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梅雨晴れの美しいキミ

 怒涛の勢いでテスト週間が終わった。

 手ごたえそのものはあったが、それはワタルのほうも同じようで、勝てたかどうかは怪しいところだった。

 完全に集中しきれなかったのも大きい。

 ミハルの言葉と、連続して見た淫夢が尾を引いていた。


 それでも、結果から言えば過去最高点を叩き出した。

 その数字は、受験のために本気を出した中三の時期ですら見かけたことのないものだ。


 これが餌を吊り下げた効果か……と思うと同時、それが友人の女装姿というのもどうなのだろうと、少しへこんだ。


 とはいえ好きな相手の肌着姿が見られると考えれば、ある意味真っ当な効果だったのかもしれない。

 性別さえ無視すれば、だが。


 そんな平均点を引っさげて、またトシヤはワタルの家に来ていた。

 相変わらず彼の両親は忙しいようで、家の中は静かだ。ミハルも、今日はいないようだった。

 リビングの、あのピザを食べたテーブルを挟んで、二人は向き合っていた。


「んじゃ、いくぞ……」

「どうぞ」


 一枚、また一枚とポーカーのカードを開示していくように、二人はお互いのテストを示しあう。


 ワタルはどうやら文系科目が得意なようで、中には百点に迫る点数もちらほらあった。

 だが理数系が弱く、教師が発表した平均点に近いようなものもあった。


 対するトシヤはオールラウンダーだ。

 安定して高い点数は強いが、一芸に秀でていないので最後までわからない。


 示されたワタルの点数を合計すると、結果が出た。

 ――三点差でトシヤの勝ちだった。たった一問分の勝利だった。


「っしゃぁ!」

「そこまで喜ぶ?」

「そりゃ、まぁ……内容を考えると正直そこまでって感じだが。勝負事に勝つって気持ちいいじゃん?」

「わからなくはないけどさぁ」


 自分の肌着姿になるのをそこまで喜ばれる、というのも微妙な気分なのだろう。

 その気持ちは、わからなくはなかった。


「それにほら、僅差だろ? こういうのは感動的ってやつだろ」

「いやぁ……負けてたらどうしてたのさ」

「そこはほら、うーん、お前が何を賭けてくるか、じゃね? 潔くなんでもする気だったけど。てか、何させようと思ってたんだよ」


 トシヤの言葉に、ワタルは苦笑いを浮かべる。

 どうしてなのだろうと首を傾げていると、少し声のトーンを落として答えが返ってきた。


「実は、キミが負けてたら僕のほうから頼もうかなって思ってた」

「なんだそりゃ。賭けの意味ねーじゃん」

「賭けに使うくらい期待されてるならいいかなぁって」

「チョロいぞ」

「それだけキミに撮られたがってるってことで」


 そう言われると悪い気はしなかった。

 チョロいのはどちらなのだろうか。


「さて、それで僕は負けたわけだけど、どうする? もう撮る?」

「まあ、天気も悪くねーしな」


 梅雨に入って、もうしばらく経つ。

 連日激しい雨が続いていたが、幸いにして今日は晴れだった。

 酷くじめじめとするのが辛いが、撮影には持ってこいののシチュエーションだ。


「じゃ、ちょっと準備してくるから。ええっと……いいや、ここで待ってて」

「おう。迷っても困るしな」

「そこまでうち広くないから」


 ワタルが苦笑いしながら姿を消すと、トシヤはリビングに放置される。


 これから、あの肌着姿を生で拝めるかと思うと少し興奮してきた。

 否応無しに高まってくるのを感じて、落ち着けと念じる。


 結局、答えは出ないままだ。

 考えろとは言われたが、どう考えていいのかわからなかったし、何よりも余裕がなかった。


 そんな曖昧な気持ちのまま撮影に入って大丈夫なのだろうか、という思いはある。

 だが、好きという感情は抱えたままだから、クオリティに差は出ないのではないだろうか。


 答えの見つからない思考の中、うんうんと唸りながら待っていると、小さな声で名前を呼ばれた気がした。

 空耳だろうかと辺りを見回すと、顔を真っ赤にしたワタルが少しだけ頭を出していた。


「済んだのか?」

「う、うん……でも、流石にこの格好でキミの前に出るのは、恥ずかしいな……」

「……まぁ、ギリギリまで隠しててもいいんだぞ」


 そこまで恥ずかしがられると、こちらとしても困ってしまう。

 欲望がさらに強まるのを感じて、トシヤは頬を掻いた。


「じゃ、じゃあ、ちょっと遠い感じでついてきてくれる?」

「お、おう……」


 ぱたぱた、と音がしてワタルが歩いていくのがわかった。

