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真宮寺真綾という女 その2

 午後から僕は通常通り、事務所に出勤していた。

 すでに森野さんも真綾さんも来ていたので、僕が一番遅くになってしまった。


「重役出勤とは、良い御身分」

「面談日だって言ったじゃないですか」


 森野さんは現代のベートーベンのように耳に手を当て聞こえない、という風なジェスチャをする。


「……そういえば、金剛寺正光像ってどこにあるんですか?」


 僕は話題を替えようと思い、自分から話を振ってみる。

 森野さんは怪訝な顔をして、僕を見つめる。


「気付いてないの?」

「え、もしかして、目立つ場所にあるんですか?」

「校舎の上に、でかでかとある、あれ」


 そう言うと双眼鏡を取り出し、森野さんは僕にパスする。

 僕は戸惑いながらも、それを持って、校舎の上を見る。


「何ですか、あれ?」

「それが、金剛寺正光像」


 金剛寺学園本校舎屋上―――僕の目の前にあるのはまるでダビデ像をよりマッスルにしたような、筋骨隆々の裸像である。ちなみに大事な部分は褌を履いていた。

 外から見たら、ただのオブジェにしか見えなかったため、これが学園長だとは露ほども思わなかった。学園案内にも写真が載っていたのだが、顔だけだったためこの像と一致して考えなかった。


「金剛寺正光って……70近いんですよね?」

「そう。まさに化物と言ったところかしら?」


 羽交い絞めにされたら全部の骨がバキバキに折られそうである。

 出来れば会いたくないな、と思いながら僕は双眼鏡を森野さんに返した。


「大分、財政が潤ってきた」

「……それは良かったですね」


 今度は森野さんから水を向けられた。まあこれ以上あの筋骨隆々の老人のことを考えるのはどうかと思っていたので丁度良かったが。

 森野さんは、プリントした事務所の売上明細の紙を僕に見せる。

 森野さんが提示したうちの売上を見れば一目瞭然、前年度の二倍強の数字を稼ぎ出していた。


「ありがとう、君のお蔭」

「あ、ありがとうございます」


 森野さんが素直に褒めてくれるとは、珍しいこともあるものだ。


「意外そうな顔をしない。私は、金の成る木は大好き、それだけ」


 あ、はい。まあ、そうですよね。


「金銭的価値をこれからも維持していって欲しい。出来れば金づるの顧客をその甘いマスクで垂らしこむと、なお良し」

「これ以上僕に求めるものを増やされても、限界がありますよ?」


 人の5倍の作業速度があっても流石にそろそろ受けられる仕事量もきつくなってきていた。


「それは、確かに憂慮すべき問題。だから、次は、これ」


 そう言って、森野さんは机の下から、何やらまた一枚のポスターを取り出した。


「また、僕のポスターですか?」

「違う、今度は……」


 そうして広げられたポスターに描かれていたのは……。


「ちょっ……!?」

「ふえっ!?」


 何と、真綾さんのパープルドレス姿であった。


「し、しずかちゃん、何時撮ったの!?」

「ファンタジアに潜入していた時、こっそりと」


 盗撮じゃないですかやだー。


「は、早く仕舞ってよ!何、その恥ずかしいポスター……」

「いや、これから先、この事務所がより発展するには、更なる宣伝と人材が必要。それには、真綾がそろそろ重い腰を上げるべき」

「い~や~~~~~~~~~!」


 真綾さんは森野さんの手からポスターを取り上げ、破り捨ててしまった。


「……ふっ、悪は潰えた……」

「もう遅い」

「へ?」

「もう、うちのHPに載せてある」

「なんあなあなななななああんげいえいghっげhj?????!!!」


 急いで僕は自分のノートPCを開き真宮寺真綾税務士事務所のHPを開く。するとそこには、ファンタジアで魅せた真綾さんの姿が、TOPを飾っていた。しかも微妙に目の隈が修正され、胸も盛られており、ただの美人のお姉さんが事務所の紹介をしているようにしか見えない。


「既に、真綾に来てほしいという依頼が何件か来てる。行って来て」


 いや、これ詐欺では?……そういう問題ではないかもしれないが。

確かに客は増えるかもしれない、しかし―――。


「絶対いやああああああああああああああああああああああああああ!」


 真綾さんはそのまま事務所の最奥の押入れに『天岩戸』と大きく油性ペンで文字を書き、漫画とお菓子と懐中電灯とヘッドフォンや音楽再生機器等々を掻き集め抱え込んで中に潜り込んでしまった。押入れの前には、イチが行く手を遮るように、ドンと座り込む。


