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想いの色

 迫ってくる彼女から逃れようと後ずさり、ベッドに背を押し付けているトシヤは、視線をフラフラとさまよわせていた。


 外から風が吹き込んでいることを示すように、品のいい真っ白なレースカーテンが膨らんでいて、すぐ近くのハンガーラックに並んだ可愛らしい服たちが柔らかく揺れていた。


 それから目線を外せば、慣れ親しんだ制服が壁に掛かっている……ああ、目の前の彼女は男なのだと改めて認識する。


「トシヤ……?」


 瑞瑞しい桃色の唇が小さく震えた。

 彼の足にまたがった彼女は、恥ずかしさで頬を赤く染めながら、期待するような目で見つめてくる。


 上着のシャツはボタンが外されてはだけ、その胸がちらちらと覗く肌着が丸見えだった。


 けれど、そこに女性らしい丸みはない。あるのは平かな胸板だけだ。

 だがそれが、男のものとは思えないくらい柔らかなことをトシヤは知っている。

 あまりにも心地のいい香りが、そこから立ち上ってきて、頭がぼうっとする……。


 いいや、俺は違うのだと顔を背けようとすると、よりいっそう身を寄せてきた。


「怖がらないで……大丈夫だよ」


 その繊手が、トシヤの手にまとわりつく。

 柔らかく、すべすべとしたそれが、指を絡めてくる。まるで恋人のように。


「だから、ね?」


 拒むのは容易いはずなのに、体が動かない。

 もう片方の手が頬に触れる。少しひんやりとした感触が頬の上を滑って、小さく吐息が漏れた。


「大好きだよ……」


 そんな彼を愛おしいと愛を囁きながら、彼女は顔を近づけて、深い深い口づけをした。

 瞬間、下半身から何かの漏出していく感覚が広がって……。

 

     ***

 

「うわぁぁぁぁ!」


 絶叫とともにトシヤは目を覚ました。

 布団を跳ね除けるまでもなく、股間には強烈な違和感がある。


「……勘弁してくれ」


 ここのところ毎日のようにあの夢を見ていた。

 日に日に関係が進展して行って、ついにの今日だった。


 原因はわかりきっている。

 中間テストが来週から始まるので、最後の確認に勉強会をする約束をしたからだ。


 もちろん、場所はワタルの家だ。


 普通は男同士、むさ苦しい勉強会にしかならないはずだが、相手はあのワタルである。何があるかわかったものではない。


(俺は、違う)


 ワタルの、コウコの可愛い姿はたくさん見てきた。

 ときめいたのも確かで、好意があるのは否定しない。


 だが、あれは男なのだ。それは頑張っている彼への、親愛の情でしかないはずだ。


 それが、いったいどうしてこうなってしまったのだろう?


「はぁ……」


 溜息を吐いてベッドを抜け出す。

 幸い、まだ家族が起き出してくる時間ではないようだ。早めに処理をしておこう。


 家族を起こさないようコッソリと移動して、下着を処理をしていると、切なさで座り込みたくなってくる。

 何が嬉しくて、男相手に夢精しなくてはならないのか。


(でも、そういう気持ちがあるってことだろ?)


 情けなく下着にへばりついたそれは、およそ見たことのないくらいの分量であったし、今でもあの夢を思い起こせば、その快感が蘇ってきて熱を持ちそうになる。


「外見さえ良けりゃいいのかよ……」


 面食いの自覚はあるが、節操無しにもほどがあった。

 たしかにコウコは可愛いし、いい匂いがするとか柔らかいとか知ってることは色々とあるが、男だからと線を引けていたはずなのに。


(今日どんな顔して会えばいいんだよ……)


 何故だかワタルを裏切ったような気分になって、気分が沈んでいく。


 ――忘れよう。そうすることしかできない。


 トシヤは深々と溜息を吐きながら、痕跡のなくなった下着を固く絞ると、洗濯カゴへ放り込んだ。

 隠すように、他の洗濯物の下へとしまいこんで見えなくした。突きつけられたものから目をそらすように。

 

