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女と仕事は両立しない その4

「はい、はい。そうですか、それはちょっと厳しいですね。はい、分かりました。ではお待ちしております」


 僕は朝から仕事の電話の応対に追われていた。まさに引っ切り無しに事務所に電話やメールがやって来ていたのだ。


「これ、第三次世界大戦ですか?」

「そのほうが可愛いもの」


 実際の仕事の内容にも四苦八苦だった。申告時期になると飛び込みで来る客も多く、何の準備もないまま苦労させられることが多かった。その対応だけで一日が潰れ、夜遅くまで残業などざらだったからだ。

実は結構この仕事を舐めていたのだと気付かされる。元々処理能力は高かったので高を括っていたが、暇なときは問題なかったのだが、繁忙期になってみれば、処理能力以上に、それを上回る顧客がやって来てしまったのだ。今や、移動中に数字を計算している始末である。


「当たり前でしょう?どんな仕事もかき入れ時ってものがある。税務士にとってはまさに今。ほら、馬車馬は働く」

「はぁ、恵ちゃん……」


飯を食いに行く暇もない。この一週間、当然彼女に会いに行く暇など皆無だった。飯はすべて校内コンビニ『ウルトライレブン』の弁当か、カップラーメンしか食べていない。


「お客様が多すぎるってのも……考え物ですね」


 そこで僕は、ふと思い出した。


「あの、真綾さんはまだ?」


 ここ一か月というもの、僕は真綾さんとまともに会話をしていないのだ。原因は真綾さんが出社しなかったり、僕が帰社した時には既に帰っていたりなど、兎に角会わないからである。


「仕事がこんなにあるなら、事務だけでいいので手伝って貰えれば……」

「奇遇、同じことを考えていた」


 そう言うと、森野さんは僕に一枚のメモを渡した。


「迎えに行って、真綾を」

「はい?僕がですか?」

「他に、誰が?」


 有無を言わせぬ鋭い目つきでそう命令される。


「はい、行ってきます……」

「あ、仕事は持って行って。それ、今日中」


 そう言うと森野さんはドサッと僕の手に机の上の書類の束とPCを乗せた。


「い、行って来ます……」


 僕は、(荷物のせいで)重い足取りで真綾さんの住む家に向かった。



「この辺り……のはずなんだけど」


 学園の外れに僕は来ていた。ここは事務所のある場所から近くにはあったのだが、メインストリートからは反対の、あまり開発の進んでいない区画らしい。人通りなど皆無で、プレハブ小屋や、朽ちた廃墟がそこらに点在しているだけ。夜に通ったらさぞかし怖いに違いない。


「ここだ……って」


 どんな場所に住んでいるかとビクビクして来てみたが、888万円の家のように簡素だが案外普通の小奇麗なアパートだった。真綾さんはここの二階奥に住んでいるようだ。

 外から直接伸びている階段で二階廊下に上がり、目当ての部屋の前まで僕はやって来た。呼び鈴を押す。


「あの、真綾さん、いますか?」


 返事は無い。


「あの、信士です。いたら、開けて頂けますか?」


 やはり、返事は無い。


「……いないのかな?」


 しかし―――


「ワン!」


 イチの声が部屋の中から聞こえた。


「真綾さん、いるんですか?」


 ガチャ、という音と共に、扉が開く、が、 真綾さんは半分くらい顔を出しただけで中から出てこようとはしなかった。


「あの、真綾さん、実はですね、事務所の方に出て来て頂きたく……」

「……五月蠅いぞ」

「え……今何て?」

「五月蠅いぞ。消えてよ、もう」


 あまりにも冷たい言葉に、僕は衝撃を受ける。


「あの……何か僕、しましたか?そんな事言わないで……」

「裏切り者」


 そう言うと真綾さんは暗い瞳で僕を睨みつけ、そのまま勢いよく扉を閉めてしまった。


「真綾さん!?真綾さん!」


 僕は扉を叩いたが、返事はもう二度と、返ってこなかった。



 僕は、結局そのまま事務所に戻ることもせず、気がつけばめぐむっくへとやって来ていた。森野さんにどう報告したらいいものか、気まずかったのも勿論あるが、この複雑で、沈んだ気持ちを癒したいという思いがあった。なぜ、真綾さんは僕を突き放すようなことを言ったのだろう?


「あ、お久しぶり信士くん!今日は何にする?」

「……うん、あの、実は今日は……」

「あ、そうだ、いきなりで悪いけど、こんなものが来たんだけど……」


 彼女が見せたのは、見覚えのある一通の封筒だった。


「税務調査……の通知?」

「そう、みたいなんだよね」


 意外だった。税会はあまり儲かっていないはずのところに調査が来ることは稀なのだ。

確かに急激に儲けは増えたとはいえ、ついこの間、僕が提出した彼女の申告に特に問題になる箇所はなく、売上も仕入れもしっかりと記入されており、領収書も添付されていた。今期は多少売上が多かったがそこまで問題視されるようなことがあるとは思えないのだが……。


