信頼=お金の図式 その1
「はっ」
目が覚め体を起こすと、そこは天国でも何でもなく、殺風景なスチールの机と椅子と本棚が立ち並ぶだけの空間だった。スリッパが並んでいるところが玄関なのかドアが一つだけあった。
「どこだ……ここ?」
僕はその部屋の床に無造作に寝かされていたようだ。
「コンニチワ」
後ろから話し掛けられ吃驚して振り返る。
「こ、こんにちは!」
勢いで挨拶してみたが、振り返っても誰も居なかった。
「?……でもいま確か……」
「コンニチワ、コンニチワ」
声のする方向をよく見る。すると死角にあった暗がりの窓枠にしがみついているオウムが僕に挨拶していた。
「バウッ」
「うわっ!?」
さっき僕に噛みついた大型犬が真横の床にいて尻尾を振っている。
「ギニャーン」
「ぬおわっ!?」
今度はやたらでかくてデブな黒猫が僕の背中に飛びついて来た。
さっきまで殺風景だった空間に、どこからともなく動物が湧き出て来た。
茫然としていると、しまいに僕のパンツからリスが飛び出ていく。
……何なの、ここ?
「……起きたの?」
「はい!?」
いつの間にそこに居たのか分からないが、先程出会ったばかりの少女が僕のすぐ右横に立っていた。
小首を傾げて僕の顔を覗き込んで様子を窺っているみたいだ。
ケープはもう外していて、だらしないダボッとしたシャツにかぼちゃパンツ姿で胡坐をかいて僕の方を向いている。
手足は陶磁器のように白く細い。化粧っけはまるでなく、しかし多少眠そうな若干クマのある目以外は整った顔立ちをしており、美少女の部類かもしれない。
そんな少女にマジマジと覗き込まれたら、何か気恥ずかしくて視線を合わせにくい。僕は目線を外しながら、質問することにした。
「お、起きましたけど、ここには、その……?」
「イチが運んだんだぞ」
その疑問に答えるかのように彼女は犬を指さす。
犬はドヤ顔で尻尾を振りながら自身の存在を鼓舞していた。どうやら首根っこを咥えられたままここに引きずられて来たようだ。よく窒息死しなかったものだ。
「あ……ありがとう、イチ……くん」
一応、礼を言う。
「よかったぁ!」
「!?」
彼女は急に弾けるような笑顔を見せ、明るいトーンで話しかけて来た。
僕はその話し方からまるで、小学生に話しかけられたような、幼い印象を受けた。しかし、彼女はこの学園内にいるのだから、同じ高校生のはずだ。
「お腹、空いてない?缶詰しかないんだけど、食べる?」
彼女はにこにこ笑顔でご飯を勧めてくる。
「あ、ぜ、是非!」
僕は皿に開けられたツナ缶(?)にがっつく。
人前で行儀が悪いとか、いきなりはしたないとかそんなことを気にしている余裕は今の僕には無かった。
……うまい。
僕は思わず頭の中で「このワザとらしいツナ味!」と快哉を上げた。
ただのツナのはずだが、僕にはもはや最上級のおかずに感じられていた。
空腹は最高の調味料と言うが、まさに一口目は至高の味わいだった。
思わず涙が零れそうになる。缶詰だけで人は幸せになれるのだと僕は悟った。
一気に食べきってふと顔を上げると、彼女は僕を見つめていた。
「美味しかった?」
そこにあったのは彼女の優しい笑顔だった。キラキラした目でずっと、僕の様子を見守っていたようだ。
「幸せそうに食べるね。かっわいい!ねえ、もっと、食べる?」
「は、はい!」
この人はもしかして……神が僕に遣わした、天使なのではなかろうか?
「あの……貴方は?」
言ってから自分のミスに気が付いた。名乗るなら、自分からというのが失礼のない行動である。
「あ、すみません、僕は一年生の葉山信士と申します!葉っぱの葉に山、信じるに士です!」
「信士くんね、宜しく!私は二年生の真宮寺真綾。真綾はね、ここの事務所の責任者だよ」
二年生!?つまり、彼女は僕より年上だった。確かによく見れば手や足は細く小柄だで線が細いから小学生か中学生のような印象を受けたが、それは喋り方の問題もあるのだろう。失礼なことを言わなくて良かったと僕はほっと胸を撫で下ろした。
「……じ、事務所ですか?」
「うん、真宮寺真綾・税務士事務所」
『税務士』
それは学園で経営されている部活動の一つで、正式名称を『学園税務士』という。
一般社会では税理士と呼ばれ、経営に関する納税のアドバイスや手伝いをする職業だったはずだ。
「凄い、それじゃあ税金のスペシャリストなんですねその、し、真宮寺さんは」
「真綾でいいよ?というか別に凄くなんてないぞ?数字は嘘を付かないから、人と接するより楽なだけ」
僥倖なことに下の名前で呼ぶ権利を貰い、僕の鼓動は更に早まったが、僕はその彼女の台詞に、何か妙な違和感を覚えた。この時はその正体に気付かなかったのだが。
「ところで、なんで倒れてたの?」
もっともな質問が真綾さんから飛んできた。それは誰でも疑問に思うだろう。草むらで半裸の男が倒れていたら尚更である。僕はかいつまんで今まであったことを彼女に話したのだった。
「信士くんて、馬鹿なの?」
真綾さんの第一声はそれだった。馬鹿にしているというより、心底意味が解らないという困惑した顔をしていた。
「普通そんなことで騙される人なんて、いないぞ?」
「そ、そうでしょうか?」
「うん。人間なんてみんな嘘つきなのに、なんで信じちゃうかなあ?断言してもいいけど、そのお金返ってこないぞ?」
「いや、でも……人を信じないと、人間社会って、廻らないですよね?」
「それ、間違いだぞ?」
真綾さんは人差し指をこめかみに当て首を捻り、僕の人生訓をあっけなく否定した。
彼女は続けて「だって世の中を廻しているのは、お金だから」と身もふたもないことを言う。
「で、でもお金を作ったのは人間ですよね?お金は後から出来たものですし、やはり人がいないと……」
彼女に同意できる部分も無くはないが、自分自身を否定されているようで、つい反論してしまう。
彼女は少し考えた風に眉を寄せるが、口を3の字に尖らせてこう続けた。
「ん~、否定はしないけど、肯定もしないぞ?だってお金こそは、人なんだから」
お金が人?それはどういうことだろう?
真綾さんは、ふふん、と腕を組み、教えてあげようと言わんばかりに得意げな顔をする。
「それは、お金の成り立ちを考えればすぐにわかることだぞ。だってお金は……」
その時、事務所のドアが開いて、誰かが入って来た。
入って来たのは眼鏡にショートヘアの、まるでファッションモデルの様に黒いスーツをピッチリと着こなした、真面目そうな印象の秘書風の女性だった。