小さな嫉妬
五月になった。
月頭のゴールデンウィークが終われば、トシヤの通う高校は文化祭ムードが蔓延する。
準備も大詰めが近づきつつあるその日の朝、気だるい体をどうにか支えて登校すれば、教室に入るや友人の青野ケンスケに携帯を突きつけられた。
「おうおうトシヤくんよぉ……この写真はどういうことだい?」
「あぁ?」
半ギレの友人に、同じくガラの悪い声で応対しながら画面を見れば、拡大しすぎてノイズまみれの写真が表示されている。
何を見せたいのか理解に苦しむ画像だった。
ブティックらしきものが写っているのはわかるのだが……。
「これがなんだよ」
「ちゃんと見ろよ! ほら!」
どうして朝からこんなにテンションが高いのだろう……。
目を細めながら見つめてみても、いっこうに何が撮られたのかはわからない。
「……クソ画質すぎてわかんねーぞ。他人に見せるんならもっといいもん持ってこい」
「はァー! これだからイケメンはよォォ! じゃなくて、まあもう伝わんねーならいいや口で言うよちくしょう」
「最初からそうしろ」
むしろ、よくこれで伝わると思っていたなと驚愕する。
そういう信頼を投げてきてくれるのは嬉しいが、もう少し綺麗な画像にして欲しかったところだ。
「すぅ――」
と、説明を待っていると、何故だかケンスケは息を大きく吸い始めて……。
「こいつはァ! 週末にィ、ふりっふりの可愛い洋服を着たァ、美人の彼女とショッピングを楽しんでましたァ!」
咄嗟に耳を塞ぎたくなるほどの大音声で、ケンスケが暴露をした。
さっと教室が静まって、視線が集まるのを感じて、
――反射的に目の前の馬鹿を殴り倒していた。
「いてぇな!」
「お前が馬鹿やるからだろうが」
「だ、だってぇ……」
「だってもくそもない。耳打ちでよかったろ? な?」
「う、羨ましかったんだよぉ……で、アレ誰」
こういう変わり身の早さは普段から感心しているところではあるが、今やられたくはなかった。
「妹とかじゃねぇの?」
「お前はミヤちゃんにあんなふりふり着せてショッピングモール行くの? ラブラブ手繋ぎしちゃう兄妹だっけお前ら」
「ふりふりはあいつの趣味じゃねぇし、あいつとそんな手繋ぎするのはぞっとするな」
トシヤの妹のミヤは、もっとクール系のファッションを好んでいる。
それに、ここ数週間で妹とショッピングモールに出かけた記憶はない。
――と、そこでつい最近誰かと出かけたことを思い出した。
「その顔は思い出したな! 誰、誰だよ! 彼女じゃないなら紹介して!」
「あー……」
それは誰あろうコウコである。
いつもの撮影ついでに洋服を見たいと言い出したので、ここから少し離れたところにある大型ショッピングモールに行くことになったのだ。
ケンスケの言うようにラブラブ手繋ぎをしているのは、あの最初の週末にうまく合流できなかったことが、少しコウコの側のトラウマになっていて、ついつい手を繋ぐようになっていたからだ。
まさか、それが恋人同士がするような繋ぎ方になっていて、遠目から見てもわかりやすいくらいに雰囲気が出ているとは思わなかったが。
ふ、と視線をめぐらせて、教室にワタルが来ていないかを探す。……どうやら、まだ来てはいないようだ。
(相談しておきたかったけどしゃーないな……)
ここで黙秘権を行使しても、うざったいくらいに絡んでくるのはわかりきっている。
それなら素直に認めて、黙らせるほうが楽だ。
「まぁ、彼女、だわなぁ」
「名前は? どこ住み? 年上年下? てかどこで知り合ったの?」
「教えるわけねーだろクソ」
教えようにも設定を煮詰めていないので無理なのだが。
「なんだよケチ。愛しのあの子は僕だけのモンってか! てか、ほんとに本物?」
「つーか、なんでそんなテンションたけーんだよ。俺に彼女がいようが関係ないだろ」
さも独り身の嫉妬のような発言を繰り返しているが、ケンスケには中学に入ったばかりの頃から未だに続いている彼女がいる。というかこの教室にいる。
よく笑ってこの言動を見過ごしているなと思うのだが、その辺りは色々あるのだろう。
「え、だってほらお前怪我で部活やめたろ。それで自棄になって、あぶねーこと楽しんだりしてねーかなぁと心配でさ。見つかったら将来オジャンじゃん?」
馬鹿を言っていたかと思えば、一転してまじめな調子でそんなことを言い始めたりするから、この男と縁を切るに切れない。
はぁ、と溜息を吐いたトシヤは、がっちりとケンスケの肩を握り締めながら言う。
「大丈夫だ、お前の心配するような相手じゃねーよ」
(男だけど)
内心でそう付け加えながら告げた言葉に、ケンスケは安心したようで、ほっと息を吐いた。
「そうか……ならいいや。てか、手ちょっと痛いんだけど」
「でも、暴露されたの気にいらねーから、お前今日みんなの奴隷な」
「えっ」
咄嗟に逃げようとするケンスケをしっかり押さえ込みながら、高らかに宣言してやる。
