女と仕事は両立しない その2
昼過ぎの学園内、僕は学園から商業施設区域のある大通りを真っ直ぐに歩いていた。
ここは様々な部活がひしめく、競争の激しい地区である。大手電気店から始まり、オフィスビルのような建物もあり、その中には沢山のIT系の部活が入っていた。昼にもなれば、お昼を食べようとそこかしこから人が溢れ出て来ていた。六本木のオフィスビル街はこんな感じだろうか。
ぐう。
遅まきながら、僕もお腹が鳴る。生活費はカツカツなので割と食費は切り詰めていたが、昨日が給料日だったので、多少の余裕はあった。
「何か食べようかな……」
キョロキョロと辺りを見渡すと、おしゃれなイタリアンレストランもあれば、和食のお店も、立ち食いソバのようなファストフード店も連なっている。その中で、僕の目に止まったものがあった。
「あれ?あの屋台は……」
そこに有ったのは僕が森野さんの試験を受けた時に貰ったお金で入ったあの屋台だった。
「これも、何かの縁かな」
縁起担ぎがてら、僕はその屋台で昼食を取ることを決めた。
あの時は気が付かなかったが、割と外観はボロく、結構ガタが来ていたが、味は確かだった覚えがある。
「こんにちは!」
屋台の暖簾を潜ったが、特に返事はない。少し身を乗り出してみると、カウンター越しの向こうには、店主の女の子が後ろ向きでしゃがみ込んでいた。
「あの~?」
驚いた女の子が振り向いてこちらを向く。不覚にもこの時僕は初めてこの屋台の店主をよく見たのだが―――。
「―――」
僕の脳髄に電流が走った。
人が恋に落ちる瞬間というのはいつも突然である。そう、今である。
そこに居たのはまるで妖精がエプロンをつけているという表現が正しい可憐な少女が、みかん箱を足台にして立っていた。
クリクリの瞳にキュートな顔立ち。亜麻色のショートヘアも相まってか、まるで小学生かと見まがうような容姿だった。さらに体型に不釣り合いな大きな胸がエプロン越しにもよくわかる。なんともアンバランスだが、それがまた独特の色気を醸し出しているではないか。
「あ、あの―――結婚を前提にお付き合いして下さいますか?」
「はい?」
「あ、ち、違いますえーと、油そばを一つ」
つい、思ったことが口をついてしまった。自分がこういうことに存外積極的なことに驚く。お巡りさん、僕はロリコンではありません、念のため。
「……うち、洋食屋なのでペペロンチーノで良いですか?」
「は、はい!」
僕は落ち着きなく、料理の完成を待った。
包丁を持って作業している彼女の姿は、まるで天使が配膳をしてくれているようだった。前回来た時にまるで気が付かなかった自分の不明を恥じたい気分である。
「美味い!」
暫くして、配膳された料理に僕は食らいつく。
「すっごく美味しい料理ですね。きっと繁盛してるんでしょうね」
一気に流し込んだところで恥ずかしくて横を向いて喋ったのだが、返事はなかった。というか、場を妙な沈黙が支配している。その中で鼻をすするような音がし始めた。何か妙だな、と思い始め前を向いたところ……。
「うえええええええええええ~~~~ん」
「!?」
まるで堰を切ったかのように彼女が大粒の涙を流し始めたのだ。
「ナンデ!?ドウシテナイテルンデス?」
思わず片言で聞いてしまうくらい僕もテンパる。今警察が来たら僕は間違いなく逮捕されるに違いない。
「はやっ……はやっ……」
はや?はやお?ハヤオミヤ〇キ? 〇リコンなところだけは一緒だけど僕はそんな名前じゃないですが?
