元凶は笑う
和気藹々とした雰囲気で勉強会が始まった。
お互い勉強はそこそこ出来ることに加え、得意分野が被っていなかったので、知識の補完を効率よく行うことができていた。さながら阿吽の呼吸といった趣きで、ノートのページがどんどんと捲られていく。
結果として、お昼に差し掛かる頃には、持ち込んだノートの確認が、半分以上終わってしまっていた。
「……なぁ」
「なに?」
真向かいに座ったワタルに話しかけると、あの綺麗な目が見つめ返してくる。
お腹が空いたので、そろそろ休憩にしたいと告げるのが、なんだか恥ずかしくなってきた。
「いや、その……」
「どうしたの? わからないところ見つけた?」
そうじゃなくて、と説明しようとした途端、盛大に腹が鳴った。
一瞬何の音かわからなかったワタルだが、理解するや爆笑し始めた。
「ちょ、な、なんだよ!」
「いや、ごめんごめん。そうだよね。そろそろ時間的にお腹空く頃だもんね」
「くっそ……! わ、笑うなよ!」
「だってそんな、漫画みたいな……」
よほど面白かったのか、腹を抱えて笑い転げるワタルに、トシヤは恥ずかしさのあまり頬が熱くなるのを感じていた。
鏡を見れば、茹でダコのようになった顔を見ることができるだろう。
「あー……お腹痛い」
「お前なぁ」
「ごめんってば。じゃあ、そろそろお昼にしようか。そのついでに、アルバム見る?」
「おう、頼む」
「はいはーい。さーて、何食べよっか。……って言っても、こういう時はピザを取るってうちだと決まってるんだけど、別のものが良ければ他にもあるよ?」
「ピザでいい」
「はーい。チラシ持ってくるね」
ぱたぱた足音を立ててワタルがチラシを取りに行くと、トシヤは昼食に思いを馳せた。
宅配ピザを食べるなど、数年ぶりのことだった。
チラシを取ってきたワタルと、侃侃諤諤のやり取りの末に注文を決めると、届くまでの間、アルバムを見ることになった。
自分で撮った写真を誰かと眺めるなんて体験したことがないから、少し緊張していた。
アルバムを開くと、ワタルの女装姿がまとめられている。
小学校くらいからの写真もあって、かなりの歴史が感じられた。
「なぁ……これ、家族の趣味なのか?」
「まあ、自分で言うのもなんだけど、可愛い子供だったからね……」
ワタルの言うように、実際幼い頃の彼は可愛い。
クリクリとした目とふわふわの長い髪は、まるでお人形さんのようだ。
家族の誰かは分からないが、着飾らせたくなるのもわかるような気がした。
(それで女装にハマらせてるんだから、迂闊というか……)
写真を残してあるのだから、案外とおおらかに受け入れられているのかもしれない。
時代が進んで、最近のものになると見覚えのある写真がほとんどだ。
合間合間に撮った記憶のない肌着姿の写真があるのが、何故だか不満だった。
恐らく、コウコを美しく撮れるのは自分だという、思い上がりに似た自負があるからだろう。
それに加えて、家族が撮った写真が、トシヤのと比べると見劣りする出来だったのも影響しているのだろう。
「当たり前だけど、俺と撮った以外にも、結構撮ってるんだな」
「まあ……さすがにこの格好をキミに頼むのは気が引けたというか……」
女装写真を撮ってくれ、というのでもかなり色々なハードルを越えなくてはならないのに、その格好で肌着姿になるというのは、辛いところがあったのだろう。
「頼まれてても、困ってたしな……」
やれというなら撮っただろうが、お互いノリ気でない状態で撮影しても、ろくなものにはならなかっただろう。
今なら、また違った回答を返しただろうが。
「も、もうそろそろいいんじゃない?」
「いや、もうちょっと見せてくれよ」
恥ずかしそうにそわそわし始めたワタルを放置して、トシヤはアルバムをめくっていく。