 それからしばらく気持ちを落ち着けるために、ゲームをしたり音楽を聴いたりしていると、乱雑にノックされた。

 扉を開ければ酷く不機嫌そうな妹のミヤがいる。

 いつの間にか、そんな時間になっていたようだ。


「下で待っててって言ったじゃん」

「悪い……」

「はぁ……別にいい」


 中身のない謝罪に呆れた溜息を吐いたミヤを招き入れると、パッとトシヤの顔を見るや、クローゼットに手を突っ込み始めた。


 ああでもないこうでもないと独り言をこぼすのを聞いていると、目の前に幾つかの候補が積み上げられていた。

 買い物の時のように、服の上からシャツを合わせてはを繰り返して、決まったのはドット柄のポロシャツにジーンズと、頼んだ割にはあっさりした格好だった。


「なんか、いつも以上にシンプルじゃないか」


 初めてワタルの家に行くというのに、こんなシンプルでいいのだろうか。


「……はぁ。前から言ってるでしょ、お兄は無駄にスタイルいいんだから、余計なことしないでいいの」

「それにしたって」

「嫌なら自分で選べば?」

「……申し訳ありませんでした」


 トシヤが一気に下手に出ると、ミヤは煩わしそうに頭を掻く。無駄なやり取りをしたというのが、心底鬱陶しかったのだろう。

 決して朝に強くない彼女を無理して起こしているのだから、申し訳なさでいっぱいだった。


「つか、男友達の家でしょ。なんでそんな気合入れたがってんの? あのふわふわな彼女さんならともかく」


 コウコの写真を見られたせいで、ミヤは彼女とトシヤが恋人同士だと勘違いしている。

 服を選んでもらうのに都合がいいから否定しなかったし、彼女相手なら、気取った格好をしたがるのも理解ができるのだろう。


 だが、今日は男友達の家に行くと伝えてある。それなのに、ここまで気合を入れたがるのには違和感があるのだろう。

 言われてみれば確かにそうなのだが、なんとなく、ワタルの前で恥ずかしい格好をしたくなかったのだ。


「そりゃ、お前……ズボラな格好見せたくない友達くらい、いるだろ」


 言い訳のようにつっかえつっかえ告げれば、あくびと共に言葉が返ってくる。


「まあ、わからなくはないよ。あたしにもいるし。でも、男ってそういうのないと思ってた」

「男同士だって、気にするときは気にするだろ」

「ふーん……そんなもんなの?」

「お、おう」


 ミヤは納得していない様子だった。

 しばらく考えるような顔をしていた彼女は、ぱっと思いついたように爆弾を投げてきた。


「でも、お兄のは完全に意識してるやつだよ、それ。中学生みたい」


 言われて、忘れようとしていた夢が蘇ってきて、どきりとする。

 肉体的な反応に加え、他人から指摘されてしまえば、もう逃げ道がないような気がしていた。


「あ、あいつは、そういうんじゃ……」

「いや、それどう見ても好きなの茶化された反応じゃん。……まあ、別にどっちでもいいよ。それより、ん」


 気持ちを処理できないでいると、手を差し出される。それは、最初の時に約束した報酬の催促だ。

 ごほんと軽く咳払いをして、財布から決して安くはない報酬を支払えば、妹は上機嫌な顔になった。


「毎度あり~。ま、楽しんどいでよ。ほんと、どっちでもいいけど、彼女さんとの仲に影響しない程度にしなね」


 打って変わって浮かれた様子でミヤが帰っていくと、選ばれた服の前でトシヤは頭を抱えた。


 ――その彼女とワタルが同一人物だから、困っているのだ。

 

     ***


 爆弾のせいで気持ちを乱されながらも、家を出て最寄駅に着く頃には、ある程度の平静を取り戻すことができていた。


 ワタルの家は、この駅から電車で三十分以上掛かるところにあるらしい。

 毎朝歩いて十分ちょっと掛けるのも辛いのに、それほどまでの時間を掛けて、しかも満員電車に乗ってまで登校しているというのは、素直に尊敬してしまうものだ。


(そこまでして来たい学校なのかね……)


 第一条件が家から近いことだったトシヤとしてはよくわからない。

 いい学校だとは思う。だが、それほどの価値があるものなのだろうか。

 朝から人にもみくちゃにされて疲弊して、それでもなお通うほどの価値が?