「青野くんは元気が有り余ってるらしいから、みんな仕事どんどん回してやろうな! やりたくてしかたないんだとよ!」
OKと声が揃って返ってくる。中でもひと際大きかったのは、ケンスケの彼女のものだった。
振り返れば、笑っているはずなのに、背中を嫌な汗が流れそうな顔をしている彼女がいた。
「いっぱい仕事しようね、ケン」
「わ、わぁい……僕仕事大好き……」
わっと笑いが起こって、トシヤは彼女の存在を暴露されたことの溜飲を下げた。
だから、すっと教室に入ってきたワタルが少し申し訳なさそうな顔をしていたのに、気づかなかった。
***
トシヤとワタルは学校では話さない。外見と物腰の柔らかさから女子の近くにいることが多いワタルと、体育会系のトシヤでは行動半径が重ならないのだ。
それは、二人が秘密を共有するようになってからも変わらない。
だから週末の撮影はどうする、とか、昨日見たドラマが、とか、何十通もメールのやり取りをして水面下で会話を楽しんでいた。
それがあの日以来徐々に数を減らし、文化祭前日にもなれば、ぱったりと止んでいた。
(俺なんか避けられることしたっけ?)
思い当たることがなくて、モヤモヤする。
もちろん、あっちはクラスの人気者で、文化祭直前ともなれば、折衝やらなにやらで忙しいだけなのかもしれないのだが……。
「なんか、気まずいな」
ここまで急に連絡を絶たれると他意を感じるし、何よりもしっくりこない。
ワタルとメールをすることはいつの間にか習慣になっていて、やらないと気持ちが悪いのだ。
「明日、どーすっかね……」
ベッドに寝転がったまま、模擬店のシフト表を見つめる。
関係者権限でねじ込んだのか、はたまた偶然なのか、トシヤとワタルは同じ時間の担当になっていた。
決まった当初、普段通りの感じで接しようと思っていたのだが、今の気持ちでは上手くやれる自信がなかった。
(……話するか)
気持ちを整理したいと携帯を取り出せば、まるで狙ったようにメールが届く。
〈今暇かい〉なんて、文字媒体とは思えない内容だった。
〈ちょうどこっちもメールしようとしてたところだ。なぁ、もしかしなくても俺避けられてる?〉
少し考えながら文章を打ち込んで送れば、驚くほどの速さで返信が来た。
〈突っ込んでくるね。まあ……うん、ちょっとだけ、遠ざけてはいる、かな〉
〈俺何かしたか?〉
〈何もしてないよ。僕の側が勝手に意識してるだけだ〉
トシヤは何もしていないが、ワタルは意識している。そんなことが、何かあっただろうか?
少し文章を打ち込む手を止めて、トシヤは考え始める。
ワタルの対応が変わった時期に、どんなことがあっただろうかと。
そして、もしかしたらというものを見つけた。
〈お前中途半端にカノジョの話聞いたろ〉
〈中途半端ってナニ。君にはそういう人がいるんでしょう。なら、連絡を控えるのは当たり前じゃない〉
またビックリするほど速く帰ってきたメールに目を通して、頭を抱えそうになった。
「なんで女みたいなこと言ってんのこいつ……」
あそこまで強引に撮影役を任せた男と同一人物とは思えなかった。
だが、この反応からして、どうやらこの線で進めて行くのは間違いではないらしい。
〈別に友達なんだからそんなことする必要ないだろ〉
ヤバイ、送る内容を間違えた。そう思った時には遅く、訂正メールを送るより速く返信が届く。
〈男友達よりカノジョとメールしたいって思うのは当たり前じゃない? デートだってしたいでしょ、なら、週末のだって控えるよ〉
〈まあそうかも知んねーけど。メールだぞメール〉
〈関係ない〉
バッサリ切り捨てるような返信を見て、ますます頭を抱えた。
「こりゃまずいな」
このままだとすれ違いが致命的になってしまう。
となれば、取るべきは一つ。
向こうも携帯を注視しているのだから、すぐ取ってくれるだろうと思いながら電話を掛けた。
『何、間違い電話?』
取ってはくれたが、不機嫌そうだった。
「いやいや、ちゃんとお前宛だから。つか、お前は勘違いしてるから」
『勘違い? この僕が何を?』
「カノジョなんていないってこと。ありゃ、お前と出かけた時の話だ」
『は?』
「聞こえなかったか? あれは」
『いや、うん。大丈夫、聞こえた。聞こえた、けど……』
ワタルは急に声を上ずらせながら、うんうん言い始めた。
『うん、わかった。うん、うん、そうか……うん。ごめん、いったん切っていい? 改めて掛けるから』
「お、おう」
勘違いに気づいたはいいが、気持ちの整理がつかないのだろう。
何せ居もしない彼女に遠慮したあげく、空回りして不機嫌になっていたのだから、恥ずかしくてたまらないはずだ。こういう時は、素直に電話を切ってやるに限る。
それからしばらく、掛け直してくるのを待っていたが、いっこうに掛かってこない。
どうしたのだろう、気持ちを落ち着けようとして、うっかり眠ってしまったんだろうか?