(恥ずかしいなら抜いておけばいいのに……)
肌着姿の写真は、昼間の写真とほとんど同じ枚数撮られていた。
そのせいで、まるでデートに行った夜に相手を誘い込んでいるかのような連続感があった。
恥ずかしいなら隠しておけばいいと思うのだが、これだけ枚数があると、抜き出してしまうと違和感が酷くて誤魔化しきれないと考えたのだろう。
それにしても、肌着姿の写真はやたらと扇情的なのが気になった。男だと頭ではわかっているのに、うっかりすると興奮しそうになる。
これを見られるのは、確かに辛いだろう。
しかし、構図的にどうも一人だけで撮ったと思えない。
第三者の気配が、そこにはあった。
「これ、誰と撮ってるんだ?」
我知らず語気が強まってしまって眉を顰めた。
ワタルはその些細な変化に気がつかなかったらしく、平然と答えてくれる。
「あ、うん。姉さんに頼んでる。なんかノリノリで、その、そんな感じに」
「なるほどな。つか、それはそれで、すごくね?」
「まあ……あの人が元凶みたいなものだから……」
幼少期の女装写真は、その人の手になるもののようだ。
これだけ可愛ければ、着せ替え人形にしたくなるのもわからなくはない。
道を踏み外したのは、誤算だったのかもしれないが……。
(今も積極的に協力してるってのはどうなんだよ……)
もしかすると、ちょっとアレな人なのかもと思いつつ、ページを進めて、見えた写真に反射的にアルバムを閉じた。
横から手が伸びていたのを見るに、ワタルも見られるのを阻止しようとしていたようだった。
「なぁ、お姉さんと撮ってるんだよな……?」
「い、言わないでほしい……」
顔を真っ赤にしながらワタルが俯いているのは、あまりにも写真が過激だったからだ。
そういう行為を連想させるアイテムが散りばめられた一枚は、恐らくは悪ノリの結果なのだろうが、やり過ぎた雰囲気しかなかった。
上気した肌と、ほんの少し肌が覗くようはだけられた肌着からは、香しい欲望の匂いが立ち上ってきそうな感すらあった。
捨ててしまえばいいのにそうしないのは、ワタル自身少しは気に入っているのだろうか。
実際出来は悪くない。だが、やはり……。
脳裏に焼きついたそれを眺めて、トシヤは溜息を吐いた。
「……まあ、うん、これなら勝手に見られたくないよな」
「わかってもらえて嬉しいよ……」
結果としては、制止が間に合わずに見られてしまったわけだが。
ちらとワタルを窺えば、顔を赤くしたままモジモジとしていた。
気がつけば、ずいぶんといたたまれない空気になっている。
何か別の話題を出したかったが、うまく頭が働かない。
それくらい、写真は衝撃的だった。
お互い、口を開こうとしてはやめるを繰り返してしまって、どんどん微妙な雰囲気になっていく。
そんな二人の関係を打開したのは、能天気な帰宅の声だった。
『ただいま~! ピザ来てたから受け取っといたぞ~! ワタルー? ワタルー! 誰か来てんでしょー』
それが、この空気を生み出す元凶になったワタルの姉、ミハルの声だった。
***
私も食べたいとごねたミハルのせいで、二人はリビングに降りてきていた。
だだっ広いリビングには、見るからに高価そうなスピーカーセットや、テーブル、ソファーやら絨毯があって、トシヤはおっかなびっくり座っていた。
その中で食べるには、一枚数千円程度の宅配ピザはあまりにも庶民的すぎた。
そんな彼の様子など見向きもせず、スーツ姿のミハルはテキパキ用意を進めていく。
スーツの着こなしもあるのだろうが、いかにも出来る女といった雰囲気だった。
とてもではないが、ピザを食べたいとごねるようには見えない。
「これでよしっと……。あ、自己紹介遅れたね。私、ワタルの姉の鳩場ミハル。よろしくっ~」