「まあ今回はちょっと儲かったから念のため向こうも調査しようって感じだと思うよ?心配しなくても大丈夫だよ」

「う、うん!だよね……」


 心配そうな顔をしている彼女を見て、僕は落ち込んでいた自分を奮い立たせた。こんな暗い顔をしていたら、逆に不安にさせてしまう。


「任せておいてよ!……未来のNO.1税務士として僕がちゃんと税務官を追い返すからさ!」

「本当!?何だか悪いけど……」

「大丈夫、真宮寺真綾事務所の出世頭として、税務官をきっちり締め上げてやるから」


 彼女は安堵の笑みを浮かべた。このぐらいの大口は、許されるだろう。


「ほう、追い返してみるか、小僧」


 絶対許さない人間に、聞かれてしまっていたようだが。


「あ、いらっしゃいませ……」

「少し早いがお邪魔するぞ。税務調査官、法皇院ダリアじゃ」


 あのトンデモ税務官が再び僕の横の席に、ドスンと座った。


「今回の、税務調査は、もしかして……」

「ああ、我じゃ。なんじゃ、今回はお主一人か」

「は、はい。でも本当に早いんですね。もう少し後かと……」

「善は急げ。税は取れるうちにもっと急いで奪え。それが税務官の標語じゃからの」


 嫌な標語だ。


「じゃが、これも好機じゃ。我は何と言ったかな?次会った時は―――」


 ダリアさんの全身から殺気が迸っている。


「お、お手柔らかに……」


冷や汗を全身から噴き出しながら挨拶をする。


「お知り合い何ですか?二人とも」

「ええ、まあ……」

「三度は見たくない面じゃな」


 吐き捨てるようにダリアさんは言う。

 その様子から何を勘違いしたのか恵ちゃんは逆に期待の眼差しを僕に向けてきた。僕はそれに愛想笑いしか返せない。

 しかし、いくら相手がダリアさんだとはいえ何の問題もなければ手出しなど出来ないはずだ。僕でも、きっと追い返せる……といいなあ。


「何をビクついておる。貴様如きに振るう拳などないわ。とっとと資料を出さんか」

「ど、どうぞ……」


 僕はめぐむっくの貸借対照表と経費の領収書を貼ったスクラップブックを彼女に渡す。相変わらずの速読で、モノの一分と経たずにそれを読み終える。


「ふん……」


 鼻を一つ鳴らしただけで彼女はそれをパタンと閉じた。

 終わった……のだろうか?


「問題……ないですよね?」

「この資料が正しければ、な」

「それはもう間違いなく正しいですよ!問題なく出来ています!じゃあ今回の調査はこれで終了ということで……」

「ば~~~~~~かたれ!」


 いきなり凄まれ、ひいっと声にならない声を上げ僕は椅子から転がった。


「し、信士君!?」

「正しければ、そう言ったはずじゃ。こんなもん全く正しくないわ、のう笹垣恵よ」


 ギロリと威嚇するような目でダリアさんは恵ちゃんを睨みつける。


「な、何のことですか?」

「とぼけるでない。お主、脱税しておるな?」


 脱税!?意外な言葉がダリアさんの口から洩れた。


「馬鹿言わないで下さい!そんなことあるわけ……」

「馬鹿は貴様じゃド底辺の一万流税務士風情が!」


 三流ですらないの!?


「この女狐が中抜きしていることに気付きもしない阿呆がよくもまあ『税務士です』という顔をしておるわ。のう、笹の字?」


 中抜き?一体何のことだ?

 僕の疑問に応えるかのように、ダリアさんは一つの紙切れを取り出した。


「これは一週間前、我がここで食った飯の領収書じゃが……」


 そして彼女は帳簿の売上の一覧を示す。


「見事にこの日の売上から、それが抜け落ちておる。どういうことじゃろうな?」

「そ、それは……たまたま入力を忘れて……」

「ほう、じゃあこれもか?」


 彼女は今度は束になった領収書を取り出した。


「その日、貴様の店で食べた税務官すべての領収書じゃ。全部、抜け落ちておるようじゃがの」


 ことここに至って、僕も事態の深刻性に気が付かされていた。

 売上を抜く―――販売したはずの物を売ってないことにしてその分のお金を店に入れずに自分の懐に入れる。古くからある脱税の手口だった。ついこの間森野さんから借りた脱税の本に載っていた。本当によくある初歩的な犯罪。しかし僕はそんなことを、彼女―――恵ちゃんがしているとは露ほども疑わなかったのだ。


「その日は我を含め事前調査でうちの調査班全員で昼食を頂いたのじゃ。まあ味はそこそこじゃったが、経営者としての腕はド三流じゃったな」


 恵ちゃんは顔面蒼白で、何か懇願するような視線を僕に送る。しかし、僕には何も出来ない、いや、やれることが思いつかない。


「他にも調べればザクザクでそうじゃの。事が事じゃから、ちょっと長く話を聞こうか。ついてまいれ」


 そう言うとダリアさんは恵ちゃんについてこいと促す。

 彼女は覇気なく、幽鬼のようにそれに従う。

 僕は情けないことに、それをただ見送るしか、出来なかった。

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