〈すまん、そろそろ寝る〉そんな文言をメールに打ち込んだ頃、ようやく電話が掛かってきた。
『その、なんていうか、さっきは……っていうか、ここ数日、そのほんとごめん』
「いいよ別に。気、使ってくれてたんだろ。まぁ説明してからやって欲しかったけどな」
『うう……だって、まさか僕のことだとは思わないじゃない?』
「まあ俺も妹のこと言ってるかと思ったしなぁ。でも、それだけ美人に見えたってことじゃね」
『美人なのは当たり前なんだけど。いやその、そう見えるくらいイ……チャぅぅ……』
「無理して言わなくていいから」
電話越しの声はかなり弱弱しい。相当恥ずかしいようだ。
『だってそんな風にしてるつもりなかったんだよ!? 手だってはぐれないためだし、服だって別に』
「わかってる、わかってるから落ち着け、な?」
『ごめん……』
どうやら数十分間を置いても、完全に心を落ち着けられたわけではないらしい。
「ま、それぐらいリラックスしてくれてたってことなんだろ」
『それは、まぁ、そうだろうけど……キミは、嫌じゃないの?』
「何が?」
『僕なんかと噂になること』
「まー、カノジョ作れないのはちょっと、って感じだがその辺は織り込み済みだしなぁ」
『……ごめん』
「だからいいって。そもそもそういうの、お前のほうが茶化してきたじゃないか」
『いやでも、いざ他人に言われるとさ。気になっちゃうんだよ』
「難しいもんだな」
自分がやるのはよくても、他人に指摘されるのは我慢ならないなんてのはよくある話だ。
だが、ワタルとしても、まさかここまで複雑な気持ちになるとは思っていなかったのだろう。申し訳なさそうに提案してきた。
『……やっぱり我慢させるのはアレだし、カノジョ作りたいようなら僕のほうから事情を話すよ。いっそ、関係を終わらせてもいいし』
「そこでこの前みたいな茶化しはしてこないんだな」
少しワタルの口調が重々しくなっていたので空気を軽くしようと、トシヤは冗談のつもりで言った。
この前みたいな、というのはオカズの話だ。
もちろん、否定されることを前提にした発言だったのだが、ワタルは黙り込んでしまった。
「ちょ、おい、ワタル?」
『……キミは、そういうこと、したい?』
真剣な調子の声に、今度はトシヤが黙る番だった。
つ、と視線をめぐらせて、コルクボードに貼り付けてあるコウコの写真を見てしまう。
笑顔を浮かべた彼女たちは、その正体を忘れてしまえば、最高に可愛い少女だ。
写真の中、形のいい唇が誘うように笑みを作っている。そこに自分が触れたなら、果たしてどんな心地がするのだろう……。
ストローを吸い上げながら、微笑んでいる時の顔が思い出されて鼓動が早くなる。ドクドクと心臓の音が響いて、いやらしい熱が集まり始めるのを感じる。
それを振り払うために口を開こうとしたトシヤを、ワタルの浅い笑い声が遮った。
『ははは。なんてね、冗談だよ、冗談』
「な、てめっ」
『流石にそれはちょっとねぇ。って感じでしょ、キミもさ』
「ま、まぁなぁ」
少しアリだと思っていた、なんてとても言えなかった。
集まった熱が硬度を持っていることから、目をそらした。
(外見さえよけりゃいいのかよ……)なんて、少しずれた思考をしていた。
『でも、ほんとに苦しかったら言ってよ。協力者のあてはあるから』
「ええ……それはさすがにドン引き」
友人に性欲解消の融通をしてもらうというのは、人として駄目だろう。
『もう、キミはどっちなのさ』
「うーん、ふらふらしてる感じじゃね?」
『まったく……ま、いいや。うん、変な感じも、もうないみたいだしね』
実際、もうわだかまりのようなものはどこにもなかった。
これなら、明日、シフトに入ってもギクシャクはしないだろう。
……別の意味で意識してしまってはいるが、問題はない。
「ったく、お前が原因だってのに」
『それは悪かったって。……じゃ、おやすみ。明日、がんばろうね』
「おう」
『楽しみにしてて』
何をだろう。訊き返すより早く、通話が切れた。
携帯を投げ出したトシヤは、持て余した欲望をどうしたものかと頭を抱えていた。