 用意しておいたカメラを手に、距離を置くために少し遅れてその後を追った。


 まるで妖精か何かを追いかけているように、視界の端に、その姿がちらちらと映る。

 大半は髪がちらりと見えるだけだが、階段を上るときにホットパンツに包まれたお尻が踊っているのが見えて、噴き出しかけた。


 そんな追いかけっこの末に、トシヤは二階のある部屋にたどり着いた。

 この前入ったワタルの部屋とは正反対の位置にあるようだ。


 中に入ると、淡いピンク色の壁紙に包まれた部屋が出迎えてくれる。

 天蓋つきの瀟洒なベッドが鎮座するそこには、テレビはなく、本棚にも何もない。

 客間という雰囲気ではなかったし、これだけの広さの家に、あえて荷物を押し込む部屋を作る必要性もないから、恐らくはミハルのものなのだろう。


 そんな部屋でワタル――いいや、今はコウコだろうか――は、ベッドの天蓋から垂れるカーテンで身を覆い隠していた。

 その顔は、笑ってしまいそうになるくらい赤い。


「う、うす」

「ま、迷わなかったね」

「そんな広くないって言ったのお前だろ」

「は、はは……」


 なんともいえない空気が横たわっていた。

 やはり肌着姿を見せるというのは、相当に恥ずかしいものなのだろう。


「心の準備ができたら、頼む」

「う、うん……」


 はぁーという深呼吸の音がしばらく響いていた。

 トシヤにも気恥ずかしさはあったが、これから撮影だと思うと、いつの間にか欲望は鳴りを潜めていた。

 いいや、あるにはあるのだが、野放図ではなく手綱を握ることが出来ているような気がしていた。


 じっとカメラを握って待っていると、覚悟が出来たらしい。

 さらりと、カーテンの覆いが外れて、その姿が露になった。


「おお……」


 ライム色のキャミソールにホットパンツという姿は、最大限努力した結果なのだろう。

 実際、下を脱いでしまうとアレの隆起が露になってしまうので、これはこれで助かる。


 ただ、少し残念に思う自分もいて……トシヤは首を振った。


「ど、どう……?」


 不安そうにワタルが訊ねてくる。首を振ったのを悪い意味に捉えてしまったのだろう。

 安心させるように軽く笑ってみせて、改めてその全身を観察した。


 本当に、手足の長い限りだった。

 全体的に細い体つきから伸びたそれは、あっさりと折れてしまいそうで、部活で見慣れた連中と比べると不安になってくる。

 加えてそこには無駄毛の一つもなく、つるりとして綺麗な肌がある。

 それに触れれば、すべすべとして気持ちがいいのをトシヤは知っていた。


「うん。普通に美人だな」


 肌着姿はどうしたって体のラインが出る。

 骨格は誤魔化しようがないから、いくらワタルの線が細いといっても、男らしさが出てしまうと思っていた。


 だが、実際は大して気にならなかった。

 それは彼のことが好きだからなのだろうか?

 それとも意識の差なのだろうか?


「そ、そっか……」


 トシヤの言葉にコウコはほっと一息を吐くと、窓際に走っていく。

 距離を取っているのは、近くにいると誤魔化しきれないという考えがあるのだろうか?

 そのことを少し残念に思いながらも、仕方がないと意識を切り変えた。


「どう撮るの?」

「そうだな……」


 撮影プランを伝えると、二人はそのためにいろいろと準備をし始めた――。


     ***


 コウコは酷く憂鬱そうな顔をしていた。


 梅雨晴れの空から暖かな陽光が差し込む部屋の中、出窓に腰掛けた彼女は、キャミソールにホットパンツというラフな姿で外を眺めている。

 立てた片膝に頭を乗せて、白皙の美貌を不満の色に染めながら、時折溜息を吐いていた。

 微かに開いた窓から吹き込んでくる湿気の多い粘ついた風も、彼女の不機嫌さを助長していた。

 

 風が吹くたび、足のくるぶしにまで届きそうなほど長い栗毛が揺れてきらきらと輝く。

 コウコはその輝きを煩わしそうにしていた。

 そんなにも鬱陶しいのならまとめるか窓を閉めればいいのに、どちらもやらないのには理由がある。

 湿気の増していく今の時期、迂闊にまとめればクセが強まって面倒臭くて、窓を閉めれば聞きたい音が聞こえないからだ。

 

 けれど、そんな我慢もやがては限界がくる。

 遅すぎるわ――そういう風に唇が動いて、彼女は窓の外から視線を外した。

 膝から壁に頭を移動させると、垂れていた栗毛がさらさらと流れて体にまとわりつく。

 べたついた空気のせいで、髪までもが粘着質に思えて酷く不愉快だった。

 足元に転がっているブラシで梳けばマシにはなるのに、それをする気力すらもうない。

 このまま不貞寝してしまおうかと目を閉じた……。

 

