とある個人事業主の税務相談 その3
「何かコムズカシー呪文が書いてあるんだけど、これどういうことかなと思って、税って文字を見て君らにTelったんだよね。ここに書いてあるゼイムチョーサって何?新手の新興宗教かなにか?」
「……『税務調査』、児島様の税金納付の申告が正しいのかどうかを、税務委員会が確かめにくる、という話ですね」
「え?何それ。チョー難しい。もっとEASYにSAY YOU?」
わざわざ横文字にしなくても日本語でもう一回言ってくれ、と言えばいいだろうに。
「言い換えますと、児島様が今まで商売で稼いできたお金に対して、それに見合うお金をちゃんと税金として納めているか調べる、ということですね」
「ふ~ん?まあ意味わかんねえけど!」
今の説明で分からないのはどうかと思う。まあ僕もその単語を知ったのはここに来る一時間前なのだけど。
もう少し詳しく言うなら、税務調査とは僕らがお金を稼いだ時に、きちんとそれを報告しているか、間違った報告をしていないか、それが悪質なものであるか、など役人が調べて正しい納税額を出すための調査だ。当然内容が間違っていれば追徴課税でより多くの税金を支払うことになる。
通常、例えば日本ならだが、納税申告は一年に一回だ。しかしこの学園は三学期制の学期末ごとにそれを行っていた。
そのせいか、学園では税務調査も頻繁に行われることが多い、と聞かされていた。
『税務調査委員会』通称「税会」
学園内のすべての納税を取り仕切っている学園の組織で、税務調査もここが行うそうだ。森野さん曰く『学園で最も恐れられている組織』だそうだが……。
「分かりました。では私達で対処致しますので、前回分の納税の資料を頂けますか?」
「え、んなもんねーよ?この『俺様の超ウルトラスーパーグレートデリシャスワンダフル名作作成部』を立ち上げて以来、今までこの方大した儲けは最近までなかったから、資料なんて作らなかったのよね」
確かに僕が辞める直前までは部に居たのだから、作家業はあまり儲かってはいなかったのかもしれない。しかし、やっていたからには一応申告の義務はあるはずなのだが……。
「しかし、その税務調査となりますと、児島様にもご協力を……」
「え~勝手に調べてよ、それが仕事でしょ?俺も暇じゃないの」
その割にはさっきから携帯電話を弄っているだけのような気がするのだが。
「何してるんです、それ?」
「ん、藤コレのこと?」
何それ?
「『藤元不二朗コレクション』俺が今嵌ってる学内ソシャゲっつーか。トラえもんとかパーでんねんマンとか笑ってはいけないセールスマン24時とかの作品キャラを全部女体化してイラストにしているカードゲーム、超パねぇ」
――匂う、臭うぞ――物凄いパチもん臭が。
「うっひょおおおおおおおSレアきたあああああああああああこれええええええええ」
携帯をポチポチ押していた竜太郎が突然絶叫する。
「び、びっくりさせないで下さいよいきなり大声で……」
「そんなことよりほら見てみて!Sレアの野火ノビーコ=ジュリエッタ三世!電子の海から僕の元へと舞い降りし天使!~~~~!君を今から僕の花嫁として迎え入れるッうぴゅ~~~!」
こいつが何を言っているのかよく分からないよ。
「えーと、では帳簿は?」
帳簿とは部内の経費、売上などをまとめた大事な資料である。
「あ、それはちゃんあるよん」
流石にこれを用意していない部などあるわけがない。若干心配だったがこんな適当な人間でもそれを準備していることに安心した。最初の授業で教えられる、基本であるわけで。
「……わかりました。では在庫の確認と売り上げの分かるもの、あと本の制作に使った経費の領収書があればお出し下さい」
「ほいほいほー!」
そう言うと竜太郎は部屋の隅から持ってきた大きめの段ボールを一つ、無造作に床に置いた。
「じゃ、あとはよろちくび~。ボクちんは原稿があるので!」
そう言って先程女生徒たちが入っていった部屋にさっさと行ってしまった。
「待ってたかいハニー?」
