二人の写真
二人のシフトは丁度お昼時の繁忙期に割り当てられていた。
基本的にはその場で作った焼きそばを詰めては渡すだけなのだが、食材が切れそうになると保管用に借りている調理室まで取りに行くのも、トシヤの仕事だった。
ワタルはといえば、段ボールで作った看板を手にやる気のなさそうな声で呼び込みしている。
若干不機嫌そうな顔をしているのは、昨日のことを引きずっているのではなく、騙し討ち的に女装をさせられたからだ。
化粧をきちんとするでもなく、髪でお団子を作ってスカートを履かせるだけという手抜きにもほどがある代物だが、それでも見られるものになっているのは素材がいいからなのだろう。
とはいえ、普段最高の美女を作るための女装をしている彼としては、ウケ狙いのような程度の低いものなのが腹に据えかねているらしい。
声に覇気がないのはそんな理由なのだが、周りは女装をさせられたのが気にくわないから、へそを曲げているんだと勘違いしているようだった。
(まあ完成度高くてケンスケに同一人物だと見抜かれても困るしな)
その点は助かったと思っているのだが、本当に気に入らないらしく、時折睨んでくるのはやめてほしいと、トシヤは心底思っていた。
(まさかあそこまでキレるとは思わなかったんだよ)
昨日、電話口で言われた『楽しみにしてて』の中身が女装のことだと思ってしまって、軽口を叩いたのだ。
『僕に……僕にこんな格好をさせて嬉しいのか!』
その時のワタルの怒りようは、それはもうキャラ崩壊のレベルで、同じシフトの女子たちが少し遠巻きになってしまうほどだった。
(……じゃあ、何がお楽しみだったのかね)
それは未だにわからない。このシフトが終わればわかるのだろうか……。
と、少しぼうっとしていると調理の女子に足を蹴られた。
「ちゃんと手動かして」
「すまん」
やる気のない呼び込みだが、模擬店は忙しい。
そろそろ焼きそばを詰めるパックも、残りが少なくなってきた。
「ちょっと、パック取ってくる。他にもなんか足りなくなってきてるのあるか?」
「ん、ちょっと待って」
彼女は手を止めて、さっと材料の残りを確認する。うーん、と唸り声が聞こえた。
「わりと全体的にないね。たぶん、そろそろ次の子たちも用意してるはずだから、来るときに持ってくるよう言って」
「うす」
ワタルが女装したように、同じシフトの男子はそのうちの誰かが女装を担当することになっていたらしい。
だから、少し早く呼び出されて、調理室で着替えさせられるのだ。
それは水面下の動きだったので男子たちは把握していなかったが、改めて考えてみると、ちょっと可愛いタイプの男子が必ず組み込まれていた。
「んじゃ抜けるわ。あと頼む」
「あんたがいないとあいつ荒れるから、早めに戻ってくんのよ」
「自業自得だろ」
ワタルの機嫌についての文句を聞き流して、トシヤはそそくさと模擬店を飛び出した。
負担のかからない程度の速さで調理室まで移動すれば、きゃいきゃいと黄色い声が聞こえている。この辺りが静かな分、余計大きく感じられた。
中に入ると新たな犠牲者が悲しそうな顔をしていたので、軽く慰めの言葉をかけてやりつつ、荷物を持って移動するよう指示した。
これが終わればあの忙しさから解放される……そう思うと自然と歩みが早くなってきて、あっという間に模擬店が見えてくる。
と、あのやる気のない声が聞こえないことに気づいた。
先に抜けたのか?と首を傾げながら近づいていくと、店の前が慌ただしいのに気づく。
少しガラの悪そうな、他校の生徒と思しき輩がワタルに絡んでいた。
どうにかあしらっているようだが、諦める様子がない。
女子連中では助け舟を出すのは難しいだろう。そういう手合いの空気感がある。
「ったく」
なまじ完成度が高いと苦労するなと思いつつ、男たちとワタルの間に入り込んだ。
「すいませんね、ウチそういうのやってないんですよ」
「うるせぇな、邪魔……あ」
「ん?」
顔を合わせてみると、なんてことはない、中学の頃の後輩だ。
それなりに真面目なキャラだったはずだが、高校デビューにでも挑戦したのだろう。
「なんだお前らじゃねぇか。なんだよ俺に会いに来たわけか? ん?」
ニッコリ笑みを作りながら空いている方の手を閉じ開きして見せると、男たちはすっかり身体を縮こませた。
