女と仕事は両立しない その6
「あれ?どこだっけ……」
いきおい勇んで出てきたのは良いが……日も暮れ、辺りは暗く、人通りも少ないためか、道に迷ってしまったようだ。
近くに来ていることは間違いないのだが……。
「ちょっと!お兄さん」
「はい!?」
僕はいきなり暗がりから現れた、見知らぬタンクトップの大男に腕を掴まれた。
「な、何ですか!?お、お金なら……」
「安くしときますよ!お兄さん!」
「……はい?」
えーと、このよく三文TVドラマとかで聞くフレーズは確か……。
「うちの店、良い娘が一杯いますから!今なら初回特典でお安くしておきますよ?」
どう見てもこれはキャバクラ的な、夜のお店の呼び込みである。この学園、そんなものもあるの!?
「あ、いや、僕は今人を探していて……」
ちょっと興味はあるが今はそんなところで遊んでいる暇は無い。早く、真綾さんの元まで行かないと……。
「ならもう、ピッタリの娘がいます!さ!どうぞ、どうぞ!」
ガッシリと掴まれた腕は完全に決まっており抜け出すことは出来なかった。
「ちょ、ちょっと待って……」
「一名様ご案内~~」
僕は近くにあるプレハブ小屋の中に、強引に連れ込まれてしまったのだった。
昏い小屋の中には地下に通じる階段が一個あるだけで、僕はその階下へと担ぎ込まれて行ってしまう。僕、生きて帰ることは出来るんでしょうか?
地下に降り立った先の狭い通路の奥の扉を大男が開け、僕をその中に放り込んだ。
「ではごゆっくり~」
放り込まれた先で、恐る恐る目を開けると、そこには別世界が広がっていた。
「何……これ?」
豪華なシャンデリアに大理石(に見える)の床、豪勢なソファがいくつも並べられ、そこかしこに華やかな格好をした女性が見える。まさに銀座の高級クラブを彷彿とさせる出来栄えであった。
「いらっしゃいませ、お客様」
「あ、あの僕は……」
「初めてでいらっしゃいますね?では当店のシステムからご説明致します。ご挨拶が遅れました。私支配人の梟と申します」
目の前にいる笑顔の燕尾服の男は滔々と店の内容を説明し始めた。正直言ってそれは話半分でしか僕の耳には入ってこなかった。余りにも現実離れした状態に置かれて、脳がまだ事態について行かないでいたからだ。
僕のその浮ついた、挙動不審な様子を見て勘違いしたのか、燕尾服の男は大仰な動作で続けてこう言った。
「ご安心下さい。当店は健全、格安をモットーに運営しております。決してぼったくりなんて酷いことは致しません。夢を!希望を!ひと時の安息をお客様に提供する。それが当店のモットーでございます」
どこかの常に笑っているセールスマンの漫画のような台詞だなと思い燕尾服の男の顔を見ると、本当に顔立ちが似ていた。その顔で言われると一気に怪しさ十割増しである。
「では、ご案内致します。こちらの席にどうぞ」
半ば強引に席へと誘導される。下手に何かして怖いお兄さんでも出てきたら厄介だ。隙を見て逃げ出すか、安く済ませて切り上げよう。
僕は案内された奥のソファの真ん中に座った。
一刻も早く真綾さんの元に辿り着き手を打たないといけないのに、こんなところで快楽に身をゆだねようとしているなんて……何て僕は流されやすい駄目な男なのだろう。反省しろ自分!
「お待たせしました~」
「あ、どうも……」
目の前に胸の大きく開いた赤いドレスを着た女の子がやって来た瞬間、さっきまでの決意はどこへやら、ちょっとくらい楽しんでもいいか、などと考えてしまった。ああ、男とはかくも悲しい生き物である。いかん、信義の為、こんなところで躓くわけにはいかないのだ。本当に早く、帰らねば……。
「あけみでぇ~す!初めてのお客さんですかぁ~?」
彼女は舌足らずな喋り方で寄って来たかと思うといきなり僕の腕を自分の胸に挟み込んできた。
「は、はい。まあ、でももう帰……」
「本当はお酒を用意したいけどぉ~、流石に未成年だからぁそれは無理なのぉ~。だから、これがメニュー?」
有無を言わさず渡されたメニュー表には元の飲み物が何だか分からない代物ばかりが並んでいた。《激おこファンタジア》《金剛ジンジャー》《世界の中心でアイーンを叫ぶ》etc……。
ニコニコ笑顔の彼女からは早く頼めという無言の圧力を感じる。仕方ない、一杯だけだ。
「えーと、でも注文しようにも、メニューの内容がよく解らないんですが?」
「んーと、じゃあ金剛ジンジャー二つ宜しく~」
手慣れた感じで勝手に注文されてしまった。そして、そこからはまさに彼女の独壇場だった。話題を切らさず、飽きさせず、完璧なタイミングで追加注文を入れ、帰るタイミングを掴ませない。
気が付いた時にはこちらも完全に大事な用事を忘れて楽しんでしまっていた。そう―――彼女が目の前に、現れるまでは。
「じゃあ私はこれで~。次のお客さんがあるからまたね」
「うん!絶対にまた指名する!」
「嬉しい~!ほっぺにチューしちゃう!」
僕は完全にドハマりしていた。キスまでされて完全に有頂天、世の春である。何か大事なことを忘れているような……。
「ところでさ、この金剛ジンジャーって何なの?」
彼女の去り際に疑問に思っていたことを聞いてみる。
「ああそれ?種類の違う二つのジンジャーエールを混ぜただけ。だから『金剛』ならぬ、混合ジンジャー。超うける~」
ダジャレかよ!
「気に入ったならボトルで入れよっか?」
「あ、喉が乾いたらまた頼むから……」
「だ~め!私がいる時にして?」
「……何で?頼むなら何時でも……」
「……それじゃぁ~私の売上にならないでしょ?」
「え、そうなの?」
「そうよぉ?だってキャバ嬢って別にお店に雇われているわけじゃないしぃ?」
「え?でもお店からお給料貰ってるんでしょ?」
「違うわよぉ?私達は『こじんじぎょーぬし』ってやつなのだぁ!」
―――個人事業主?つまり彼女は、自分自身で稼いで税金を申告している、ということになる。
「お店はぁ~場所を提供しているだけでぇ~売上の一部を納めるだけで、ほとんどは私達の取り分なのだぁ!知らなかった?」
知らなかった。というよりこんなお店に来たことないし内部の事を知ろうとも思わなかったのだからしょうがない。つまり全員雑誌に描いている漫画家みたいなもので、この店が本で、彼女たちが作家みたいなものなのだろう。
「ぜーむし見習いなのに何も知らないのねぇ。せんせーにちゃんと教えて貰うんだぞぉ?」
思い切り諭されてしまった。面目ない。
「あ、代わりの娘が来たみたい」
ここで僕はようやく我に返った。そうだ、帰って真綾さんに会わなければならなかったのだ。
「あ、じゃあ僕もう帰ります」
「え~、でも次の新しい娘が困った顔で見てるよぉ?」
「でも、用事がありまして……」
「だめよ~帰っちゃ~」
またしても大きな胸に腕を挟みこまれる。いや、駄目だ、僕は帰らねば……。
「え」
目の前のヘルプに来た娘があげた声で顔を上げる。
僕はその顔を見た瞬間、凍り付いた。
「めぐ……むちゃん?」
普段していない化粧をしているがそこに居たのは間違いなく、白いドレスに身を包んだ、僕の天使、笹垣恵ちゃんだった。