「キャアー!竜太郎様―!」
騒々しさは隣に去り、僕は部屋に取り残される形になった。投げっぱなしにもほどがある。
「さて……やりますかね」
「……もう帰るぅ~」
そういえば、――もう一人いましたっけね。
「真綾さん、本当に人嫌いだったんですね」
いつの間にか真綾さんは冷蔵庫の隙間から出て、僕の横まで来ていた。
「だって、メンドくさくて、うざいぞ」
まあ児島竜太郎は人嫌いでなくてもうざいと思うけど。
「でも、これが仕事ですし。しょうがないじゃないですか」
「だから嫌なんだってば~。よし、後は任せたぞ信士くん!」
そう言って真綾さんは玄関に向かって逃げ出そうとする。
「駄目ですって!そもそも僕だけじゃ何をしたらいいかわからないですよ!?」
「え、でも税務関係の資料は全部暗記したんでしょ?」
「でも、実際にやるのとは訳が違います!何をしたらいいか指示して下さいよ。それに、今帰ったらきっと森野さんに怒られますよ?」
「う~……」
真綾さんに物凄いふくれっ面で凄まれた。その小さな身体から膨大な帰りたいオーラが滲みだしている。
「次、あいつが寄ってきたら、絶対私帰るんだから、絶対だぞ?あと帰りにおやつ増やしてくれなきゃやだ」
「……わかりました。プリン三個追加で」
「……仕方ないなあ~じゃあ、10分だけだぞ?」
とりあえずは手伝って貰える算段をつけたが、いつまでもこの状況が続くとも限らない。また竜太郎が何かしでかしたら、真綾さんが今度こそ逃げ出してしまうかもしれない。早めに仕事を済ませてしまおう。
「じゃあまずは、税務調査での資料作り、ですか」
「うん、そうだよ。その帳簿とかの資料を基にまずは、『貸借対照表』を作るぞ」
「貸借対照表?」
確か、その言葉は本で覚えたはずだ。
「えーと、企業や、個人事業主の、この場合はあの児島竜太郎の資産をまとめたもの、でしたっけ」
「その通りだよ、よく覚えてて偉い偉い。これがまず、基本だからね~」
彼女は座って聞いている僕の頭をよしよし、と撫でる。やはり頭を女性に撫でられると少し気恥ずかしい。
そのぐらい褒められるほど、この表はとても大事なものらしい。
「これを作っておくだけで、その企業の体質とか、順調なのか、赤字なのか、問題点がすぐに見えてくるんだ。病院のカルテみたいなものだよ。まずこれを作れるようになるところから始めよ~!」
「わ、分かりました」
「出来なかったら、しずかちゃんに首斬られちゃうぞ?」
真綾さんはギロチンのように首を親指で掻っ切るポーズを取る。
「は、はい!頑張り……ます」
やれなくてもやるしかない。たとえ難しくても出来なければ本気で森野さんに殺される未来しか見えない。
「はい、じゃあこれ~」
と言って彼女は一台のノートPCを肩からかけていた鞄から取り出した。
「はい?」
「信士君に貸してあげるから使っていいよ。会計ソフトが入っているから、必要項目を入力するだけで、貸借対照表を作ってくれるぞ。というか面倒くさいから真綾の代わりにやって?」
あら便利。
「え、そんな簡単なんですか?」
「簡単も何も、一から全部手書きしていたら時間ばかり掛かって大変じゃん。時は金なりだよ?」
拍子抜けした。確かにそれもそうだ。文明の利器を使って楽が出来るならそれに越したことは無い。
「ただし、意味は理解してね。表の見方が分からなければ意味ないからね?」
そう言って彼女はノートPCを開き、電源をつける。
「早速、入力していくよ。こんなところ早く帰りたいし。表に記入するものは、まず大きく分けて3つだけなんだぞ」
「案外少ないんですね」
「その中で色々分かれているけど基本は一緒だよ。あるのは『資産』『負債』『資本』の3つだね」
「資産は……預金とか、商品の売り上げとかですか?」
「その通り~。後は固定資産、つまりあのゴミ……児島竜太郎の場合は絵仕事道具だね」
「負債は……借金ですね」
彼女は頷く。