「は、はは……す、すいませんでした! いや、その、知らなくて!」
「いや別にそれはいいんだよ。な、すること、わかるよな?」
背の高いトシヤが凄んで見せると、かなりの威圧感がある。
優しい先輩だが、怒ると恐いというのを身にしみて学んでいる彼らは、すぐさまワタルや女子達に頭をさげると、五、六人前は焼きそばを買って、逃げるように去っていった。
(ったく、やるなら相手見極めろっての)
はぁと溜息を吐きながら後輩たちを見送ると、背中に倒れこんでくる温かさを感じた。
「んおっ、お、おい、大丈夫か?」
「ごめん……ちょっと力抜けた」
トシヤほどではないが、後輩たちも上背がある。鍛えてもいるから、華奢な体格のワタルには、かなりのプレッシャーになったのかもしれない。
うまいことあしらって、クラスメイトに迷惑をかけないようにとかも考えていたのだろうし、元凶が去ってこうなるのも仕方ないだろう。
さっと、調理役の女子に目配せすると、しょうがないという風に肩を揺らされた。
彼女はパックを受け取りに出てきて、そのまま上がっていいよと伝えられた。
「ま、代わりはすぐ来るみたいだからね。先休んでな」
「悪いな、後輩たちが迷惑かけた」
「その辺の話は、灰谷にしてやんなよ」
「おう」
肩を支えるように抱いて、調理室へととんぼ返りする。
途中、すれ違ったクラスメイトたちが冷やかしの声をあげたような気をしたが、聞かなかったことにした。
調理室の扉をピッタリ閉めると、外の喧騒がだいぶ遠くなる。
抱き支えていたワタルを座らせれば、離れないでという風に裾を掴まれた。
椅子を引っ張ってきて、対面に座ってやる。
裾を掴んだまま俯いているワタルに、どう話を切り出すかと考えて、小さく息を吐いた。
「……悪かったな。さっきは」
「別に、それはいいよ。ああいう人は、他にもいたし」
「そうか」
言いつつも、その言葉が強がりであることは、わかりやすいくらい伝わってきていた。
肩を抱いている間にもワタルは震えていたからだ。
彼は、ずっと強がっていた。
「僕は……僕が、あの場で、一人だったから。がん、ばったけど……でも、うまく、できなくて」
「十分やってたさ」
「キミみたいに、やりたかったんだよ」
「あれは後輩だったから、たまたまだよ」
実際、全く初対面の相手だったなら、ああもうまくはいかなかったはずだ。
生徒会や教師に出張って貰う羽目になったかもしれない。
「でも、それでもキミは……カッコよかったよ」
微かに顔を上げて、ワタルが微笑む。
あの夕陽の中、見惚れたのと同じくらい美しい、湿った微笑みがそこにはあった。
我知らずのうちに、手がカメラを握る形になっていることに気づいて、吐息した。
(何考えてんだ、俺は)
そういう場面ではないとわかっていても、目の前の美しさを形に残しておきたかった。
そんなトシヤの気持ちを知らないワタルは、言葉を続ける。
「ねぇ、僕は昨日訊いたよね。そういうことが、したいかって」
「あ、ああ……」
何が言いたいかわからなくて、トシヤは少し怖くなった。
誘われるような言葉を吐かれたら、首を振ることができる自信がなかったからだ。
「流石に、そういうのは無理だよ。少なくとも、今は、まだ。でも、その代わり、というか……代わり、になるのかも、わからないけど」
ワタルの手が離れていく。恥ずかしそうに小さく拳を作って唇を隠した彼は、上目遣いでトシヤを見た。
「デート、しない?」
言うなり顔を真っ赤にして、ワタルは顔を背けてしまった。
何言ってるんだ、と茶化すことのできる空気ではなかった。
……少し考えて、トシヤは笑った。
「おう、しようか。デート」
たぶんきっとそれは、ワタルなりのお礼なのだろう。
性の発散相手を融通すると言ってみたり、どうにも不器用な男なのだ。
「うん、ありがと」
「……とりあえず場所移すか。ここだと誰か来るしな」
「そだね。すぐそこのトイレで待っててくれる?」
「おう」
***
まるで魔法のようだな、とトシヤは思った。
調理室を出て、交代を終えた他の女子たちを適当にやり過ごした後、その近くのトイレで完璧な女装を終えたワタルことコウコの姿は、全く見違えるものだった。
