女と仕事は両立しない その3
一週間後―――彼女の店―――屋号を『めぐむっく』に改めたその屋台は大盛況を迎えていた。
「お、お待たせ致しました~~~~!」
恵ちゃんは胸を強調したメイド服に身を包み、忙しそうに屋台の外にまで広げたテーブル席に料理を運んでいる。
僕一人の時の接客と違い、忙しそうに、そして何より楽しそうに彼女は屋台の周りを動き回っている。
僕はその様子を目を細めて木陰から見守っていた。
僕が改善した点は三つだけだった。
まず場所を変えた。
このオフィス街では、競合店が多すぎるうえ、客層が店の実情に合っていないと判断した。
彼女一人で店を切り盛りする関係上、そこまで多くの客は捌けない。常連を作り、出来れば一人で多くの注文をして、長居して貰う客層を狙ったほうが良い。
綿密に僕がリサーチした(ルーザーズ時代に這いくばりながら男子生徒が飯を食っている場所で残飯を漁っていただけの話だが)男子がたむろしやすい隠れスポット中心に出店をし、顧客層を広げたのだ。
二つ目は、店舗の改装だ。とはいえ、ただ小綺麗にしたわけではない。
この店――料理は美味しいのに、何が売りなのか見た目ではなかなか分からなかったのだ。で、それが伝わるような店構えにしようということになった。
結果としてメニューをメイド喫茶風に替え、小奇麗で可愛い外観の屋台に作り替えたのだった。費用は僕が個人的に貸した。その為にしばらく昼飯抜きが続くがこれも未来の妻の為である。
最後は勿論彼女の服装だった。他の男の目線を引くのは業腹だったが、彼女自身の魅力で集客するのが最も効率がいいのは火を見るより明らかだったからだ。
服装は屋台のゴシック風に合わせてメイドコスにし、その胸も強調すべく開き気味の服にした。まさに苦渋の決断だった。
「頑張ったね、恵ちゃん……」
暖かく彼女を見守る僕の瞳には約束された未来の姿が重なって映っていた。
その時僕の携帯が鳴った。
「やべ、真綾さんだ」
「プリン二つ買って来て」とメールに書かれている。
二人の女から引っ張りだこか、嬉しいねえ。……うん、言ってみただけだけど。
僕は後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。
月が変わり、今日は朝からずっと雨だった。
長雨の影響か、最近真綾さんは不機嫌で、引き篭もりに拍車がかかった様子で事務所には「雨が止むまでお休みだぞ」という書置きだけが残されていた。
午後事務所に出社した僕は彼女の代わりに帳簿の入力に追われていた。
そのせいもあってか最近忙しすぎて抜け出してめぐむっくに行く暇もなかった。早く会いたいよマイエンジェル。
「コーヒー飲む?」
「あ、頂きます」
同じく出社していた森野さんが珍しく僕にコーヒーを淹れてくれたようだ。
「なぜ、淹れてあげたか分かる?」
「さあ、分かりかねますが」
「まず質問、最近君、どこへよく行ってるの?」
「え……それは、そのお客様です、新規の」
「そう、それならいい。こっちの仕事も忙しいのに、たまに抜け出しているような気がしたの。真綾の頼み事も、たまに断っていたから」
「……すみません。ちょっと、そのお客様に色々相談に乗っていまして」
「……そろそろ決算期が近い。これからもっと忙しくなる。だから、最近さぼっている真綾の分も頑張るように」
コーヒー一杯で物凄い圧力を与えられた気分だ。
「ハハ……頑張ります」
喉を潤しているのに乾いた笑いしか出てこない。いつか過労死しないように気をつけなければ。
時期はもうすぐ夏を迎え、一学期が終わろうとしていた。
「そういえば、この学校って夏休み期間はどうなってるんでしたっけ?」
「授業が全面的にお休みなのは普通の学校と同じ。しかも夏休みの宿題は特になし。そこだけは他の学校より良いところ。儲かっている人間は帰省の申請をすることもあるけど、でもほとんどの人間は帰らない」
「なぜです?」
「稼ぎ時、だから」
森野さんは、何当然のことを聞いているんだと、呆れ顔で僕を見つめる。
「世の中的には二月と八月は売り上げが低くなるけど、この学園では八月は別。完全に授業が無くなる八月は最も商売に活気が出る時期」
なるほど。学期中は授業も試験も一応は存在しているし、そちらで優秀な成績を修めれば一応学資金としていくらか円帝を貰えることになっていた。