そうしてピザやチキンを一通り広げ終えると、トシヤに興味津々といった顔をしたミハルが名乗った。
名字が違うところから察するに、既婚なのだろう。
それが何故実家に帰ってきているのかはわからないが……。
「あ、ええと、御子神トシヤです。弟さんとは……」
「うんうん聞いてるよ。コウコ……だっけ? あの格好の彼氏役兼カメラマンなんだってね」
「え、ええ、まあ……」
独特のイントネーションで話す彼女はコウコによく似ていた。
あれよりも胸を大きくして、身長を十センチも盛ればこうなるだろうという外見だった。
ただ受ける印象は正反対だ。
コウコは静の美人だが、ミハルは動の美人だ。髪の毛は短いし、手の動かし方ひとつとっても、騒がしい雰囲気がある。
それに鬱陶しい印象を受けないのは、育ちの良さがにじんでいるからなのだろう。
人に自然と好かれそうな、キラキラと輝く美女というのが、鳩場ミハルの第一印象だった。
「いやー、いつもさぁ、すっごいんだよーすごいんだよーって彼氏自慢されちゃうから、どんな子かと思ってたんだよねぇ」
「ちょ、ちょっと姉さん!」
「なによー、事実でしょー」
彼氏云々はともかく、身内にそこまで話してくれているということに、トシヤは浮かれつつも赤面した。
才能がある才能があると煽てられてその気になってはいるが、改めて他の人からそれを指摘されると恥ずかしくもなるのだ。
「あ、赤くなってるー。男の子ならそこはドヤ顔でもしておくところよ」
「い、いや、さすがにちょっと」
「ま、その年ならそんなもんよね」
「もう、姉さん!」
珍しく取り乱したワタルに制されながらも、ミハルはマイペースのままだ。
ふと、トシヤと目があうと、ミハルはむむむと眉間にしわを寄せた。
まるで何かを見定めるような目つきに、自然と身構えてしまう。
「うーん、ま、君は大丈夫そうな人だね」
「それは、どういう……?」
トシヤの疑問の声に、ミハルはケタケタと笑った。
「あー、こういうこというとドン引きされそうだけど。私わかっちゃう人なんだよねー。相手の目を見るとこう、ダメになっちゃう人だとか、本当にいけてる人だとか、さ」
「は、はぁ……職業病、みたいな?」
「そだねー、ま、これでもお偉いさんなのだよ」
長いこと営業マンをしていると、自然と相手の顔を見てどういう人間がわかるようになる、というのは父の弁だが、お偉いさんということは同じような能力を彼女も持っているのだろう。
何の仕事をしているのかはわからないが、それだけたくさんの人に接してきたのだ。
「姉さん、失礼だよ」
見定めるようなミハルの目つきに、ワタルが釘を刺した。
打って変わった雰囲気で彼女は答える。
「失礼でも、させてもらうよ。大事な弟を任せるんだからね……」
表面を撫でているだけのようだった目の動きが、より深くを舐めまわすようなそんな動きに変わる。
その雰囲気は妖しいというほかないが、たしかな理性の輝きが感じられる。
決して、頭のおかしな人が妄言と共に行っているようなものではなかった。
「……うん、でも安心した! 君なら平気そう!」
「お眼鏡にかなった、ってことですか?」
「んー、ま、そだね。いやー、遠路はるばる帰ってきた甲斐あったわ。じゃ、邪魔者はおとなしくピザ食べてるから! ……あ、美味しい!」
安心して興味が完全に移ったのか、ミハルはパクパクとピザを消費していく。
あまりの速さに、男二人はさっと顔色を変えた。
「た、食べよう!」
「おう!」
まるで競うように、二人もまた食事に手を伸ばした。
***
片付けは任せなさいと胸を張ったミハルにゴミを押し付けて、二人は部屋に戻ってきていた。
「姉さんが迷惑かけて本当ごめん」