お団子はそのままで、シルエットこそ違うけれど同じスカート姿のはずなのに、アレとコレでは天と地ほども色気が違った。
念のためにと伊達メガネを掛けてはいるが、無くても当人だとは気づかれないだろう。
それくらい、かけ離れていた。
「よし、行こう!」
飛び込んできたコウコが、ギュッとトシヤの腕を抱き込んだ。
いつもの偽乳は無いが、その男らしいはずの薄い胸板が、柔らかく感じられた気がした。
「お、おう」
ついつい動揺してしまうトシヤを連れて、コウコは浮かれたように歩き出す。
その弾んだ足音に引っ張られながら、二人は展示を見て回った。
気合の入ったものから、ノルマをこなすためだけの申し訳程度の展示まで、様々なものが転がっていた。
その一つ一つを楽しみながら、トシヤはコウコの姿を撮りたいという欲を抑えるのに必死だった。
コウコの方は、時折、カメラを持つような手の形を作る彼を見て笑っていた。
そうして喫茶店やお化け屋敷など、主要な出し物を見終えてしまうと、少し廊下にあふれる人の数が少なくなっていることに気づく。
「そろそろ体育館で出し物が始まる時間だな」
それは演劇部や軽音楽部などが本気を出す数少ないイベントだ。
どちらもこの辺りでは有名らしく、わざわざ遠方から身に来る人もいると新入生勧誘の際に聞いたことがあった。
見ていくか?とパンフレットを指して誘ってみれば、コウコは首を振った。
「人多いし、あんまり興味ないから。どうしてもキミが行きたいなら、行ってもいいけど」
「いや、そこまでじゃない」
とはいえ、そうなるともう見るものがない。
食事という気分でもないし、片付けの関係上、勝手に帰るわけにも行かないから、どこかで暇を潰さなくてはならないだろう。
「行くところないなら、行きたいところあるんだけど、いい?」
どこにしたものかと考えていると、そう言葉を掛けられる。
目が悪戯っぽい色を帯びていることからするに、今思いついたという雰囲気ではない。
恐らくは、生徒向けにパンフレットが配られた段階で目星をつけていたのだろう。
隠していたのは、人が引くのを待っていたのか、なんとなく言い出し辛かったのかもしれない。
「あるなら早く言えよ」
「そこはほら、タイミングを考えてたんだよ」
「へいへい」
クスリと小さく笑ったコウコに連れられていけば、写真部がやっている活動の展示があった。
他人の写真なんて見てどうするんだと思っていたら、どうやら記念写真を撮ってくれるらしい。
「その格好を他人に撮らせていいのかよ」
「あれ、嫉妬?」
「違う!」
その感情がゼロだとは言わないが……。
「えー。まあ、ポラロイドで撮ってくれるみたいだから大丈夫でしょ。何度も観察しなきゃ人の記憶なんかアテにならないよ」
「……まあ、お前がいいならいいよ」
本人がいいという以上、気を揉んだところで仕方がない。
やれやれと頭を掻きながらコウコと共に中へ入れば、なんだか眠そうな顔をした部員がぼうっとしていた。
弛んでいると思わなくもないが、人の来ない展示を見守っている時ほど眠くなるものもないだろう。
すいません……と、コウコが写真撮影を依頼すると、急に元気を取り戻した彼は、いそいそと椅子のセッティングやらを初めて、あっという間に簡易の撮影場所が出来た。
「どうぞどうぞ」と促されるままに腰掛けると、もたれかかるようにぎゅっとコウコに抱き着かれる。いかにもラブラブという雰囲気があった。
「ちょ、おい……」
「いいじゃん」
「ったく……」
恥ずかしがる彼氏に、乗り気な彼女、というようなわかりやすい構図だった。
写真部員もそういう相手は見慣れているのか、浅く笑いながら指示を飛ばしてくる。
彼の指示の出し方は、部活動をやっているだけあって慣れたものだが、どうしてもそうじゃないと言いたくなってくる。
そんなトシヤの顔を、コウコは面白そうな顔をして見つめていた。
やがて「撮りますよ」と声が掛かって、二枚、写真が撮られた。
ポラロイドカメラから排出され、その場で現像された写真には、お似合いのカップルといった雰囲気の二人が写っている。
(やっぱ、物足りないな)
自分が撮った写真の方が、もっとコウコのよさが表現できている……なんて考えているトシヤを見て、彼女はどこか満足げに笑っていた。
