女と仕事は両立しない その1
初出勤の翌朝、僕は疲れた身体と頭を引きずって教室の扉を潜る。
「おはようございます!」
しかし挨拶は元気よく、が僕のモットーである。大きな声が教室に響いたが、まばらにいた他の生徒はチラとこちらを見ただけで、特に反応は示さなかった。
僕は窓際の自分の席に座り、溜息を一つつく。友達、出来ないかなあ……。
5人、いや2人、せめて隣の人だけでも仲良くなりたい。
そうだ、昨日は隣の席の人は欠席していて空いていたが、今日は来るかもしれない。
来たら話しかけてみようじゃないか。その一人からが、僕の学生生活の起点になるかもしれないのだから。
僕は窓の方を向いたまま、そんなことを考えていた。その時、隣の席に人が座る音がした。いきなりチャンス到来である。よし、やるぞ!
「こ、こんにちは!……え?」
振り返り様、僕はその人物を見た衝撃で固まってしまった。
「……なんじゃネギ坊主か。朝から見たくもない面じゃな」
そこには金剛寺学園の制服に身を包んだダリアさんが座っていた。
「え、な、何でここに!?」
「聞きたいのは我のほうじゃ、お主先日まではここにおらんかったろうが」
「ぼ、僕は転科したんです、昨日から」
ダリアさんはふうん、という仕草をして、僕を睨みつけている。やっぱ怖いなあ。
「それより、ダリアさんは何でここに?確か真綾さんと同級生なら、二年生ですよね?教室が違うのでは……」
「……わざわざ説明するのも面倒じゃが、まあよかろう」
はあ、とため息を一つついて、ダリアさんは僕の質問に答える。
「この金融科は教室に対して学年の縛りはないぞ」
「え!そうなんですか?」
「普通科だけじゃよ、お行儀よく席に座っておるのは。そう、こっちは予備校みたいなもんじゃな。人気のある教室には倍率があるが、特に希望しなければ空いているところに入れてくれる。よく考えてみよ、3年間も順を追って税金の勉強をしておったら、仕事にならんじゃろうが」
「た、確かに」
そうか、無駄に一個一個の教室が広くて人がまばらだったのは、そのせいだったのか。
つまり、最初から決まった席などなかったのだ。偶々空いていた席に僕は続けて座っただけだということだ。
「HRは一緒じゃが、その後は皆勝手にどこかに行くじゃろ?受けたい授業のコマがあったら、行きたいところに移動しておる。我もこの次の授業が聴きたいから来たまでじゃ」
つまり、お隣さんなど、最初からいないのか。僕は大学のキャンパスみたいなものを想像した。
「……まったく、会いたくない顔に続けて会うとはのう」
「そ、そう言わずに」
ダリアさんは僕の顔を見つめると、にやりと笑い、こう言った。
「次会った時は倍返しのつもりじゃったが、十倍返しで手をうとうか、のう?」
僕は次から、別の授業を取ろうと心に誓った。
「と、いう事がありましてね」
僕は後日、真綾さんと森野さん相手に事務所でそのことを愚痴っていた。
「まあ急な転科じゃあしょうがないよね。知らないのも」
「……授業に出ないサボり魔が良く言う」
「いいじゃん別に!テストで好成績だからいいの!」
確かずば抜けてテスト成績が良ければ進級は問題なかったはずである。
でも確かそれは十傑レベルの話なのだが、真綾さん実は、かなり頭がいい?
「サボりたい人間は、ちゃんと勉強しなきゃ駄目だよね~」
「単に、人付き合いしたくないだけでしょ」
真相はまあ、どちらかだろう。もしくは両方か。嫌こそもののなんとやらを実践しているようだ。
「……ところでこの数字は、これで良いんでしょうか?」
「よきにはからえ~」
「わかりました。ではそのように進めます」
そのサボり魔の真綾さんは事務所のソファに身を沈めながら、飴をなめご満悦そうである。
僕が真宮寺真綾事務所に勤め始めて以来、事務所はそれなりに上手く回っていた。
あれ以来真綾さんと特に外で組むことは無く、僕が客先に出向き仕事を持ち帰り、真綾さんにお伺いを立て解決するというスタイルで仕事をこなしていた。
「安楽椅子税務士サイコ~」と真綾さんは常日頃、事務所でゴロゴロする日々である。
「森野さん、これで良いんでしょうか?」
ふと、現状に疑問を持った僕は隣の席で電卓を叩いている、森野しずか嬢に質問を投げかける。
「私の負担が減って、非常に結構」
身もふたもない答えが返って来た。
「元々、私が押し付けられた役目が君にスライドしただけ。私より、関係は良好。そのまま、頑張って」
「……わかりました」
このまま外回りが続くようなら、出来れば、給与を上げて欲しいなあと思うくらいには待遇に差がある気がする。まあしかし、拾って貰った身で文句を言うのもはばかられる。今は出来る事を頑張ろうと思う。
「でも、最近仕事増えましたよね。経営が上手く行っている証拠ですよね。口コミとかで評判が増えているんでしょうか?」
「あれ?しずかちゃん信士くんに教えてないの?」
「……不必要と判断」
「……何か、僕に隠しているんですか?」
森野さんはぷいっと目線を逸らす。あ、これ何かあるな。
「駄目だぞ、ちゃんと本人には言わないと~ほら、これ!」
そう言うと真綾さんは事務所奥の引き出しから一枚のポスターを持ってきて、それを広げてみせる。そこには……。
「な、何ですかこれ」
そこには、「税務相談お受けします!」の文字と共にでかでかとガッツポーズを決めた僕の写真が使われていた。
「いつの間に撮ったんですかこんな写真!というか、これ、何ですか?」
「宣伝のポスターだぞ?しずかちゃんが作って随分前から企業向けに配っているみたい。よかったね、かっこよく写ってるじゃん!」
「……おかげで、女性客が増えた」
目を逸らしたまま森野さんが答える。道理で、最近妙に僕を電話で指名する女性客が多いと思ったら、そういうことだったのか。
「事務所のため、密かに君の頑張っている姿を利用させてもらった。感謝する」
「いや、あの恥ずかしいんですけど、これしかも隠し撮りなんじゃないですか?」
「……そうともいうかも」
しれっと森野さんは回答したが、立派な肖像権の侵害である。出来れば使用料が欲しいくらいだが、きっと請求しても無駄だろう。
「まあでも、事務所が儲かるっていいよね!(私が)楽になるし!」
真綾さんはこの世の春といった風で、幸せそうに犬のイチの体に顔を埋めている。それを見ていたら、僕の憤りなど、どうでも良くなった。
「じゃあ、外回り行ってきます」
「がんば~信士くん!」
真綾さんの応援を背に受け、僕は事務所を出たのだった。




