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きちんと考えなさい

 目標ができたことで勉強にのめり込んだ二人は、外が真っ暗になるくらいまで復習を繰り返していた。

 ぎゅううという腹の音と、鳴り響いた携帯の着信音で現実に引き戻される。


 時計を見れば七時を回っている。トシヤの携帯には、今日は帰ってくるのかどうか、夕食は必要なのかどうかを問うメールが届いていた。


「やっべもうこんな時間じゃねーか……帰らねーと」

「お腹すごい音したけど大丈夫? 軽くなんか用意しようか?」

「いや、これくらいならなんとか。バスすぐ来るよな」

「姉さんに送らせるよ」

「迷惑じゃね……?」

「ピザ横取りしたんだし、それくらい織り込み済みだと思うよ。出られるよう用意してて」


 パタパタ足音を立てて駆け抜けていったワタルの後を追うように、トシヤが片付けを済ませて下へ降りると、少し眠そうな顔をしたミハルがいた。

 流石にスーツのままではなかったが、休日に家で過ごすにしてはキッチリとした格好をしていた。

 お客さんがいるというのも関係しているのだろうが、くしゃくしゃのシャツで寝転がっている妹には、見習ってほしいものだとトシヤは思った。


「んじゃ行こっか。遅いし家まで送ったげるよ」

「えっ」


 確かに遅い時間になってしまったが、送ってもらうほどの時間ではない。

 迷惑ではないだろうか、と視線を彷徨わせるとワタルがコクコクと頷いていた。


「姉さんがいいっていうなら甘えておきなよ、トシヤ」

「あ……いいん、ですか?」

「うん。ワタルのがっこーの近くでしょ? そんな手間変わんないし、ま、軽くドライブだと思えばね」


 言いつつミハルはさっさと靴を履いてしまう。もうこうなれば、断るという選択肢はないも同然だった。


「じゃあ、ご好意に……甘えます」

「よしよし。んじゃ、行ってくるから、晩ご飯用意しといてね」

「はぁい」


 そうして、導かれるまま、トシヤはミハルの車に乗ることになった。


 家の豪華さにそぐわない一般的なセダンは、なんだかいい匂いが漂っている。

 助手席に乗りなさいという言葉に従ってミハルの隣に収まると、彼女は車を発進させた。

 運転中には何も聞かないのか、ただただ走行音だけが響いていた。


「あ、なんか聞きたいならつけていいよ。旦那の趣味のばっかりだから、好みのが入ってるかはわかんないけど……どっかに繋ぐ線あったはずだから、自分のがいいなら探して」

「は、はぁ……」

「そう緊張しないで。まー、したくなるのはわかるけどね。今日会ったばっかりだし」


 明るい笑い声を車内に充満させながら、滑るように車は進んでいく。

 停車するときにもガクンとなることがない、丁寧な運転だった。


 家を出てからしばらく経って周りが山中から田園風景に変わった頃、ポツリポツリとミハルが喋り始めた。


「……まあ、あれよ。私としてもね、君ともう少し話したかったの」

「ワタルのことで、ですか?」

「そう。あの子は複雑な子だからね。連れてきた子も、複雑みたい」


 ルームミラー越しに目があう。

 うっすらと細められた目から感情を窺うことはできない。


「みんな複雑だと思いますけど」


 トシヤは自分が複雑な人間だと思ったことはない。

 けれど、単純と言い切れるほどわかりやすくもないだろう。

 誰だって、そういうものなのではないのか。


「まあねー。でもうーん、そういうことが言いたいんじゃないんだよなー」

「ワタルについて、複雑って?」

「そうそう。君すごいね」


 一般論について言及していないなら、個人にまつわることについて言いたいのだと思うしかないだろう。


「普通だと思いますけど……」

「はは、謙遜しない。それができるのって、すごいことだよ。で、ええっと話戻すけど」

「ワタルのこと?」

「そうそう」


 ぎゅっ、とハンドルにかけられた手が捩られる音がした。


「好きでしょ、君」


 ぶっ込んできたな、というのが素直な印象だった。

 まだその事に折り合いをつけられていないから、迂闊に答えるわけにはいかなかった。


「そりゃ、友達ですし」

「はぐらかすね~。一対一なのに。わかってるんでしょ」


 トシヤは何も答えなかった。はぐらかす言葉が見つからなかった。

 その無言を肯定と受け取ったらしく、ミハルは話を進める。


「ま、実際のところ、君がどういう感情を持っていようが構わないのよ。私としては、あの子をきちんと見てくれる人がいるってことが嬉しいから」

「本人がどう思うかは別でしょう」

「そうだね。でも、あの子は敏感だから、たぶんわかってると思うよ」

「わかっててあれだと小悪魔的すぎるんですけど……」


 頭の中に諸々の行動が思い出される。

 わざとやっているなら、意地が悪いにもほどがあった。


 困ったようなトシヤの声音に、ミハルが嬉しそうに笑った。


「甘えてるんだよ。びっくりするかもしれないけど、あの子、友達を家に呼んだことなんて一回もなかったんだから」

「本当に?」


 あれだけ人気者なのに意外だった。

 私立校なら、家の近くに学校があるわけではないから不思議ではないのかもしれないが……それにしても、全くというのは信じられない。


「そう。昔から、最後の一線は越えさせないというか、変な距離を保ってきた子だったからね」

「まあ、彼女の一人もいませんしね」

「そうなんだよねぇ……ワタルなら何股やっても上手くやれると思うけど」

「それはさすがにちょっと……」

「まー、やってたらぶん殴るよ、そりゃ。例えよ、例え」


 いくらなんでも酷い例えすぎる気がして、我知らず目に力がこもった。


「もー、そんな顔しないでよ。言いたいのはそうじゃなくて、作れるのに作らないってこと」


 まずったなぁという顔をしながら、ミハルは髪を掻き毟る。

 饒舌なように見えて、上手く言葉が作れない人のようだった。


 今度は迂闊なことを言うまいと、少し考えてから彼女は口を開いた。


「あの子は今まで一度だって線の内側に招いたことがなかったのよ。誰も、誰もね。もしかしたら、家族の私たちすら、線の外にいるのかもしれない。本当のところはわかんないけどね」