しかしそれは上位十名とかの世界であって、僕や大半の生徒には全く意味がなかった
のだ。稼ぐなら、授業何てほとんど足枷にしかならないのが現状だった。休みが多ければ多いほど、商売に専念しようとするのは至極当然とも言える。
「……そういえば何で二月と八月って一般企業の売上が低いんですか?」
「考えないで丸投げしない。税務士見習いなら自分で考える。受精卵じゃあるまいし」
子供扱いするならせめて年齢を幼稚園児か小学生くらいに引き上げて欲しい。
「ええと……二月は、日数が短い、から?」
「そう。後は正月明けの直後でイベントも少ない。お財布の紐も色々固くなる時期」
お年玉も配るしなあ。忘年会、新年会と続いて金を使った直後の翌月に金を大量に使おうという傾向にならないのはしょうがない気はする。
「八月は……やっぱり休みが多いからですかね?」
「そう、お盆休みが最大の原因。実質的に企業が二週間ほど稼働しないなら売上が下がるのもしょうがない。海外に出かける人間も増えるし」
言われてみればどれも当然だった。物事の結果にはきちんと原因がある。それをちゃんと見据えて考えろ、ということだろうか。
「一学期が終われば、また税務調査の季節もやって来る。今のうちにクライアントの対策はしっかりしておくこと。帳簿上で不審なものを見つけたらちゃんと報告するように」
「分かりました、任せておいて下さい!」
今の僕はやる気に満ち溢れていた。物凄い『ヤル』気に。いや、愛に。
「……何か、不安」
首を捻りながら森野さんは自分の席に戻っていった。
その日の午後夜遅く、僕はようやく空いた時間に「めぐむっく」へと足を運んでいた。
「あ、信士君いらっしゃい!」
「あれ、もう閉まる時間?」
僕のマイエンジェルめぐみん(三日前命名)は椅子を片づけているところだった。
「うん。でもいいよ、信士君なら。余りの材料でしか出来ないけどいい?」
『いいよ、信士君なら』か、その台詞だけでご飯三杯は行けます。ご馳走様です。……いけない、最近調子に乗って、浮かれているような気がする。気を引き締めねば。
「……順調みたいだね」
「うん!あれからずっと好調なんだ。先週は最高売上も更新して、ほんと……ぐすっ」
「どうしたの!?」
「ご、ごめん。嬉しいのと、ちょっと玉ねぎが目に入っちゃっただけで……」
彼女は涙ぐみながら玉ねぎを微塵切りにしていた。
「好きなことで、ちゃんとお金を稼げるって……こんなに嬉しかったんだなって、思ったの」
「……僕もそれが一番だと思うよ。め……笹垣さん」
妄想の中では既に暖かな家庭を創り上げていた僕だったが、現実ではこんなもんである。名前で呼ぶのはハードルが高すぎる。
「恵、でいいよ。信士君」
天にも昇る気持ちというのはこういうことを言うに違いない。
僕は名前で呼ぶ権利を手に入れて軽く天に昇る気持ちである。きっと北斗神拳の長兄もこんな気持ちだったに違いない。
「あの、信士君にもいくらかお礼を払おうと思っているんだけど……」
「え?別にいいよ。こっちは親切心でやったんだし」
「ううん、それじゃ私の気が済まないの。何かお礼させて?」
今度こそ『君が欲しい』という言葉が本気で喉から出かけた。まだだ、まだ逸るな僕。
「そ、それじゃ……その今度僕のクライアント、顧客になってよ。税務相談にはいつでも乗るからさ」
「ほんと!?うわあ、力強いな!」
「うん!任せて!」
僕はガッツポーズを取る。それと同時に彼女の料理が皿に盛られて出てきた。
「はい、どうぞ。恵特製、ごっちゃまぜナポリタン」
「いただきまーす!」
うん美味い!元の食材は何が使われているか全くわからないが兎に角凄く美味い!彼女の手料理かと思うと尚更だ。
「ありがとう、信士君」
「はふっむぐっもぐっ!」
「じゃあ早速だけど信士君、売上について何だけど……実はね」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐむしゃあむっふうううううううめええええええ!」
「……クスっ」
「ん?何か言った恵……ちゃん」
「何でもない。ゆっくり食べて?」
「う、うん!」
物凄く浮かれた気持ちでご飯を食べていて、この時僕は彼女の話を聞かなかった。そしてそのことを、この後すぐ後悔することになるなど思いもしなかったのだった。
一級フラグ建築士の主人公くん。さてどうなりますやら。




