「とっとと来い、五月蠅い女じゃ」


 そう言うとダリアさんは真綾さんに当て身を喰らわせ、文字通り、黙らせた。

そしてそのまま真綾さんを担ぎ、そのまま玄関から出て行こうとする。


「ちょ、ちょっとどういうことですか!?」

「どうもこうも、言った通りじゃ、この女、貰い受けるぞ」


 そう言うと、ダリアさんは僕のことなど意に介さず、真綾さんを担いだまま、物凄い勢いで走り去っていった。


「な……何が起こっているんだ?」


 僕は起きた事態を把握できず、ただ、森野さんの帰りを待つしかなかった。

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