 言って、ミハルは少し悲しそうに目を細めた。

 それはどうしてなのだろう。

 少なくとも自分なら、そんな風に引きこもり続けることはできないだろう。

 家族すら不安になるほどに跳ね除けるなんて、奇妙にもほどがあった。

 それだけ繊細ということなのだろうか。

 そもそも、他人を拒んでしまうような性格をしている……ということなのだろうか。


 だから誰もに平等に接して、手を出さないようにできる?


 ……それは何か、違うような気がした。

 そうであるならば、トシヤへの態度が説明できないからだ。

 もちろん、写真を撮らせる上で魅力で操った方が楽というのもあるのかもしれないが、それだけではないような気がしていた。


 では、トシヤと他人を分けるものはどこにあるのだろう?

 いったい何が、ワタルの気安さを生んでいるのか。


「お姉さんから見て、俺はどの辺りにいると思いますか」


 それを知らなくては理由がわからない気がした。

 問いにミハルは少し眉を持ち上げて、小さく唸り声をあげる。


「君は多分、内側にいるんじゃないかな。あの子の感じは、そうだと思うよ」

「どうして、俺は内側にいられるんでしょう」

「わかったら困ってないよ~」


 仮に、ミハルの見立てが正しいのなら、そこまで行けた理由はどこにあるのか。

 どうして誰も内側に入れないはずのワタルが、トシヤを招いているのか。


『トシヤ!』


 可愛らしい呼び声が聞こえた気がして、彼は眉を顰めた。

 もしも、それが正解なら……。


「たぶんですけど、お姉さんも、内側だと思います」

「なんで?」

「コウコのことを知ってるから、じゃ、ないかな……それも、存在だけじゃなくて、かなり詳しいことまで」

「んー? それは……あっ、そういうこと?」

「はい」


 ワタルが懐を見せる上で障害になるのはコウコの存在だ。いくら可愛らしい外見でも、そういう趣味があることを受け入れられるものは少ないだろう。

 恋人を作らないのも、彼女を最高に美しいものと考えている以上、それに劣るものをわざわざ招く必要性などないからではないか。


「なるほどねぇ~。ならパパとママは入れなかったんだなぁー……」


 ポツリと溢れた言葉が過去形なのが少し気になったが、詮索するようなことではないだろうと無視した。


「でも、その考えが正しいなら、なおのこと君は考えないといけないね。もちろん、これはワタルもなんだけど」

「それは、どういう……?」


 気づけば、車が止まっている。見慣れた我が家が、車の外にあった。


「おっと、時間切れだ。おっかしーな、時間かかるルートを通ったはずなんだけど、空いてたみたいだね」

「そ、そうなんですか」


 そういうのは、最後まで隠しておいて欲しいところなのだが……。

 隠し事が出来ないタチなのだろうか。


「ま、いいや。うん、ええとそれでね、考えなきゃいけないの」


 ――君のその思いが本当は誰に向いているのか?って。じゃなきゃ、拗れるよ。


 ミハルはそんな不思議な言葉とともに、連絡先を押し付けて去っていった。

 

     ***

 

 空腹を満たしてベッドに横たわったトシヤは、ぼうっと天井を見上げながら呟く。


「本当は誰に向いているのか、か」


 本当も何もないのではないのか。

 ワタルへの気持ちが愛情であるとしても、それはワタルへ向いているとしか言いようがないだろう。


 外見に惑わされていると言いたいのだろうか?

 確かにコウコは可愛いし、夢で見るのはその姿とのものだが……。


「わかんねーよ、そんなの……」


 本当に好きなのかどうかとすら向き合っていないのに、その中身を吟味しろだなんて難しいにもほどがあった。

 それに、そもそもその二つを区別する必要があるのだろうか。二人は同一人物なのだから。


 ……あるとすれば、それは誰のためなのだろう?


 わからなくて、頭が痛くなる。

 せっかく約束したのに、今日一日覚えたことを忘れてしまいそうになる。


 そんな不甲斐ないやつの思いを、受け取ってはくれないだろう。


(あとで考えよう……)


 そうして、トシヤは考えを頭の隅に追いやった。今朝方やったのと同じように、他のもので覆い隠してしまった。

 好きだということはいつの間にか認めていたけれど、その先へ進むだけの勇気はなかった。

 

 そうしてまた夢を見る。

 また一歩進んだ夢。コウコと深く繋がっている夢。

 男である現実を否定して、自分にとてつもなく都合のいい体を押し付けた夢は、吐き気を催すくらいの快感をトシヤに与えていて。

 

 また不快感が広がっていく。それでも彼は目をそらす。

 きちんと考えなさいと言われたのに、その欲望を直視するのが怖かったから。

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