「借金以外にも未払金とか預り金とか、えーとつまり他人から貰って返さなくてはいけない物だね。ほら、持ち合わせがない時にお金を借りる的な?」
僕は頷くが、そのお金を返して貰ったことは無かった。大体焦げ付いている。
「で、最後の資本は商売を始めるための元手だぞ」
仕入れや設備投資をする初期のお金である。これが大きいほど、規模の大きい会社であると言える。
「まあ簡単に言うと、資産が負債より多ければ、その部の経営は好調ということになるんだよ。ま、例外はあるけど」
「竜太郎……児島さんの場合はどうなんです?」
「作家さんなんて超簡単だよ?本売ったお金、作ったお金、それを作るための道具の減価償却、はいおしまい」
「え、それしかないんですか?」
わずか3つで終わるとか、もしかしてこの仕事凄く楽なのではと勘違いしそうになる。
「でも、減価償却ってなんだか難しそうな言葉ですけど……」
「難しくないよ?ず~っと何年も使う道具、児島の場合は、うーん、PCやペンタブレットになるんだろうけど、その買った金額が10万円を超えていたら、それを耐用年数、使う期間で割って費用にするの。この学園の場合は申告の都合で月割りだけどね」
「えーと、つまり高い物を買って何年も使う物は分割して経費にしないといけないと?」
「正解!ご褒美に缶詰食べる?」
「いえ、お腹は空いてませんので」
ペットフードは人でも食べれるかもしれないが、気持ち的にお断りしたい。
「まあ、作家の場合大抵問題になるのはそこじゃないけどね~」
「え?」
「これ、これ」
真綾さんが指し示したのは段ボールから出した彼の売り上げメモと、児島竜太郎名義の銀行通帳だった。
「通帳の中身みて。相当な額だよね~」
「超、儲かってると思いますけど……」
一体ゼロがいくつついてるんだか。まったく羨ましい。
「そう、儲かってるよね。だから困るんだ」
儲かっていると、困る?
「経費に対して儲けが多すぎると税金たくさん持ってかれちゃうでしょ?」
「成程、節税指導が僕らの役割の一つでもありますからね」
「そうそう、仮にお金がすっごく儲かっても、それに使った費用を申告せずに、税金取られたらもったいないでしょ~?」
それは確かにその通りだ。しかし、ここで僕の頭の中に一つの疑問が浮かぶ。
「あの、そういう経費が無い場合は、どうするんですか?」
「無くても、あるように見せかけるんだよ?」
「え」
「経費って、税金を抑えるために必要なものなんだぞ。使ってなくても使ってるように見せかけて節税対策する中小企業がほとんどなんだから」
「え、でもそれって、違法なのでは?」
「ん~厳密に言えばそうだけど、でも実態はそうじゃなくて、例えば飲食店で自分一人で飲み食いしたお金を取引先との打ち合わせと称して経費にしたり、遊びで旅行に行ったお金を取材費だって言い張っても、ほとんどの場合お咎めはないもん。こ~んな、紙きれ一つあればね」
ウインクをしながら真綾さんが取り出したのは一枚の領収書だった。
「信士くん、この領収書から、何が分かる?」
そこにはA定食850円とだけ書かれていた。
「これだけを見て、税務委員会は判断しなきゃいけないの。真綾がこれを『生活のための食費』じゃなく『仕事の打ち合わせのためこのお店を使った』って言い張っても見抜けないでしょ?」
確かにそれはその通りだ。そんな商品の文字だけでその使途が全部分かったら、それこそ超能力者だろう。
「で、児島さんの場合はどうなんですか?」
「作家っていうのは、元々そういうところであまり経費が掛からないことが多いんだよね。だからまあ、人件費……アシスタント代を水増ししたりとか、旅行や娯楽に使った物を資料ってことにして計上することになるんだけど……」
そう言って真綾さんは竜太郎の帳簿とにらめっこをしていた。
「こっちは、やたら携帯電話代が高い以外は特に変な点は……。そっちは何かありましたか?」
「……大有りだぞ、こいつ、大嘘つき、だ」
その発言の真意を訊ねようとした瞬間に、部屋のインターホンが鳴った。