「流行ってたらこんなにオンボロ屋台なわけないでしょ~~~~~?」
何だそっちか。良かった、思わず安堵の笑みが零れる。
「何にやけてるの?最低!馬鹿にして私の事笑っているんでしょ!?元の料理も分からない癖に美味しいとか嘘ばかりっ!」
「あ!違う違う!これはロリコンがばれなくて済んだというか……」
「お~~~か~~~~さ~~~~れ~~~~る~~~~!?」
事態は悪化した。大体自業自得で。
僕は、警察委員会に捕まることを覚悟しながら、天を仰いだのだった。
警察は来なかった。多少なりとも、昼飯時を外していた為、人通りが少なかったのが幸いした。
何とか落ち着いた彼女を宥め、普通に会話をすることに成功したのはそれから三十分も後の事だった。
「ご、ごめんなさい。つい、気が動転しちゃって……」
「ああ、いえ僕のほうこそ誤解を生むようなことを言っちゃって……」
「あの、私、笹垣恵です。宜しく」
「あ、僕は葉山信士と申します」
ようやくお互いが名乗り合った。そうか、恵ちゃんか……。結婚したら葉山恵、きっと子沢山になりそうな良い名前である。
「ところで何で泣いてたの?」
「だってそれは……繁盛してるなんて言うから」
「え、でもこんなに美味しいじゃない?」
「嘘ですよそんなの!だってここ一週間のお客さんて信士さん以外に来てないんですから!」
マジですか。
「え、でも本当に美味しいですって。僕が嘘が苦手だってことは僕の知り合い全員に聞いて貰っても大丈夫なくらい保障しますから」
そもそも隠し事の前に、本音がつい口から洩れていることが多いのだ。
「……本当、ですか?」
「うん、天地神明に誓って、間違いありません。美味しいですよ、貴方の料理は」
「ぐすっ……ありがとう」
彼女は涙をエプロンで拭う。その仕草もとても可愛い。薄汚れた屋台やエプロンが逆にこう、薄幸さ加減を妙に醸し出していて僕の中に彼女への保護欲がムクムクと湧き上がって来る。
そういえば、昔から僕はこうだった。今までは自分に余裕が無さ過ぎて忘れていたが捨ててある子犬や猫を見ていると、つい施しをしたくなるタイプだったことを思い出す。そういう意味では彼女は、僕のタイプど真ん中だったのだろう。
「でも、その、あまり流行ってないんですね」
「そうなの。開店以来全然……もう辞めちゃおうかと思ってたくらい」
「え、辞めちゃうの?」
「だって全く儲からないし……銀行への借り入れも返済できなくなりそうだし、このままじゃルーザーズの仲間入り……」
パンティ一枚になった彼女の姿を想像する。それはそれであり……いやいや、不謹慎だぞ、葉山信士。そんなことになったら彼女は間違いなく危険な男たちの毒牙の餌食になってしまうに違いない。それだけは防がなければならない。未来のお嫁さんを護るのは夫としての務めでもある。
「僕、協力しましょうか?」
「え、でも……」
「今僕、税務士見習いをしているんです。真宮寺真綾税務士事務所ってところで……」
「へぇーすごいね!じゃあ経理とか、経営に詳しいの?」
「うん、まだ見習いだけど、色んな業種の内情よく見て来たから、何かアドバイス出来たら……」
「嬉しい!……なら、頼んでみようかなあ」
「うん、任せて!」
完全な安請け合いである。実質一か月も働いていない見習い小僧が大きくでたもんだと自分でも思う。しかし、この愛には変えられないのだ。
「じゃあ私何をしたら、良いのかな?」
まず服を脱いで、と言いかけそうになって慌てて踏み止まる。再三言うが、僕はロリコンではない、紳士だ。見返りを求めてはいけないのだ。
「まず、貸借対照表……だったかな、を作るんですけど」
「何ですかそれ?」
「えーと店の仕入れとか、売上とかまとめる資料……だったかな」
しかしこの店で言うと、食材と屋台と、売上くらいしかまとめるものがないことに気がついた。人件費に至っては彼女しかいないからほとんど関係ない。
「まとめる必要ない……かもなあ。まず売上が……ないんですっけ?」
「ええまったく。毎週赤字です……」
しょぼんとしている彼女を見ているとまたしても保護欲と、良からぬ想像が僕の脳内を駆け巡る。
救わなければいけない。彼女を、その料理を。
これは節税よりまず先に、どうやったら売り上げを伸ばせるのかを考えたほうがいいだろう。
「ええと……まずはね」
僕は彼女と共に、どうやったら店が流行るのかをまず話し合うことにしたのだった。