「……ちっ」

「……森野さん、流石にあれは、やり過ぎなのでは?」


 ちょっと、無理やりは可哀想である。


「あれぐらい荒療治しないと、いつまでも駄目な子のままじゃない」


 おや?森野さんにしては、少し、拗ねたような言い方が気になった。


「でも、お二人ってその、一応仲良いんですよね?真綾さんは一緒に居てくれたのは、しずかちゃんと動物だけ、なんて言ってましたけど」

「君……もしかして真綾の昔の話、聞いたの?」

「あ、はい……まあ一応、ざっくりとですが」


 森野さんは奥の押入れを見つめ「あそこなら、聞こえないか」と呟いた。


「……実は、私と真綾は異母兄弟」

「はい!?」


 初耳である。余りにも衝撃的なことを言われて僕はのけぞった。


「う、嘘じゃないですよね?」

「そう、カメラはあっち」


 そう言って彼女は僕の後ろを指さす。僕はそっちを向くが―――。


「馬鹿が見る」

「もう!どっちなんですか?」

「声が大きい。……まあ本当の事」


 少し神妙な顔つきになり、森野さんは話を続けた。


「両親のお互い連れ子同士で小さい頃から住んでいた。私の方が、妹になる。両親の死後、私は母方の家に引き取られ、森野姓になった」

「そ、そうなんですか」


 そんな小さなころからの付き合いだったとは……。


「初めはあんな子じゃなくて、普通に遊んだりもした。姉弟と言うより、腐れ縁の幼馴染みたいなもの。でも両親のことがあって、こうなった。真綾はそうなって、生きにくいと思う」

「そう、ですよね」


 あまり想像できないが、きっと森野さんのほうがまるでお姉さんみたいに真綾さんの世話をしているところしか思い浮かばない。

 僕は一連のやり取りで一つ、疑問に思ったことを訊ねてみるべきか悩んだ。

 森野さんも両親を亡くしたのは一緒なんだから、何か思うところがあったりはしないのだろうか、と。

 しかしそれは、聞くのはとても失礼な気がして、気が引けた。

 僕はやはり、聞くべきではないと思い直し、それとは別の角度で湧き上がったもう一つの疑問を訊ねることにした。


「森野さんは、お金が価値基準なんですよね?」

「そうだけど?」

「なぜ、真綾さんと一緒に?お金だけだっていうなら、その肉親関係とか、そこまで気にするのかなって……」


 もしかして、肉親の情とか、お金だけで割り切れない関係が二人の間にあるのだろうか?

 もしかして森野さんは口で言っているだけで、友情だとか、絆だとか、そういうものを少しは信じているのではないか?そう思ったのだが……。


「あの子、自分の価値を分かってない」


 答えは、そのどれでもなかった。


「磨けばちゃんとした価値が出てお金になるのに、それを怠っている。そんな人間が一番腹立たしい。私は勿体ないものは、捨てたくない」


 どす黒いというか腹黒いというか、ともかく黒いオーラが森野さんから噴き出しているのが見える。価値が見えるからこそ、拘っているのか。そしてそれがよほど腹に据えかねるのだろうか?


「この写真を見てもそう思う?」


 森野さんがHPの写真をこちらに見せる。

 確かに、加工された写真ではあるが、全体のスタイルは良く、顔も美人の部類である。対人スキルの低さを除けば、頭も悪くない。むしろ人の嘘に敏感なくらいだから、きちんと対処していけばもっと上を狙える人間には間違いないだろう。


「でも、人それぞれで、その位置に居たいっていう場合もあるでしょう?」

「あの子はそれが、勿体ないの。だから復讐なんて非生産的なことよりも、もっと別の……」

「え?」

「―――」


 森野さんは口を噤んだ。


「今のって―――その」

「聞かなかったことにして」

「でも、それ確か真綾さんも言ってましたよ?具体的なことは教えてくれませんでしたけど……」

「私も、陰から色々手は回しているけど、言えるのはそれぐらい。詳しく聞きたいなら、全部あの子の口から聞いて、それが筋」


 森野さんはもう話さないとばかりに目の前の作業に集中しだした。

 僕は奥の襖を見つめるが、イチが威嚇の唸り声を上げている。


「外回り行って来ます……」


 仕方ない、今は後回しにしよう。あの開かずの襖は今の僕には開けられない。

 僕は真宮寺真綾税務士事務所の玄関を開け、明るい日差しの中へと出て行った。

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