「いや、大丈夫だって。別に変なことされたわけじゃないし」
「そう?」
顔を見て、将来がどうのと言われただけだ。
あんなもの、田舎の親戚に会うたびに言われる言葉と大差がない。
とはいえワタルの家族に認められたという事実は、ずいぶんと気分を良くしてくれるものだった。
「ああ。それに、あの人お前のことが心配で、わざわざこっち帰ってきたんだろ。いいお姉さんじゃん」
「そうかなぁ……」
「だと思うぞ? うちの妹なら、そんなことしないだろうし」
「それは妹だからじゃない?」
「かもしれないけど、身内の知り合いって結構気になるもんだと思うがなぁ」
「うーん……」
ワタルはピンとこないようだが、少なくともトシヤとミハルは気にするタイプなのだ。
「それに、結果としてだけど、お眼鏡にはかなったみたいだしな。家族公認ってわけだ」
「またそういう変な言い回しする……」
「他になんて言やいいんだよ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
つんとした口調からするに、あまりしっくりとくる言い回しではないようだ。
たしかに、少し言葉が重すぎるような気もするが、他に思いつかないので仕方がないだろう。
「ま、ともかくこれで邪魔もされないし、いいんじゃねえか。お前もその辺は気楽になったろ」
「……まあ、ね」
あそこでダメ人間だと見抜かれていたなら、どうなっていたかわからない。
徐々にフェードアウトされたか、絶縁状を叩きつけられたか……。
どちらも辛いことには違いなく、トシヤは肩を震わせた。
彼の中でコウコを撮るということは、いつの間にかそれだけ大きなものになっていたのだ。
「しっかしあの人がねぇ……人のがわかるっていう割に弟に道を踏み外させたのか」
「アレの当たり外れはあるけど……わざとこの道に迷い込まされたような気はするよ……」
ワタルは、ははっ、と浅く笑って溜息を吐いていた。フォローのためにかける言葉が見つからなかった。
どうしたものかと考えていると、いつの間にか復活していた。
「まあいいや。続きやろう? 一通り終わらせちゃえば、テストもなんとかなるでしょ」
「そうだな……あ、テストといやさ」
「何? なんか賭けるとか言わないだろうね」
「ちっ、先回りされたか……。いや、まあ、合計がお前より上だったらだけど、肌着姿、俺にも撮らせてくれないかなって」
「はぁ?」
すっと、少し引かれた。
その変態を見るような目はなんだとトシヤは眉をひそめたが、何も違いはないので文句は言えない。
「いや、その、なんつーか、コウコは俺が撮ってやりたいっていうかさ」
「……嫉妬?」
「対抗心って言ってくれない……?」
実際のところは独占欲と呼ぶのがふさわしいのだろう。
自分こそがコウコを美しく記録できるという自負が、アルバムを眺めたことで明確化していた。
「うーん……まあ、恥ずかしいけど。それぐらいならいいよ」
「っしゃあ!」
「でも、過激なのはナシだからね!?」
「ばっ、お前なぁ」
忘れかけていたあの一枚が蘇ってきて、トシヤの顔が赤くなった。
ワタルも、それを見て赤面した。
「何想像してるのさ!」
「お前が思い出させたんだろ!」
またいたたまれない空気になりそうだったので、トシヤは慌てて話題を続ける。
「お、お前が勝った時に何してもらいたいかも、ちゃんと考えておいてくれよ!」
「いや……うーん、まあ、考えとくよ」
どうにか空気を誤魔化すことには成功したらしい。
答える声音はあまり乗り気ではない様子だったが、何か思いついたのか考え込む風にして黙り込んでしまった。
何をさせたいのか聞きたいところだったが、それはお楽しみというやつなのだろう。
「んじゃ、後半戦がんばるぞ」
「うん」