 憂鬱さを湛えた一挙手一投足は美しくて、トシヤは何度もなんどもシャッターを切った。

 初めての時から一貫してそうだが、演技の真似事が、コウコの美しさを引き出すのだ。

 演技の中の彼女の時間を待つために、トシヤはカメラの前で息を潜める。

 ただひたすら、彼女が満足できるだけの気持ちの移ろいが来るのを待っていると、自分が透明人間になったような気がしてくる。


(アホらしい)


 コウコはしっかりとトシヤを認識している。

 まじまじ見つめてしまうようなことはないけれど、虚空に目を向けるようにして、彼にアイコンタクトをすることがあるからだ。

 ただそれも堂に入りすぎていて、時折、本当に空を見つめているだけなんじゃないかと思わされることがある。

 そうして生まれるのが、わざとらしさのない美しさだった。


(……ほんと、綺麗だ)


 目を閉じて誰かを待つ演技をしているコウコは、溜息が出そうなくらいに美しい。

 それが嘘でしかないとわかっていても、胸が高鳴ることを止められない。

 それはきっと、誰だってそうだろう。


 かしゃり……またシャッター音が鳴る。

 トシヤの心の赴くままに撮られた一枚は、いつだってコウコを満足させる出来だ。


 やがて、しばらく目を閉じていた彼女が何かに気づいたような顔をした。

 アイコンタクトに合わせて、トシヤはカメラを持って部屋の入り口に移動する。

 閉じられたドアを開けるのが、与えられた役割だった。

 

 出窓から降りてその縁に腰掛けたコウコは、トシヤが戸を開くのに合わせてきゅうと目を細めて眉を顰める。

 きっと、彼女の目には遅刻して走ってきた恋人が映っているのだろう。


「おそい」


 優しく空気を揺らす心地のいい低音が響く。

 女性にも少年にも聞こえる甘やかな声だ。

 拗ねたように聞こえるそれは、彼女の不満がたっぷり詰まっている。

 

 ……シャッター音が連続して響き始める。ほんの一秒すら、切り取ることを忘れないように。

 

「でも……きてくれた」


 ふわり、顔がほころんでいく。

 瞬きのうちに憂鬱の色が消えて、爽やかな喜びが彼女の顔を彩る。

 思わず見惚れそうになりながらも、指はボタンから離れない。

 飽きるほどに繰り返して仕込んだ動作が本能を上回る。

 彼女の変化していく全てが、カメラの中に記憶されていく。


「スキ」


 コウコが、トシヤの側にいる、見えない誰かに向かって愛を囁く。

 情感たっぷりのそれは、演技だとわかっていても胸に掻きむしってくる。

 頭の中に夢で見た痴態が蘇って苦しくなる。


(ああ、俺もだよ)


 出てきそうになった言葉を噛み殺しながら、トシヤは写真を撮り続けた。


     ***


「今回は手が込みすぎだよ!」


 撮影した写真を二人で確認しながら、そんな文句を言われた。

 ワタルとしては演技がしたいわけではないから、当然の抗議だった。


「でも、こうしたほうが綺麗だろ?」


 アルバムを引っ張り出してきて、ミハルが撮ったそれと今日のものを比較してみせる。

 明らかに、今日のもののほうが上だった。


「そ、そうだけど……うう……は、恥ずかしいんだよ!」

「あそこまで堂々とやっておいて何いってんだ……」

「そんなの隠してたに決まってるじゃん」

「できるならいいだろ……」


 でも、と食い下がろうとするワタルに、トシヤは肩を掴みながら告げた。


「最初の時に言ったろ。俺も全力を尽くすから、お前も全力を尽くしてくれって」

「それは、聞いたけど……」

「やっぱり嫌になってきたか?」

「そう、じゃないんだけど……」


 ううーんと唸り声が聞こえる。ワタルの中で何かが納得いかないらしい。


「演技するのは別にいいんだ。けど、なんかこう……うまくいえない」


 当人が理解していないものを、他人がどうこうできるはずもない。


「まぁ、その辺の折り合いはうまくつけてくれよ」

「はぁい……」


 きっと、漠然とやってきたことに慣れが入ってきて、色々なことを見直す時期に来ているのだろう。

 この関係を始めてそろそろ二ヶ月なのだから、当然のような気もしている。


(俺も、考えないとだな)


 もう言い逃れはしない。自分はコウコが、ワタルが好きなのだ。

 だから、あの言葉の意味を、考えなくてはいけない。

 ワタルが何かを得ようとしているように、トシヤもまた、答えを見つけなくてはいけないのだろう。


 拗らせるよ、という言葉がジクジクと滲んでいる。

 急ぎなさいとせかすように。

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