***
その後、女装を解いたワタルと共にクラスメイトに合流し、片づけを終えると後夜祭だ。
他の高校だと二日ほど期間があるらしいが、トシヤたちのものは一日しかない。
たった一日のためだけにあんなにも準備をしたのか……と思わなくもないが、だからこそ、というのもあるのかもしれなかった。
グラウンドの周りでドンちゃん騒ぎしている生徒たちから、少し離れたところでぼうっとしていたトシヤの下に、疲れた様子のワタルがやってくる。
「お疲れ」
「みんなよくあんなに元気があるよね……」
女子に大人気のお姫様は、『後夜祭で踊った男女は付き合える』というような、ジンクスに願いを託した女子たちから逃げ回るのでお疲れの様子だった。
「まぁ、その手のことになるとヘンなモン頭から出るんだろ。ランナーズハイみたいな」
「勘弁して欲しいんだけど……」
深々と溜息を吐いた彼は、トシヤの隣に腰を下ろしてもたれかかってくる。
「おい」
「いいじゃん……この格好だからイヤとか勘弁して……」
実際、昼間はされるがままだったので、トシヤは何もいえなくなる。
逃げ回って汗を掻いただろうに、もたれかかってきたワタルからは、汗臭さがないどころか、ふんわりとした柔らかな香りがして少しドキドキとする。
(こいつは男だ)
刻み込むように心に思い浮かべていると、甘えるように腕にすりついてきたワタルが呟く。
「今日は、その、色々ごめん」
「あ?」
「助けてもらったじゃん」
「別にあれくらいどうってことないだろ。というか、それはチャラって話じゃなかったのか」
「でも……」
「気になるなら、前言ってたみたいに勉強教えてくれよ。これ終わったらすぐ中間だろ」
「そんなのでいいの?」
「そんなんでいいんだよ」
無駄に重々しく考える必要などないのだ。
「そっか、じゃあ……その時がきたら精一杯もてなすよ」
「おう、頼むわ」
それからしばらく、まるでカップルのようにお互いの体温を感じあっていると、遠方から女子の『見つけたわ!』という声が聞こえた。
「平穏はおしまい、だな」
「……みたい、だね」
「早めにふけろよ。いつまでもいるからこうなる。別に踊りたい相手もいねーんだろ?」
軽いトシヤの言葉に、ワタルはその発想がなかったというような顔をした。
「そうか、そうすればよかったのか」
「おい……」
「いや、その、キミに話をしなきゃなと思ってて……」
「別にメールでもよかったろ……」
「こういうのは対面じゃないと」
自分のせいでワタルに逃げ回らせていたのかと思うと、トシヤは頭を抱えたくなった。
「というか、キミのほうこそ残ってたくせに」
「俺はワンチャン狙いをだな……」
「いたとしたら間違いなく地雷だよそれ」
「……だな」
結局、二人とも残る意味はなかったのだ。ただなんとなく帰るのはもったいなくて、それに理由をつけていただけなのだろう。
「――帰るか」
「そうだね」
女子の足音が迫ってくるのを感じながら、頷きあった二人はさっと荷物を回収して学校を逃げ出した。
***
「くぁー……」
思った以上に疲れていた体で家に帰り着き、飯やら何やらを適当にすませると、ベッドに横になった。
とっとと寝たいところだったが、ワタルからメールが来そうな気もするし、もう少し堪えて起きていたほうがいいような気もする。
(ああ、そういえば――)
ワタル繋がりで、今日撮られた写真を鞄にしまいっぱなしになっていたことを思い出した。
あまり好ましい出来ではないが、一応折れたりしないよう冊子に挟んでいたそれを取り出すと、自分が撮った写真と同じようにコルクボードに貼り付けた。
「うん、やっぱり俺のほうが上手い」
彼も決して下手ではないのだろうが、この辺は被写体への愛の差だろう。
うんうん、と頷いていると携帯が振動する音が聞こえる。
〈後夜祭でも言ったけど、今日は色々とありがとう。中間の勉強、いつにしようか?〉
送られてきたメールを見ながら、カレンダーを確認する。
週末に丸が多量についているそれは、それだけコウコとデートしたことを示している。
(……考えようによっては、これっておうちデートってやつになるのか?)
何を馬鹿なこと考えているのだと、首を振って邪念を追い出すと、メールの文面を考え始める。
まさか、その馬鹿な考えのせいで当日まで苦しめられるとは、露知らず。