 あるいはそこまで考えていないのかもしれない。偏差値があっていただけなのかもしれない。なんとなく、高校には通わないといけないものみたいな空気があるから、それに従っただけなのかもしれない。


 あんな奇矯な趣味をしているくせに、流されるような考え方をしているとは正直考え難いが……。

 本当のところがどうなのかは、ワタルに訊かなければわからないだろう。


「っと」


 ぼうっとしていて乗り過ごしかけたトシヤは、慌てて電車を降りた。

 花見に行った時待ち合わせをした接続駅で、乗りなれない路線に乗り換える。

 少ししてやってきた電車に乗り込むと、時刻表サイトで調べた到着時間をメールする。


 電車が動き出すと、車窓の景色がどんどんと見慣れないものへと変わっていく。

 林立していたビルが消えて住宅街になったかと思えば、唐突に田園風景が広がり始めた。

 大会に出るときにこの辺りを通ったことがあるから、こういう景色があることは知っていたが、それでも改めてみると驚きを隠せない。

 百万都市といわれるような大都市から、たった十数分で世界はこれだけ様変わりしてしまうのだ。


 あっけに取られている間にも、電車はすいすいと進んで行く。

 彼の最寄り駅に急行は止まらないので、手前の駅で各駅停車に乗り換えて、いよいよたどり着いた。


 ――ぽーんという音が響く改札を出れば、何もない。


 そう、本当に何もないのだ。

 デパートともいえないような大型スーパーが、取り残されたようにぽつんとだけあって、ほかには見渡す限りの馬鹿でかいバスロータリーしかない。

 駅の反対側には田んぼと山の連なる景色が広がっていて、蛙の合唱が聞こえてきそうな気配があった。


(ほ、本当にここなんだよな?)


 あまりにもワタルの持つ雰囲気とかけ離れすぎていて、場所を間違えたのではないかという気になる。

 いいや、こういう場所だからこそ、彼のような雰囲気の子供が育つのかもしれないが……。


 つい改札口できょろきょろ辺りを見回してしまう。

 送られてきたメールを何度も見直して、駅名が間違っていないことを確認する。

 同名の、別の土地に来てしまった……なんてことはないはずだが、不安でたまらなかった。


「――トシヤ!」


 と、そんな気持ちを拭うように聞きなれた声がした。

 ぐるりと辺りを見回せば、ちょうど着いたばかりのバスから走ってくるワタルがいた。


 今日の彼は襟と袖口に白のラインが入った紺のポロシャツに、カーキ色のパンツという格好だった。

 暑いからなのか、髪の毛をまとめているせいで、普段は隠れている首周りのラインが晒されている。

 なだらかな曲線を描くそこからは、独特の色香が放たれていた。


 男のくせに嫌に色っぽい。襟のラインのせいで、視線が吸い寄せられるのが罠のようだ。

 そんな彼が履いているのは踵も保持してくれるタイプのサンダル。

 無骨なストラップからして男物のはずだが、女の子みたいに綺麗な足のせいで、そう感じさせない雰囲気があった。

 妹がよく履いている編みサンダルのようなものだったなら、性別が迷子になっていたのは間違いない。


「うす」


 見てられなくて、少し視線をそらした。

 妹に言われた言葉が、響いていた。


「ごめん。ちょっと道混んでてバスがね……」


 目の前で止まったワタルは、軽く息を整えながらそういった。

 早めに着いてトシヤを待っているつもりだったのだろう。


「いや、待ってないし、大丈夫だ。てか、バスでって、お前親は?」

「二人ともいない。いてくれると楽だったんだけどね」

「休みの日も仕事とか、大変だな……」

「まあ、慣れたよ。じゃ、行こっか」


 はぁーと息を整えたワタルが、くるりと身を翻した。

 はっきり見えるようになった後頭部には、ぽってり膨らんだ蕾のようなシニヨンが作られている。

 これにバレッタなり可愛らしい髪留めを付ければ、完全に女の子の雰囲気だ。

 暑いからまとめ上げたいというのはわかるのだが……もっと男らしさが欲しいところだった。


 奇しくもとんぼ返りの形になってしまったワタルの後を追って、彼の家へ向かうバスへと乗り込んだ。

 バスに乗るのがあまりにも久しぶりすぎて、お金を入れるのに手間取って笑われてしまった。

 

     ***

 

 結構な混み具合だったバスに揺られて駅から離れていけば、田園風景から山の中へと移動する。

 スーパーやらお店がないのは相変わらずだが、一応は住宅街という顔になってきた。

 俗にいう閑静な住宅街というやつだろう。不便極まりないのだろうが、静かさだけは保証されているような気がした。


 言われるがままバス停で降りて、また数分歩くと、やたらと大きな家が立ち並ぶ区画に入った。

 どれもこれもトシヤの住む家の倍はありそうな建物と、やたらと広い庭を持っていた。

 まさかとは思ったが、そのうちの一軒がワタルの家だった。


 なんのためらいもなく敷地に入る彼の後を追いながら、ついつい玄関前で立ち止まってしまった。

 二階建ての品のいい大きな家には、上げ下げ窓と出窓がつけられていて、いかにも洋館という雰囲気があった。

 玄関の上のバルコニーに真っ白な洗濯物が踊っているのも、それに拍車をかけているような気がする。

 走り回れそうなくらい広い庭は、きっちりと手入れがされていて、時折お茶会でもするのか、テーブルが置かれていた。


「おまえこんな家に住んでてよく公立に来たな」

「まあ、男は公立にちょっと触れておいたら、っていうのが方針みたいだったからね」

「昔は私立?」

「近くのね」

「はー」


 思わず変な声が出た。姫はリアル王子だったというわけだ。


「まあ、そんなかしこまらなくていいからさ。別に高い家具とかないし」

「そ、そうなの?」

「僕の部屋はね。リビングは……まあないとは言わないけど。気にするだろうから入れない」

「助かる」


 ワタルの言葉に感謝するほかなかった。

 目が飛び出そうな額の家具に座って勉強など、頭に何か入る気がしなかった。


「ははは、座りたいようならリビングでやるのもいいかなと思ったけどね。フッカフカだよ、フッカフカ」

「フッカフカかぁ……」


 笑いながら家に入ったワタルの案内に従って、二階にある彼の部屋に案内される。

 クリーム色の壁紙が貼られた部屋は、家の大きさに見合う大きさだった。トシヤの部屋の倍はあるだろう。


 当然、置かれているテレビも勉強机も本棚も大きい。作り付けのクローゼットもかなりの大きさだ。

 意外にもベッドは普通のシングルサイズだったが、それでも安物ではないんだろうという雰囲気があった。

 窓は出窓だ。出てくるときに開けっ放しだったのか、カーテンが揺れている。

 夢の中と一致していたのがそれくらいだったのが、正直助かった気分だった。


 その部屋の真ん中に置かれた、少し雰囲気に合わないテーブルに座って待つように言われた。

 飲み物やらを持ってきてくれるのだろう。


「すぐ戻ってくるから物色とかしないでね」

「それはしろっていう振り?」

「本当にしないでね?」


 声音が本気だったので、素直に頷いた。

 物色するときにうっかり何かを壊したら立ち直れる気がしなかったので、どのみちするつもりもなかった。


 ワタルが駆け足で部屋を出て行くと、手持ち無沙汰になったトシヤは、巨大な本棚を眺める。

 ほんとんどは漫画や小説が詰まっているが、背の高い本――恐らくは写真集――も結構な数が揃っていた。

 以前押し付けられた写真の技法書もあった。あまり読み込まれた感じはなかったから、さっさと自分の才能に見切りをつけたのだろうか。


(そういや、俺が撮った写真ってどうしてるんだろう)


 いつの間にか、現像もトシヤがやることになってしまったので、ワタルには完成したデータだけを渡している。


 パソコンの中にしまいっぱなし、というのが一番可能性としてありそうだったが、アルバムがあれば面白いなと本棚を探し始めた。


 背の高い本が集められた一角を探していると、背表紙にタイトルのない、やたらとぶ厚い本にたどり着く。

 恐らくはこれがアルバムだろう。


 手を伸ばしかけて、やめる。

 物色しないで欲しいという声はかなり真剣なものだったし、ここでワタルを裏切ってまで読みたいものではない。

 それに彼の性格上、頼めば見せてくれるだろう。早いか遅いかの差でしかない。


 我慢我慢と何も見なかったことにして、テーブルに戻ったところで部屋のドアが開いた。

 ジュースをお盆に載せたまま、ほっ、と一息吐いたワタルを見て、欲望に屈しなくてよかったと心底思っていた。

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